綻ぶ気持ちと見えない心 10
「み、瑞樹・・・・・」
「はい、限定執事の瑞樹ですよ」
「なんで、ここに居るの?出ていってって私・・・・・っ」
そう言ったのに、と口にすれば彼に頬を掴まれた。
「い、いひゃい!いひゃいってば!!」
「そういう傷つくこと言わないでもらえませんか?」
瑞樹は不機嫌な表情を崩さずにそういった。
「え・・・・・?」
「嫌われたかと思ったでしょう?」
困ったように瑞樹が微笑む。
なんだかその表情が泣きそうにみえて、私はおそるおそる彼に近づいた。
「瑞樹・・・・・?」
彼の頬に触れ、そっと撫でる。
身じろぎする瑞樹を見つめながら、思い切って聞いてみる。
「私の執事なんて、本当はやりたくないんじゃないの?」
どんな答えが返ってきても受け止めよう。
うるさいくらいに響く心臓の音を聞いていると、瑞樹はしれっとこう言った。
「執事の仕事に興味はありませんけど、ゆず限定の執事だったら話は別です」
「またそうやってからかって・・・・・」
「からかってませんって。ああそういえば彼、逢坂悠斗に会いましたよ。ゆずが突然そんなことを言い出したのって、彼の言葉があったからですよね」
いつの間にか呼び捨てで悠斗君を呼ぶ瑞樹に、頭が真っ白になった。
「会ったの・・・・・?」
「彼がゆずになんて言ったか、脅し・・・・・もとい、本人に丁寧に教えてもらいました」
「脅すって言った!?まさか暴力とか・・・・・」
「嫌だなぁ、人聞きの悪い。ちょっと胸倉つかんで、吸い終えた煙草を投げつけただけですって」
つくづく、この男は執事に向いてない。
一体どこの世界に、仕えている家の幼馴染を脅す執事がいるのだ。
「・・・・・どうしてそんなこと」
「腹が立ったんだからしょうがないでしょ。逢坂悠斗のせいで、僕はゆずに解雇されるし」
「だって瑞樹、本当は私の世話なんてしたくないんじゃないの?お母さんに言われたから、仕方なく今の仕事をしてるだけで・・・・・」
そう言った途端、瑞樹はさらに眉間に皺を寄せた。
美人は怒っても美人だというが、瑞樹が怒るとそれに威圧感が加わる。
「僕、そんなこと思ったこと一度もないですよ。本人の確認も取らず、事情も知らない人間の言葉を簡単に信じないで下さい」
「事情なんて私も知らない。だって、瑞樹は自分の事なにも教えてくれないじゃない。瑞樹の事を聞こうとすると、いつだって誤魔化すじゃない!」
そんなの勝手だと、吐き出すように彼に言葉をぶつける。
その瞬間、張りつめたような空気がその場に流れた。
「僕の事情、ね」
睨むようにゆずは瑞樹を見つめると、彼は観念したようにポツリと話し始める。
「千晴さんとは、病院で会ったんですよ」
「病院?」
「ええ、知り合いが入院していた病院で偶然、仲良くなったんです」
お母さんが入院していた場所に、瑞樹も足を運んだことがあったのか。
もしかしてすれ違った事があるかもしれない?驚きながらそう口にすると、彼は頷いた。
「何回か千晴さんと顔を合わせるうちに、娘の執事になってくれないかって頼まれました。丁度、前の仕事を辞めようとしていたので、僕はゆずの執事を引き受けた。きっかけは、些細な口約束ですね」
「お母さんはまた、突然そんな思いつきみたいなことを・・・・・」
奔放な彼女の事だ、勢いで言っただけかもしれない。
「そんな口約束だけで執事になる事を引き受けたの?」
ゆずは首を傾げると、瑞樹が遠い記憶を辿るように続けた。
「いいえ。自分が亡くなった時、一番心配なのはゆずの事だと千晴さんから聞いた時でしょうか・・・・・僕が執事になるのも悪くないと思い始めたのは」
「え・・・・・?」
