不器用なワルツを貴方と共に 4


「どうぞ」


 控えめに扉が叩かれると、しばらくして視線を彷徨わせながら娘が入って来る。


「お、お久しぶりです・・・・・」

「ああ」


 座るように、と指示しその向かいに私も腰をかける。


 こんなにも・・・・・・似ていただろうか。


「あ、あの・・・・・」


 沈黙を破るように彼女が声を上げる。


「なにか用事が、あったんじゃないですか?」

「用・・・・・?」

「和恵さんから聞きました。貴方が私を呼んでいると。どうして、私をここに・・・・・?」

 不安そうな娘の顔。

 前妻との子供と同様に千晴との子であるこの子とも、私はどのように接すればいいのかわからない。千晴のように、自分は器用な人間ではないのだ。 


 本棚に置いてある小さなケースを取る為に立ち上がり、彼女にそれを渡す。

 硝子で出来たケースは半年以上同じ場所に置いてあったので、少しホコリを被っていた


「これを」

「え・・・・・?」

「渡すように頼まれていた。千晴に」


 千晴とよく似た娘を見ながらふと思う。

 千晴と過ごした時間は決して長くは無かったが、不思議と記憶に残る日々だったと。



「し・ん・じ・ろーさん!」

「・・・・・」

「あれ、具合でも悪い?おーいしんじろーさん?大丈夫?」

「・・・・・具合は悪くない」

「それならよかった!今日も頑張って作ってきたからさ。食べて貰えないと無駄になっちゃうじゃん」

 彼女が目の前で二段の重箱を開けると、カラフルな料理が詰められているのがわかる。

「タコさんウィンナーでしょーあと甘い卵焼きに、肉じゃが。お肉が安かったからアスパラの肉巻きも作ってみたんだ」

 先日偶然知り合った高科千晴たかしなちはるというこの女性。

 親切にされた礼だと、彼女がこの屋敷に弁当を持って現れてから一ヶ月ほど経つだろうか。その日から毎日のように、こうやって弁当を持ってやってくる。


「以前も言ったように、昼の食事なら家のものが作る。わざわざ君がこうして弁当を持ってくる必要はない。そもそも私は君に親切にした覚えはないのだが」

「まぁまぁ、細かい事は気にしないで。それにあたしがここへ来るたび追い出さずに部屋に入れてくれるってことは、伸次郎さんもあたしがいることを少しは楽しいと思ってくれてるんじゃないの?」

 あっけらかんとそう言う彼女の言葉に私は声を詰まらせた。


 迷惑だ、とそう一言告げれば。あるいは家に立ち入る事を許可しなければ、以前と同じ生活に戻る。

 タイムスケジュール通りに働き、自分の時間を過ごす。そんな理想だったはずの生活に。


 しかし何故だろうか。元通りの生活を想像すると、酷く物足りないような気分になるのだ。


「・・・・・それはなんだ」

 話題を逸らすように、白米の上に乗る緑の葉の炒め物を指す。

「食べられるものなのか?」

「え?<だいこんぱ>だよ。知らない?」

「だい・・・・・なんだそれは」

 聞いたこともない名前だ、と言うと彼女は驚いたように口を開いた

「大根の葉を炒めて、シラスと和えた<大根葉>。そっか、お金持ちの人は大根の葉っぱなんて食べないか。もし嫌なら残して・・・・・・」

 

「・・・・・美味いな」

 彼女の手を遮り、それを口に入れる。

 甘辛い味付けが、白米と合う。大根の葉はこんな食べ方が出来るのか。 

 

 感じたことを正直に伝えると、千晴に笑われる。

 彼女との関係に名前が付いたのは、それからすぐの事だった。




 あれは、桜が散り始めた春の頃だっただろうか。


「君はなぜ私の傍にいる?」


 出会ってから一年が過ぎようとした頃、私は彼女にそう聞いたことがある。


 私は一度結婚に失敗した身だ。

 前妻とは勧められた見合いで知り合い、両親が望むままに結婚した。

 二人の子が生まれたが、彼らが幼いの頃妻は出ていった。

 理由はなんだったか。

 確か、外に男が出来たと言っていたような気がする。


「離婚歴もある、子供もいる、一回り以上歳も離れている。若い君にとって不安な要素が私には多いだろう」


 そう聞くと、彼女は目を丸くしながら私に歩み寄った。


「優しいなぁ、伸次郎さん」

「優しい?当然の事を言ったまでだ」

「うん、でも貴方のそんなところがとても好きだよ」

「・・・・・どういう意味だ?」

「確かに離婚の事とか、子供がいるとか、それは全部今の伸次郎さんを作ってきたものだから蔑ろにしちゃだめだと思う。だけどさ、あたしが伸次郎さんの傍にいるのはもっと単純な理由からなんだよ」

「・・・・・?」

「あたしは、あたしを見てくれる伸次郎さんが好き。自分の不安要素を探してあたしの事を誰よりも心配してくれる伸次郎さんが大好き。だから傍にいたいの」


 この時の感情をなんと言ったらいいのだろう。

 当時は、いつまでも胸に残る彼女の言葉にただ戸惑っていた。

 

