第20話 留置所2

 リーフェは地下鉄の中で必死に推理を組み立てながら、カリナのもとへと向かった。そして面会の申し込みが可能な時間ぎりぎりのところで、留置所の受付に滑り込む。


「遅い時間にすみません。カリナさん」

 看守にカリナのいる独房の前に案内してもらったリーフェは、廊下に置かれた簡素な椅子に座った。話が長くなりそうなことを看守に伝え、用意してもらった椅子である。


「何回来たって、私は話さないよ」

 カリナは冷え切った目で、暗い鉄格子の向こうからリーフェを一瞥した。

「今日は、私の方が話そうと思ってきたんです」

 この先はこれ以上に恨まれることになるのだろうなと思いながら、リーフェはカリナを見つめた。カリナが隠し通そうとしてきた真実を明らかにするのは心苦しく、またカリナにとってもつらい結果を招くことになることが予想された。だがリーフェはそれでも、沈黙は選べなかった。


 推理をまとめた手帳を開き、リーフェは深呼吸をして、まっすぐにカリナを見つめた。

「あなたは事件について黙秘しているだけではなく、いくつか嘘をついてたんですね」

「私が、どんな嘘をついてるっていうわけ?」

 余裕を装って、カリナがせせら笑う。


 リーフェは順を追って、事件当日のカリナの本当の行動を確認することにした。

「まずは、そうですね。あなたは事件が発生したとされる夜六時ごろ、家にいませんでしたね。五時に退勤して帰ったというのは、手紙か何かでご友人に頼んで口裏を合わせた嘘でしょう」

 今までとは方向性が違うリーフェの追求に、カリナはうろたえたようだった。リーフェがどこまで知っているのかわからないので、不安な様子だ。

「何を根拠に……」

 カリナはリーフェに証拠を要求した。

 相手を責めるようで気が進まなかったが、リーフェは仕方がなく矛盾をついた。

「ではあなたはこの日、どうやって帰ったんですか?」

「どうって、いつも通り地下鉄で帰ったに決まってるじゃない」

「それは無理なんです。この日あなたが利用しているザーパット線は午後四時から六時の間、人身事故で運転を見合わせていたんですよ」

 自分の証言にどんな問題があるのか気づいていないカリナに、リーフェは地下鉄の運行記録を見せて説明した。


「それは……っ」

 言い逃れることができず、カリナは言葉に詰まってうつむいた。

 リーフェはためらいながらも確実に、核心に迫った。

「そして、ヤーヒム氏を殺したのはあなたじゃなかった」

「私の指紋がついたナイフがあるのに?」

 カリナはリーフェをにらみ、自分が犯人であるという建前を頑なに守ろうとした。

 対するリーフェは、鞄の中から鑑識課より届いた書類を取り出し、要点をまとめて読み上げた。

「ここに、私が先日現場近くのゴミ捨て場で見つけたナイフの鑑定結果と、ヤーヒム・バルトンの遺体の再解剖の報告書があります。この新しく発見されたもう一回り小さなナイフの折れた切っ先は、ヤーヒムの遺体から見つかった金属破片と一致したそうです。さらに新しい証拠をふまえて二回目に行われた解剖の報告書によれば、ヤーヒムは死後にもう一度刺されているようですね」

 第三者の調査による正式な情報に怯んだカリナは、すぐには言い返せずに一瞬黙り込む。


 リーフェは資料に目を落としたまま、カリナと目を合わせずに言った。

「おそらくあなたは、本来の凶器であるナイフを隠して、別のナイフでもうすでに死んでいる自分の父親を致命傷の上から再び刺した。わざと自分の痕跡が残る形で」

「そんなでたらめ……」

 追い詰められたカリナは、とにかくリーフェの言葉を否定しにかかった。


 リーフェは話を続けるのが恐ろしかったが勇気を振り絞ってカリナの言葉を遮り、重大な事実をはっきりと告げた。

「そして、この鑑識結果には、本来の凶器であろうナイフに残されていた指紋は、幼い十歳前後の子供のものと思われると書いてあります」

 すでにカリナが守ろうとしていた秘密は、ほとんど暴かれていた。

「やめてよ、それ以上は!」

 カリナは立ち上がり、リーフェに詰め寄って叫んだ。もうどちらかというと懇願するような調子であった。


(すみません、カリナさん。あなたがそれを望んでも、私は見て見ぬふりはできないんです)

