第15話

夕方になってやっと季緒は目を覚ました。向かいのベッドに寝そべって蟻は魔法書を読んでいる。

「ミューレイジアムロイヤルファムエトは?」

「やっと起きたな。まだまだらしいぞサマエルが言いに来た」

「そうか。…お腹空いた」

「下に行けば食い物がある。勝手に行け」

すぐに蟻は分厚い本に視線を戻した。季緒は1階へ降りて食事をした。

聖祈塔のご飯は温かくて美味しかった。皆元気かな…。琉韻も元気かな。心配してるだろうな。ミューレイジアムロイヤルファムエトは無事だからなー!!

ゆっくり寝たので二日酔いを通り越して頭はスッキリしていた。外に出て散歩でもしようかと思ったが、梔子から勝手な行動は禁止。必ず蟻と共に行動するようにと言われているので諦めて部屋に戻る。蟻は魔法書に熱中していた。どこから本を出してきたのだろうかと本棚に向かう。一冊も本がない本棚に右手を翳すと、手の中に本が収まっていた。

「どうして?!」

そこそこに厚い魔法書だった。左手も翳してみたが何も起こらなかった。首を傾げ乍らベッドに寝転んで魔法書を読み始める。

「おい!おい起きろコラ!!」

肩を揺さぶられて季緒は目を覚ました。いつの間にか寝ていたようで魔法者を枕にしていた。しっかりと涎が付いている。蟻の呆れた視線が痛い。

「メシ食いに行くぞ」

瞼を擦りながら蟻の服を掴む。瞬く間に鬼眼の店の前に景色が変化した。空間のずれを感じさせない技量に季緒は素直に感心する。

蟻は今夜も飲むつもりらしいが、季緒は辟易していたのでスープとパンを頼む。金払いが良いので女主人は満面の笑みで2人を迎え奥の個室へ案内してくれた。

「今日も来てたよ勇者たちが」

「俺が最強の術者ってことは見ればわかるから困っちまうよなー。最強の術者って罪だぜ」

女主人は苦笑いながら厨房へ戻った。季緒は白い目で見つめている。

「最強の術者って梔子様かミューレイジアムロイヤルファムエトのことだろ」

「女王と梔子卿か…。本気の戦いを見てみたいぜ。どっちが強いだろうなー」

「梔子様だと思う」

「桔梗院次期頭領と期待された男だからなー」

「時期頭領って、今の頭領は誰なんだ?」

「………棕櫚」

その名前に心当たりがあった。

アマリリスと噴き出す季緒の頭を蟻が小突く。

「その頭領と梔子様ではどっちが強いんだ?」

「梔子卿だろうな。棕櫚はもう役に立たないと語られている」

「病気?」

「いや。潰された桔梗院の幹部たちに」

「……桔梗院ってドロドロしてるんだね」

「桔梗院だからな」

説明になってないと季緒は文句を言いながらスープを飲んだ。

個室にいるので店内の様子はうかがい知れないが落ち着かない空気だけは伝わってくる。今夜も勇者たちが勧誘にいそしんでいるのだろう。

「もしかして姫を誘拐したのって蟻の仲間じゃないのか?」

「そうだろうな」

平然と蟻が言うので季緒は驚いた。

「確証はないがアイツ等だろう。他に姫を誘拐するような根性あるヤツ等はこの国にはいねーぜ」

「そういうの根性って言わないと思う」

「甘ったれのお前に言われたくない」

「オレは甘くない」

「すぐ泣くヤツが何言ってんだ」

「泣いてない」

「泣いた。すぐ泣くよく泣くガキだぜ。全くよぉ術も全然遣えねーし」

「治癒と空間移動はできるぞオレだって」

はいはい。と蟻は聞き流し2杯目の酒を注文する。

グラスに見慣れぬ顔が映っていた。それが今の自分と認識するのに数秒かかった。

真っ赤な髪は無表情の天使を彷彿させる。

アイツ羽が6対だったな。けっこうな上位じゃねーか?能天使なのにどうなってんだ。ルキフェルも以前は6対だったはずだ。サマエルは召喚できるとして、ルキフェルも召喚できると何かと便利そうだけど、今のコイツには無理だろうなー。梔子卿がもっと厳しく鍛えていれば少しは使えただろうに。

