第四章

第17話 事件現場2、他

 カリナの裁判が一週間後にせまった数日後、リーフェは再び現場があるクルク地区を訪れていた。前回はイグナーツも一緒だったが、今日は一人である。また調査が目的であるので、多少汚れていいように着古した服を着てきた。


(とりあえず調べ直すことにしてみたけれども、収穫あるかな……)

 リーフェはバルトン一家が住んでいたアパートの周りをあちこち見て回りながら考えた。何も進展しない状況を打開する新情報を求めてやって来たのだが、なかなか何も見つからなかった。他の場所での調査も控えているということで昼前の早めの時間に来たせいか人は少なく、聞きこみもあまりできそうにない。


 どうにも手ごたえを感じないまま、リーフェはアパートの裏にあるごみ捨て場を調べた。一応定期的にごみが処分されている形跡はあるものの、それでも十分すぎるほどに汚い場所だった。あふれでてしまったごみは散乱し、何が入ってるのかわからない袋や、原型を留めていないほどに壊れた家具などがごちゃごちゃと積まれている。細かな虫はぶんぶんと飛び回り、むっとするような腐敗臭も漂っていた。

 手袋とマスクの用意もあったが、その汚さには負けそうだ。


 初夏の太陽も暑く、異臭の中でごみをかき分けるうちに、だんだんとリーフェの意識はぼんやりとして目の前のことから離れはじめた。


 頭をよぎるのはやはり、ハヴェルのことである。


 リーフェはハヴェルのことを、今までずっと嫌悪し続けてきていた。それはハヴェルが軽薄で不真面目で、指導官としての仕事は何一つせず、それどころか真実なんて役には立たないなどと弁護士らしくないようなことばかり言う人物だったからである。

 だからリーフェは、ハヴェルをまったく尊敬することなく、故郷にいる恩人トマーシュだけを師と仰いで目標としてきた。

 常に絶対的な味方でいてくれて、教え導いてきてくれたトマーシュは、リーフェの人生に大きな意味を与えてくれたかけがえのない人だった。


 だが今はだらしのないハヴェルにも、かつてはそういう存在がいたらしい。一緒にいるとより良い自分でいられるような、ただ過ぎていくだけの日々に価値をつくりだしてくれるような、エリク・セムラートはハヴェルにとってそういう人だった。エリクが隣にいたときのハヴェルは、今とは違って誰かのためになりたいと思っていたはずだった。


 しかしエリクは殺されて死んだ。ハヴェルのたった一人は、永遠に失われた。とても残酷な結末で。

 その痛みは誰も失っていないリーフェにはわからない。ハヴェルにかける言葉を、リーフェは知らない。


(いやでも、だからと言って、あの人の現状は肯定できないけどね)

 そのままハヴェルのことを受け入れてしまいそうになって、リーフェは慌てて考え直した。

 いくらつらいことがあったとしてもあの自堕落な生活はどうかと思ったし、ことあるごとに余計なことを言ってくるのも気に入らなかった。

 しかし根本のところで、どうしてもリーフェを迷わせる問題がそこにはあった。


 リーフェはただ、真実というものが人を救うと思っていた。正しいことだけを求めていれば必ずいつかは良い結果が得られると、信じていた。

 だが、エリクという人は自分の信じた正しいことをしたのに、誰も救えず死んでしまった。なぜその罪を犯してしまったのかを明らかにし、意味のある償いを考える……という理想が悲劇を生んだ。

 もしも犯人の逃亡が阻止されていたら違う未来もあったかもしれないが、確かにその事件では真実が誰も救うこともなく、むしろ人を傷付けたのである。

 犯人の望み通り死刑が与えられていればエリクは死なず、死人は減っていただろう。それがある意味では、丸く収まる結末だったのかもしれない。


(だけどそんな裁判、私は嫌だ。私はカリナさんが望んでいるからって、このままうやむやにして終わらせたりはしない)


 暗い考えに飲み込まれてしまいそうになるので、リーフェは今まで信じてきた正義感で自分を奮い立たせようとした。だんだんその正しさへの自信はなくなってきてはいたが、カリナのことを考えるとやはりそれは大きな意味を持っていた。

