第23話 裁判所1

 街の中心部にあるティルキス地方裁判所は、白い石造りのおごそかな建物である。

 それは首都にふさわしい重厚な美しさで、古風な制服を着た衛兵に守られた門をくぐれば、女神の像の置かれた吹き抜けのホールへと通じる。各法廷へとつながる廊下もまた、大理石の彫刻による装飾が品よく施されていた。


(ここって、こんなすごいところだったんだ……)

 所用で何度か訪れていた場所ではあったが、法廷のある棟に足を踏み入れたのは初めてのことだったので、リーフェはその荘厳な雰囲気に圧倒された。


 イグナーツは腕時計を見ながら、てきぱきと次へと進んだ。

「始まる時間までは少し時間があるから、待合室で時間をつぶそうか」

「あ、はい」

 リーフェはあたふたとイグナーツの隣について歩いた。何もかもが知らないことなので、段取りをわかっているイグナーツの存在はありがたかった。


 弁護人待合室には、他の事件を担当する弁護士が数人程度いた。

 リーフェたちはそこで、資料の最終確認をした。この日のために何度も打ち合わせをしてきたので、特に問題は見つからなかった。


 そして二人は開廷時間が近づいた頃合いを見計らって、指定された番号の法廷へと向かった。

 法廷には、すでに傍聴席に何人かの人が座っていた。知った顔はなく、趣味で来ている人たちだと思われた。

 リーフェとイグナーツは廷吏に案内されて、席に着いた。


 重大事件ではないので、あまり大きな法廷ではなかった。しかしそれでも内装には歴史を感じさせる重厚さがあった。窓は高く大きく、木製の机は使い込まれた色合いだった。天井に吊り下げられた照明も古風で重々しい。


 しばらくすると、検察官の男性がやって来た。白髪の初老の老人で、温和そうな雰囲気である。彼はリーフェたちのいる席の反対にある、検察側の席に座った。


 次は被告人であるカリナが入ってきた。

 カリナは手錠と縄をかけられ、廷吏に引き立てられていた。

 途中でリーフェと目が合ったが、カリナはリーフェを脅すようににらんで、すぐに目をそらした。

(真相は絶対に話すなって意味だよね。今のは)

 リーフェはカリナが自分に向けている気持ちを想像して、暗い気持ちになった。カリナにも納得してもらえるように準備してきたつもりだが、いざ本人を目の前にすると、もともとない自信がさらに小さくなっていく。

 カリナはそのまま柵に囲まれた被告人の席に通され、黙って顔を上げていた。もうリーフェの方を見ることはなかった。


 そして最後に、裁判長が奥の扉から入廷した。鷲鼻の中年の男性であった。

 裁判官の法服は、真っ赤なガウンに白いケープをつけたものである。そこにさらに儀礼用の古めかしいかつらが加わり、もとがどんな人なのかわからないほどに厳つい印象になっていた。


(この裁判で、カリナさんとサシャちゃんの未来が決まるんだ……!)

