綻ぶ気持ちと見えない心 7


 今にも泣きだしそうな癖に、笑いながら離れた彼女を引き留められなかった。

 力ずくでも押さえつけようと思えばできた。でもそうしなかったのは、彼女に拒絶されるのが嫌だったからだ。


「あー・・・・もうどうすりゃいいのかねぇ、千晴さん」 

 声が、乾いた空気に吸い込まれていく。

 きっと彼女がいたのなら、「人生そう上手く転ばないから面白いんじゃない」とでも言うのだろう。


 他人事だと思ってそう言いそうだな。


 イラつきながら煙草を口に咥え、火を点ける。

 煙を出しながら灰になっていくそれは、人間の最後によく似ている。

 彼女も、兄貴も、消せない匂いだけ残して消えていった。 


 彼らの姿を思い出し、俺は煙を吐き出す。

 あれからもう随分と時間が経過したような、そんな気がした。




「あ、弟くん。こんにちはー」

 俺が病室を開けると、そこには先客が来客用の椅子に座っていた。

 兄貴が入院してすぐ友人になったという彼女は、「高倉家」というここらに住む奴なら知っている大金持ちの家の奥様だった。なんの苦労もせずに最先端の治療が受けられる、いわば選ばれた人間。

 俺は病人だろうとなんだろうと、最初はこの女が苦手だった。


「高倉サン」

「もー、堅苦しいなぁ。名前でいいよ、駿君だってそう呼んでるし」

「兄貴がそうだからって、なんで俺までそう呼ばなきゃいけないんだよ」

「つれないなぁ・・・・・あ、駿君なら今検査中だよ」

 彼女は兄貴の検査後にお茶をする約束があるらしい。

 タイミングが悪かった。そう思いながら紙袋に入ったタッパーを備え付けてある冷蔵庫に移していく。


 すると、彼女が目を輝かせこちらを見ていた。


「・・・・・なに?」

「それ、駿君がいつも自慢してるやつだ」

「は?」

「肉じゃがと豆腐のハンバーグでしょ?食欲が無くてもそれだと食べられるって、駿君嬉しそうに話してたから」

 屈託なくそう言われ、とたんに俺は居心地が悪くなった。

「帰る。高倉サンいるなら、兄貴も暇じゃないだろうし」

 今からバイトを入れてもらえるだろうか。そんな事を気にしながら時間を確認し、出て行こうとすると彼女が扉の前で両手を広げ立っていた。

 これでは部屋から出られない。


「・・・・・なにしてんすか」

「お話ししよう!」

「嫌だ。バイト入れるから暇じゃないし」

「ふーん、じゃああたしを倒して出ていきなさい!」

「はぁ!?」

 病人が何言ってるんだと睨みつけると、高倉サンは勝ち誇ったように笑った。

「駿君もうすぐ帰って来るし、ちょっとだけだから!ね?」

 その言葉に押し切られるように、俺は彼女の正面に座らされた。


 強引で、突き抜けたように明るいお節介な人。

 それが高倉千晴という人間だった。


「いやー悪いわねぇ、お茶まで出してもらっちゃって」

「ほんとにな」

 お金持ちの奥様には庶民の出すお茶なんて口に合わないだろうけど、と嫌味を言いながら湯呑を渡すと、高倉サンはキョトンとした顔になった。

「奥様とか言われると照れるじゃん。あたし、育ちが悪いのに」

「は?育ちが悪いって嫌味?」

「いやいやいや本当に。あたしさぁ・・・・・実の両親に勘当されちゃって、この身一つでここまで出てきたのね。あんまり世間様には言えないこともしてきたし、お金持ちの奥様って言われるのがいまだに気が引けるというか・・・・・」

「じゃあどうして金持ちと結婚なんて出来たわけ?もしかして高倉サン悪女?」

「失礼な!そりゃね、お水の仕事はしてたよ?たまにね、たまーにヘルプでちょっと際どいサービスの店にも顔出してたけども!だけど伸次郎さんとは大恋愛で結ばれたんだから!」

「ふぅん」

「伸次郎さんがあたしを助けてくれて、奥さんにしてくれてさ。可愛い可愛いゆずっていう一人娘もいてね。血の繋がりは無いけど息子と娘もいるし、幸せだなぁと思うわけ」


「・・・・・幸せ?」

 その言葉に、なんとなく違和感を覚えた。


 この人は病気になって入院してるのに、どうして「幸せ」なんて言葉が言えるんだ。


 だけど彼女はそのままもう一度「幸せものなんだよ」と呟いた後、気を取り直したようにこう言った。


「そうだ、弟くんの話聞かせてよ。駿君から話は聞いてるけど。ずいぶん不良くんらしいじゃない」

「・・・・別に。最近は喧嘩してねーし」

「でも髪の色、ちょっとヤンキーっぽいよね?銀髪、似合ってるけど」

「これは別に・・・・・」

 仕事柄、髪は染めておいた方がウケがいいだけだ。

 そう反論したかったが、妙な気を回されても困るので黙っておいた。

「それにしても偉いよ、弟くんは。毎日駿君のお見舞いに来ててさ、しかも美味しいお土産付き!羨ましいなぁ」

「別に、普通じゃない?あんたはどうせ毎日見舞い客が多いんだろ?」

「うーん多くは無いなぁ。毎日ゆずが・・・・娘が来てくれるから寂しくないんだけどね」

「・・・・旦那は見舞いに来てくれないわけ?」

「うん。ああ見えて、伸次郎さん寂しがり屋なの。あたしの顔見たらきっと泣いちゃう。だからここに来られないんだと思うんだよね」

 なんだそれ、惚気か。そう呆れていると、部屋の主の声が聞こえた。


「あれ?今日は賑やかじゃない」

「あ、駿君」

「兄貴」 


 声をかけると、兄貴はふらふらとベッドにダイブした。

「まったくさぁ、血液検査って心臓に悪いよねぇ。あの血が抜かれていく感じ、嫌なんだ」

「いい大人が何言ってんだ」

「大人でも怖いものは怖いんですー。お前だってお化け怖いだろ。小さい頃、心霊番組見るたびに僕に泣きついてきた癖に」

「―っ!!いくつの時の話してんだよ!怖いわけねぇだろ」


 つかつかとベッドに歩いていくと、兄貴がにこにこと嬉しそうに笑っている。

 なにがそんなに可笑しいんだと呆れると、今度は聞いているこっちが恥ずかしくなるような言葉を口にした。


「お前が来てくれると嬉しいんだよ。だからつい調子乗っちゃうというか」

「はぁ!?」

「はいはーい!あたしも弟君来てると嬉しいよ!」

「なんなんだ、あんたら」

 

 兄貴や高倉サンといると、こちらの毒気が抜かれていくようだった。

 自分の中にある怒りや、憤りを簡単に綺麗なものに変えてしまう。俺にとって、二人はそんな存在だったのだ。

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