ルキフェルもまぁまぁキレーだったけど、1番は王子様だぜ。

ニヤニヤしている蟻に「変態」と季緒は呟いた。幸い蟻の耳には入らなかったらしい。


翌朝。

季緒は目を覚ましたら一目散に窓辺に駆け寄った。

今日で4日目だ。早く允に帰りたい。

一緒に行動して案外極悪非道ではないとは思ったが、生理的に好きになれない相手であった。

オレの守護って梔子様が言ってたけど、よく殴ってくるし蹴ってくるし全然守護じゃない。ニヤニヤしながら琉韻の話をするのも嫌いだ。允に帰ったらアイツどうなるんだろう。魏杏国に強制送還してくれるのかなー心配だなー。琉韻に魔の手が伸びたら嫌だー。

考え込んで気付かなかったが、いつの間にかラファエルが目の前の宙に漂っていた。

「びっくりしたー」

「ごめんごめん。キオが難しい顔していたからさー」

「ミューレイジアムロイヤルファムエトは?」

「中に入ってもいい?」

窓からラファエルが入室し、季緒と共にベッドに腰掛ける。

「身体の治癒はもう大丈夫だけど、魂を戻すのに時間がかかるんだ。このまま目が覚めるまで僕の小屋で彼女を預かるよ」

「それってどの位?」

「うーん……見当つかないな。明後日かもしれないし1年後かもしれない」

「えぇぇーー!!そんなに!!」

「うるせぇなぁ」

季緒の大声で目を覚ました蟻はラファエルの姿を目に留めて「女王は?」と口を開く。

「目覚めるまでどれくらいの時間がかかるか分からないからこのまま僕が預かるよ」

「ふーん。じゃあ梔子卿に報告に戻るか」

「このままでいいの?!」

「仕方ねーだろ。女王の身柄は確保してんだから後は任せようぜ」

「でも」

「天使が預かるってんだから問題ないだろ。天使は嘘吐かないからな」

心配そうに目を遣る季緒にラファエルは「任せて」とウィンクをする。

「よし。今すぐ報告に行ってその後トビト山の小屋に行こうぜ」

いいよな。とラファエルに確認する。「小屋で待っているね」と言い残しラファエルは消えた。

「行こうよ」

「その前に身だしなみだ身だしなみ」

そそくさと蟻は着替えだした。


「どうやっても中に入れねー」

疲労困憊の蟻は肩で息をしながら膝を付いた。城門は目の前だ。直接迎賓の間を目指したのに移動した先は雅羅南城の門が目視できる場所だった。

「梔子様が結界を張っているんじゃないか?」

「そうだけどよー。前の時はイケたんだぜ。急に強くなった」

「琉韻に何かあったのかな?術がダメなら歩いて入ろうよ」

季緒が先に歩き出し蟻も後に続く。

衛兵が季緒の姿に「召喚士様」と礼を取り中へ招き入れる。蟻はご苦労と偉そうに片手を上げる。

城内は緊迫した空気も切迫した空気も流れていなかった。いつもの日常である。2人は先ずは梔子の居る聖祈塔へ向かった。

「変わった様子はないけどな」

「バカか。俺のような高度な術師には感じるぜ。日常の何気ない空気に隠された蜘蛛の巣の様に張られた結界がな。これはかなり強力だぜ。お前が今召喚しても何も出てこないぜ」

「嘘だー」

マダラを召喚しようとしたが何も起こらなかった。

「どうして?」

「梔子卿の方がお前より断然レベルが上ってことだ」

蟻は立ち止まり季緒を見下ろした。つられて季緒も止まる。

「何だよ」

「お前って本当にヘボだな。召喚士ってヤツは元からレベルが常人とはかけ離れているって聞いていたのにな。熾天使は呼べねーは悪魔に真名を握られるはすぐ泣くは、お前って落ちこぼれなのか?」

「……」

反論しようにも大体当たっているし(オレは泣いてない)、他の召喚士がどうなのかも知らないので、季緒は思いっ切り蟻の足を踏みつけて先を急いだ。

懐かしい聖祈塔が見えてきた。4日間しか離れていないのに懐古の情にかられる。

やっと帰ってきた。季緒の胸が熱くなった。

「只今帰りました」

元気よく扉を開けたが、大聖堂は静まり返っていた。朝のこの時間なら何かしら神官たちが祈りを捧げているはずである。

やっぱり、琉韻に何かあったんじゃ……

「いつ来てもこの青い光は幻想的だなー。王子様の瞳と似合いそうだ」

ニヤニヤする蟻を無視して季緒は3階へと駆け上がる。その間誰ともすれ違わなかった。

やっぱり変だ!!静か過ぎる!!

