第14話 百貨店
リーフェはドルボフラフにハヴェルの過去について聞いたその後も、なるべく以前と変わらぬように振る舞った。
だが、それでもどこかで意識してしまっていて、何か感付かれていたのか、ある日ハヴェルはいつもとは違った行動に出た。
「リーフェ。君、今日空いてる?」
めずらしくモーニングコートを着て正装したハヴェルが、ドアを開けて事務所に入ってくるなりこう言った。
そのとき、リーフェはイグナーツと事務所で並んで仕事をしていた。
リーフェはカリナの裁判のために読んでいた書類から目を離さず、答えた。
「約束とかはありませんが、やることは山積みですけど」
「じゃあ、そこまで問題はないね。今日は僕とお出かけしよう」
相手の事情を一切配慮せず、というよりあえて無視して、ハヴェルは強引に話を進めた。
「はぁ!? ちょっと待ってください!」
慌てて立ち上がり、リーフェは抗議しようとした。
(このすっごい忙しいときに恋人同士でもないのにデートに誘うとか、この人は何考えてんの?)
リーフェは完全に断るつもりだった。
だが顔を上げてしっかりと見てみると、ハヴェルの正装姿が想像以上に格好良かったので、思わず黙る。
かっちりした仕立てのグレーのジャケットにベストに、縞模様の入ったスラックスは品の良いすっきりとしたシルエット。白いシャツには、紺色のアスコットタイがよく映えていた。いつもはもつれていた髪もきれいに梳いて、後ろで結んである。黒い布紐でまとめられたきらめく銀髪は、上等な絹糸のようだった。
そうすると顔も今までと変わらない造りであるはずだが、より端正に美しく見えた。高貴な紳士らしい出で立ちは、ハヴェルの並はずれた美貌をより引き立てていた。
「もう馬車も手配したし、夜のレストランも予約したからね」
ハヴェルはたしなみ用の杖を手に、にっこりと微笑んだ。もう準備は万端な様子である。
「えぇ、そんな……」
リーフェはハヴェルの不必要なときにだけ発揮される行動の速さに困惑した。すでに予約が済んでいるとなると、キャンセル料が気になって断れないというのが、貧乏人の哀しい性だった。
「……いってらっしゃい。リーフェ君」
隣の席に座るイグナーツが、あきらめを促すように声をかける。
完全に、ハヴェルと出掛けるしかない状況であった。
「では、今日はよろしくお願いいたします……」
リーフェは嫌々、ハヴェルの誘いにのった。
「それじゃ馬車は一時間後に来るから、準備してね」
「はい。わかりました」
デートと言うには情緒に欠ける調子であるが、見てくれだけは最上級の相手である。少しでも釣り合うよう、リーフェは自室に着替えに行った。
(せめてカリナさんの裁判が終わってからにしてくれればいいのに、一体私に何の用があるんだろう? エリクって人の話を聞いてもいつも通りにしたつもりだけど、やっぱりちょっと変だったのかな)
リーフェは文句混じらせつつ、ハヴェルの意図について考えた。だがどんな意味があるにせよ、めかしこんで出かけるのは気まぐれの結果だろうと、リーフェは思った。
◆
一時間後、まだ一回しか着ていないえんじ色のジャケットとスカートを着て、リーフェはハヴェルと一緒にやって来た馬車に乗った。
ハヴェルはまず、リーフェを百貨店に連れて行った。
街の中心部にある百貨店は、驚くほど雅やかな場所だった。獅子の彫刻に縁取られた入口をくぐれば、無数のシャンデリアがきらめく吹き抜けのエントランスがリーフェを迎えた。窓には色鮮やかなステンドグラスがはめ込んであり、天井は細密画のような紋様に彩られている。梁に階段、柱に床、目に入る場所全てが、宝石箱のように豪華絢爛だ。
その世界に見合った美しさで着飾った人々の流れにのって歩く。時間の進み方が違うような気がするほど、そこは異次元だった。
(ここって、王宮とかじゃないんだよね。すごすぎるんだけど)
今まで経験してきた場所とは桁違いの密度で飾られた空間の壮麗さに、思わず挙動不審になるリーフェ。
そして二人は金色の格子戸をくぐってエレベーターに乗り込み、上階へと向かった。
「それで、ここで何をするんですか?」
エレベーターの中で、リーフェはやっと少しは話す余裕が出てハヴェルに質問した。
「何って、僕が君の服を選んで買うんだよ」
「私、あなたに服を買ってもらうような関係じゃないと思うんですけど?」
当然のように答えるハヴェルに、リーフェは驚いて聞き返した。