(私は、カリナさんを救いたい。何を抱えて苦しんでいるのか知りたいし、その原因をどうにかしたい)

 頑なに口を閉ざすカリナの力になることが今の使命であることを強く思い出す。

 バルトン一家にはどんな事情があって、なぜ父親が殺されることになったのか。

 たとえ拒絶されていたとしても、カリナが隠そうとしている姉妹の秘密を知らないことには、本当の意味では彼女を救えないとリーフェは思った。


 そんなことを考えながらごみを漁っていたそのとき、リーフェはごみ捨て場の隅でキラリと光る何かを見つけた。

(あれ、これって……)

 リーフェはゴミ袋の下に敷かれて隠れているそれを拾い上げた。


 落ちていたのはよごれたシーツのようなものに包まれた、血まみれのナイフであった。

 切っ先が布から飛び出ていたので、リーフェはそれを見つけることができた。注意深く見てみると、ナイフの先端部分は折れていた。

(この事件って確か、凶器はもう発見されてたよね。ということは無関係? でもこんなところにあるってことは、もしかしたらってこともあるかも。このシーツにも、大切な何かが隠されてるかもしれないし)

 リーフェは発見したナイフを布ごと持ってきた紙袋に押し込んだ。とりあえず、少しは発見があって安心する。


 その後もしばらく他の場所も含めて調べたが、あとはとくに何も見つからなかった。

 現場での調査を切り上げた後、リーフェはナイフを鑑識課に持っていき鑑定を依頼した。結果は数日後にわかるとのことで、リーフェは報告を待つことにした。





 次にリーフェはカリナが務めていたという工場へと向かった。そこは既製服製造の工場で、街の南のはずれにあった。普通の民家よりもやや大きいくらいの建物で、従業員も多くはなさそうに見えた。


「カリナ・バルトンの勤務状況が聞きたいって?」

 事情を聞こうと尋ねてみると、不機嫌そうな中年の女の事務員がリーフェを迎えた。

 女が立つ後ろでは、たくさんの女工がミシンを使って服を縫っている。


 明らかに非協力的な雰囲気を醸し出している人が相手なので、リーフェはなるべく低姿勢になった。

「はい、お忙しいところ申し訳ありません。勤務態度と、あと十三日の出勤時間が知りたいのですが……」

「別に普通の子だったよ。特に印象はないね。出勤時間は記録帳を見ればわかるけど……」

 冷たい口調で答え、女は面倒くさそうに奥に引っ込んだ。そして革製のファイルを持って再び現れる。


「あれ、十三日のページがないね。誰かが計算のために持っていったかな」

 女はファイルのページをぺらぺらとめくりながら、後ろの女工の一人に聞いた。

「ブランカ。十三日カリナがいつ帰ったのか覚えてるかい?」

「その日は用事があるか何かで、五時には退勤してました」

 ブランカと呼ばれた赤髪の少女は、ミシンを動かす手を止めることなく答えた。その話しぶりから推測すると、どうやら彼女はカリナとそれなりに親交があったらしい。


(五時か……。死亡推定時刻が夜の六時前後だから、まぁそんなところかな)

 リーフェは今得た情報と、もともと資料を読んで知っていた情報を照らしあわせながら、手帳にメモをとった。特に問題はなさそうであった。


 頼まれたことを終えた女は、早く帰ってほしそうにリーフェを見た。

「だ、そうだよ。他にご用は?」

 これ以上何かを頼んだら舌打ちしてくる気がするくらいに、彼女は刺々しかった。何か隠したいことがあるというよりは、仕事でもないことで働きたくないという様子である。

「……今のところは、ありません。教えてくださり、ありがとうございました」

 深くお辞儀をして、リーフェはお礼を言った。はっきりとした物証が得られなかったことが引っかかったが、嫌われて今後の調査の不利益になるのも避けたかったのでおとなしく去った。


 工場で聞き取りを終えたリーフェは、その後は市の交通局へ行った。リーフェはそこで、カリナが利用していたという地下鉄の運行状況を事件当日の分だけを写してもらった。特に何か重要なことがあるとは思えなかったが、とにかく手に入る資料はすべて得ようと思った。


 こうしてリーフェは、いくつかの情報と物証を得た。それを生かせるかどうかは、これからの頑張りにかかっていた。

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