「梔子様!!」

乱暴にドアを開けたが梔子の私室も人がいた気配すらしなかった。

季緒の後ろから蟻がのっそりと中を覗く。

「皆出払ってるのか?鍵もかけないなんて不用心だぜ」

「どうしたんだろう…皆いないなんて」

「今日は何の日だ?行事があったりしないのか」

「今日は……」



雅羅南城北塔の大広間は静粛な空気が流れていた。聖騎士、聖祈塔神官が大神官の祈りに頭を垂れていた。

「神のご加護を」

大神官の言葉に聖騎士達は踵を鳴らし剣を胸前に掲げた。神官達は膝を付き深く礼をする。

大広間の扉が開き、聖騎士達が一糸乱れぬ足音を響かせ出てきた。隊列を組んだまま騎士塔へ進む。季緒と蟻は少し離れた場所から行進を眺め琉韻の姿を探す。列の最後尾に一際眩い姿があった。純白の聖騎士の制服に身を包んだ姿が陽光の下で輝いている。琉韻は二人に気付き嬉しそうに微笑んだ。

元気そうな姿に季緒は勢いよく手を振っている。蟻は王子の鮮やかな微笑に打ちのめされていた。胸を押さえて立ち尽くしている。

聖騎士に続き神官達も扉からゆっくりと出てきた。こちらは聖騎士と比べると進む速度が遅い。神官達が季緒に気付き声をかける。

「お帰り!いつの間に帰ってきたんだ?」

「ただいまー!!今帰ってきた!!」

「魏杏国はどうだった?怖かったか?」

「アシッドは優しかったか?」

季緒を取り囲む神官達に梔子は「再会を喜ぶのは塔に帰ってからになさい」と注意をする。

「梔子様。只今帰りました」

「お帰りなさい。さぁ皆で戻りましょう」

ワイワイと楽しそうに歩いていく神官達の後ろ姿を所在なさげに立ち尽くしていた蟻に梔子が「貴方もですよ」と声をかけ一緒に歩き出した。

「アレは何をしていたんだ?」

「1年に1度、聖なる者達で15年前の大戦の慰霊を行っているそうです。同じ過ちを2度と繰り返さないよう戒めの意味もあるんでしょうね。契約遂行ですか?」

「半々だな。女王は見つけた。だが一緒ではない。魏杏国のトビト山にいる」

「トビト山ですか?あそこには天使が住んでいますよね」

「ラファエルが面倒みてくれている。意識が戻らない」

「そうですか。塔で詳しい報告を聞きましょう」

蟻は梔子と肩を並べて歩きながら15年前の大戦について考えた。

確か允と芭萩で血で血を洗う争いが起こったんだったな。きっかけは允王妃が暗殺されたとか何とかだったような。大戦の後に召喚士が殲滅させられたハズだ。人間の力を遥かに超える戦線で両国は壊滅に近い打撃を受けたハズだな。

