第12話

季緒と琉韻は聖祈塔の前に立ち梔子が出てくるのを待っていた。

朝日が昇って間もない清廉な空気を吸い込み季緒は大きく息を吐いた。ここから暫くは琉韻と会えなくなるし、あの嫌な男と一緒に居なくてはならない。

「お待たせしました」

梔子の後ろに見慣れない男を認め2人は顔を見合わせる。

長身に茜色の短髪で前髪はキッチリ目の上で切り揃えられている。切れ長でガーネット色の瞳はややキツイ印象を与える。白い肌が髪と瞳の印象を際立てている。

2人に凝視され男は渋々口を開く。

「よお」

声は紛れもなく蟻だった。

「ええぇぇぇぇ―――!!!!」

大声を発しながら気味悪そうに後ずさる2人を楽しそうに梔子は眺めていた。

「どういうことですか梔子様。コイツ蟻ですよね」

「変態が爽やかになってるー嘘だぁぁぁ」

「彼の悪名は魏杏国でも有名ですので外見に手を加えました」

納得する子供達に蟻は悪態を吐く。

「じゃれている暇はありませんよ。時間には限りがあるのですから。さぁ手を繋いで下さい」

季緒の手と蟻の手を取り繋がせる。

「行ってくるね。必ず連れてくるから」

「無理はするなよ。何かあったらすぐ戻ってこい。コイツを置き去りにしても許す」

「王子様。そりゃヒデーよ」

「お前が季緒を見捨てたりしたら許さないからな」

琉韻は蟻を睨みつけた。

「俺は王子様を悲しませることはしないよ」

琉韻の手をとり口づけようとするが、季緒と琉韻に脛を蹴られる。

「王太子殿下の事はお任せ下さい。いってらっしゃい」

手を振る琉韻と梔子の姿が徐々に薄くなっていき、目の前に大理石の塔が出現した。

空間移動の際の違和感がなかった季緒は蟻の技量を見直した。

「ヤベー、つい桔梗院に来ちまったぜ。アシッドに行くんだったな」

「桔梗院とアシッドって別なのか?」

「そんなことも知らねーのかよ。桔梗院は魏杏国が認める国宗でアシッドは鬼眼に集まる術師の団体だ。桔梗院管轄じゃねー野放しの術師達だな」

「団体で何をやってるんだ?」

「そりゃあ、己の技術向上と精神力向上と体力は…関係ねーか。色々やってんだよ!兎に角行くぞ。こっからアシッドの館は近いからな」

さっさと歩きだす蟻の後ろを小走りで着いていく。ピョコピョコと着いてくる姿を振り返り蟻は苦い顔をした。聖祈塔の白い装束は目立つ。物珍しそうに道行く魏杏国民が季緒を眺めている。

