不器用なワルツを貴方と共に 2
久しぶりに、自室のベッドに戻る。
半年もそのままにしていたというのに、ホコリの一つも落ちていない。
どうやら部屋の掃除は欠かさずしてくれていたらしい。
「へぇーここがゆずの部屋ですか。広いですねぇ」
「・・・・・どうして瑞樹がここにいるの?」
彼に用意されているのは隣の来客室のはず。
それなのに瑞樹は私の部屋で優雅にお茶を飲みながらくつろいでいる。
「ゆずが緊張しているので少しでも癒しを、と思いまして」
はい、と紅茶の入ったティーカップを渡される。
「ジャムを紅茶に入れてみました。いかがです?」
一口飲むと、甘い香りが広がった。
こわばっていた身体が少しずつほぐれていくのがわかる。
「落ち着きました?」
「・・・・・うん」
よかったと瑞樹が柔らかく笑うものだからつい見とれてしまう。
恋、とは実に厄介だ。
ついこの間自覚したと思ったらどんどん深みに嵌まっていく。
この気持ちを伝える勇気もない癖に、仕草を見るだけで満足してしまう。
我ながら臆病だとため息を吐くと、扉をノックする音が部屋に響いた。
「ゆず様はいらっしゃいますか?」
「あ、はい!」
扉を開くと、メイドと執事の総責任者である和恵さんが立っている。
「お久しぶりです、和恵さん」
「ええ、半年ぶりですわね。お元気そうでなによりです・・・・・あら?」
彼女は部屋の奥でお茶を飲んでいる瑞樹を見つけ早速ピシャリと言い放った。
「立花、あなた何をそんなにくつろいでいるのです」
「え?あーいやぁ、休憩中ですって。そんな怖い顔しないで下さいよ。せっかくの美人が台無しじゃないですかー」
「お世辞は結構。ゆず様、立花は普段きちんと仕事をしていますか?」
「してますって。いやだなぁ、心配性ですよ和恵さん」
「心配もしますよ。貴方は物覚えが早い分手を抜きますからね。このお屋敷に関わる執事の教育は私の仕事。ゆず様、なにかあればすぐに私に言ってくださいね?」
流石和恵さん。人の事を良く見ている。
「大丈夫。瑞樹には色々助けてもらってるよ」
安心してもらえるように微笑むと、和恵さんはほっとした表情を浮かべた。
「それは、奥様もお喜びになるでしょうね」
「そうだといいけど・・・・・」
お母さんの言葉が無ければ、私は今もこの屋敷に閉じこもっていただろう。
瑞樹とだって、出会うことは無かったかもしれない。
そう考えると、不思議な気持ちになる。
「ところで和恵さん。なにか御用があったんじゃないんですか?」
「ああ、そうでした。実は旦那様からゆず様へ言付けを頼まれておりまして」
「お父さんから・・・・・?」
その言葉に身構えると、彼女はさらに続けた。
「ええ。本日中に旦那様の部屋を尋ねるようにとの事です」
「今日中・・・・・?」
「お一人で来るようにと。本日は丁度旦那様がお休みの日ですので、終日いらっしゃるはずですわ」
そんなこと突然言われても。
和恵さんの言葉を上手く処理できずにいるうちに、いつの間にか彼女は立ち去ってしまった。
落ち着かず周りを見回すと瑞樹と目が合う。
「迷子みたいな顔してますよ」
「他人事だと思って・・・・・・」
父親に呼び出された時から、顔を合わせる事は予想していた。
「・・・・・でもまさか一対一で会うなんて」
ベッドに寝そべり枕に顔を埋める。
足をバタバタさせながら呻いていると、彼はそういえばと声をかけてきた。
「ゆずは父親と仲が悪いんですか?」
「仲が悪い、っていうか・・・・・」
苦手なのだ。
元々、交流があったとは言い難い父が、明確に私達「家族」と距離を置き始めたのは母が入院してからだろう。
「お父さんは一度もお母さんのお見舞いに来なかったの。お母さんが亡くなるまで、ただの一度も」
何度も一緒に見舞いに行かないかと誘った。
でもだめだった。私の言葉なんてまるで届かない。父は私と母と距離を取り続けたのだ。