今の允をみるとその面影は微塵も感じさせない平和がある。

生き残った最後の召喚士が允の森で暮らしていて、王子様がガキを助けたのか。

蟻は聖騎士の制服に身を包んだ琉韻の凛々しい姿を思い出して口元を緩める。

「綺麗だな」

声に出したつもりはないが漏れてしまったらしく、梔子が立ち止まり蟻の目を覗き込んで軽く笑う。

蟻は足早に歩きながら、桔梗院にロクなヤツはいねーと毒づいた。

大聖堂で祈りを捧げた後、季緒と蟻は梔子の私室に招かれ報告を済ませる。

「エデンの園ですか。流石は天塔圏の女王ですね。スケールが大きい」

「アル卿も優しかったしサマエルもラファエルも親切にしてくれました。ミューレイジアムロイヤルファムエトが早く目を覚ましてくれるといいんですが」

その時足音が聞こえ扉が勢いよく開かれた。純白の制服のままの琉韻が立っていた。

「失礼する」

「琉韻!!」

「季緒!!」

胸に飛び込んできた季緒の両脇を持ち上げて琉韻はクルクルと廻った。

「元気だったか?」

「琉韻こそ!!ミューレイジアムロイヤルファムエトを見つけたよ!!」

「よくやった」

再会を喜びじゃれ合う子供達を梔子と蟻は目を細めて見守っていた。

「で?レイは?」

「…実は…トビト山にいるんだ」

「トビト山?」

季緒から説明を受けた琉韻はしばし考え込んだ。

「季緒、明日トビト山に行こう。オレは明日休みだから案内してくれ」

「いいよ」「ダメです」

梔子がキッパリと断った。

「季緒と王太子殿下二人で魏杏国へ行くなど危険すぎます」

「心配ねーよ。勿論俺も行く」

「貴方が一緒なら王太子殿下が危険です」

「契約があるんだぜ。手ぇ出さねーよ」

梔子は疑い深い目で蟻を睨む。

「オレは行く!!梔子様、止めても無駄です」

「ラファエルが待っててくれるし、ミューレイジアムロイヤルファムエトと会ったらすぐ戻れば大丈夫ですよ!!トビト山は術が遣えないから術師に襲われないと思います」

「王子様が強いから大丈夫だろ。ガキにはサマエルも付いてる」

結局、魏杏国滞在時間は2時間が限度と厳命され、3人でトビト山へ向かうことになった。

琉韻は季緒の部屋に泊まると言い、夜また来ると騎士塔へ戻った。

「この4日間琉韻と允は無事だったんですか?」

「何度か煩わしいアクセスはありましたが、大事には至りませんよ。季緒こそ大変でしたね。アビスは私も足を踏み入れたことがないですよ」

「ルキフェルも綺麗な人でした。あ、人じゃなかった」

「俺はいつまでこの姿でいればいいんだよ。女王も見つかったし明日はトビト山に行くだけだからもういいだろう。元の色男に戻してくれよ」

「魏杏国は何が起こるか分かりません。トビト山から戻ったら解呪しましょう。それと、貴方は下で休んでください。3階へは立ち入り禁止です」

「何もしねーってば」

「では大神官様へ報告へ向かいましょうか」

「あーーー!!アシッドの人たちに挨拶何もしてない!!荷物も置きっぱなしだ」

「聖祈塔とアシッドの交流ですからね。きちんと挨拶してきなさい。今すぐ」

わかりました。と季緒は蟻の服を掴む。目の前に何もない本棚があった。

「アシッドに挨拶したらトビト山へ行こうぜ。ラファエルが待ってるだろ」

「そうだね」

二人は荷物を持って下へ降りる。人気のない部屋で季緒はト・アドの名前を叫ぶ。

「おはようございます。早いですね」

階段からト・アドが降りてきた。

「おはようございます。お世話になりました。允へ帰ります」

「お前、唐突すぎるぞ。諸事情で允へ戻ることになりました。様々なお心遣いいただきありがとうございます」

「そうですか。大したお構いもせずに。聖典をありがとうございました。お二人に神のご加護がありますように」

では、と2人はアシッドの館を後にする。

トビト山が見える所まで移動し、ひたすら山の裾を目指す。

「明日の滞在時間は2時間だろ。それまでに山に辿り着けるのかよ」

「そうだ…山に行くのに時間かかるんだった。どうしよう」

「ラファエルかサマエルに迎えに来てもらうしかないだろうな」

「迎えにきてくれるかな」

「お前が頼めばサマエルはきいてくれるだろ。多分」

