ウツロウ嘘と想う夜 2


 高倉家たかくらけとは、この地域で知らない者がいないぐらい有名な土地持ちの家系である。

 私、高倉ゆずはその高倉家の娘として生まれてきた。


「お父さん、今日お母さんの病院行くんだけど一緒に行かない?」

「私は忙しいんだ。あれにもそう伝えてくれ」

 そう、と父の言葉に返すとそれ以降会話が無くなる。

 一緒にお見舞いに行けば、母はきっと喜ぶのに。

 気を取り直し、同じ食卓を囲む義姉と義兄を見た。

 父の連れ子で血の繋がりはないのだが、母は彼らを実の息子と娘のように想っている。

 二人はお見舞いに来てくれるだろうか。

「あの、姉さんと兄さんは・・・・・」

「好き好んで行くわけないでしょう。あの人がいない方が、この家の空気も美味しいし」

「ははっうける。ま、俺も大概暇じゃないんだわ」

「・・・・・すみません」

 カップに注がれた紅茶に視線を落とす。

 情けない自分の顔が、そこには浮かんでいた。



 母が亡くなったのは、彼女が入院してから一年経たない夏の初めのことだった。

 そしてその知らせが来たのは、彼女がいなくなってすぐの頃だ。


「うまくやったわよね、あんた」

「ツグミ姉さん、直人なおひと兄さん」

 学校から戻り、屋敷に入ると玄関で彼らがゆずを待っていた。

 そんなことはこれまで一度もなかったのに。

「うまくやったって・・・・・?」

「あの人の遺産のことよ。わかってんでしょ」

「そうそう、俺らと父さんには子供の小遣い程度の相続だっていうのにさぁ」

 腕を掴まれ、身体を壁に投げつけられる。

「なんでお前だけ、この家が買えるくらいの金貰っちゃってるわけ?」

 痛みに耐えていると、義姉の爪がゆずの頬を掠めた。 

「ママにお願いでもした?お姉ちゃんやお兄ちゃんがいじめるからママのお金はあげないでーって。それってすっごくムカつく」

「・・・・・ちがい、ます」

 母が亡くなってすぐ、弁護士がこの家に現れた。

 本来ならば父、そして義姉や義兄に平等に分けられるはずの遺産の大半を、私に渡すよう遺書が残されていたと弁護士の口から告げられたのだ。

 父は何も言わず受け入れたが、義姉と義兄の様子をみると納得していないのだろう。

「あの人、死んでも人をイラつかせるわよね」

「ま、あの人の生き写しみたいなこいつも気持ち悪いけど」

「・・・・・っ」

「あんたも母親の所に行けばいいのに」

 彼らが立ち去った後、頬にピリッとした痛みが走る。

 触れると生暖かい血が流れていた。

 手に付いた血をぼんやりと眺めながら、その場に蹲る。屋敷に居るだけで針の筵の中にいるようだった。

 母がいなくなった今、この状況が一生続いていくのだろう。

 もう、どうだってよかった。暗く狭い檻のような屋敷に閉じこもることが多くなったそんな時、彼が現れたのだ。



「あんたが・・・・・ゆず?」

 屋敷の庭をあてもなく歩いていると、突然声をかけられた。

 振り向くと、燕尾服姿の若い男性。

 襟足の長い黒髪に、右目下のホクロが印象的な彼は、人懐こい笑みを浮かべる。

 思わずその綺麗な容姿に目を奪われていると、流れるような動作で突然距離を詰められ、情けない声が出た。

「わぁ・・・・・!」

 距離が近い。彼に手を取られ、足がもつれる。

「だ、誰ですか!」

「ああ、やっぱりわからない?」

 背の高い彼にゆっくりと頭を撫でられる。

「僕は、ゆず限定の執事なんです」

 ぱちぱちと、目を瞬く。

―限定の、執事・・・・・?