「その服何とかならねーのか。馬鹿目立ちしてるじゃねーか」

「オレは服はこれしか持ってない」

堂々と言われて返す言葉がなかった。

「それに聖祈塔として来てるんだから正装でいないとダメじゃないか」

「…だけどよ…」

こんなことなら空間移動すれば良かったと蟻は頭を掻いた。足早にアシッドの館を目指す。

季緒は目の前の質素な館を見て、つい大神殿と見比べてしまった。

高さは3階建て程度でボロボロの木の扉は建てつけが悪そうである。

「チッ、ボロイぜ。蹴ったら壊れそうじゃねーか」

季緒は横に立つ蟻を不思議そうに見た。視線に気づき蟻が何だよと睨む。

「姿は全然別人なのに中身は変わらないのって不思議だな。梔子様から品性も与えてもらえばよかったのに残念」

「ふざけんなよ」

蟻の拳を避けてドアを叩いた。静かにドアが開く。

「允王国聖祈塔の神官様ですね。お待ち申しあげておりました。ようこそアシッドへ」

館の中は小奇麗にしており物が少なかった。椅子を勧められ2人はテーブルに着く。4人が座ったら一杯になるテーブルと椅子は年季が入っていたが綺麗に磨かれていた。

「初めまして聖祈塔の神官様。私はト・アドと申します」

黒いドミノとケープを纏った者が両手を目の高さに上げて挨拶をする。季緒と蟻は会釈する。

「早速ですが、聖祈塔の聖典を進呈していただけるとか」

「あ、はい。これです」

季緒は梔子から渡されていた聖典をト・アドへ手渡した。聖典を胸に抱き感涙したト・アドはお好きに過ごされて下さいと言い残し去って行った。

「……」

「……」

「これからどうすればいいんだろう…」

「自己中心的なヤツはカンベンしてくれよーめんどくせー」

自己中心的な奴の自己中心的な発言に季緒は驚いた。

自覚ないんだ…怖い…

自己を棚に上げて他人の評価は厳しくなるものである。

「好きにしてって言ってたからオレ探しに行ってくる」

立ち上がり外へ出ようとした季緒を蟻が止めた。

「その服は目立つから俺が買ってきてやる。お前はここで待ってろ」

蟻が出ていくと一人残されて季緒は手持無沙汰で上の階へ向かってみることにした。

部屋の中央にある螺旋階段はギシギシと古い音がする。ゆっくりと踏みしめて2階に下りる。階段を中心に方線状に扉が5つあったがどれもひっそりと静まり返って物音がしない。3階に上がるがここも物音ひとつしなかった。ト・アドは何処に消えたのだろうかと3つしかない扉の一つを叩いた。しばらく待ってみたが何の反応もない。その隣も隣も反応がなかった。1階に下りていきテーブルに着いて持参した允歴史書を読み始めた。5ページほど読み進めると蟻が戻ってきた。

