第10話 救貧院

 その後、リーフェとイグナーツはカリナがかつて勤めていたという陶磁器製造所や、ヴラスタ以外の隣人の証言を求めて歩いた。拒否されることもあったが、根気よく回った。だが、ヴラスタから得た情報以上のことはなかなかわからなかった。


 最後に二人は、カリナの妹サシャがいるという救貧院へ行くことにした。救貧院というのは失業者や浮浪者を収容して仕事を与える施設で、子どもを集めて孤児院のような働きをしているところもあった。サシャがいるのも、そういうところであるようだった。一応教区によって運営される教会のような施設であるがその実態は牢獄に近く、人々はそれを嫌っていた。


「さっき見たここの子供はみんな極貧って感じだったのに、管理する大人のいるこの部屋は豪勢ですね」

 客間に通され待つように言われたリーフェは年代物のソファに腰掛け、壁に掛けられた絵画を眺めながら出されたお茶を飲んだ。その絵のモチーフは宗教で、神妙な表情に描かれた聖人や天使が煌びやかなシャンデリアの光に照らされていた。

 この部屋に来る途中で見た、延々と子供たちが麻屑をむしる作業を強いられている作業場と同じ敷地内とは思えない光景。神も仏もないと思わせる場所なのに、その絵は壮麗で美しかった。


「この地区に来た時から思ってたが、こういう不正義にちゃんと反応できるのが、リーフェ君の良いところだな。俺は実家が工場である意味ここと同種で、あんまり非難できる身分じゃないから」

 イグナーツはリーフェに感心した様子で、お茶を飲みながら茶請けのクッキーをかじっていた。

「だからって、必要悪として認めちゃうのはまずいような気がします。だいたいこの街は……」

 リーフェはさらに社会の罪を問おうとしたが、人が入ってきたので口を閉じた。


「ミシュカさん、クレイツァルさん。準備が整いました。こちらへどうぞ」

 黒い僧服を着た男が、二人を外へと手招きした。

 男に案内されて、二人は作業場のある建物の裏の空き地に着いた。


 そこには、小さな女の子が立っていた。

(この子がサシャ……。カリナさんの妹)

 痩せてぼろみたいな服を着て、くしゃくしゃの茶色の髪を二つに結んだ、十歳くらいと思われる少女だ。彼女は大きな目で不思議そうに、リーフェとイグナーツを見上げていた。

「彼女がサシャです。用が済んだらまた呼んでください」

 僧服の男が、簡潔に告げた。まるで物か何かのように少女を指し示して去った。


「あなたたちは、なあに?」

 何も説明されずに連れてこられたのだろう。サシャは怯えと期待が入り混じった表情で二人が何者か尋ねた。

「私はリーフェ・ミシュカです。私は弁護士で、あなたのお姉さん……カリナさんを助けるために来ました」

 リーフェは屈んで、サシャと目線を合わせた。父親が死んで、たった一人の姉とも引き離されて生きるサシャは、とても孤独で不安に違いないと思った。リーフェにできるのは早くカリナがサシャに会えるように裁判を進めることだけだが、せめて少しでも安心してもらいたかった。


 サシャがいぶかしむように、リーフェを凝視した。

「おねえちゃんを?」

「はい、お姉さんがヤーヒムさんを殺したのは本当か、もしそうならそれはなぜなのか、きちんと解き明かして、お姉さんが間違った罰を受けないように調べています」

 リーフェはいろいろ言葉を選んだが、結局率直に話した。


 状況を少しは理解できたのか、サシャは甲高い声で姉をかばった。

「……おねえちゃんは、わるいことしてないよ! わたしをまもってくれたんだもん!」

 父親が殺された事件について尋ねることを、リーフェは少々ためらっていた。だが、サシャはそこについてはまったく気にしていないようだった。ただ姉のことだけを、案じていた。


 リーフェはサシャの薄汚れた小さな顔を、まっすぐに見つめた。

「あなたを守った……? それはどういうことですか?」

「よくおぼえてないけど、とにかくそうなの。おねえちゃんはわすれてっていってたけど、そうなの」

 リーフェから逃げるように後ろに下がって、サシャはうつむいた。

 普通に考えれば、父親の暴力などから守ったという文脈である。だがやはりサシャの様子から考えても、どうもそう単純な話ではないようだった。


「でも私は、あなたのお姉さんを救うために知らないといけないんです。頑張って思い出してください」

 リーフェは動かずに、サシャに頼みこんだ。自分の要求はもしかしたら、というよりもほぼ確実に、サシャにとっては酷なものだと思われた。だがそれでも、カリナ以外ですべてを知っているのはサシャだけのような気がしたので、躊躇しつつも食い下がった。

 だがサシャもまた、カリナと同じようにリーフェを拒絶した。

「むり、わすれたもん!」

 そう叫んで、サシャは作業場へと走り去った。


(……まぁ、こうなるよね。あんな小さい子にむりやり言いたくないこと言わせようとするなんて、ひどい大人だと自分でも思う)

 リーフェはしゃがみこんだままため息をついた。逃げ出すほど嫌な質問を向けてしまったことが、申し訳なかった。しかしそれでも話を聞いてみるしか、前に進む方法はないようにも感じられた。


 落ち込むリーフェを励ますように、イグナーツが後ろから話しかけた。

「どう考えてもそうたいした事件じゃなさそうなのに、姉妹にとっては秘密があるらしいな」

「一体どんな事情でしょうね。人に言えないようなことを父親にされてた、とか……?」

 リーフェは立ち上がり、なぜカリナもサシャも異常に口が固いのか考えてみた。だが、あまり想像力が豊かな方ではないので、そう何も思いつかなかった。


「裁判まではまだ日がある。決めつけるのはよくないし、これからゆっくり調べよう」

 イグナーツはとりあえず、先輩らしいことを言ってくれた。

「……そうですね。もうすぐ夕方ですし、今日はここまでにしましょうか」

 リーフェは薄雲の向こうでもうすぐ色を赤く変えようとしている太陽を見上げた。治安が悪い町にいるので、明るいうちに帰りたかった。


 二人は帰宅を決め、僧服の管理人に声をかけて救貧院を出た。門は立派だったが、その外の景色は中にいる子供と同じように貧しかった。

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