不器用なワルツを貴方と共に 3

 彼女がこの部屋を出て、一時間ほど経つだろうか。


「帰ってこない・・・・・ってことは上手くいってるってことかな」


 不安気ではあったが、この部屋を出ていったゆず。

 彼女の口から初めて父親との確執を聞いた。

 そしてその内容は想像以上に彼女の心に傷を残していた。

 それでも・・・・・


『本当に誰より繊細で、優しい人』


 千晴さんの言葉が無ければ、俺はゆずに助言なんてしなかっただろう。



 それは彼女がまだ、軽口を叩けるくらい元気だった頃の話だ。


「え?伸次郎さんのこと?」


 いつものような他愛無い話の中で、俺はふと気になっていたことを彼女に聞いた。


「そ、いつも思ってたんだけど。なんであんた結婚してもそんなに旦那のこと好きなわけ?」

「なんでって、伸次郎さんを好きな気持ちは小さくならなかったから。弟くんの御両親はそうじゃなかったの?」

「違ったと思う。二人とも俺が中学の時に事故で死んだから、詳しい事は知らないけど」

 十年以上前の記憶を辿っても、兄貴から聞く話にもそんな両親の姿は聞いたことが無い。

 そもそも記憶に残る両親の顔は不鮮明なのだ。

 それが悲しい、ということはないけれど。


「で、どうしてそんなに好きなわけ?見舞いにも来てくれないんでしょ、愛想つかされたんじゃないの?だってあんたお節介だし、ガサツだし」

「酷い!女性にそんな事言うなんて・・・・・モテないよ弟くん!」

「大丈夫、間に合ってるから」

「くっ・・・・・・これだから顔がいいやつは!」

 悔しそうに持っていた缶ジュースを飲み干すと、彼女は頬杖をついた。

 

「ホステスで働いてた時伸次郎さんと出会った、って話は前にしたでしょ?」

「あんたが身一つで都会に出た時の話ね。シンジロウサンってその店のお客だったわけでしょ。ホステスが客と関係持つって話はよく聞くけど、そのまま結婚するって話はあんまり聞かないな。一体どんな技を使ったわけ?」

「技って・・・・・あのね、伸次郎さんとの出会いはなんというか。そう!事故みたいなものだったの」

 <事故>と恥ずかしそうに頬を掻きながら彼女はそう言った。


「どういうこと?」

「お店にね、常連で羽振りはいいんだけど厄介な会社の社長がいたんだ。伸次郎さんがうちの店にたまたま接待で来てくれた日も、その社長がお店で大きい声を出しながら、女の子に際どいサービスを求めてた。私の働いてたお店、そんなサービスしてなかったからその行為自体マナー違反なんだけどね」

「マナー違反だろうが店は強く言えなかったわけだ。上客の怒りを買って、店がつぶれるなんて話ざらにありそうだもんな」

「だからいつものように上手く社長を宥めて、気分よく帰ってもらおうとしてたんだけど・・・・・その日はそれが叶わなかった」

「叶わなかったって?」

 首を傾げると、彼女は困ったように眉を下げる。


「たまたま機嫌が悪かったのか、お酒が入りすぎていたからなのか。理由はわからないけど、社長が大暴れしたのよ。酒の瓶は振り回すわ、挙句店の包丁を持ち出して、傍にいた女の子たちを切りつけたの」

「そこまでされて誰も止めなかったわけ?」

 なんだそれ、と信じられずにいると彼女は首を横に振った。

「男のスタッフも刃物にびびっちゃってね・・・・・あたしはそんな状況に腹が立った。だからつい、ね」

「ついって、なんかやったの?」

「刃物を持ってるその社長に、氷を砕く為に傍にあったアイスピックを投げつけちゃったの」

「・・・・・は?」

「あ、もちろん気を逸らす為にね!社長に当たらないぎりぎりの場所に投げたし」

「・・・・・」

「アイスピックが飛んできて唖然としてる社長の隙をついて、あたしは刃物を奪い返した。そして・・・・・・」


 奪った刃物を突き付けながら、と彼女はその場面を再現した。


「サービスの意味をはき違える、盛りのついた犬のご来店を当店ではお断りしております。そのようなサービスをご所望であれば、隣にある獣とプレイを楽しめる店で続きをどうぞ」