買ってきた服に着替え、荷物はこのまま置かせてもらう事にして外へ出た。

「どこへ行けばいいんだろ」

「まずは大神殿だな。梔子卿から桔梗院のヤツとの繋ぎの取り方を聞いたから行くぜ」

「もしかしてアルグレス卿?」

「ウルセーな早く歩け」

大神殿の1階は祈りと儀式の間になっている。まだ昼前だが祈りの間には長い行列ができていた。蟻はその列には並ばずに儀式の間に入っていく。

祭壇には色鮮やかな花と鳥籠が置いてあった。季緒は近寄って鳥籠を覗いてみると人型をした小さな生物が眠っていた。

「ねぇ!これ何だと思う?」

蟻は一瞥し祭壇脇にある天使像の2枚目の羽根に印をつけた。

「ねぇってば、これ何?」

「ウルセーな。日替わりの生贄だ。そこらにいるヤツを捕まえたんだろうよ」

「生贄…」

呆然と鳥籠を見ている季緒の脚を蹴り、蟻は大神殿の外へ出る。印を確認した人物が来るであろう宿屋へ移動した。

指定されたドアを開けると中に人がいた。

「おや?貴方誰ですか?」

入ってきた蟻に不審な声をだしたが、後に続いた季緒の顔をみて破顔した。

「召喚士様」

「アル卿」

手を取り合ってはしゃぐ2人を蟻は冷ややかな目を向ける。

「あんたら知り合い?」

「どなたですかこの方?」

「蟻」

「うえぇぇぇぇぇぇぇーー!!」

蟻に対する反応は誰も一緒だと季緒は思った。

アルグレスは目の前に立つ男をまじまじと見つめた。

「貴方が棕櫚様の一番弟子アマリリス?!」

聞き慣れない名前に季緒は噴き出した。あまりりすぅ?と何度も茶化し笑っている。

アルグレスは蟻が呪文を詠唱し始めたのを耳にして亜空間の呪を唱えた。

「召喚士様は今や貴重な種なんですよ。私の目の前で傷つけることは許しません」

睨み合いが続いたが先に蟻が目を逸らした。その間も季緒はずっと笑っていた。

3人は椅子に腰かけ本題に入る。

「梔子卿からご連絡戴いておりました。女王をお探しだとか」

「そうなんです。梔子様は見当がついているみたいでしたが、どこに居るんですか?」

「恐らくは桔梗院のどこかか、別な場所にいるか、もうこの世にいないか…女王の才能は殺すには惜しいですからどこかに囚われていると思います」

「桔梗院ですか?天塔圏ではなくて?」

「大神殿の幻の最上階はミューレイジアムロイヤルファムエトの住居だ。天塔圏と桔梗院は表と裏。善と悪。光と影の関係だ」

アルグレスと季緒は蟻に注目した。

「さすがはアマリリス。よく御存知で」

「ウルセー!!その名前で呼ぶなバカヤロー!!」

「光と影……」

何やら季緒は考え込んでしまった。それを後目にアルグレスは話を続ける。

「女王を疎ましく考えている勢力がいるのも確かです。桔梗院の後ろめたい部分を天塔圏は処理してきた歴史がありますからね~。天塔圏が無くなって困るのは天塔圏の術師だけじゃないんですね~。女王がいなくなれば好き勝手できますからね」

「持ちつ持たれつってヤツか。桔梗院も天塔圏も同じ穴の狢だぜ」

「連絡を戴いた後私もちょっと中を探してみたんですけど、大神殿にはいないような気がします。もう少し込み入った所も探してみますが…お二人には行っていただきたい場所があります。かなり難しい場所ですが、棕櫚様の一番弟子がいるなら問題ないでしょ。私も一緒に行ければいいんですがあまり長い間桔梗院を離れると不審に思われますし」

