第11話

国王の私室を辞してから琉韻は書庫へ向かっていた。自分の知らない允の隠された歴史があるのではないかと思うと自然に足が速くなる。

書庫へ続く西塔は立ち入り禁止区域が多く許可がないと入れない場所もある。

門番は琉韻を認め敬礼をして通路を通す。

「書庫の鍵を出してくれ」

間近に琉韻の顔を見た門番は真っ赤になりながら鍵の束から一つ取り出して手渡した。

「ありがとう。オレの事は記録しないでくれ」

悪戯っぽく微笑む琉韻に門番は最敬礼を送る。

薄暗い部屋は所々小窓が開いており風通しは抜群だった。思ったよりも肌寒い。

以前に地下通路の書を見つけた辺りから探してみる。

黒く、蜜蝋で封をされた書が気になった。身に着けているグラディウスで封印を破る。

精霊と悪魔の召喚術が詳しく書いてあり、72柱の魔王の紹介もあった。

「これだーー!!」

黒い書を小脇に抱え、琉韻は書庫を後にした。

物凄い勢いで聖祈塔へ向かう。が、塔の直前で聖騎士達が見張りをしていた。

「本日は災いがある為に何人たりとも聖祈塔への出入りは禁止されています」

前を塞ぐ聖騎士達の中に昨夜見た顔もあった。

「昨日は大変だったな。まさか光明神が落ちてくるとは思わなかった」

「お疲れ様でございました。昨夜の流れ星は大きかったですね。塔に被害が無くて幸いでした」

「あれは光明神だぞ。光る人型を見たであろう」

「輝ける星です」

「歩いて倒れたではないか!」

「流れ星が落ちてきたのです」

「……」

「……」

これ以上は埒が明かないと、大きく息を吸い込んだ。

「合言葉はギャラルホンだーーー!!」

それだけ大声で叫び満足そうに今来た道を戻っていった。

「……今のは何だったんでしょうか?」

「さぁ?合言葉?」

聖騎士たちは何度も首を捻っていた。

騎士塔へ続く道を逸れて小高い丘を目指す。その途中で細い獣道を抜けると大きな木があった。根元に座り込み琉韻はひたすら待った。

最近決めた新しい密会場所である。大聖堂へ行けば堂々と季緒に会えると知ってから密会場所は不要かと思われたが、不測の事態を予想して新たな場所を定めたのである。

「こんなに早く使うことになるとはな」

ギャラルホンは世界の終わりを告げる黄金の角笛のことだ。普段は世界樹ユグドラシルの根元に隠されていると伝えられている伝説のアイテム。

この木の下に在ったら面白いな。と話していたばかりなのだった。

聖祈塔から脱出するのは大変そうだなと琉韻が欠伸をすると、空気の密度が変化した。

圧迫感が迫ってくる。

どこからだ?左斜め前方!!

