第二章

第5話 法律事務所3

 翌日の朝の太陽が昇るころに、リーフェは新しい住処のベッドの上で眠りから覚めた。故郷での生活で早起きが身に染みていたので、自然と目が開く。

(そうだった。今日はもう研修中だったんだ。まだ寝てても良い時間だけど、どうしようかな……。うーん。眠くはないし、起きちゃうか)

 リーフェは掛け布団から抜け出て、ベッドを下りた。カーテン越しの光はほんのり明るく、快晴の予感がする。


 顔を洗おうと洗面台へと歩き出すと、何やら柔らかいものが足に当たった。

(あれ、何かここにあったっけ?)

 まだ慣れない部屋の床に、目をこすりながら目を落とすと、そこには猫のように丸まって寝ている男――、ハヴェルが転がっていた。

(……!? なぜ私の部屋にこの人が?)

 リーフェは驚き、後ずさった。


 それなりにしっかりと蹴りつけた実感がリーフェにはあったが、それでもハヴェルは安らかな顔でぐうぐうと寝ていた。

 早速のハヴェルの信じられないような行動に、リーフェは自分の目を疑った。同時に、むしろベッドに入ってこなかっただけましではないだろうか、という考えも頭をよぎる。

 ハヴェルは一応昼間と同じようにナイトシャツを着ていたが、はだけているを通りこして脱げていたので、ほとんどではなくまったくの完璧な半裸だった。女である自分よりもよっぽど官能的ではないだろうかと思える背中に、リーフェはしばらく見入った。

 だが途中で我に返って、リーフェは目をつむって叫んだ。


「女子の部屋で、半裸で、何やってるんですかあなたは――!」





「トイレ行ったら戻る部屋間違えただけなのに、あんなに怒ることないと思わない?」

 数時間後、ダイニングルームで朝食を待つハヴェルは、向かいに座るイグナーツに同意を求めていた。未だに寝間着から着替えてはいない。


「朝から大変だったな、リーフェ君。今度、職人呼んで鍵つけてもらうよ」

 イグナーツはハヴェルに同意することなく、やんわりと無視してコンロの前に立つリーフェに言った。

「ありがとうございます。あの、鍵の費用は……」

 リーフェはフライパンの上のパンケーキをひっくり返しながらイグナーツに尋ねた。

「事務所の雑費からでいいですよね、先生」

「いいんじゃないのー?」

 一応と言った感じで確認をするイグナーツに、ハヴェルがどうでも良さそうに答えた。

 事務所の雑費というのはハヴェルの資産でもあるはずだが、金持ちは些細な出費をいちいち気に留めないらしい。


 そうこうしているうちに、コンロの上のフライパンから小麦が焼ける香ばしい匂いが漂いだす。

 リーフェは研修生として居候するにあたり、料理洗濯などの家事を引き受けることを昨日自分から申し出ていた。その初仕事となるのが、この朝食のパンケーキ作りであった。

「焼けましたよ」

 リーフェは皿にパンケーキを載せ、ハヴェルとイグナーツに差し出した。付け合せはトマトとマッシュルームのソテーだ。


「ふーん。とりあえず、料理下手ではないっぽいね」

 ハヴェルはほおづえをつき、適当にフォークで料理をつついた。

 一方イグナーツはしっかりと皿を掴んでキープし、満面の笑みでリーフェを見上げた。

「ありがとう、リーフェ君。早速いただくよ」

 そしてそのまま、丁寧にパンケーキを切り分け口に運んだ。しっかりと噛みしめて、味わいながら飲み込む。

「中にジャガイモが入ってるのか。すりおろしたやつが入ってるのは食べたことあるけど、千切りのパターンは初めてだな」

 二口目を切り分けながら、イグナーツは興味深そうに言った。


 リーフェは自分の分のパンケーキも皿に載せると、フライパンを流しに置いて席についた。

「うちの村周辺だとパンケーキって言ったらだいたいジャガイモを入れるのですが、どうでしょう。お口に合いますかね」

「すごく、おいしいよ。俺はパンケーキって言ったらスフレっぽいのが好きなんだが、こういうざっくりした味もいい。じゃがいもでこんな感じなら、他の根菜も試したいな。そうそう、遠くの新大陸では豆とかとうもろこしでできたパンケーキがあるらしい。どんな味なのか気になるが、新大陸は遠いからなぁ……」