「大丈夫ですオレ行きます。場所はどこですか?」

「近いんですけど遠いんです。3日ぐらいかかります。召喚士様達はアシッドと交流もしなきゃならないでしょ?そんなに居なくなっちゃって平気ですか?」

「大丈夫だろ。俺らを放り出して聖典読んでる奴等だぜ。3日ぐらい居なくなっても気にしねーよ」

「噂に違わずアシッドは個性的ですねぇ」

アルグレスは蟻に地図を渡して何か分かったらこの宿に伝言を残しますと去っていった。

アシッドの館に戻ったはいいが、荷物も椅子の上に置きっぱなしでどの部屋を使ったらいいかもわからずに季緒は階段を無為に上り下りしていた。

2階の扉が開き頬を紅潮させたト・アドが出てきた。

「あれ?どうしました?ハッ!!お部屋をご案内してませんでしたね失礼しました」

こちらをお使い下さいと3階の端の部屋を案内される。ベッドが二つあるので季緒はガッカリした。早く聖祈塔へ帰りたい。

「俺らこの国を見て回りたいから3日ぐらい留守にするけどかまわないだろ」

「ええ。御随意に。私共の経典もお持ちしますのでお好きな時間にご覧ください」

では、とト・アドがドアを閉める。

部屋にはベッドが左右に一つずつ、大きな窓が一つ、空の本棚がベッドの脇に一つずつ、テーブルが中央に一つと椅子が二脚。蟻は部屋を見回して「水場がねぇ」とぼやく。

テーブルに地図を広げたので季緒も覗き込んだ。やけにあっさりした地図だった。大神殿とアシッド館の場所とバロック山の周りに名前も書かれていない山々と湖。

「どこに行けばいいんだろう」

季緒の呟きに蟻は眉を顰めた。

「お前これが見えないのか?」

目を近づけて凝視するが何も変化がない。

「そっか、お前は貴重な召喚士様だったな。術師じゃねーと見えねーよ」

目的地はここだと蟻が小さい山を指さす。

「この山はトビト山と呼ばれてて大天使が住んでるって噂だけどよ。噂だけで誰も見たことねーし、そもそも天使が住んでるっておかしいだろ。笑っちゃうよなー」

ガハハハと大声で笑う横で、季緒はまだ目を凝らして地図を矯めつ眇めつしていると、ガキには見えねーよと頭をこずかれた。

「天使って幻獣だろ?バロック山には不死鳥も住んでいたし別におかしくない」

「幻獣っつーか、何か違うんだよな~。天使は天使だからな~。悪魔もそうだけどよ」

「何が違うんだよ」

「ガキにはこの微妙なニュアンスが分かんねーんだよ。だまってろボケ」

「何が違うんだよ」

ウルセーと放たれる蟻の蹴りを避けて季緒はベッドの上に自分の荷物を移動させて山に向かう準備を始めた。

トビト山は厄介だな、大天使の名前は確か…。……。…。

名前が出てこない。

兎に角、命を奪われることはないだろう。

ないと思いたい。

蟻の脳裏にポテスタナスの容赦ない姿が浮かぶ。

アレはアレ。パワーズだしな。気にしない気にしない。

「おいガキ。5日分の準備しとけよ」

「何で?アル卿は3日って言ったぞ」

「ちゃんと人の話聞け。近くて遠いんだよ」

「近くて遠い?」



「だぁっ!!ふざけんなよ!!くそっ!!」

「もうヤダよぉー帰りたいよぉー」

すぐ目の前にトビト山は見えるのに一向に近づかない。アシッド館を出て術師が溜まりそうな怪しい場所をのぞきながら山に向かったはいいが、歩いても歩いても山との距離は一行に縮まらないのであった。

「俺等一体どこを歩いてんだよ!!もしかしてトビト山って幻か?アレは幻か?!」

蟻を真似て季緒も両目を擦るがトビト山の大きさは変わらなかった。

「難儀してますね」

「うわぁっ!!急に出てくるな!!」

二人の後ろにアルグレスが立っていた。

「アル卿凄い。全然空気の流れが変わらなかったぞ」

「まぁ、これでも私桔梗院の幹部ですから~」

即席空間移動講座が開かれそうになり蟻が一蹴する。

「もしかして山に行かなくて良くなったのか?女王が大神殿に?」

「いいえ。どこにもいませんでした。これはトビト山しかないですね」

「この山に天使が居るのか?」

「そう伝えられています。天使が住んでいるので滅多に人間と接触しないんですよ困ったことに。目の前に見えるのに近づけない。手に入りそうで入らない愛の幻の様なもの」

「幻じゃ困るんだっつーの!!どうにかしろよテメー桔梗院だろ」

「あ、そういうの偏見って言うんですよ。貴方友達いないでしょ」

うんうん。と頷く小さな頭が平手で叩かれた。

「痛いなー!!性格悪いから友達いないんだよ」

「ウルセー!!」

「じゃ、行きましょうトビト山へ」

え?と二人は顔を見合わせた。アルグレスはどんどん先に進んでいく。

「待ってー」

脚の長さが違うので季緒は小走りで必死に着いていく。

「滅多に人間と接触しないって、天使が接触を拒むって意味か?生意気だぜ」

「山が人間と接触してくれないんです。自由気ままなんですよ~」

「山が?バカじゃねーの」

「ここから上りましょう」

小高い山がある。頂上へと伸びるであろう一本道が目の前にあった。やっと追いついた季緒が肩で息をしながら「山だ」と息を吐く。

緑が深い山道だった。道の両脇には腰まで草が生えており色とりどりの花も咲いている。

「この花今の季節に咲かないのに、不思議だなー。これって天使がいるからなのか?」

「そうかもしれませんねー。ここに住んでいる天使は陽気で快活なので召喚士様もすぐ仲良くなれると思いますよ」

「うわー楽しみだなー。何て名前?」

「名前は」

突如頭上に羽ばたきの音が轟き天上の影が差す。蟻はいつでも詠唱できるように身構えた。季緒はアルグレスの腕にしがみ付いている。

「そこに居るのは……アルグレスーー!!!アルグレェェェェスゥゥゥ」

張りのある大きな声が降り注いできた。アレグレスが大きく手を振って応える。

「こんにちはー。ラファエル久しぶりー」

「ラファエルだと…」

「うわー!!ホントに天使だー」

四大天使、第二天の支配者、太陽の天使とも表現される癒しを為すもの。ラファエル。

大きな羽を畳み地上に降り立った天使はまるで重さを感じさせなかった。黄金色の耿耿とした巻き毛が肩上まで伸びており薄茶の大きな瞳は季緒と蟻を興味深そうに見つめている。

