農協おくりびと (33)檀家(だんか)の底力


 導師が退場すると、親族たちによるお別れの時間が始まる。

棺のふたが開けられる。

遺族と親しかった人たちが祭壇から摘み取られた花を手に、故人と対面する。

この間。退場した導師は、火葬場へ行くため身支度を整える。


 着替えの時間は普通、5分から10分かかる。

この時間帯を利用して、千の風を流すというのが最長老のアイデアだ。

だが予想に反し、曲の途中で控室のドアが開いた。

ホールでは周囲にはばかる音量で、千の風が流れている真っ最中だ。

住職がホールへ足を踏み入れでもしたら、大変なことになる。


 すかさず最長老が、次の手を打つ。

廊下に配置していたキュウリ部会のメンバーたちに、目で合図を送る。

最初から、非常事態を想定していたのだろう。

指示を受けたメンバーたちが、いち早く、歩き始めたばかりの住職の前を阻む。

動いたのはいずれも、頑固住職の檀家(だんか)の者たちだ

檀家の男たちは、何くわぬ顔で住職の周囲を取り囲む。


 寺の経済は、檀家によって守られている。

檀家は、特定の寺に所属して、寺を支援する家のことを言う。

檀家は葬祭供養一切を寺に任せる代わりに、布施としてさまざまな支援を行う。

寺と檀家は、切っても切れない密接な関係を持っている。


 田舎では集落に一つのペースで、寺が建っている。

100軒に満たない小さな集落も有れば、600軒を超える大集落も有る。

そのほとんどが、寺と檀家の関係をむすんでいる。

つまり。集落における世帯の数が、そのまま寺の経済力になる。

極端に檀家が少ない場合。寺の住職が、生計のために別の仕事をしている。

役場の職員であったり、教師などの仕事している場合が多い。

2足のワラジを履くことで収入を安定させ、檀家の過大な負担を減らすことになる。

だがこうした場合。専従の住職でないため、寺の仕事は2の次になる。

住職としての仕事は、葬儀が発生した場合だけに限られる。



 一般的にお寺は、かなりの高収入を得ているように思われている。

だが実態は、かなり厳しいものがある。

公表された寺院の資料の中に、こんなものがある。

寺院の経済事情を調べた『白書』を、智山派が昭和60年に公開している。

それによれば、全国に点在している智山派の2398寺院のうち、

半数を超える63%が、年間200万以下の収入だという。

500万円を超えているのは、全体のわずか15%に過ぎない。


 曹洞宗が発表した資料にも、同じ傾向が顕著に出ている。

1万4千ヵ所ある寺院のうち、年収300万未満の寺が67,2%に達している。

そのうち。100万円以下の寺院が、4割を占めているというから驚きだ。

経済的に安定するためには、それなりの数の檀家を必要とするという背景が

ここから垣間見える。


 とつぜん現れた檀家たちに、頑固住職の顔がほころぶ。

有力な檀家たちに対し住職は、不機嫌な顔を見せることは出来ない。

彼らの機嫌次第で、寺の経済事情が左右されるからだ。

頑固住職の弱みは、他にも有る。


 弁慶の寺はいま、本堂の新築工事の真っ最中だ。

本堂の普請に2億円。その他の工事も含めると、総工費は2億5千万をこえる。

そのすべてを檀家が、寺への寄付としてかき集める。

取り囲んだ男たちは寄付活動を取り仕切っている、いずれも有力なメンバーたちだ。

さすがの頑固住職もその場から動くことが出来ず、男たちと雑談をはじめる。


 足止めすること、3分あまり。

ちひろの指が、ようやく役目を終えた音響のスイッチを切る。

あとは、まもなく姿を見せる霊柩車へ、無事に棺を引き渡すだけだ。

ほっとした顔を見せるちひろに、入り口に立つ最長老が小さく、

V字のサインを作る。


 

(34)へつづく

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