「立花、もう到着していたのですか」

「和恵さん」

 執事とメイドの総責任者である和恵さん。彼女の声が聞こえ、肩の力が抜けた。

 祖父が当主の時代からここに勤めている彼女には、父も義姉も義兄も強く物を言えない。和恵さんはそんな一目置かれている人なのだ。きっとこの奇妙な状況もどうにかしてくれることだろう。

「おかえりなさいませ、ゆず様」

「た、ただいま。あの和恵さん、この人は?知り合いですか?」

「ええ。まぁ彼は、高倉家の執事見習いといいますか・・・・」

 珍しく和恵さんの回答は歯切れが悪い。

「限定の執事って聞きなれない言葉を聞いたんですけど」

執事の新しい採用方法だろうか?

「そのままの意味ですよ。そういう約束なんです」

 ニコニコと彼に顔を覗かれ、一歩距離を置く。

「約束って?」

「千晴さんと約束しちゃったんですよね」


 一瞬、時が止まったような気がした。


「なんで、お母さんの名前がそこで出てくるの」

「僕は君をここから連れ出すようにあの人から頼まれたんですよ」

 まぁ、と彼は一拍置き瞼を閉じる。

「この家に仕える気はないので、君だけの執事ってことなら引き受ける約束なんです。だから、ゆず限定の執事」

 どうしてだろう。めちゃくちゃな事を言われているのに、遠くを見つめるその表情に親近感を覚えた。


「きちんと順序立てて説明なさい、立花」

「ええー僕そういうの苦手なんですけど」

「・・・・・ゆず様、奥様は立花を私に預けたのですよ」

 和恵さんは困ったように、微笑んだ。

「私は病床に伏せる奥様から、彼を執事として教育するようにと頼まれておりました。ゆず様がこの屋敷を離れて暮らす時、この立花を執事として置く為、今日まで私は彼に執事としての心得を叩き込みましたわ」

「ちょっとまって。私がこの屋敷を離れる時って・・・・・」

 それはすなわち、ここを出て行けという事なのか。

 父か、義姉か義兄か・・・・・彼らがそう望んでいるのだろうか。

 顔を伏せ、拳をぎゅっと握る。

 悔しい。母がいないこの屋敷だとしても、ここは生まれ育った家なのだ。母との思い出に溢れた家なのだ。

 

「母がいなくなっても・・・・・ここは、私の家です」

「でも今、君のいる環境はあまりいいものじゃないよね」

 立花と呼ばれた彼の手が、絆創膏を貼った頬に触れる。

「これは別に・・・・・」

「ゆず様、奥様は貴方の事を一番に心配しておいででした。この屋敷に居て、苦しいと思う時がきっとくるのではないかと」

「それ、は」

 苦しい。辛い。悲しい。

 この感情は、認めてもいいものなのだろうか。

「だから千晴さんは、君の逃げ場所を作ったんだよ」

「逃げ場所・・・・・?」

「この屋敷から離れた場所に奥様の用意した一軒の家があるそうです。ゆず様、そちらで暮らしてみるのはいかがでしょうか。この屋敷が落ち着くまでの時間を、そちらで過ごすのも良い事かと思います」


『逃げる』

ここから、逃げてもいいのだろうか

 母は、こうなることを望んでいるのだろうか。叶う事なら私は・・・・・


「・・・・・逃げたい、です。お母さんの用意した場所で暮らしたい」


 ポツリとそう答えると、和恵さんはほっとした表情を浮かべた。

「旦那様の許可はすでに下りております。早速ご準備を致しますね」

「え、今日行くの!?その家に!?」

 荷物はすぐに手配すると、和恵さんは言い残し屋敷に入ってしまう。


 限定の執事だとかいう男と取り残されてしまった・・・・・。


「あの、立花さん」

 ゆずが話かけると、彼は大きな瞳を丸くした。

「立花瑞樹と言います。瑞樹、でいいですよ」

「瑞樹、さん。これから、お世話になります」

 深く頭を下げ、お辞儀をする。

 こちらこそ、と嬉しそうに彼が笑った。


 新しい生活を不安に思わなかったといえば嘘になる。

 それでもこの時、母が雇った瑞樹と暮らしてみようと思ったのだ。

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