目の前に立つ天使は目線が季緒と同じだった。視線があってお互いはにかんだ笑みを浮かべる。

「アルグレスの友達?僕はラファエルだよ」

「オレは季緒。宜しく」

「君は、人間だよね?うーん、何かが違う」

薄茶の瞳が細められて季緒の胸の辺りに向けられた。

「あー!!凄いねキオは召喚士だね」

「わかるの?!」

「だって僕天使だもーん」

「うわースゲー!!」

「キオは僕も召喚できるね。あー、でもちょっとパワーが足りないかな」

「そんなことあるのか?」

「あるよ。召喚士の技量によるもの。日々鍛錬だね頑張って」

「うん。頑張る」

ガッツポーズをする季緒の隣で蟻はまじまじとラファエルを見つめていた。

スゲー。この二日間で中級天使を二人も見たぜ。中級天使はまだ人型をとれるんだな。上級天使は化け物って聞くからな。

「ラファエルに聞きたいんですが、ここ最近で誰か連れてこられた人間はいませんかね」

「あー!!ウリエルと口論で勝った人間の女性のこと?あの女性は凄いよー。口喧嘩でウリエルに勝っちゃったんだもん。ウリエル落ち込んでたなー」

「その女性は今何処へ?」

「ウリエルがサマエルの所へ連れてっちゃったよ。問題ある?」

アルグレスが季緒に憐みの目を向ける。

「何?」

「サマエルは毒と死の天使と呼ばれています。これは厄介なことになりました。てっきりここでウリエルと戦っているかと思ったんですけどね~。まさか口喧嘩で天使を負かすとは、女王恐るべし」

「口喧嘩…」

琉韻と女王のトークバトルを想像したら、あっけなく琉韻が降参する絵が浮かんだので季緒の口元が緩んだ。

「なぁ、おっさん。何で女王がここに居るってわかったんだ?」

「……」

「……」

「……」

「ハッ!!おっさんって私のことですか?」

「お前以外にジジイがいるかぁ?ここには天使とガキとイイ男しかいないぜ」

猜疑の目が一斉に蟻に向けられた。

「自分でイイ男って言いますかぁ~。確かにその赤い髪と眼は人目を惹くとは思いますが」

「違うよ。蟻の見た目はもっとニヤニヤしてるよ。今の姿は梔子様がなんかしたんだ」

「ほお、全く違和感がない流石ですね」

「だーかーらー!!何で女王がここにいたんだよ!!ジジイ人の話聞いてんのかよ!!」

「失敬だなぁ。説明しますよ。このトビト山にはラファエルとウリエルが住んでいるんです」

「主に住んでるのは僕だよ。ウリエルは時々やってくるだけ」

「ラファエルは祝福の天使、ウリエルは破壊の天使です。このトビト山は裁定の場なんです。ラファエルによって癒される者、ウリエルによって永遠の業火で焼かれる者この2種しかありません。桔梗院が利用する裁きの間ってことですよ」