やっと山が近づいてきた。山道で頂上を目指す。頂上までも遠かった。

小屋が見えてきた時は二人とも足が棒になっていた。

「と、遠い」

「疲れたよーお腹空いたよー荷物重いよー」

扉が開いてラファエルが姿を現した。

「ゴハンあるよーおいでー」

「ゴハンー!!」

勢いよく駆け出した季緒の背中を「食い意地張ってんなー」となじる。

蟻が中へ入ると既に季緒は食事を始めていた。ラファエルは不思議そうな顔をしている。

「えーっと、君の名前何だっけ?僕聞いたかな?あれー?」

季緒は咀嚼中の物を吹き出し笑っている。

「汚ねーなークソガキ」

「アマリリスだよ」

蟻の拳骨が季緒の脳天にクリーンヒットし、季緒がテーブルに突っ伏し唸っている。

「蟻だよ。蟻っつーんだよ」

「アマリリスアリ?」

「違う!!蟻!!」

「アリね。改めて宜しくね。キオに優しくしてやってよー」

可哀想にとラファエルは季緒の頭を撫でた。勢いよく季緒が起き上がる。

「痛くない」

「良かった。さぁ一緒に食べよう。僕は食べないけど気にしないでね」

「美味しいよ。ラファエルが作ったのか?」

「ありがとー。食べないけど人が来たら作るようにしてるんだー楽しいからねー」

ラファエルの手料理をごちそうになり満腹になった2人は食後のお茶を楽しんでいた。

「ところで女王はどこ行ったんだ?」

蟻につられて季緒も奥の部屋に視線を移す。毛布が無くなっていた。

「彼女の為にもう一部屋作ったんだ。そこに居るよ。題して女王の間!かな」

天使はDIYもこなすのかと蟻は感心する。

「いつ頃目が覚めそう?」

「分かんなーい。人類初の事象だからさー。アビスに2日間居て生還したなんて初めてだもん」

「生還っつーのかアレ」

「そうかぁ。明日また来るね。琉韻と一緒に来るね」

「誰?キオの友達?」

「オレの兄だよ。イイ奴だからラファエルもすぐ仲良くなるよ!!」

「楽しみだなー!!」

「明日はここに2時間しか居られねーんだよ。ここに来るまでに時間を無駄にしたくないから迎えに来てくれよ。いいだろ」

「いいよ!!僕が行けなかったらサマエルが行くと思うよ」

ラファエルと別れ下山し聖祈塔へ移動する。

梔子と共に大神官へアシッドの聖典を手渡し、何となく報告を済ませる。天使の話をしたら驚いていた。

季緒は私室の掃除を始め、蟻は手持ち無沙汰だったので蔵書の間で允歴史書を読み始めた。

そこへ神官が掃除をしにやってきた。

「恐れ入りますが、少しの間席を外して頂いても?」

元桔梗院と聞かされているので丁寧な対応になる。

「あ?あぁ構わねーよ。俺のことは気にすんな」

左様ですか、と神官は掃除を始める。

「お前さぁ、15年前の大戦って覚えてるか?」

「15年前ですか。小さかったから僅かしか覚えていませんが、長く続いた争いだったと記憶しております」

「ふーん。王子様って命の危険にさらされたりしたことないのか?襲われたり誘拐されたり。あんなにキレーなんだからな。周りの大人が血迷ったりしねーのかよ」

神官は苦い顔をして押し黙った。

「襲われたのか?」

「…私の口からは何とも…」

「いいだろ教えろよ。なぁ頼むよ」

「ですから、私の口からは…」

「それって何かあったって白状してるもんだぜ。言って楽になろうぜ。隠し事は身体に良くないぜ」

「……」

神官はポツリポツリと語り始めた。

「うへぇぇぇ!!王子様が大神官に刺されたのかよ!!」

「はい。それを救ったのが季緒です。グリフォンを召喚しました」

それで召喚士が允に居るって噂になったのか!!何かの事件で召喚士の存在が明るみになったって聞いたな確か。それがこの事件か。

「私は未だに元大神官様の言葉が気になっています」

「何だ?」

「あなたがいなくなれば世は再び戦乱に陥るでしょうと仰っていました」

「世は再び戦乱に?」

「はい。確かにそう仰っていました。それが気になるんです。琉韻殿下はたった一人の世継ぎですし、殿下が失われたら允は後継者争いが起こるやもしれませんが、元大神官様の仰った『世』とは允だけのこととは違う気がするのです。この世、全世界のこととしか思えません」