 心の中で謝りながら、リーフェは言った。


「……ヤーヒム・バルトンを殺したのは、サシャちゃんですね?」


 リーフェが口にした真の殺人者の名に、カリナは鉄格子を握ってうなだれる。

「違う、サシャは関係ない……」

 そうする意味がなくなってもなお、カリナは妹をかばい続けていた。


 鑑識結果の資料を閉じて、リーフェは目を上げた。

「まだ調べてませんけど、サシャちゃんの指紋と本当の凶器のナイフに残された指紋を照らしあわせれば、一致するはずです」

 最後にリーフェが突きつけた現実に、カリナは細い肩を震わせて沈黙する。


 リーフェは椅子から立ち上がり、カリナに近づきそっと屈んだ。そして言葉を選んで、真実を確かめた。

「サシャちゃんが父親を殺したのは、暴力から逃れるためだったのか、それとも暴力以上にひどいことがあったのか……。でもそれは、あなたが一番に知られたくないことじゃなかった。あなたは幼い妹の殺人を隠して、罪を被ったんですね」

 父親を殺さなくてはならないほどの仕打ちを受けたサシャの苦しみと、妹を守れず人を殺させてしまったカリナのつらさを想像して、リーフェは息が詰まるような気持ちになった。自分が明かした真相の重さに、目まいがする。


 しばらくの間、二人はお互いの顔も見ずにただ黙っていた。

 リーフェはすべてを明らかにしたその先のことを考えていなかったので、言うべき言葉が見つからず迷っていた。


 やがてカリナが、真相をリーフェから隠し通すことをあきらめ、沈黙を破ってぽつりぽつりと話し出す。

「……新しい工場に仕事を変えたとき、少し不安だった。家にいる時間が短くなるから、サシャをあいつから守れないんじゃないかってどこかで感じてた。だけど大丈夫だって信じ込んで、あの職場を選んだ。稼ぎの良い仕事でお金を貯めて、いつかサシャとあの家を出ればいいってそう思ってた」

 深い後悔をにじませて、カリナはうつむいていた。

 リーフェは何も言えずにただカリナのそばにしゃがんで、そのつぶやきを聞いていた。


「でも結局、サシャは私のいない家であいつに痛めつけられて、追い詰められたサシャは……」

 カリナは泣き出しそうな表情になって、目を閉じた、カリナの声は消え入りそうなほどかすれ、震えていた。

 その痛ましさに、リーフェはどうすることもできないけれども顔を上げた。鉄格子を握りしめるカリナのやせた手に触れたかったが、許されないことはわかっていた。


 そしてカリナが目を開いたとき、その瞳には悲壮な覚悟が宿っていた。

「あいつは屑で死んで当然だよ。でもサシャはまだ十一で、しかもあいつはサシャの実の親なんだ。私はあの子を親殺しにはしたくなかった。私にとってならあいつは義理の親だし、別に殺したことになったってそう問題になる齢じゃないから」

 この国は他の国と比べて、特別肉親が尊ばれる文化というわけではない。だがそれでも親殺しというのは、普通の殺人よりも罪が重いものであると社会的には考えられていた。

「だから私が代わりにあいつを殺した犯人になろうって思った。サシャは錯乱していたから、全部忘れて何も言うなって言い聞かせて……、あとはあんたがさっき話した通りだよ」

 カリナはゆっくりとリーフェを見つめ、問いかけた。

「これでも本当のことを裁判で明らかにしたい? 弁護士さん」

 その言葉は、秘密を暴いたものとしてリーフェを非難し、責めていた。


 押し殺されてもなお、はっきりとわかる激しい怒りに思わず後ずさりしそうになるのをこらえ、リーフェはカリナから目をそらさずに言った。

「……それに答えるには、もう少し時間をもらってもいいですか」

「考える余地なんてないよ、今すぐ決めて!」

 真っ向から否定されてもまだ自分の考えを曲げないリーフェに、カリナが声を荒げ勢いよく立つ。


「それでは、長々と失礼いたしました」

 ゆっくりと立ち上がり、リーフェは深々とお辞儀をしてカリナの目を見た。

 カリナは何も言わずにリーフェをにらんでいた。

 もう少し穏便に別れたかったとリーフェは思ったが、どうしようもなさそうなのでカリナに背を向けて牢獄の廊下を歩き出す。


 すると、立ち去るリーフェに向かって叫ぶカリナの声が後ろから聞こえた。

「私は嫌だよ!」

 リーフェは足を止めたが、振り返ることはできない。だがカリナはリーフェの背にかまわず続けた。

「サシャが親殺しだと騒がれて、あの救貧院以上にひどい施設に送られて残酷な目にあうなんて、私は絶対に嫌だから!」

 それは切実な妹への想いが込められた叫びだった。


(私は……私のやるはずだったことは……?)

 リーフェはどうすればいいのかわからず、そのまま出口へと歩いた。しかしカリナの言葉はずっと、リーフェの頭の中で響き続けていた。

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