目の前の空気が着色されたような錯覚が起きる。

いや、錯覚ではない。確かに色が着いてきている。黒と白、徐々に人型へと変わっていく。

琉韻は驚きに声も出なかった。

「…できた」

目の前で季緒が不思議そうな顔をしている。

「できた…できた。できた!!」

小躍りする季緒の腕を掴む。確かに、実体だ。

「凄いぞ。季緒」

季緒を抱きかかえて一緒に勢いよく回転する。

酔って根元に倒れ込んだ2人は木の幹にもたれかかりしばし休憩をした。

琉韻は父親とのやりとりを伝え「見せたいものがある」と黒い書を開く。

季緒は怪訝な顔で字を追っている。

「大公の項目を読んでみろ」

ASTAROTH あらゆる秘密を知る

季緒が心底嫌そうな顔で琉韻を睨んだ。

「この話は無かったことに」

「何故だ?!神の座の秘密が分かるかもしれないんだぞ」

「二度と大公には逢いたくない。オレ操られちゃうよ」

情けない声で季緒が訴えた。アスタロトには名前を知られているのだ。

「それにアスタロト公は怠惰を司る魔人って梔子様が言ってたぞ。色々やる気がなくなるから嫌なんだ」

「それは季緒がアスタロト公に憑りつかれた場合だろうに。ちょっと召喚してささっと秘密を聞いてさらっとお戻り戴けばいいだろう」

「あの大公がちゃんと言う事きいてくれると思ってるのか?意地悪なんだぞ。バロックでバジリスクと会った時は本当に死にそうになったんだからな」

うーん…と琉韻は腕を組んで考え込む。

「ではこのPAIMONはどうだ?」

「…どうせ意地悪なんだよきっと」

「梔子様に聞いてみよう。きっとこのPAIMONもご存知のはずだ」

琉韻は季緒の手を握る。季緒は聖祈塔の自室を思い浮かべた。

軽い圧迫感と眩暈が襲い目を瞑る。急に重力を意識して目を開けると、先程まで居た自室であった。

「あれ?琉韻?」

手を繋いでいたはずの琉韻の姿がない。

空間移動は高度な術。術師の技量がないと自分以外を運べないのである。

琉韻怒ってるだろうなー。と思いながら梔子の部屋に向かった。

促されて部屋に入ると梔子は笑顔で迎えてくれた。

「おめでとう季緒。空間を移動できましたね」

「そうなんです!!できました。でも琉韻も一緒は無理でした。…何でご存知なんですか?」

「季緒のことですから塔を抜け出すと思っていました」

ばつが悪そうな季緒を椅子に座らせ準備していたお茶を出す。

「PAIMONって悪魔ですよね」

「ええ。72柱の魔王です。まさか召喚するつもりですか?アスタロト大公も手に余ったのに?」

とても痛いところを突かれた。

「…神の座を…知りたくて」

俯いてしまった季緒に梔子は優しく語りかける。

「国の中枢に関与する事柄かもしれません。允には允の事情があるのでしょう」

「梔子様は知りたくないんですか?」

「知ってはいけないこともあるんですよ。今回の件はどう考えても不測の事態です。1番お困りなのは国王陛下ではないでしょうか。王太子殿下が国王になられた時に聞いてみてはいかがですか」