だがハヴェルはうきうきした様子で、エレベーターの窓から覗く売り場を見ながら笑った。
「だって、こういう機会でもないと、女の子の服は買えないからね。僕は服選びが好きなんだ。でも、フリルのついたドレスは自分には買えない」
そう言って外を見つめるハヴェルの横顔は、一枚の絵のように綺麗だった。リーフェを連れ出した本当の意図は別にあるにしても、いつもと違う買い物がしたいというのは本当のことのようである。
(着てみてしまえば私よりもずっとドレスが似合うと思うけど、さすがにそこまでの変人じゃないんだ)
ハヴェルに女装趣味がないことにはほっとしたけれども、少し残念な気もした。
「それじゃあお言葉に甘えて、ありがとうございます」
リーフェはお金を出してくれると言う点には感謝して、会釈した。
裁判の準備ができずにここにいることが不安ではあった。だがしかし、段々もういっそのこと楽しんだ方がいいのではないだろうかという考えも浮かんできた。
(こうなったら、とことん付き合ってみせようか)
道楽の相手になる気持ちで、リーフェはハヴェルに服を買ってもらうことに決めた。だがそれは、リーフェの想像していたよりもずっと、大変なことであった。
女性服売り場でエレベーターを降りた二人は、まず適当な店に入って服を選んだ。
「いらっしゃいませ。どのような服をお探しでしょうか?」
「この子にあうドレスが欲しいんだよね。いい新作とか、ある?」
「さようでございますか。そうですね。例えばこちらの型はドレープが美しく、大変人気でございます。今ならこのあたりが流行色ですが……」
「うーん、コーラルピンクもいいし、ピーコックブルーもいいよね」
ハヴェルと女性店員は、聞いたこともない用語や色の名前が飛び交う会話を繰り広げながら、リーフェに次々と服を着せた。
ライトアップされたショーウィンドウに並ぶドレスの華やかさだけでも信じられないくらいだったのに、店内にはそれ以上に多様で美しい服が用意してあった。
(試着って、こんなに何回もするものなんだ?)
その出てくる服のあまりの量に、物が少ない田舎出身のリーフェの頭の回転はまったくついて行くことができなかった。自分で吟味する余裕もなく、ただ店の人に着せてもらう。
服選びが終わったと思ったら次は靴や鞄選び、さらには化粧や髪のセットも待っていた。
全部終わるころには、リーフェはへとへとになっていた。
「長いお時間、お疲れさまでした。こちらでお連れ様がお待ちでございます」
やっと一通りのことを終えたリーフェは、店員に案内され最上階の大食堂に足を踏み入れた。食堂はドーム型の天井を持った広々とした場所で、ガラス張りの大きな窓からはきらきらと太陽の光が差し込んでいた。
店の奥の半個室になっている席で、ハヴェルはコーヒーを飲んで待っていた。正装をしたハヴェルには、洗練された店内と完璧に調和した格好良さがあった。
ハヴェルはリーフェに気づくと、上から下までじろじろと見回した。
「お、綺麗になったじゃん。やっぱり、女の子はお金をかけると違うねぇ」
リーフェは確かに、平時の姿からは考えられないほど美しくなってはいた。
胸元を小さなリボンで飾ったすみれ色のバッスルスタイルのドレスは、派手すぎず地味すぎず、あまり正装を着なれていないリーフェにもよく似合っていた。普段は三つ編みにしているだけの褐色の髪は高く凝った形に結い上げられ、その上には黒い小さな帽子がのせられた。化粧で顔も、いつもよりも肌は明るく目元は冴えた印象である。
自分でも見ても、ぴんとこないほどの変わりようだ。
だがそのために使われたお金を考えると、嬉しいというよりは恐ろしかった。
(これ、総額でうちの実家の一年の取れ高を超えるんじゃないかな)
あまりの好待遇に何かあるのではという気持ちになったリーフェは、ハヴェルに尋ねた。
「本当に、全部買っていただいていいんですか?」
不安げなリーフェに対して、ハヴェルは何も気にしていなさそうな調子で言った。
「ん? 別にどうってことないよ。こんなの、僕が普段の買い物で使うお金の半分にも満たないし」
「はぁ、ありがとうございます」
大きすぎる格差に、リーフェはただ嘆息した。こういう人がいるから世界の経済は回っているのだろうなぁと、現実感のない心で感謝した。
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