「なんだか話がデカイな~。王子様がいなくなったら全世界の損失だぜ。あんなに美しい人間は他にいねーよ」

どういう意味だ?王子様がいなくなれば允は次王が消滅するわけだから、えーっと、現王は王妃がいなくて、王妃は暗殺されて…

どこに暗殺されたんだ?本当に芭萩だったのか?もしかして……

難しい顔で考え込んだ蟻をそのままにして神官は蔵書の間を後にした。


夜になって琉韻が季緒の部屋へやってきた。梔子は季緒の部屋の前に強力な結界を張り巡らせた。蟻対策である。

季緒の部屋で琉韻はエデンの話を目を輝かせて聞いていた。

「天使と会うなんてスゴイな季緒。羽はどうだった?白いのか?」

「羽は白っぽいような虹色のようなキラキラ光ってたよ。サマエルは羽が12枚もあるんだよ」

「12枚?それはスゴイ。歩く時に邪魔にならないのか大いに気になるな。明日が楽しみだ。レイにもやっと会える。季緒本当にありがとう」

「うん。でもいつ目が覚めるか分からないってラファエルが言ってた」

「オレは待つ。レイが目覚めるまでずっと」

情熱的な王子の情熱な恋心が燃えていた。季緒は天使は歩く時は羽を仕舞っているいると教えてあげた。

明日に備えて二人は早目に床に就く。


「宿屋にアルグレスが待っていますので合流してトビト山へ向かって下さい。天使のお迎えはどこからですか?」

「えーっと、鬼眼の店からちょっと歩いた所にある角」

「それはまた曖昧ですね。迷わないで行けますか?」

「大丈夫です。子供じゃないんだから」

ムキになる姿に梔子は目を細めて微笑んだ。

「では、行って参ります」

「時間厳守ですよ」

蟻が琉韻を抱きかかえようとしたが季緒が間に入って阻止した。3人の姿が消える。

以前密会した宿屋の前に着いた。

「何であのジジィも一緒なんだよ」

文句を言いながら階段を上る蟻の後ろで季緒はアルグレスとの経緯を説明している。

「お待ちしてましたよー」

ドアをノックするとアルグレスが笑顔で迎えてくれた。

季緒の後ろに立つ人物に目を留め唖然としている。

「アル卿!!今日は琉韻も一緒だよ。こちらがお世話になったアルグレス卿」

「初めまして。季緒が世話になりました。今日も宜しくお願いします」

アルグレスは目の前に差し出された右手に暫く気付けなかった。琉韻の姿に釘付けになっている。絹の様な漆黒の髪に透き通る白い肌、麗しく瞬く紫色の瞳。

「あ、あ、貴方が…允の…」

「琉韻と言います」

「アル卿どうしたんだ?」

「ジジィ、いつまで見惚れてんだよ」

蟻に軽く膝裏を蹴られてアルグレスは我に返った。すぐに握手をする。白く美しい指先だが剣士の手をしていた。見返す視線も意志の強さを感じる。

「失礼しました。貴方が想像以上に眉目秀麗で目が離せませんでした」

王子は口角を上げて賛辞を受けた。アルグレスの顔が真っ赤になる。

「本当にお美しい!!お噂は耳にしていましたがまさかこれ程お美しいとは…正に人類の至宝!!」

「そのように仰られても何も出ませんよ」

朗らかに笑う琉韻にアルグレスは目を離せないでいた。胸の鼓動がやけに大きく自分の耳に響く。

「アル卿!!もう行こうよ。サマエルが待ってるかもしれない」

「え?あ、ああ。そうですね。行きましょう行きましょう」

季緒と琉韻は手を繋ぎ、季緒の空いた手をアルグレスが掴んだ。

一瞬にして目の前に四つ角が現れた。鬼眼の店の全景が確認できる。人通りの無い薄暗い路である。

「本当にここでいいのか?」

首を傾げる琉韻に季緒は「多分」と声を曇らせる。

「キオ」

「うわぁっ!!びっくりした!!」

いつの間にか隣にサマエルが立っていた。相変わらず逞しい上半身を披露している。琉韻はサマエルと蟻を見比べて「似てる」と呟いた。

「パワーズのサマエル!!うわぁ!私初めてお目にかかりますよー」

興奮するアルグレスに、そうなんだ、と季緒が声をかける。

「能天使は戦ってばかりですからねー。滅多にお会いできないんですよねー」

「サマエル忙しいんだね」

季緒の言葉にサマエルは頷いた。

「早くトビト山へ行こうぜ制限時間があるんだ」

蟻の言葉にサマエルは羽を広げた。

「6対の羽だ」

白くとも虹色とも輝く12枚の羽に琉韻は目を奪われた。

「天使か…綺麗だな」

呟く琉韻に

「王子様の方が美しいぜ」

と言い蟻は琉韻の腰に手を回そうとして、季緒に手を叩き落とされる。