「…はい」

しょぼくれて一回り小さくなった季緒に声をかけようとしたら

「琉韻が国王になってから聞けばいいんですよね!!それまで我慢します!!」

お茶を飲み「美味しい」と笑ったのでつられて笑顔になる。

「王太子殿下は今どちらで?」

「それは、えーっと、秘密の場所なので言えません。多分騎士塔へ戻ってると思います」

そうですか、と梔子もお茶を飲む。


琉韻が珍しく東塔の私室で細々とした作業をしていると、睡蓮が来客を告げに来た。

「琉韻様をお世話していた等宣っていますが、如何なさいますか」

相変わらず無表情の睡蓮は淡々と話す。

「もしかして男か?」

「はい。身なりは整っておりました。自称世界を渡る商人だそうです」

お世話していたという押しつけがましい言い方に一人だけ心当たりがあった。

「謁見の間で会おう。梔子様に同席を頼みたい。オレは準備するものがあるから頼んだ」

「御意」

睡蓮が下っていく姿を確認して琉韻は奥の部屋へ急いだ。

梔子は季緒を伴って雅羅南城謁見の間へ入っていった。

何部屋もある謁見の間の、最もこじんまりした部屋で2人はソファに腰掛けて待った。

高い天井には剣とドラゴンのステンドグラスが飾られており陽光を注いでいる。

2人は美しいステンドグラスを見上げて呟いた。

「このドラゴンは何ですか?」

「純白の体ですから、白龍でしょうかねぇ。最も速く跳べる龍です」

「へー。白いドラゴンって珍しいですね。この剣琉韻が持ってる剣に似てる。ドラゴンスレイヤーだ」

「ドラゴンスレイヤー…」

魔術の援護があったとはいえ、たった一人剣でリンドドレイクを倒した王子の度胸と腕に梔子は改めて感嘆した。

允は今後も発展していくんでしょうね。王太子殿下と召喚士と共に。

扉が開き黒い宮廷服を身についている琉韻が入室する。聖騎士の白い制服とは正反対だが白い肌と紫色の瞳が映えている。

「来訪者は蟻だろう」

琉韻の一言に季緒が「うぇぇぇ」と心底嫌そうな声を発した。

「会いたくないのはやまやまだが、アイツには世話になったし借りもある。しかし相当な術の遣い手だから梔子様に同席を願いました。宜しくお願いします」

「ご心配なく」

扉の向こうから睡蓮が入室の許可を求めてきた。

「どうぞ」

琉韻の声に扉が開かれて、睡蓮が来客を中へと促し外扉の横で待機した。

「お久しぶりでございます。琉韻王子殿下。御尊顔を拝せ至極恐悦でございます」

跪いて礼を取る姿は予想外に紳士だった。子供達はポカンと口を開けている。

暗緑色の髪に日焼けした肌、琥珀色のタレ目は変わらないのに。

キッチリと着込んだベストとジュストコールのせいだろうか。豪華な刺繍のカフスが儲かってる商人っぽさを引き立てている。

琉韻の前に立ちニヤリと口元を上げる。

「よう、俺の王子様。今日の服は一段と色っぽいな。あんたの肌が艶めかしく見えるぜ」

ニヤニヤ笑う姿に「蟻だーー!!」と子供達は叫んだ。

季緒は琉韻を守るように2人の間に割り入った。

「変態!何の用だ」

「ガキに用はねーんだよ。引っ込んでろ」

睨み合う大人と子供を梔子が宥める。

琉韻が懐から麻袋を取り出し蟻に突き出す。

「遅くなったな。約束の残金だ受け取ってくれ。多少なりとも世話になった感謝する」

素直な謝礼に蟻は目元を赤くして琉韻の手から麻袋を受け取る。

「俺は別に催促に来たわけじゃねーけど、戴いとくよ。折角王子がくれるって言ってたもんだし。さぁ、本題に入ろうか」

まだ居るつもりか?と睨まれたが蟻は気にせずソファに腰掛けた。

しぶしぶ琉韻も向かい合って腰掛ける。その後ろのソファに梔子と季緒は座った。

「王子様がさぁ、魏杏国に来たのはミューレイジアムロイヤルファムエトに会う為って言ってたからワザワザ来てやったんだぜ。あの後女王には会えたのか?」

まぁ…と曖昧な返事をすると、会う理由は何だ?会って何をした?女王を何故知っている?としつこく質問するので「本題は?」と話を進めた。

「天塔圏で下剋上が起きてんだ。ミューレイジアムロイヤルファムエトが天塔圏を解体するって言い出してパニックが起きてさー、女王が行方不明だってさ。№2が天塔圏を継続するって宣言しちゃってんだけど女王の姿が消えたんだぜ。元々人前に姿を現さなかったけど、幹部の野郎共が女王が消えたって騒いでるから消されたんじゃねーのか」