 裁判長の登場によって近づいてきた始まりに、リーフェは緊張して小さく震えた。

 隣に座るイグナーツはリーフェが委縮していることに気づき、小声でささやいた。

「大丈夫だ、リーフェ君。練習通りに話せば、きっとうまくいく」

「はい、ありがとうございます」

 イグナーツがいることを思い出し、リーフェは少しだけ安心した。


「それでは、今より開廷する」

 正面の席についた裁判長が、開始を告げる。


 高鳴る鼓動を感じながら、リーフェは法廷を見渡した。リーフェの初舞台の、幕は上がった。





 まず最初に行われたのは、本人確認であった。

 裁判長はカリナを中央の証言台の前に立たせ、氏名や住所などを順番に尋ねた。口ごもることなく、一つ一つはっきりとカリナは答えた。


 裁判長は最後に、罪状否認の質問をした。

「五月十三日、被告人は自宅で義父・ヤーヒム・バルトンを殺害した。この事実に間違いはないか?」

「ありません」

 カリナはすぐに言い切った。


 その声にカリナの覚悟を感じ取り、リーフェの胸はずきりと痛んだ。妹の罪を被って罰を受けることに、カリナはまったく迷いがないようだった。


 こうして冒頭手続きは終わり、カリナは被告人席へと戻された。

「では、証拠調べに入る。検察官、まずは冒頭陳述から述べよ」

 裁判長に命じられた検察官は返事をして立ち上がって、書類を持って読み上げた。日常をこなすような、力の抜き具合であった。

「まずは事件の経緯を説明します。被告人カリナ・バルトンは、亡き母の再婚相手である義父ヤーヒムと異父妹であるサシャの三人でクルク地区のアパートの一室に住んでいました。ヤーヒムは定職につかず飲酒をしては姉妹に暴力を振るうなど、問題の多い父親でした」

 検察官はまずはカリナを取り巻く状況についてまとめ、その次に事件のことを話した。

「そして五月十三日夜六時ごろ、被告人は義父の暴力に耐えかねて、ヤーヒムを刺殺しました。これには自白もあり、被告人も認めています。事件発生直後、刃物を持ってヤーヒムの遺体のそばに立っている被告人を目撃したという、隣人ヴラスタ・オラヴェツの証言もあります。一応彼女を証人として呼ぶ準備はできていますが、尋問する必要がないほど事実は明らかでしょう」

 自白を何よりも重視する姿勢の人物らしい検察官は、どうやら新しい証拠についての報告書はあまり読んでないようだった。カリナが犯人であることに、まったく疑いを持っていない様子であった。


 そして書類を読み終えるとリーフェの方を見て、今日は勉強として流れだけ体験して帰りなさいとでも言いたげな顔をして微笑んだ。好好爺な印象である。

(この人が今言ったことを事実にしてしまうのが、カリナさんの望みではあるんだけどね……)

 微妙な表情をして、リーフェは手元の書類に目を落とした。


 裁判長は今度はリーフェの方に命じた。

「弁護人は検察官の陳述に対する意見を述べよ」


 とうとう、このときがやって来た。


 隣のイグナーツは、そっと黙ってリーフェを見守っている。

 リーフェは思わず体を強張らせた。

「はい。弁護側は……」

 リーフェは起立して、原稿を読み上げようとした。冒頭の一文は、言いだすのにとても勇気が必要だった。


 鋭いまなざしで、カリナはリーフェをじっと見つめていた。

 その視線を受け止めた後、リーフェは法廷全体をまっすぐに見た。そして体が震えるのをこらえて、言葉を発した。


「弁護側は、被告人の完全無罪を主張します」


 今までの流れとは完全にはずれたリーフェの発言に、法廷全体が静まりかえる。

 傍聴席の人から裁判長までが、皆当惑した顔をしていた。


 検察官が沈黙を破り、優しくリーフェに尋ねる。

「弁護人、初めての裁判ということで、緊張して言い間違いをしていませんか?」

「いいえ、私は今はっきりと、完全無罪と言いました。本当にヤーヒムを殺害したのは被告人カリナではなく、その異父妹のサシャです」

 その答えに、法廷全体がどよめく。

 たいていのことには動じなさそうな老人の検察官も、さすがに驚いていた。先ほどカリナ本人が罪を認めたことと真っ向から矛盾しているうえに、衝撃的な真犯人の名前まで挙げられたのだから、それは当然の反応であった。


「その女の言っていることは、でたらめだ!」

 カリナは立ち上がり、リーフェを指さして怒鳴った。深い憎しみのこもった瞳で、リーフェをきつくにらみつけていた。黙っていてほしいと頼んだのに裏切られたカリナの怒りはとても激しく、容赦なく刺すようにリーフェに向けられている。


 その苛烈さにひるんで、リーフェは思わず息を飲んだ。こういうときに述べることも考えてきたはずであったが、怒りに燃えるカリナを前にしてはまったく話せそうになかった。


「静粛に!」

 裁判長が木槌を叩いて、ざわつく法廷内の声を静める。


(どうしよう、私は……)


 リーフェは頭が真っ白になって、立ち尽くした。

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