不器用なワルツを貴方と共に 6

 寒い・・・・・

 体中の体温が奪われていくような感覚に襲われる。

 ここ、どこ。

 屋敷の中じゃない。私、どうしてここに・・・・・

 記憶を辿ると、最後に見た映像が浮かぶ。

 それは、彼の・・・・・


「・・・・・っ!」

 体を起こし、目を開くとあまりの床の冷たさに驚いた。

 息を整えながら周りを見渡すと、暗がりだが段ボールが敷き詰められているのがわかる。

 ここはどこかの倉庫だろうか。


「落ち着つかなきゃ」

 自分自身に言い聞かせるようにそう呟く。


 大丈夫。瑞樹だって、私の帰りが遅ければ何かあったと気付いてくれる。

 だから今は落ち着いてここから出る事を考えなくちゃ。


 肩をぎゅっと抱きしめ座り込んでいると、音を立てて扉が開いた。


「あれぇ、もう起きちゃったわけ?ツグミの用意した薬も案外大したことなかったなぁ。ぱちもんでも掴まされたんじゃねぇの」

「直人兄さん・・・・・」

「ああ、そんな顔で睨むなよ・・・・・ってそりゃ睨みたくもなるか。まぁ俺としてはお前と交渉したいだけだからさ、そんなに固くなるなって」

 頭に手を乗せられ、髪を梳かれる。

 それだけで、ぞわりと鳥肌が立った。

「やめてください」

「ひでぇなぁ。久々の再会を祝おうとか思わないわけ?」

 今度は膝上に手を置かれ、思わずその手を振り払った。

 すると彼が眉間に皺を寄せる。

「なにその目。お前そんな風に反抗的だったっけ?前はもっとこう・・・・・気が弱い、ママに守られたお姫様だったくせに」


 気が弱い。確かに、以前までの私はそうだったかもしれない。

 それでも・・・・・


「交渉ってなんですか」


 私は屋敷を離れて変わったのだ。

 瑞樹と出会って、たくさんの事を共有して変われた。

 この状況に目を背けずにいる事が、今出来ている。

 

「金が欲しいんだよね。俺も、ツグミも」

「お金・・・・・?」


 何故私にそんなことを頼むのだろう。

 その為に、私はここまで連れてこられたのだろうか。

「お金なら、お父さんに頼めばいいのでは・・・・・」

「だからぁ、それが出来なかったからお前に頼んでるんだろ」

 苛立ちを隠すことなく地面を蹴りながら直人兄さんが近づいて来る。

 逃げるように後ずさるが、すぐに壁まで追い詰められてしまった。


「で、きないって・・・・・」

「なんでそんな事お前に言わなきゃならないわけ?」

「お金を貸して欲しいと頼む相手が私でしょう。聞く権利くらいあると・・・っ」

「ほんと、生意気。どうしちゃったわけ?あの執事の影響?」

 彼の顔が近い。

 父親によく似た三白眼。無表情だからだろうか、その顔はまるで機械のように無機質だ。

「瑞樹は関係ないです」

「へぇ、瑞樹ねぇ。ずいぶん仲良さそうじゃん。もしかして・・・・・お前らデキてる?」

「違います・・・・!」

「まぁそんな事はどっちでもいいや。借金だよ借金。父親にそう言ったところで断られてんの。お前、母親の遺産たんまりもらってるだろ。少しくらい貸してくれてもいいんじゃねぇの」