季緒は琉韻の傍に寄り添って手を握った。呼吸が止まっていた琉韻が大きく息を吸う。

その様子を見て蟻は、王子と女王は恋仲だったかと疑惑を深めた。

まぁ、王子様が女王とどうなろうが俺は王子様をヤレたらいいだけだしな。

何故か胸が少し傷んだが蟻は気にしないことにした。

「ミューレイジアムロイヤルファムエトは世界一の術の遣い手ですよ。天塔圏の術師が束になっても敵わないのでは?」

「お!梔子卿。允国民になったんだってな。俺もここに住みてーなー融通してくれないか」

「真っ当な商人になる意志があるなら口添えすることは構いませんよ」

「それは無理な相談だ。今の仕事以上に稼げるモンなんてあるわきゃない」

「行方不明とは事実なのか?」

王子の強張った声がした。

「ああ。解体宣言の時に術師の前に姿を現したそうだ。そこで初めて女王の姿を見た奴が多かったんだろう。何て言ったんだっけ、確か…今後天塔圏を名乗るのを禁ずるとか何とか…天塔圏に縋りつく者は自ら破滅を選ぶことになるだろうとか。天塔圏はただの術師の集団であって国を持ってるわけでもないし、女王を勝手にオマージュしていた奴らの集団だからな。今まで傍観していた女王が勝手に解体を言い出したのを良く思わない奴らがいたってことだ。一人の手には負えない位強大な集団になっちまってたってことだな」

俯いてしまった琉韻の肩に流れる黒髪を愛でながら蟻は喋り続けた。

「これだけ伝えにきたんだ。さて、王子様本題だ」

「さっきも本題って言ったぞ」

季緒の突っ込みは無視して話続けた。

「王子様が女王を探しに行くなら俺も付き合ってやってもいい。俺は天塔圏とも付き合いがあるし表も裏も知っている。そこの清廉潔白な術師と違って役に立つと思うぜ」

琉韻の手に力が入った。季緒もキュッと握りしめる。

「俺は商人だから手助けする代価が欲しい。王子様の身体だ。減るもんじゃないし悪い取引じゃないだろう?」

目線を上げ自分を見つめる紫色の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。蒼白な肌に潤んだ瞳ときつく結ばれた赤い唇。

その壮絶な健気さと色気に蟻は眩暈がしそうだった。

「滞在する部屋を用意する。睡蓮が案内するだろう」

そう言い残して琉韻は部屋を出て行った。入れ替わりで入室した睡蓮が蟻をどこかへ案内する。

部屋には重い沈黙が残された。

「ミューレイジアムロイヤルファムエトの件を聞いて王太子殿下に知らせようとすぐに允に駆け付けたんでしょうね。私ですらまだ耳にしていなかった話です」

「一昨日会ったのに…」

未練がましく夜空を見上げる後ろ姿を思い出して季緒は切なくなった。

話の真偽を確かめると聖祈塔へ梔子は戻り、季緒は東塔へと足を進めた。

「召喚士様」と城の者達が頭を下げる。礼を返しながら琉韻の私室へ辿り着いた。

ノックをしても何の反応もなかった。しつこく何度か叩いた末中へ入るが部屋には誰もいなかった。奥の部屋も覗いてみたが人がいた気配すらしない。

「どこ行ったんだ…」

琉韻が行きそうな場所を思い浮かべて部屋を後にする。

長く続く階段の先には衛兵が所在なさげに佇んでいた。季緒に気付き頭を下げる。

「居ますよね?」

「はぁ…どうなさったんですか?」

「気分転換です」

重い扉を開けたら太陽の光が刺さってきた。眩しさに思わず目を瞑る。空が近い。

祈るように両手を顔の前で組んで目を閉じている姿は神々しくさえ感じられた。長い髪が陽光を跳ね返し煌めいている。

何と声をかけようか迷っている季緒に

「呼んでいるんだ」

と暗い声がかけられる。

隣に立って季緒は空を見上げた。

見張り台は狭い。小さい季緒の身体でも二人並ぶと窮屈に感じてしまう。

この空は世界の隅々に繋がっている。

女王の無事を祈り始めた。


蟻が案内された来賓の館は雅羅南城とは距離があった。来賓客を宿泊させるためだけの館であって城へ繋がっている渡り通路には衛兵がいるので用もなく城へは立ち入りできない。