「・・・・・そう言ったの?」

「言っちゃったの」

 俺は理解した途端、思わず噴き出してしまった。


「あははっ、なんだそれ!やるなぁ」

「笑い事じゃないよ。社長が怒り狂って出て行ったのはいいけど、その後店長に殴られたんだから。お前のせいで店がつぶれたらどう責任とるつもりだって」


 ホステスは接客業の最もたるものだろう。

 上客からの噂や、口コミで売り上げが顕著に左右される。

 店にとってプラスの噂ならともかく、マイナスのものであれば店がつぶれかねない。それくらい、客の力が強い職業なのだ。

  

「自分の行動に後悔はしてない。だけど考えなしだったと店長に殴られて初めて気づいた。まぁ、後悔しても遅かったけど・・・・・案の定、私はその日で店をクビになった」


 そうだろうなとぼんやり思っていた次の瞬間、彼女が目を輝かせる。

 ここからが重要だと、そういう風に。


「話しはここで終わらないのよ弟くん!荷物をまとめてお店を出たら、一人の男の人が外で立ってたの」


―やっぱりクビになったのか

―・・・・・誰?さっきお店にいた人?


「それが、シンジロウサン?」

「そう。最初はナンパかと思ったんだけど・・・・・」


―何、待ち伏せ?生憎ここを辞めるからって、弱った隙を突くようなナンパに引っかかるような軽い頭はしてないの。悪いけど他を探して・・・・・・


「目も合わせずにそう言ったら、伸次郎さんはキョトンとした顔をしてた。そんな事考えもしなかった、って顔」

 

―何を言っているんだ?私は先程の君の行動・・・・・組織としての非はあるが、人としての非はない。それを言いたかっただけだ。

―・・・・・は?


「本当に伸次郎さんはそれだけ告げて私に背を向けた。だから思わず、引き止めちゃったのよ」


―ちょっと待って。そんな事、別に貴方に言われなくてもわかってる。自分の行動に後悔はしてない。それなのにこんな所で待ち伏せとか、はっきり言って余計なお世話なのよ。


―それは悪かった。君の啖呵の切り方は、なかなか面白かったから。らしくないことをしてみただけだ。それじゃあ・・・・・


「かけられたその言葉が嬉しかったんだ。私の選択を馬鹿にせずに、哀れむこともせずに、面白いと言ってくれたことが嬉しかった」


 その日、シンジロウサンに恋をしたのだと。

 懐かしそうに彼女はそう笑った。


「それからはあたしは必死でアピールしたの。最初は全然相手にされなかったけど、それでもこうやって夫婦になれた」

「でもやっぱり好きなのはあんただけなんじゃないの、だって・・・・・」

 シンジロウサンが彼女を想っているなら見舞いに来るはずじゃないか。そう言おうとするが彼女に否定される。

「そうじゃないの。ここに伸次郎さんが来ないのは、彼にとって必要のないことだから」

「必要ないって・・・・・」

「別に強がって言ってるわけじゃない。本当に、そうだから」


 有無を言わせないような視線に、それ以上のことが言えなくなる。


「私がもう長く生きられないって伸次郎さんに告げた日、別れの言葉は言ってあるのよ」


―そうか、ここで君とは別れか・・・・・今まで、悪くは無かったよ千晴


「あの時きちんと別れを言えたから、それで充分なのよ。それに彼がここに来れば私が別れがたくなるって、伸次郎さんわかってるのよね」

「千晴さん・・・・・」


「本当に誰より繊細で、優しい人」


 ここにはいない彼を想って彼女が愛し気にそう呟くのを、俺は確かに聞いたのだ。

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