 やたら目を輝かせて、イグナーツはパンケーキについて語った。語りつつも、パンケーキをぱくぱく食べる。器用な人だと、リーフェは思った。

「詳しいんですね」

 その謎の熱量におされ、リーフェは若干たじろいだ。


「地味なイグナーツの唯一の個性だから。あぁ、体力がないっていうのもあったか」

 向かいのハヴェルがばっさりと言い切って、くすりと笑う。

 イグナーツは早くも食べ終えてフォークを置き、それなりにそこそこ整った顔でハヴェルをにらんだ。

「地味とはなんですか。俺は一応、先生ほどじゃなくても美形ですよ」

「美形だけど、何か薄い」

「先生のキャラが盛り過ぎなんです。せめてアル中か裸族か、どちらかにしてください」

「じゃあ僕の半裸属性を地味な君に譲ろうか」

「いりませんよ、そんな属性」

 新入りのリーフェには絡みづらい調子で、イグナーツとハヴェルは応酬し合った。


(イグナーツ先輩に初めて会ったとき、顔は悪くないけどどことなく印象が薄い人だと思ったことは、黙っておこう……)

 リーフェは二人の会話を聞きながら、パンケーキを食べた。まずまずの仕上がりに満足していると、ポンと瓶の栓を開ける音がした。目を上げると、ハヴェルがグラスにワインを注いでいた。

「あの、早速飲酒ですか?」

 半分驚き、半分さもありなんと思いつつリーフェは尋ねた。

「うん。このつけあわせ食べてたら、飲みたくなっちゃって」

 ハヴェルはまったく悪びれた様子もなく、グラスを傾けた。

「……とりあえず、食べれないことはないみたいで良かったです」

 どこまでもぶれないハヴェルの駄目さ加減に気力を削がれ、リーフェは曖昧な笑みを浮かべた。


「あ、そうだ。リーフェ君」

 食後のコーヒーを飲んでいたイグナーツが、リーフェを呼ぶ。

「さっき郵便受け見たら、君の研修の裁判の案内が事務所宛に届いていたよ。今日の一時に留置所に来てほしいそうだ」

 イグナーツはリーフェに封筒を手渡した。司法を表す剣と天秤が型押しされた、しっかりとした封筒である。

(わ、早速来たよ。これは気張っていかないと……!)

 封筒を受け取り、リーフェは緊張しながら中の紙を開いた。


 研修生は指導官とともに裁判を受け持ち、一人前の弁護士としての技能を習得することになっている。そのため、研修生には研修用の裁判が斡旋される。研修用と言っても指導官がいること以外は普通の裁判と変わらず、いきなり責任重大なのである。

 中の紙を恐るおそる見ると、集合場所と時間とざっくりとした説明だけが書かれていた。どのような裁判なのか、どんな人物を弁護しなければならないのか等の情報はまったく記されていない。

 しかしそれでもこれが、リーフェにとって初めての裁判になるのだと思うと、だんだんと清廉な気持ちにもなってきた。


 リーフェは自分を勇気づける意味も込めて、凛として答えた。

「わかりました。先輩、同行よろしくお願いいたします」

「あぁ、ついでにいろいろこの街のこと教えてあげるよ」

 イグナーツはごく普通に先輩らしい反応を返した。


 そんな二人に、ほろ酔いで頬を染めたハヴェルはひらひらと手を振った。

「頑張ってね、二人とも」

「他人事みたいに言ってますけど、本来は先生も関わってますよ」

 イグナーツがなじるような目つきで、ハヴェルに義務を思い出させる。

 だが聞いているのかいないのか、ハヴェルは鼻歌を口ずさみながらグラスを片手に部屋を出た。またどこかで飲みながら二度寝するのだろう。


「ったくもう、先生はこれだから……」

 イグナーツがため息をつく。あきらめた者のため息である。

(あの人は仕方がないって、私は先輩みたいに割り切れないな)

 やはりハヴェルのことは好きになれないと実感しながら、リーフェは朝食を食べ終えた。

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