「借金・・・・・」

「それが俺とツグミが金が必要な理由。ていうかそれしかないでしょ、嫌いな相手に金を頼む理由ってさ」


「嫌い」と面と向かって言われ、多少なりとも落ち込む自分がいる。

 私だって彼らの事が苦手な癖に。

 自然と下を向いてしまう顔を強引に上げ、私は再び彼を見据えた。


「できません」


 そうはっきりと告げる。


「あのお金は、母が私に残してくれたものなので」


 今までの私だったら、怯えて、あるいは同情して彼の希望に応えていたかもしれない。

 だけど・・・・・知ってしまった。

 お母さんがどんな思いで私にそれを残してくれたのか。


「直人兄さんに渡せないんです」


 すみません、と頭を下げ彼が入ってきた扉を目指す。


 早く帰らなくちゃ瑞樹が心配する。

 この事を知ったら絶対怒るに決まってる。

 その前に早く帰らなきゃ・・・・・・


「この・・・・・っ」

「え・・・・・?」


 扉に手をかけたその時、強い力で身体を後ろに引かれ頬に衝撃が走った。


 パンッ


 短い音の後、私はようやく気が付く。


 彼の様子が正常ではないという事に。


「な、おひと・・・・・にいさん・・・・・」

「あのさぁ、人がせっかく下手にでてやってんだから、お前はただ従えばいいんだって」

「こ、来ないで下さい・・・・・!」


 叫ぶように声を上げ、唇に触れる。倒れた拍子に切れたのか、血がにじんでいた。

 殴られた頬も、熱を持ったように熱い。


「来ないで・・・・・」


 怖い。さっきみたいにまた殴られるのかと思うと、それ以上の事をされると思うと身動きが出来なくなる。


「瑞樹・・・・・・っ」


 はっと、顔を上げる。

 私、今・・・・・・・


「瑞樹ぃ?ああ、あの執事か。ていうかお前、あんな奴のこと待ってるわけ?助けてくれる王子様を待つお姫様の気分?」

「・・・・・・違います」

「ふぅん。でもあいつさぁ、なんでお前の執事なんてやってるんだろうね。あの女の知り合いだって言うのもなんか訳ありじゃん?やっぱりあれか。同じ穴のむじなってやつか」


 彼の言葉の意味がわからない。

 直人兄さんを窺うと、彼は察したように目を輝かせた。


「もしかしてお前、あの執事の事なにも知らない?」

「・・・・・瑞樹は母と病院で知り合ったそうです。瑞樹の知り合いが母と同じ病院に入院していて、その縁で執事を頼まれたのだと言ってました。訳ありって、どういう意味ですか」

「知り合いっつーか、お前の母親と仲がよかったって患者が、執事の兄貴なんだろ」

「・・・・・え」

「やっぱり何も知らないんじゃん、お前」


 あの病院で母と仲がよかった人なんて、一人しか思い浮かばない。

 瑞樹が・・・・・あの人の弟?


 だって、瑞樹はそんなこと一言も・・・・・


「ついでに教えてやると、あの執事は女に買われるような仕事してて、金になる仕事なら犯罪ぎりぎりの仕事も二つ返事で引き受ける。裏社会では結構有名な奴だったって話だよ」

「どうして・・・・・直人兄さんがそんなこと」

「調べたからに決まってんだろ。お前を連れ出す為に、邪魔なやつの情報は仕入れておこうと思ってさ」


 頭を殴られたような衝撃に耐えていると、彼は動揺する私を見てにやりと笑った。


「お前、その執事に利用されてんだよ」


「・・・・・やめて」


「きっとあの女に近づいたのもお前に近づいたのも、遺産目当てだからなんだって」


 やめて、違う、そんな事するはずない。 

 そう思うのにとっさに言葉が出ない。


「でも安心しなよ。憐れなお前を助けてやるために、俺らがあの執事を痛めつけてやったから」

「え・・・・・」


 今、なんて・・・・・?

 ざわざわと言いようのない不安に襲われる。


「なに、したの」

「だから・・・」

「瑞樹になにしたの・・・・・・っ」


 震える声を抑え直人兄さんを睨みつけると、彼は満足気に立ち上がった。


「お前に考える時間をやるよ。三十分後、俺はまたここに来る。その時にもう一度、あの女の遺産を俺達に渡す覚悟が出来たか聞いてやる」


「何度聞かれても、お母さんが遺してくれたお金を渡す事はできません」


 はっきりとそう告げたはずだった。

 しかし次の瞬間、決意が揺らぐ。


「俺らの望む通りにしてくれないと、あいつ死んじゃうかもね」


 それは私にとって、暗闇に突き落とされるような言葉だったのだ。

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