第一章

第2話 首都行きの列車

 トマーシュに最後の教えを受けた、あの秋の日から数か月後。第一試験に合格し仮の弁護士資格を得たリーフェは、研修先となる法律事務所があるポジャール国の首都ティルキスに向かう列車に乗っていた。


 ガタンゴトンと心地の良い揺れの中、リーフェはまどろむ。昼食後であるので、特に眠い。まばらに座る周囲の乗客も同様のようで、車内は話し声もほとんどなく静かだった。

 西の端の駅を出発して一日半、車窓から見える景色は山奥から平野へと変化していた。薄緑色にきらめく田園にちらほらと建つ家の数もだんだんと多くなっている。


(正式な資格を得るための試験があと三回。最短で通ってもあと二年は研修かぁ。指導官、良い人だといいな)


 リーフェは下から二番目に安い座席のやや硬い背もたれに身を預け、今後待っている日々について考えた。

 リーフェはこれから、スシェンキ法律事務所の所長ハヴェル・ノヴァーチェクという男のもとで、少なくとも二年は住み込みで研修するのである。その間にある試験は難関であり、二年では終わらない可能性の方が高かった。

 田舎育ちのリーフェにとっては、都会であるティルキスで暮らすこと自体がすでに恐ろしい。そこにさらに見知らぬ男との共同生活という未知の要素が加わり、より不安が増していた。


 そういう状況になってしまったのにも理由があった。リーフェが受けた法曹資格試験において、女性の受験が認められるようになったのは今年が初めてである。試験会場の雰囲気からして、女性を受け入れる体制が整っているとは言い難かった。したがってその後の研修方法についても、女性への配慮はあまりなされていないのである。


(でもまぁ、部屋付きの事務所を選んでくれたんだから、田舎者の私への配慮はあるよね。これなら家賃に悩まなくて済むし)

 むりやり好意的に、リーフェは考える。


 リーフェは首都ティルキスよりもずっと西にある、クーニュ領というかなり田舎の出身であった。山の麓に位置するその土地は、水利もよく四季にも恵まれ、人口が少ないなりに過ごしやすい。

 そこに住む農夫の二番目の子として、リーフェは生まれた。貧乏だがすごくつらいというわけでもない、おそらく幸せな部類に入るであろう中の下の平均家庭。リーフェもまたどこかそういう家庭に嫁いで、ごく平凡な人生を歩む予定であった。


 だが、十二歳の夏が運命を変えた。


 その年、ポジャール国では国全体から各州を統治する代表者が集まる大きな会議があり、そこら中で会議の出席者が旅をしていた。

 クーニュ領も例外ではなく、国境付近からやって来た代表者夫妻とその従者たちが領主の家に泊まった日があった。

 代表者夫妻は王家の遠い親戚で、クーニュ領の領民にはまったく理解できないような、富と地位を持った人であった。領民は自分たちとは違い過ぎる彼らを恐るおそる迎え、遠巻きに見ていた。

 代表者夫妻が泊まった領主の家はリーフェの家の田畑からほど近い場所にあり、いつも親切にしてもらっていた。だから代表者夫妻が来た日、リーフェも領主の家で客人をもてなす手伝いをしていた。


 そしてその日の夜に、事件は起きた。代表者の夫人の持ち物である高価な首飾りが盗まれたと、従者が騒いだのである。従者はなぜか、リーフェが犯人であると主張した。

 リーフェにはもちろん、心あたりがなかった。自分ではないと何度も言った。だが聞き入れてはもらえなかった。代表者夫妻にも犯人であると決めつけられた。家族や周囲の人たちには信じてくれる人もいたが、権力者には逆らえず守ってはくれなかった。嘘でもいいから罪を認めて謝罪しろとも言われた。

 やってはいない罪を着せられ、リーフェは見捨てられかけていた。

 孤独だったリーフェの唯一の味方になってくれたのが、領主の家の三男、トマーシュ・ソハだった。家を継ぐ権利も義務もない彼は弁護士となり、依頼人を選ばず様々な問題の解決に取り組んでいた。


『大丈夫。私は君を疑わないし、解決のために嘘を言わせたりもしない。本当のことを解き明かして、君じゃないってことを証明するよ』

 正式な裁判でも何でもなかったが、そう言ってトマーシュはリーフェの無実を証明した。リーフェが首飾りを盗んだという従者の話は根拠も何もない言いがかりであること、さらに従者こそが紛失に関わっている可能性が高いことを次々と論理的に立証していった。

 結局、首飾りは従者の過失により失われたことが判明し、後日無事発見された。従者は責任を問われることを恐れ、リーフェに罪を押し付けたのである。


 リーフェはトマーシュに感謝し、同時に憧れた。彼のように真実を明らかにすることで人を助けたいと思った。


『トマーシュ様、私もあなたと同じ弁護士になりたいです』

 リーフェがお礼の次に述べたこの言葉に、トマーシュは驚いた顔をした。当時は女性が弁護士になる方法はなかった。だがその日から、トマーシュはリーフェに法を教えてくれた。

 こうして、リーフェは弁護士になるための道を歩み出したのである。


(そう。トマーシュ様がいたから、今の私がいるんだ)


 リーフェはトマーシュのことを深く思い出し、温かい気持ちになった。


 その時、車両の前方のドアが開いて紺色の制服を着た車掌が現れた。

「まもなく終点、ティルキス駅でございます。お忘れ物のないよう、お支度ください」

 車掌は流暢にアナウンスをすると、お辞儀をして次の車両へと移っていった。


(これでやっと下車できる。座ってるだけでもさすがに疲れたな)

 リーフェは昼寝で乱れた髪を直すため、車窓に映る自分の姿を見た。

 日に焼けた垢抜けない顔に、おさげの三つ編み。美しいとは言えないが、見るに堪えないわけではないだけ良い方だと自分では思っている。


 リーフェはほつれた髪を撫でつけ、そのまま窓の外へ視線を向けた。

 すると、白い壁の建物が並ぶ美しい街並みが、丘を下ったその先の遠く開けた場所に見えた。緑の若葉が茂る森がその街並みを包み込んで、街中の家の屋根を覆う赤い瓦とコントラストを作り出し鮮やかさを際立てる。その麗しさに、リーフェは思わず小さく驚嘆の声を上げた。


「あれが、ティルキス……!」

 窓ガラスに顔を押し付けるようにして、その街を見つめる。


 リーフェが故郷の他に初めて住む、国の中心である華やかな都ティルキス。リーフェの見習い弁護士としての研修が今、始まろうとしていた。

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