ウツロウ嘘と想う夜 3


「ゆず、なにかありました?」

 放課後、学校の正門で待っていた瑞樹は開口一番にそう言った。

「なんでそう思うわけ?」

「なんとなくです」

 普段はへらへらとしている癖に、勘が鋭い。

 彼に手を引かれ、車に乗り込むとため息が出た。

「・・・・・実はちょっと気になることがあって」

「気になる事?なんでしょう」

 車を発進させ、彼が続きを促す。

 家に着くまで少し時間がある。私は今日遭遇した出来事を、瑞樹に話す事にした。

「ちょっと、嫌な現場に居合わせちゃったのよ」


 ゆずの通う清和せいわ女子高校は、一週間後に文化祭を控えている。

 クラスで行う模擬店の準備の為、外へ買い出しに出た時、学校近くの公園で複数人に囲まれている高校生を見かけたのだ。


「ねぇ、あれって・・・・・」

「この近くの高校の生徒だね。柄が悪くて有名な所らしいよ。あまり目を合わせちゃだめ」

 早く買い出しに行こうと友人に手を引かれたその時、囲まれている男の子と目が合った。

 制服はボロボロで、手や足には痣が出来ている。

「ちょ、ゆず・・・・・!?」

 気が付くと、勝手に体が動いていたのだ。

「あなた大丈夫?」

「え・・・・・?」

「怪我してるみたいだから」

 男の子は目を丸くして、私を見つめる。

 驚いた表情を浮かべる彼の後ろから、馬鹿にしたような声が聞こえた。

「あれぇ、辰くんの彼女?可愛いじゃん」

「その制服、清和女子高のお嬢様だろ?やるねぇ辰くん。今度俺にも味見させてよ」

 げらげらと嫌に残る笑い声が響く。

 彼の痣は、彼らが付けたものなのだろうか。そうだとしたらあまりにも悪趣味だ。

「あの、何をしてたんですか・・・・・?」

「何って見てわからない?遊んでただけだよ。辰くんとは親友だからさぁ。なぁ、そうだよな」

 一番背の高い男が周りに同意を求める。

 その言葉にまた笑いが起こり、当事者の男の子は俯いてしまった。

「その人、嫌がってるじゃないですか」

「傷つくなぁ。俺らが悪者みたいじゃん。ねぇ、じゃあ君も一緒に遊ぼうよ」

 肩を強引に掴まれ、今度は私が複数の男に囲まれる。

 同じ高校生のはずだが、男子高校生というのはここまで威圧感があるものなのか。

「離してください」

「離してくださいだって。俺嫌われちゃったかも」

 このままでは埒があかない。

 どうしようかと迷っていると、突然視界が開いた。

 囲んでいた彼らが、私と男の子の傍を離れたのだ。

「何をしてるのですか!」

 呆気にとられていると、清和女子高の生徒指導教師が息を切らせて走ってくるのが見える。

 どうやら助かったらしい。ほっと息を吐きながら前を向くと、友人の怒った顔がそこにあった。



「ゆず、あたしが居なきゃ今頃どうなってたかわかる!?」

「ごめん!助かったよ沙紀」

 彼女が機転を利かせ、学校に連絡を取ってくれてよかった。

 そうでなければ今頃男の子と同じくらい、私も痣を作っていたかもしれない。

「あなたも大丈夫?」

「うん。助けてくれて、ありがとう」

 立ち上がった彼はゆずよりも背が高く、制服はサイズが合っていないのか少し小さくみえた。

「名前を聞いてもいい?」

宮木辰久みやぎたつひさ

 宮木と名乗る男の子は、先程の男たちと同じ高校に通う二年生だと言う。

「宮木くんね。その痣、あの人達につけられたの?」

「うん。オレ、目をつけられちゃったみたいで」

「それって・・・・・」

 <いじめ>ではないのかと頭をよぎったが、口に出すことに躊躇いがある。

 その言葉は彼を傷つけてしまうかもしれない。

「気をつかわなくてもいいよ。オレ、あいつらにいじめられてるんだよね」

「そんな風に軽く言わないで」

「軽く言わなきゃやってられないよ。学校でも生徒はもちろん教師も見て見ぬふりだし、親にはいじめられてるなんて言えないしさ。でも君が来てくれて助かった、今日はお金を取られずに済んだよ」

