不器用なワルツを貴方と共に 13


 白い雪に溶け込む建物を半年ぶりに見上げる。

 あの日以来ここに来るのは初めてだった。


 中に入ると記憶と変わらない風景。

 真っ白な壁が少し苦手だったな・・・・・

 そんな事を思い出しながら三階へ上がる。

 母が入院していた部屋は今、誰も使っていないらしい。


―これからはお母さんの代わりになろうって・・・・そう思います

―千晴さん。きっとあんたを応援してくれる


 開けっ放しになっている部屋の前で思い出す。

 あの時、彼の言葉がどんなに嬉しかったか。


 お母さんのようになりたかった。

 けれど父も、義兄も義姉も、私にその役目を求めていなかった。

 求めていたのは結局私だけ。

 自分にお母さんが必要だから、代わりになりたいだなんて口にした。

 ただの自己満足だったのだ。


 だけど、あの人は・・・・・駿さんの弟は馬鹿にしなかった。

 私の言葉の幼さにきっと気が付いていたのに、応援してくれると言ってくれた。

 彼の言葉に私は、どれだけ救われただろうか。


 足は自然と最上階へ向かう。


 それは確信だった。

 いつかの駿さんと同じように、彼もきっとフェンス越しの世界を覗いている。




「瑞樹」


 声をかけると、フェンスに手をかけていた彼が振り返る。


 燕尾服姿ではなく白シャツにジーンズ姿の瑞樹に私はゆっくり近づいていく。


「やっぱりここに居た」

「ゆず・・・・・どうして、ここに?」

「駿さんもここがお気に入りだったから」


「・・・・・どこでそれを?」


 震えるような彼の声。

 駿さんの弟だという事を、瑞樹は私に知られたくなかったのだろうか。


「昨日・・・・直人兄さんから聞いたの。お母さんと仲が良かった患者の弟が、瑞樹だって」


 言い終わらないうちに瑞樹は顔を伏せ、そうですかと呟く。


「瑞樹は私の執事なんて、もう嫌になっちゃった・・・・・?」

「それは・・・・・っ」


 答えを聞くのが怖い。

 爪を立てて両手を握りしめていないと、今にも涙がこぼれてしまいそうだった。


「・・・・・ごめん、瑞樹」


 私は瑞樹の掌に自分の両手を重ねた。


「瑞樹が嫌でも、私はもう貴方の手を放すなんてできないの」

「ゆず・・・・・」

「だって、大好きなんだもの。わかりにくい優しさをくれる貴方を手放す事はもうできない」

 

「ゆず・・・・・僕は・・・・・・」

 ゆっくりと、瑞樹が言葉を選ぶように告げる。

「ゆずを守ると決めていたのに、できなかったんですよ。結局こんな・・・・・」

 頬に貼られた湿布に触れるその指は、細かく震えていた。 


「ゆずに傷をつけてしまった。だからもう、僕がゆずの傍にいる意味がない」


 後悔するような瑞樹の言葉に、私は首を振った。


「守るなんてしなくていい、だけど・・・・・」

 

 守るなんて、側にいることの理由にしないで欲しい。

 我慢しようと思っていた涙が、彼の袖を濡らす。


「私から離れていかないで」


 乾いた風と共に、小さな雪の粒が空に舞う。

 降り出した雪が顔にあたり体温ですぐに溶けてしまった。


「ゆずはずるいなぁ・・・・」

 何も言わない瑞樹を見上げたその時、突然肩に彼の頭が乗せられた。

「ずるい・・・・・?」

「そうですよ。どんどん僕を置いて先に進んでしまうんですから」

 そう言うと、彼は深く息を吐き出した。


「僕がゆずの執事になった理由、話したことがありましたよね」

「うん・・・・」

「千晴さんの言葉がきっかけでゆずの執事になる事を決めたと、あの時はそう言いました。でも本当は・・・・少し違うんです」

「違うって・・・・?」


 雪は、どんどん大粒になって落ちていく。

 瑞樹の髪に落ちた雪をゆっくりと払うと彼は身じろぎした。


「千晴さんに言われた時は気が向いたらやってもいいくらいにしか思ってなかった。誰かの面倒をみるなんて向いてないと思ってたから」


 彼の言葉で真実が語られる。

 どんな事実であれ、受け止めないといけない。


「・・・・・それなのにどうして、執事になってくれたの?」


 出会った時から瑞樹は私を守って、心配してくれた。

 どうしてそこまでしてくれたの? 

 その答えを消えるような声で彼はぽつりと呟いた。


「守りたいと思ったから」

「・・・・・え?」

「千晴さんのいなくなった病室で千晴さんの代わりになりたいと言ったゆずが、たまらなく愛しいと思ってしまったから」

 

 瑞樹にとってあの瞬間は、私と同じくらい大切な時間だった?

 もし、そうだとしたら・・・・・


「私を屋敷から連れ出してくれて、傍に居てくれてありがとう・・・・・瑞樹」


 想いが全部伝わるように、私は力いっぱい瑞樹を抱きしめた。


 初めてお母さんが残してくれた家を見上げた時、背中を押してくれた瑞樹の手の暖かさを私はまだ覚えている。

 瑞樹はあの日からずっと、私を見守ってきてくれたのだ。


「瑞樹・・・・・」


 彼の表情を見る事は叶わない。

 だけど息を呑み、空気が震えるのは伝わってくる。


「俺、ゆずの隣にいていいのかな・・・・・」


 うん、と私は抱きしめる力を強くする。


「私のなんだから、傍に居てくれないと困るの」


 精一杯の強がりを込めてそう言った後、強い力で瑞樹に抱き寄せられた。

 

「僕は・・・・・貴方だけの、執事ですよね」

「うん、そうだよ」


 私の肩に瑞樹が優しく触れる。


「ゆず・・・・・」


 彼の頬に流れるものに気を取られていると、ゆっくりと唇が重なった。

 涙の味が全身に広がっていく。

 彼の痛みを分け合えたようなそんな気がした。 

  

「・・・・・泣き虫だ、瑞樹」

「ゆずの泣き虫が移ったんですよ、きっと」



 真っ白な景色の中、瑞樹と手を繋ぎながら屋上を出る。

 もうここに来ることはないかもしれない。

 扉が閉まってしまう前に振り向くと、そこにはいつかのあの日の風景が広がっていた。


 桜の咲く景色の中、笑いあっている二人がいる。


「・・・・・大好き・・・・・だったよ」


 私は小さく過去に別れを告げた。


『応援してるから、ここでずっと』


 扉を閉めるその瞬間、私達の背中を押すように二人は大きく手を振った。



「行こう、瑞樹」


 今度こそ、しっかりと前を向く。

 この手にある温もりを離さないように、私は彼と歩き始めた。

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