「完全死刑制度の世界」後編

 時間は流れ、現在は夜の十時。夜勤の警察官と入れ替わりの時間が近づいてきた。結局何事も起こる事はなく、平和で不変な一日が過ぎていく。二度目のパトロールの時も特に問題もなく、平常通り地域住民の人々から冷たい視線を感じた。そんな時井尾は「気にするな。」なんて言って田ノ村に声をかけたが、田ノ村は気にせずにはいられなかった。兎にも角にも、交代の警察官が来るまであと三十分。二人は書類整理をしていた。



「暁ー、あとは俺がやっとくからもう上がっていいぞ。」



「えっ? 珍しいですね。いいんですか?」



 普段はキッチリと仕事を終わらせなければ交代も許さない、そんなストイックな井尾なのだが、今日はやけに優しい。その時田ノ村は不思議に思うかたわら、謎の不信感も抱いていた。



「良いんだよ! アメとムチってやつだ。」



 いつも通りの笑顔を田ノ村に返す井尾。その顔を見て、先ほどの不信感はすぐに消え去った。何だったんだ? さっきの不信感は。まぁいい。いつもの井尾さんだ。田ノ村の思考が疑いから信頼に、一気に180度切り替わり、井尾の笑顔に笑い返した。



「じゃあ、お言葉に甘えて。失礼します。」



「おう、また明日な。」



 井尾は田ノ村の通勤に使用しているリュックサックを投げ渡し、心地よい笑顔で敬礼した。こんな時でも警官としての心構えを忘れない。そんな姿勢に田ノ村は感服した。



「ありがとうございます! 失礼します!」



 交番のドアを勢い良く開き、田ノ村は風を切って家路についた。



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 朝だというのに、今日は外が暗い。曇天が空を埋め尽くし、まるで鉄板が空を覆っているような。そんな重苦しい空だ。テレビをつけるとちょうど天気予報がやっていた。女性の気象予報士が笑顔で画面上に映し出されている。こんな清々しくない天気の中で見ると、何故か彼女の笑顔が痛々しく思えてきた。そんな彼女が画面越しに喋りかけてくる。どうやら今日は一日中雨が降るようだ。田ノ村は、昨日帰宅後に投げ捨てたままのリュックサックに折りたたみ傘を乱雑に詰め込み、制服に着替えて家を飛び出した。



 数十分も歩くと、勤務先の交番が見えてくる。最後にあのタバコ屋の角を曲がると、目の前に交番が見えてくる。それが田ノ村は快く思わなかった。また地域の人達に冷たい目で見られる。そう考えていたからだ。しかし、そこに井尾がいると、心機一転。足が勝手に早く進むのだ。そして今日も、タバコ屋の角を曲がる。眼前の景色に映り込んできた交番には、井尾の姿があった。けれども、田ノ村の足取りは軽くならない。それどころか、近づく事すら拒絶したくなった。目の前の光景が、信じられないからだ。

 井尾を取り囲む数人の警察官。高らかに鳴り響くパトカーのサイレン。交番内を調べ尽くす鑑識の人達。まるで、なにかの事件現場のようだ。

 ポツポツと降り始める雨。そんなものは気にならないほど、田ノ村の頭は混乱していた。落胆と言おうか、絶望と言おうか。なんとも形容し難い気持ちが体を支配する。考えがまとまらない。けど、信じたくはない。とにかく事情を確認するため、仕方なく歩を進めた。



「どうされましたか? 井尾さんが何かしたんですか?」



 田ノ村が井尾を取り囲む警官に声をかけると彼らはすぐさま振り向き、鬼の形相で睨みつけた。さらに強くなる雨。警官たちはレインコートのフードを被り、懐から書類を取り出した。逮捕状だ。罪名の所に目をやると、「覚せい剤取締法違反」と記されていた。目を、疑うしかなかった。なぜなら、そこに書かれていた被疑者の名前が「田ノ村 暁」だったからだ。その瞬間、体から血が引いていくのを感じた。力の抜けた肩からリュックサックがずり落ちる。雨に打たれてずぶ濡れだ。そのリュックサックを拾い上げ、警官は中身を物色する。すると、中から見覚えのない白い粉が見つかった。田ノ村も驚きを隠せなかった。口から「なんで……」という悲痛な声がこぼれ落ちる。

 無情にも田ノ村の手に掛けられる手錠。普段触り慣れているはずなのに、全く異質な何かを感じた。抵抗はしなかった。いや、できなかった。突然の出来事がトントン拍子に運びすぎて。



「井尾さん!」



 今にも泣きそうな顔で井尾見る田ノ村。井尾なら証明してくれる、自分が無実であることを。



「暁、なんて事を……」



 だが、そんな事はなかった。田ノ村は恐怖を感じた。なぜなら、笑っていたからだ。井尾は田ノ村の姿を見て、不敵な笑みを浮かべていたのだ。刹那、手錠が鉛の塊のように感じた。打ち付ける雨が、目から零れる雨が、田ノ村の心から「信頼」を洗い流し「尊敬」をどこかへ攫っていった。

 乱暴に乗せられたパトカーから眺める景色は、いつもより暗く感じた。



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 この後、警察署に連れていかれた田ノ村さんはひどく抵抗したそうです。なにせ無実の罪で捕らえられたのですからね。しかしながら、その抵抗もすぐに収まったそうです。何故かって? 尿検査で陽性がでたからです。ここまで証拠が揃ってしまうともう逃げれませんね。無実の罪であるにも関わらず、田ノ村さんはその日のうちに絞首刑を執行されてしまいました。



「……さぁ、どうでしたか?」



 ペーパートレイルをそっと閉じたパラレルが語り始めた。



「完全死刑制度の世界。私は正直素晴らしいと思いました。禁固刑は生ぬるいと、日頃考えておりますからね。しかし、冤罪の方々はどうだろうか? そう考えた時、なんとも言えなくなってしまいました。」



「ちなみに、あなたはどうでしょうか? ニュースなどを見ている時、判決が生ぬるく感じた事はありませんか? しかし、だからといって重くし過ぎるのも考えものです。田ノ村さんの二の舞になってしまいますからね。」



「兎にも角にも、今回のペーパートレイルは以上でございます。では、代金の方を頂きましょうか。……おや?まだ代金についてご説明しておりませんでしたね。」



 代金は、このペーパートレイルで少しでも何かを感じた、あなたの心です。

 














 では、頂きます。

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