サマエルは羽を大きく広げ全員を包み込んで上昇を始めた。

「と、飛んでる!!スゲー!!」

目を輝かせて季緒とはしゃぐ琉韻の姿を蟻は目尻を下げて眺めていた。

まだまだお子様だぜ。

琉韻に夢中になっていたらいつのまにかラファエルの小屋に着いていた。

ラファエルが中から出てきて「アルグレスーー!!」と声を上げたが、突然静止した。

「どうしました?」

アルグレスの声も耳に届かない様子である。真摯に琉韻だけを見ている。

「ラファエルお前もか!!」

蟻が呆れたようにぼやき、王子様も罪な男だねーと冷やかす。

「…この人、人間?」

「ええ」

苦笑した琉韻が答える。

「だって、綺麗過ぎるし、魔力が…あ!!それか!!ドラゴンスレイヤーか!!」

皆の視線が帯剣している腰に集中する。

空気を読んだ琉韻が剣を抜き陽光に翳す。

「本物のドラゴンスレイヤーですね。私初めて見ましたよ。世の中に偽物が多いんですよドラゴンスレイヤーは。見た目は他の剣と変わらないですからね」

「いや、ここに」

と琉韻が指さした先には牙の紋様が刻まれている。

「ほほぅ!!ドラゴンの牙ですか!!へー!!」

感心するアルグレスに琉韻は剣を持たせた。

「見た目も重さも普通の剣ですね。紋様があるとは知らなかったなー。私が知る限り本物のドラゴンスレイヤーはこれ1本だけですよ」

「幻獣も切れる伝説の剣だぜ。天使も切れるか試してみるか?」

蟻が神をも恐れぬ一言を放つ。

「僕はそのドラゴンより上位だよ」

蟻とラファエルのやや緊張感が走るやり取りの傍で、季緒と琉韻は耳打ちしていた。

「そういえばドラゴンスレイヤーって魔力があったね。蟻の術も解呪できたもんね」

「忘れていた。剣としてしか使っていないからな。允では魔術など使わないからな」

だったら天塔圏の呪詛とか琉韻には効果ないんじゃなのかな。どうなのかな?ドラゴンスレイヤーを身に着けている間しか魔力が発生してないのかな?後で梔子様に訊いてみよう。

「オラ、時間がねーんだ。入ろうぜ」

蟻に促され全員で奥の部屋、女王の間に移動する。新たに作られた部屋は中央に大きなベッドが置いてあるだけだった。そこに眠る美しい少女。

「レイ!!」

駆け出した琉韻が何かに阻まれて立ち止まる。

「安静の為の結界を張っているから今はそこまでしか近づいちゃダメだよ」

ラファエルの言葉に琉韻は肩を落とす。近づきたくてもこれ以上近づけない。手を伸ばせば触れられそうな距離で琉韻はベッドで眠る姿を一心に見つめている。

以前会った時と変わらぬ姿で安堵した。行方不明となり無体なことをされたのではと心配していたのだった。

レイ、今度こそ允に連れて帰るぞ!!父上の許可も戴いたからな。もうオレのものだ。

「ミューレイジアムロイヤルファムエトも綺麗だけどルインはもっと綺麗だね。2人お似合いだよ。きっと良い子が生まれるよ」

ラファエルの言葉に琉韻の目尻が赤く染まる。

その可憐な表情に蟻とアルグレスの心臓が震えた。

ラファエルは琉韻の隣に立ち至近距離で凝視する。

「本当に綺麗だね。その瞳の色も珍しいなー。本当に本当に人間なの?」

「母はナイアデスだ」

「ニンフ!!妖精の子なんだ!!へー!!それにしても綺麗だなー」

「…近いぞ」

無遠慮に近づいてくる天使との距離を空けるが、その分ラファエルが近づいてくる。

「今のルインには人間の力しかないけれど、子供には妖精の性質が現れると思うよ。ミューレイジアムロイヤルファムエトの術師の体質も継がれるはずだからルインの子供は最強だね」

「そうなのか?」

笑顔で頷くラファエルに蟻は合点した。

これか!!世は再び戦乱にってこれか!!

各地で争いが起きて、剣や魔術幻獣なんかも巻き込んで、全世界が戦乱に陥る時に現れるのは一筋の希望って決まっている。王子様の子供が真の勇者になる。なーんてな。

これは案外有り得る話だな。天塔圏の崩壊に桔梗院の暴走がこれから始まったら世の中混乱するな。それに俺等の稼ぎ時だ。ガッポリ儲けてやるぜ。

王子様の子供が世界を救う勇者か救世主になるって有りだな。

俺だけが王子様の秘密を知ってるみたいじゃねーか。

と蟻は勝手な優越感に浸っていた。一人でニヤニヤする姿を季緒は白い目で見ていた。

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