「お母さん、お父さんに会いに来て欲しかったんだと思うんだ」
お母さんは本当にお父さんの事が好きだったから。
多分、この世界の誰よりも。
「それに・・・・・」
それに・・・・・と繰り返す。
言い淀んでいると、寝ころんでいるベッドが軋む音がした。
瑞樹が私の横に腰かけたのだ。
「それに、どうしました?」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
勇気づけられるように、私はその言葉を一息で吐き出した。
「時間の無駄だって言われたんだ」
「・・・・・時間の無駄?」
「お母さんのお葬式の時に私、お父さんに聞いたの。どうしてお母さんのお見舞いも、最期を看とることもしなかったのかって」
責めるつもりが無いと言ったら嘘になる。
それでもあの時は本当に不思議だった。だから思い切って聞いてみたのだけれど・・・・・
―時間の無駄だからだ。見舞いに行こうが、看取ろうが、千晴が死ぬことは決まっている。
「じゃあ私は何だったんだろうって。私のしてきたことは、時間の無駄だったのかって」
そうは思えない。お母さんと過ごした時間は、無駄なんかじゃない。
だから私は叫んだ。
私達を窺うように見ていた周りの目も、なにもかも忘れて。
―待ってたよ、お母さん。お父さんのことを・・・・・
―最期にお父さんの名前を呼んでたんだよ!?それなのにどうして・・・・・
「どうしてお母さんと過ごす時間を無駄だと言えるの?って。そう言って以来、私はお父さんとろくに会話をしてない」
あの日の事を思い出すだけで、暗い霧のようなものが頭を支配する。
枕に顔を埋めながら目を閉じ、気持ちが落ち着くのを待っていると瑞樹の声が降ってきた。
「ゆずは父親の事を恨んでるんですか?」
「恨むって・・・・・」
言葉の鋭さに驚いて顔を上げると、瑞樹が慌てたように手を横に振る。
「ああ、別に責めてるんじゃないですよ。単に気になっただけです。だから今日屋敷に行くのも、父親と会うのもそんなに緊張してるのかなと思いまして」
瑞樹にそう言われ、改めて考える。
私は、お父さんの事を責め続けているのか・・・・・恨んでいるのか。
「恨む・・・・・っていうのとは違うと思う」
思っていたよりもすぐに答えは出た。
「別に恨むことが悪いって言ってるわけじゃないですよ。だって父親の言葉にゆずは傷ついたんでしょう?ゆずの気持ちが楽になるんだったら、恨むなり憎むなりしてもいいと思いますけど」
瑞樹が大真面目な顔をして物騒なことを言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
「ううん、本当に恨んではいないの。ただお父さんに知って欲しいだけ。お母さんは本当にお父さんが好きで、お父さんにとって時間の無駄かもしれない事がお母さんにとっては大切な事だったんだってことを・・・・・」
父親のことが好きだった人は、そういう人だったんだと、ただ覚えていて欲しい。
「じゃあ、わからせてやればいいんじゃないですかね」
瑞樹がはっきりと言うものだから、私は姿勢を正して彼をまじまじと見た。
今、私はかなり間の抜けた顔になっているに違いない。
唖然としている私に、瑞樹は続けて言う。
「ゆずがそうしたいと思うのなら、今僕に話してくれたことを伝えるべきだと思います。それでも父親がわからないようなら、僕が殴ってでもわからせてやりますよ。だから、安心してください」
私の手を取り綺麗に笑う瑞樹を見て、肩に入っていた力が抜けていく。
「全然安心できないわよ」
それでもその言葉に安心したのは事実だ。
父と向かい合うことにまだ怖さは残っている。
だけど一歩、ここから踏み出してみるべきなのかもしれない。
「うん。行ってくるね、瑞樹」
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