 しかし、今になってようやく理解する。

 恐らくそれは・・・・・愛しいという感情だったのだ。



 それから、半年後。私は彼女と籍を入れた。

 祝福された結婚ではなかったが幸せな生活だった。



「このネックレス・・・・お母さんの」

「ああ。今日渡すようにと千晴から頼まれていた」

 だから、君をここへ呼んだのだと伝えると、娘は驚いたのよう目を開いた。



―約束して欲しい事があって


 千晴がそう長くは生きられないと告げた日、彼女は首元のネックレスを外した。それは、私が彼女に初めて送ったものだった。


「これを、伸次郎さんからゆずに渡して欲しいの。そうだなぁ・・・・・来年の、クリスマスイブに!ほら、これを貰ったのもその日だったし」

「なぜ私からなんだ。君から渡せばいい」

 そう言うと、彼女の表情が曇る。


「伸次郎さん私がいなくなった後ゆずと仲良く話せる自信がある?」

「仲良く話す必要はないだろう」

「伸次郎さんは優しいけど、言葉が足りないせいでその優しさが伝わりにくいのよ。だからツグミちゃんや直人くんだって誤解しちゃうんでしょ」

「・・・・・何故私があの子に君のネックレスを渡さなければならないんだ」

「あたしにとってゆずが一番大切だから」


 凛とした、出会った頃と変わらない笑顔で彼女は言う。


「貴方に似て優しいゆずと、伸次郎さん自身が向き合って欲しいから。これを渡すのはそのきっかけになればいいと思ったの」


 ネックレスを手渡され、私はようやく気が付いた。

 

 これは別れの挨拶なのだと。


「そうか、ここで君とは別れか」


 彼女の頬に触れ、温かい体温を感じる。

 確かに生きて、ここにいたのだと忘れぬように。私はその温もりを握りしめた。


「今まで、悪くは無かったよ千晴」


 いつの間にか彼女の頬には涙が流れていた。


「わ、悪くはなかったって、もっと言い方があるでしょう。楽しかった、とか・・・・・」

「楽しかったに決まっているだろう」

「・・・・・ずるいなぁほんとに。伸次郎さんは」

「それを言うのなら君の方だ」

「え?」

「君が私より先に逝くなんて、思っていなかった」


 こんな喪失感を味わうなんて、想像すらしていなかった。 

 そんな私を見透かしたように彼女は笑う。


「大好きよ、伸次郎さん」


 私の時間は、千晴がこの部屋を去ったあの時から止まったままなのかもしれない。



「用件は以上だ。呼び出してすまなかったな」

「ま、待って・・・・・っ!」

 娘に千晴の残したネックレスを渡し席を立とうとしたその時、焦った声に引き留められた。


「・・・・・何か用だろうか」

「聞きたい、ことが・・・・・」

 続きを促すと、彼女にまっすぐな視線を向けられた。


「お父さんにとって、お母さんと過ごした時間は無駄だった・・・・・?」


―どうしてお父さんはお母さんのお見舞いに一度も来なかったの?

―時間の無駄だからだ。見舞いに行こうが、看取ろうが、千晴が死ぬことは決まっている。


 あれは千晴の葬式中のことだっただろうか。彼女にそう言葉を返した事がある。


「君は何か思い違いをしていないか?」

「え・・・・・?」

「私は事前に千晴と別れを済ませていた、会う理由は互いにもう無い。時間の無駄とはそういう意味だ」

「別れを済ませてたって・・・・・そんなのお母さんの病院に行かない理由にはならないと思うけど」

「見舞いに行けば互いに別れがたくなる、千晴もわかっていただろう」

「でもお母さん亡くなる前にお父さんの名前、呼んでたよ」

「その瞬間に私の顔が浮かんだのなら、光栄なことだ」


 呆気にとられたような彼女の表情を見て、私は千晴の言葉を思い出した。


―貴方に似て優しいゆずと、伸次郎さん自身が向き合って欲しいから。ネックレスを渡すのはそのきっかけになればいいと思って


「ずっと、お父さんはお母さんの事好きじゃないと思ってた・・・・・」

「なるほど。千晴の言う通り私は言葉が足りないのだな」

「え・・・・・?」

「愛していなければ、再婚などしないだろう」


「そっか・・・・・」

 小さくそう呟くと力が抜けたというように彼女はソファーに体をあずけた。

「ずっと、私は勘違いしてたんだ。よかった、安心した」

「安心?」

「お母さんはお父さんの事が好きでよかったんだって、安心した」

 ああ、千晴が彼女を大切に思っていた理由がわかったような気がする


「君は、千晴の用意した家での生活には慣れたか。確か・・・・・彼女の知り合いだという執事がついていたはずだが」

「うん。毎日、充実してる」


 その言葉を聞いて安心する自分がいる。

 幸せな生活を送れているのであればそれでいいと、父親のような事を今更思う。


「たまには・・・・・ここにも顔を見せるといい」


 今からでも遅くなければ・・・・・彼女を理解していければいい。

 千晴もきっと、それを望んでいるのだろう。

 彼女にとって、娘は一番大切な存在なのだから

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