「ゆずに自分の遺産のほとんどを残す事、生前彼女はそれを強い意志で決めていたようでした。でも心配なのはその後の事だと。ただでさえ、上手くいっていない義兄弟と父親の傍で、ゆずがゆずらしく暮らしていけるのか心配だ。千晴さん、そう話してくれたことがあります」
「そう、なんだ・・・・・」
お母さんの笑った顔、病室で過ごしたあの時間、最後の表情が鮮明に、瞼の裏に映し出される。
とうに枯れたはずの涙が、また溢れてきてしまった。
「僕は、千晴さんがそこまで愛しているその子はどんな子なんだろうってずっと思ってました。僕は、僕の意思でゆずと関わってみたかった」
しゃがみ込んで泣いている私に寄り添うように、瑞樹も腰を下ろす。
トントンと、規則正しく背中を撫でるその音に私は堪らなく安心した。
「泣き虫で、人が好いけど騙されやすくて、表情がころころ変わるあなたの事が、僕は大好きなんです。執事の仕事だってあなたの為に働けるから幸せなんですよ。だから、出ていけなんて言わないで下さい」
「みず・・・・・き」
私は今から、とても自分勝手なことを言おうとしているのかもしれない。
それでも、とゆずは彼の腕を手繰るようにそっと掴んだ。
「傍に、いて欲しい。瑞樹が私に呆れてなければ・・・・・私が瑞樹の傍にいても迷惑じゃなければ、また一緒に暮らして欲しい・・・・・っ」
震える指をなんとか抑え、顔を上げたその時だった。
そっと、唇に暖かいものが触れる。
それから、嬉しそうな瑞樹の笑顔。
「もちろん、喜んで」
キスをされたのだ、と理解するまでに数十秒は必要だった。
悠斗君に触れられた時より何倍も熱い自分の唇にそっと触れながら、私は真っ赤な顔で、声にならない悲鳴を上げた。
「-----っ!い、いいいい、いまキ、キスして・・・・・」
「いやぁ、嬉しくてつい」
「つい!?」
「ゆずのファーストキスも貰ったことだし、これから張り切って限定執事の仕事しちゃいますよー!」
さぁ帰りましょう、としれっと言う瑞樹をキッと睨む。
「ちょっと待った瑞樹!」
慣れた行為だというように平然とされ、なんだか腹が立つ。だからつい、悔しさのあまり言ってしてしまったのだ。
「別にファーストキスじゃないし」
「・・・・・今なんて?」
私は気づかなかったのだ、この時の瑞樹の目が据わっていることに。
「だから、ファーストキスじゃないんだってば!きょ、今日悠斗君に不意打ちでされたのがファーストキスというか、なんというか。だ、だから!」
さっきのは違うと言い切る前に、つかつかと歩み寄る瑞樹に顎を掴まれる。
「ちょ・・・・・っ」
そして抗議の言葉ごと、彼に飲み込まれたのだ。
「ん・・・・・っう・・・・・!?」
息、息が出来ない。
口をふさがれ、口内を荒らされ、身動きが取れない。
「ゆず」
射るような瑞樹の視線と、時々漏れる彼の声に全身が熱くなる。
「ふ・・・・・っ」
もうだめだ、限界だ。
力が抜けて意識を失う寸前、それが狙いだったかのように瑞樹から解放される。
そして勝ち誇ったように、彼は言ったのだ。
「いいですか、ゆず?これがキスというものです。さっきのキスは子供が戯れるようなもの。逢坂悠斗の記憶と一緒に抹消してください。ですが・・・・・」
いまだ夢と現実をさまよっている私の耳元で、瑞樹はそっと呟く。
「今のキスの記憶は、ファーストキスの記憶としてずっと残しておいてくださいね」
「・・・・・なに、それ」
車に向かう瑞樹に向けて、私は座り込んだまま声を上げた。
唇に残る記憶は当分忘れられそうもない。
もしかして、私はとんでもない男を好きになってしまったのではないだろうか。
「ああ、もう・・・・・」
好きだという気持ちは、こんなにも厄介なものなのか。
私は持てあました気持ちをしまいながら、瑞樹の背中を追うのだった。
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