 場違いに明るくそう言う宮木くんは、一歩踏み間違えたら底まで落ちてしまいそうな危うさがあった。

 だからつい、考えるより先に言葉が口をついて出てしまったのだ。

「あの、何か私にできることはある?」

「ちょっ、ゆず!?」

 沙紀が慌てて私の袖を引っ張る。

 自分でも場違いな事を言っているのはわかっている。しかしこのまま放っておくことがどうしても出来ない。

 ゆずの質問に宮木くんは一拍置き答えた。

「・・・・ああ、そうだ。オレ、この公園でよく暇つぶしてるから、もし見かけたら声かけてもらえると嬉しい」

「そんなことでいいの?」

「うん。しばらくまともな人と会話してないし、話し相手になって貰えないかな?嫌だったらいいんだ」

「そんなことない。わかった、気にして立ち寄るようにする」

 笑みを浮かべる彼の表情にほっとする。

 よかった、彼はまだ笑えるのだ。

「そういえば私、まだ名乗ってなかったね」

「高倉ゆずさんでしょ?」

「え?」

「そんな驚かなくても。鞄にそう書いてあったから。違った?」

 そういえばと鞄を覗くと、横に英字で自分の名前が書いてある。

「ううん、正解。目立たないのによく気づいたね」

「たまたま目に入っただけ・・・・・あ、ごめん」

 そろそろバイトなのだと彼は言いにくそうに会話を中断した。

「じゃあまた」

「うん、また」

 彼が小走りで駆けていくのを見送った後は文化祭の準備どころではなかった。

 どうすれば宮木くんの状況が解決するのだろう。

 私は答えの見えない迷路に迷い込んでしまったような気がした。 


「と、いうことがあったのよ」

 話し終えると、いつの間にか車は家の前に止まっていた。

 丘の上に一軒だけぽつんと建っている、二階建ての赤い屋根の家。屋敷の大きさと比べると小さいが、二人で住むには丁度いい大きさだ。

「どうしたら宮木くんへのいじめを止められるんだろう」

 自分自身に問いかけるように話しながら車を降りようとすると、身体が宙に浮く。

 瑞樹に軽々と身体を持ち上げられ、後部座席に座らされたのだ。

「ちょっとなに、瑞樹!」 

「なにって、妬いてるんですけど」

「近い!近い近い近い!」

 端正な顔がゆっくりと近づき、鼻が当たるような距離で止まる。

 とてもじゃないが、目を合わせられない。

「なんなのよ、なにがしたいのよあんたは・・・・・!」

 逃げる隙もなく簡単に捕まってしまった自分に腹が立つが不安にもなる。

いつもからかってくるが、ここまでタチの悪い彼は初めてだ。


「僕、嫉妬深いんですよ?」


 耳元に息があたる。

 必死で距離を取ろうと抵抗するが、瑞樹はびくともしない。細い身体の癖に、どこにそんな力があるんだ。

「こ、ここんなの執事の距離じゃない!!」

「普通の執事がゆずにこの距離で近づいたらぶん殴ってやりますよ。僕はいいんです。だってゆず限定の、執事なんですから。そんなことよりも・・・・・なんですかさっきの話」

「さっきって宮木くんの話?」

「そうその、ミヤギクンの話です」

「私、なにかおかしいこと言った?」

「おかしいことだらけですよ」

 はぁ、と瑞樹はわざとらしくため息を吐く。

「なんなのよ、言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「世の中、ゆずみたいな人の良い人間ばかりじゃないんですよ」

 困ったように笑う彼から目が離せない。

 何も知らない子供に言い聞かせるようなその口調に無性に腹が立った。

「馬鹿にしてるの?」

「まさか。ただ僕が同じ状況に立っていたら、ゆずのように彼を助けないだろうなって」

「・・・・・どうして?」

「僕は自分の手の中にいる人さえ幸せであれば、他はどうだっていいですから。極端な事を言えば、目の前で知らない誰かが暴力を振るわれようと、お金を奪われようと関わりたくない。見知らぬ人の人生に責任を持ちたくないんです」

「目の前で困ってる人がいたら、関わりたくないとか言ってられないわよ」

「その困っているって、どうやって判断できるんです?」

「・・・・・そんなの見ればわかるじゃない」

「嘘をついてるかもしれないのに?」

 顔色一つ変えずに淡々と話す瑞樹に言葉を失う。そんな事、考えたこともなかった。


「まぁ、そういう人間もいるってことです。そんな顔しないでください」

 ほら、笑って笑ってと口角を上げられる。

 その表情は先程のものとは違い、いつもの飄々としたものになっていた。

 私は、彼に心配されるほど情けない表情になっていたのだろうか。


「あ、僕が嫉妬してるっていうのはちゃんと理解してくださいね。というわけで今日の夕ご飯は人参のフルコースに決定です」

「人参の、フル・・・・・コース???」

 そうですよ、といい笑顔で頷く瑞樹の手をゆずは思わず掴んだ。

「わー、大胆ですねゆず」

「ちょっ瑞樹、瑞樹さん。お願いだからそれだけはやめてっ」

「好き嫌いはだめですよ。人参をすりおろしたスープに、人参ライス、人参ソテー、デザートは人参ゼリーなんてどうですか?」

 ひっと声が漏れる。やる気だ、この男は確実に実行する気だ。

「僕の愛情がたっぷり詰まった料理を、まさか食べないなんて言いませんよね?」

 オオカミに追い詰められた羊のとはこんな状況なのだろうか

 逃げ場なんて用意されているはずもなく、ゆずは今晩腹を括る他なかった。


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