「桔梗院に害為すものが忽然と姿を消すって聞いたけど、この山で焼かれてたのか。永遠に焼かれ続けるならこの山から出られねーな。えげつないぜ」

「綺麗事だけではやっていけませんよ。貴方はよく御存知でしょう?」

蟻は目を逸らした。

「じゃあ、ここに焼かれてる人がいっぱい居るのか?」

季緒の大きく開かれた瞳で問われたラファエルは静かに答えた。

「僕は見たことはない。それはウリエルの領分だからね。僕は傷ついた人を癒して帰すだけ」

「この山ってそんなに広いのか?」

「ここは色々な空間に繋がっているんだよ。だからキオも迷子にならないように気を付けてね。地獄に繋がる路もあるから」

大公爵を思い出して季緒は思いっきり頭を振った。

「サマエルにはどこにいけば会えますかねぇ」

「そうだねぇ…。ウリエルもどこ行っちゃったんだろう。エデンかなーヴァルハラかなーエリュシオンかなーウリエルに聞けばすぐわかるんだけどねー」

どこかなーと考え込む天使に

「このガキがウリエルやらサマエルやらを召喚すればいーだろ」

蟻が一石を投じるが「無理」と一蹴された。

「コイツ召喚士様だろ?!何でも召喚できんだろーよ!!」

「今のキオでは無理だよ。ウリエルはセラフィムだもん」

蟻はアルグレスを睨んだ。

「私だって熾天使を召喚するのは難しいですよ。3日間くらいかかっちゃいますよ。ただでさえ天使は気位が高くて骨が折れるのに」

「テメー桔梗院だろう!!」

「またぁ、そういうの偏見って言うんですよ。貴方だって術師でしょうに」

「俺は元桔梗院だからいいんだよ」

「絶対友達いないね貴方」

「そうだよ」

同意する季緒の頭を蟻は小突く。

「ハッ!!もうこんな時間!!式典が始まってしまう。召喚士様私はこれで失礼します。また何か分かりましたら連絡しますよ」

「わかったありがとう」

また御馳走しますよーと手を振りながらアルグレスは消えた。

「アルグレスは忙しいんだねー。お喋りしたかったなー。キオは?お腹空いてない?一緒に食事しようよ」

「お腹空いたー」

ラファエルに着いて行こうとする首根っこを摑まえて季緒を持ち上げた蟻が言った。

「女王を探すのが先だクソガキ。王子が俺の帰りを待ってんだよ」

「琉韻が待ってるのはオレとミューレイジアムロイヤルファムエトだぞ」

「えー!!あの人間の女性ってミューレイジアムロイヤルファムエトだったの?!」

「そうだよ」

「そっかそっか。だからウリエルと互角に戦ってたんだねー。戦って勝敗がつかなくて口喧嘩してたんだよ。面白いよねー」

アハハハーと軽快に笑うので季緒もつられて笑ってしまった。

上級天使と謳われる熾天使と互角に戦うなんて女王は人間じゃねー恐ろしい。

蟻の笑いは引き攣っていた。

「エデンに行ってみなよ。ウリエルかサマエルがいる可能性が高いから。行き方わかる?」

エデンへの路を聞いて二人はラファエルと別れた。中腹にある小さな池の上がエデンへ続く路になっているらしい。

「桔梗院は女王を抹殺するつもりでここに連行したんだな。しかし女王は強かった。手を焼いたウリエルが死の天使に女王を預けたのか」

「ミューレイジアムロイヤルファムエトを誘拐したのって桔梗院だったんだ。天塔圏は関係ないのかな」

「光と影って言ったろ。桔梗院と天塔圏が結託して女王を亡き者にしようとした。そのうち天塔圏が桔梗院に吸収でもされるんじゃねーか。術の途を極めようとする目的は一緒なんだしな」

