③裁判の報告書

 曇り空の下でより際立つ青いドーム屋根の王宮に、偉人の彫刻で彩られた外観が立派な国立の図書館。そして大勢の官僚が昼夜入っては出ていく、市章が描かれた旗のはためく市庁舎。


 そうしたきらびやかで上流社会の雰囲気が漂う建物が集まる首都の中心部に、リーフェの用のある場所はある。


(地下鉄は暖かかったけど、外に出るとまた寒いなあ)


 地下鉄の出口から出たリーフェは、公園のように整備された広い並木通りを歩きながら手袋をはめた手をすりあわせた。

 落葉して枝だけがさざめく木々は季節感はたっぷりだが、見る者を余計に寒くさせる。


 そして歩くこと約七、八分。リーフェは裁判所の玄関に到着した。裁判所は巨大な重厚な石造りの建物で、様々な用途の棟がある。


(時間に余裕を持って提出できるって、気持ちがいいよね)


 リーフェはそのうちの一つの棟の廊下を進み、初めて弁護士協会の事務所を訪れた日のことを思い出した。主にハヴェルのせいで報告書がぎりぎりに仕上がったリーフェは、その日は慌てて廊下を早足で歩いていた。

 しかし今日は、のんびりと壁に飾ってある絵画を見ている時間もある。


(まあ見たところで、芸術ってよくわかんないんだけど)


 リーフェは神話や歴史をモチーフとして描かれているであろう絵の数々を見ながら、ゆっくりと歩を進める。学識の浅いリーフェには、誰の何の絵なのかは一見しただけではわからなかった。


 やがて弁護士協会の名前が彫られたプレートのかかったドアに辿り着き、リーフェはその横に備えられてた呼び鈴を鳴らした。


 「どうぞ」と言われて中に入れば、落ち着いた書斎のような雰囲気でいくつか机の並んだ部屋がある。そのちょうど真ん中の机に、ふさふさの髭が印象的な眼鏡の老人が一人で座っていた。

 彼はドラホスラフ・ドルボフラフという半分引退した元弁護士で、後進の育成のために協会の窓口兼相談係のようなものを引き受けている人物だ。


「研修生のリーフェ・ミシュカです。報告書を提出しに来ました」


 名前を名乗り、リーフェは書類をドルボフラフに手渡す。

 ドルボフラフはずり落ちかけていた眼鏡を上げ、リーフェを見た。


「おお、君はハヴェルのところにいる……名前は確かポーフェ君」

「いえ、リーフェです」

「すまんな。年をとると記憶力がな」


 間髪入れずにリーフェが訂正を挟むと、ドルボフラフは老人特有の自虐めいた笑い声をあげた。リーフェのことを覚えてなかったとしても三秒前に名乗ってはいるのだが、そこは指摘しないでおく。


「まあ、せっかく来てくれたのじゃから、座ってくれ。コートかけもそこにある」


 ドルボフラフは報告書を受け取ると、リーフェに椅子を勧めた。


「はい。ありがとうございます」


 コートかけに脱いだものをかけ、リーフェは勧められたとおりに椅子に座った。ドルボフラフとは初対面ではないし、元々軽い面談のようなものがあると思って来ているので戸惑いはない。


「これはたしか、あの学校で起きた事件についての裁判じゃったな」

「はい。ウードリー校で起こったことです」


 ドルボフラフが書類をめくって確認したので、リーフェはその校名を応えた。


 ウードリー校は、この国で一番の名門寄宿学校である。


 その学校の敷地内の池で一人の男子生徒の死体が見つかった。被害者は同級生からのいじめにあっており、捜査の結果そのいじめっ子が犯人であるということになった。そのいじめっ子が、リーフェが弁護する被告人であった。


 被告人が善人ではないことは間違いなかったが、リーフェは話してみて事件の犯人ではないような気がしていた。


 そして実際に、裁判では被害者を殺したのは被告人ではなかったことが明らかになった。真犯人は被害者と肉体関係にあった音楽教師で、痴情のもつれで喧嘩して関係をばらすと脅されたので殺したらしい。教師という立場を利用して、いじめっ子に罪をなすりつけた彼の罪は重かった。


 こうしてリーフェの弁護していた被告人は無罪になった。だが、被告人が被害者に対して行っていた度を超えたいじめは世間に公表されてしまったので、これからの彼の道のりは楽ではないだろう。


 報告書はこうした重苦しい裁判を扱ったものであったので、リーフェはドルボフラフと何を話すことになるのか身構えた。


 しかし始まった会話は、思っていたものとは違った。


「ウードリー校といえば、お前さんの指導官のハヴェルもそこの出身じゃったよな」

「あ、はい。そうらしいですね」


 緊張感に欠けたドルボフラフの質問に、リーフェは拍子抜けした気持ちで頷いた。


 ドルボフラフはかつてのハヴェルの指導官であり、リーフェにおっては恩師のそれまた恩師にあたる。そのためドルボフラフは、ハヴェルについてリーフェの知らないこともよく知っていた。


「その学校にいたハヴェルの同級生に今検事をやっている男がいるんじゃが、そいつのもとにも検事の研修生が一人おってな」


 ドルボフラフは髭を引っ張りながら、どこに話がとぶのかわからない世間話を続けた。


「その研修生はお前さんと同じ年に法曹資格試験を受けた、同い年の女子なんじゃが会ったことはあるか?」

「いや、ないですね」


 リーフェはまったく心当たりがないので、首をかしげた。会ったことがないわけではないかもしれないが、リーフェは人の顔を逐一覚えていられるタイプではない。


「そうか。まあ、いつか会う機会はあるじゃろう。この街は広いようでいて、狭いからな」


 ドルボフラフはリーフェを見てうんうんと頷き、なぜか思い出し笑いをするようにしわのある顔をにやにやさせていた。どうも、その検事を目指している同い年の女子というのは、リーフェと似ているのか、もしくは全く違うのか、何かしらの因縁を感じさせる人物らしい。


「そうですね。会えるのが楽しみです」


 リーフェはドルボフラフの態度に小馬鹿にされたような印象を受けつつも、素直にその人物に会ってみたいと思い答えた。同性で同じ年で検事を目指しているのなら、彼女はライバルのような存在になるのかもしれない。


 それからドルボフラフは、リーフェにとりとめのない昔話や世間話を聞かせた。ドルボフラフは、この日もお喋りが大好きな老人だった。


 その長い話が終わってリーフェが席を立つことになったのは、ちょうどハヴェルが棟の玄関ホールに迎えに来ると約束した頃合いだった。

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