「桔梗院って何だろう」

「正義じゃねーのは確かだな」

季緒は蟻を見上げた。意外とまともなことを言っている。この男の口から正義という言葉を聞くとは。

「お前さぁ、地獄の大公爵を召喚してただろ。何で大公は召喚できて熾天使は召喚できねーんだよ」

嫌なことを思い出して顔を歪める。

「あの時はドラゴンを召喚したんだ。召喚しようと思って公爵を召喚したんじゃない」

偶然か。と蟻は鼻で笑った。

水の匂いがしてきた。ラファエルは小さな池と言っていたがそれは湖だった。

蟻は無意識に拳を握りしめる。

「まさかエデンに行く羽目になるとはな。待ってろよ王子様」

お前行けと季緒を先に追いやろうとする。

「ヤダよ!!先に行ってよ!!怖いよ」

「テメー召喚士様だろうや。行け!!」

「ヤダヤダ!!蟻が先に行け!!」

行け!嫌だ!の無駄な攻防を繰り返す。

「簡単じゃねーか。湖の中央まで泳いでいけば勝手にエデンに着くんだろ!!」

「オレは泳げない!!」

「ふざけんな!!人間の身体は浮くようんできてるんだぁぁ!!」

季緒の身体を持ち上げた蟻は湖の中央に向かって放り投げた。

「ぎゃああぁぁぁぁぁぁあああぁぁーーーー!!!」

空中に投げ出された季緒の身体をシルフィードが優しく抱き留めた。

「バカヤロー!!こんな時に召喚するんじゃねー!!」

罵声を聞きながら季緒は泣きじゃくっていた。シルフィードが優しく頭を撫でて慰めている。

「召喚するならサマエルを出せーーー!!!」

サマエルを出せーと木霊が聞こえてくる。

サマエルを出せーーー

サマエルを出せーー

サマエルを出せー

サマエルを

サマエルを

サマエル

サマエル

サマエル

サマエルサマエル

サマエルサマエルサマエルサマエル

「……嫌な予感するぜ」

シルフィードは蟻の傍に季緒を下ろし消えてしまった。

サマエルサマエルサマエルサマエルサマエルサマエルサマエルサマエルサマエル

木霊は響き続ける。

「耳が痛い」

泣きながら季緒は両耳を押さえた。

「お前がグズグズしているから最悪の事態になるかもな」

「蟻が先に行かないからだ」

いきなり湖の表面が炎に包まれ辺り一帯が灼熱と化した。

「熱っ!!」と二人は湖から離れた。

一瞬にして水が干上がり湖は大きな穴となってしまった。

気温が上昇し湿気で汗が流れてきた。

天空から大穴に向かって一筋の光が射した。眩しくて細められた目が二つの影を捕らえる。

否、一つは燃え盛る炎だった。もう一つの影は12枚の羽を羽ばたかせている。

熱くて涙も乾いた季緒が蟻の背中から恐る恐る異形の姿を覗き込む。

気温は熱いが背筋が凍る。蟻は震える両足に力を込めた。

来やがった!!熾天使と能天使御一行がよ!!

天使達は空中で停止し人間を見下ろしている。

季緒はサマエルと蟻を見比べて言った。

「被ってる…」

サマエルは12枚の純白にも虹色にも輝く羽と、真っ赤な髪に吊り上がった赫赫な瞳。輝く肌で逞しい上半身を披露している。両腕を組み切れ長の瞳で季緒を凝視している。

その隣には燃え尽きる様がなく燃え続ける大きな炎の塊。

「蟻の外見とあの天使の見た目は殆ど一緒だぞ。梔子様はこの事態を予測してたのかな?」

「紛らわしいことしてくれるぜ全く」

会話の音量もついつい小さくなってしまう。

「あの燃えてるヤツも天使なのか?」

「熾天使ウリエル様だろうよ。上級天使は怪異な風貌が多いと言われているからな」

「蟻と似てる方がサマエル?」

自分の名を囁かれサマエルが反応した。羽を閉じ地上に降り立ちゆっくりと近づいてくる。

蟻と季緒に緊張感が走る。

「赤き龍よ」

サマエルの動きが止まり天空を見上げる。

「炎が喋ったー!!」

気が抜けること言うな!と蟻に小突かれた。

「後は任せたぞ」

サマエルが頷いたのを確認するとウリエルは消えた。一気に温度が下がり湖も元通りになっていた。

人間達に向き合いサマエルは口を開いた。

「何故呼んだ?」

文字通り、呼ばれたのが聞こえたからサマエルは地上に姿を現したのだった。一緒にいたのでついでにウリエルも降りてきた。

「えぇ?呼んだから出てきたってワケか?なんだよーそれなら召喚なんて必要ねーじゃん」

笑う蟻にサマエルは無表情なままだった。笑いを引っ込めて蟻は一歩下がる。

「人間の女の人と会ったでしょう?その人今何処にいるんだ?」

季緒の震える声にサマエルは頷く。

無表情に頷いただけだった。

無言の時がしばし流れる。口を開かなそうなウリエルに焦れた季緒がもう一度質問しようとした間際、上空から元気の良い声が聞こえた。

「あー!!サマエル久しぶりー!!」

ラファエルの声にサマエルは頷く。

「急に暑くなったから何事かと思っちゃったよー。あれ?キオもいる。あー!サマエルがこっちに来てくれたんだ?」

どうなのだろうか?呼ばれたから出てきたとは言っていたが。

「ミューレイジアムロイヤルファムエトの行方は聞けた?」

季緒が首を振る。

「意地悪しないで教えてあげなよー」

サマエルの隣に降り立ち逞しい腕を突く。

「コイツ無口で無表情だから怖そうでしょー。でも全然怖くないんだよー」

なおもサマエルは無表情に季緒から視線を逸らさない。

「何何?キオが気になるの?」

「似ている。あの人に」

「あー!助けてくれたって人か!!その人召喚士って言ってたよね。じゃあキオと関係あるんじゃないの?」

不思議そうな顔をしている季緒にラファエルが説明した。

昔々、と言ってもそんな大昔ではなくてちょっと昔の話(くどい:蟻)。サマエルは能天使としての職務、悪魔と最前線で戦っていました。べリアルと戦っている時にこてんぱにやられ甘い毒牙に嵌まり狂おしく堕天の誘惑に蝕まれたその時!!サマエルは召喚されたのです!!そこは何もない森の中の一軒の家でした(森の中ってもしかして:季緒)。子供が蛇に噛まれて死にそうだというではありませんか!!母親は何故癒しの天使である僕ラファエルではなくてサマエルを召喚したのか謎ではありますが(毒には毒で解毒って考えたんだろう:蟻)。サマエルは小さき幼子の毒を取り除いてやりました。両腕に幼子を抱いているとべリアルによって注がれた甘い毒が消えていくのを感じたのです!!無垢な魂を導く己の使命の重要さを改めて実感しサマエルは力が漲るのを感じたのです!!無事に解毒を終えたサマエルの身体を母親は手当してくれました。優しさに触れてサマエルは益々天使である己を実感し天界へ帰っていったのです。はい、拍手(拍手:季緒)。

「その親子にキオが似てるっていうんだね?」

サマエルは頷く。

季緒に視線が集中した。

「それ……オレと母さんだと思う。母さんは最後の召喚士って言われてたみたいだし。オレ達森の中に住んでたし…」

「わー!!運命の再会だね!!良かったねサマエル」

サマエルは頷き季緒の前に立つ。

「お前も召喚士か。お前の為に召喚されよう。僕を召喚することを許す」

「あ、ありがと……」

手を差し伸べられて遠慮がちに握ったら、がっちりと力を込められた。

「痛い」

「これが痛いのか?」

人間への力加減は難しいとサマエルは柔らかく季緒の手を握る。

「良かったねー。これで一件落着だね」

ラファエルの笑顔に頷きサマエルは消えた。

「ねー、全然怖くないでしょ。無口だから誤解されやすいんだよ。能天使って戦ってばかりだからストレスたまるし荒んじゃうからねー無表情にもなるよねー」

「全然怖くなかった。仲良くなれそうな気がする」

笑顔で語らい合う季緒とラファエルに蟻の怒声が直撃する。

「バカヤロー!!一件も落着してねーじゃねーか!!女王の行方はどうーなってんだよ!!」

ハッと季緒の形相が悲壮に変わる。

忘れてた……

「召喚しろ召喚!!サマエルを呼び戻せ!!」

「わ、分かった」

季緒はサマエルサマエルと心の中で唱えたが一向に何も起こらない。

蟻はイライラと貧乏ゆすりを始めた。

「まだか!!」

「…全然反応がないよぉ」

蟻に蹴られながら季緒が情けない声を出す。

「アルグレスが言ってたでしょう。天使は気位が高くて骨が折れるって」

ニコニコとラファエルは二人を眺めている。

「天使は気紛れだよ。頑張れキオ。今ならエデンに追いかけて行ったほうが早いよ」

「オレは泳げない」

「無理矢理でも泳がせてやるよ」

近づいてくる蟻から季緒は必死に走って逃げる。その様子をラファエルは楽しそうに眺めていた。

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