蟻は中庭をブラブラと歩いている。

ここが王子様が育った場所か…

琉韻の姿を求め遠視を試みると上空に近い場所に気配を感じた。

狭い見張り台に召喚士と2人、空を見上げている。

「綺麗だな」

風に靡く漆黒の髪も、透き通る白い肌も、宝石よりも煌く紫の瞳も、鮮やかな赤い唇も、痩身に長い手足、意思の宿った視線、素直な性格も、全てが蟻の心を打って止まない。琉韻が消えて必死に探していたら、風の噂で允に戻ったと聞いた。どうやって会いにいこうか考えていたら天塔圏の下克上が起きた。

王子は召喚士と何か話し始めた。それを盗み聞きする。

「レイを助けに行く」

「まだ本当に行方不明って決まったわけじゃないだろう。梔子様が調べてくれるよ。それを待とう」

「…そうだな」

梔子卿か…やけに允に、召喚士に肩入れしているんだよな。允国民にもなっちゃってるし。一体あのガキに何があるんだ…

「召喚士は唯一になってしまいましたからね。気高き血統を護るためですよ」

蟻は咄嗟に空間移動をして5m先に身体を移した。

自分が元居た場所には瘠せ過ぎの男が優雅に笑みを浮かべている。

「驚かせないで下さいよ。寿命が縮まるじゃないですか」

ゆっくりと元の場所へ歩く。

「盗み見はお行儀が悪いですよ。貴方も恋に狂う男だったんですね」

「恋?馬鹿馬鹿しい。美しい者を手に入れて弄びたいだけです」

口角を上げて蟻は梔子を真正面から睨んだ。

笑みを崩さず梔子はその視線を流す。

「女王失踪は真実らしいですね。世界一の術の遣い手をかどかわせる者はこの世に少なくない。見当は付きますが、私の元の身分が邪魔をする」

「桔梗院次期頭領。桔梗院創立メンバーである貴方が何故允に永住したんですか」

「私が創立者の一人と知っているとは珍しいですね。流石棕櫚の第一弟、アマリリス」

蟻の顔が真っ赤になった。

「うわー!!その名で呼ぶのはカンベンしてくれよーー!!最悪だ!!」

頭を搔き毟る姿を梔子は笑って眺めていた。

「貴方の質問の答えがこれです」

「……術師は例外無く意地が悪いぜ最低だ」

「王太子殿下は女王を探しにいくつもりでしょうが、叶わないでしょう。すると使命感に燃えた季緒が出国することになる。私が着いていければ良いのですが諸事情で難しそうです。天塔圏の攻撃が允や王太子殿下に向かわないとも限らないのでここで守護をしたいのです。季緒はある意味世界最強ですが世界最弱でもある。召喚している間は無防備になりますからね。自己を守る手立てがない。召喚士が絶滅に辿った原因はガーディアンに恵まれなかったからです。召喚士と守護者は一対でなければいけません。幸い季緒には王太子殿下がいらっしゃいますが、今回ばかりは王太子殿下はいかなる手段でも出国を阻止されるでしょう」

「召喚士のガキが探しに行くとは限らないだろ」

「行くと言いますよ。あの子なら」

そんなもんかね~と蟻は見張り塔の方向に目を向けた。

「そこで、貴方に相談があります」

梔子は一層鮮やかに微笑んだ。


梔子が琉韻の私室を訪れたら心配そうな季緒も一緒に居た。

部屋に入るなり梔子は口を開く。

「女王失踪は真実です。天塔圏の幹部が必死に捜索している様子です」

琉韻は立ち上がり駆け出そうとする。

「どこへ行かれますか。王太子殿下は允から出てはなりません。天塔圏の呪詛が貴方と允へ向けられる可能性があります。王太子殿下の身の安全を図るためにも允から出てはなりません」

「呪詛?」

「女王が解体を宣言した理由を天塔圏は調査するでしょう。いずれ王太子殿下に辿り着く。王太子殿下を恨むのは筋違いかと思われますが、必死な者は藁をも掴みます。憤りを他者に求めるのは人間の常。何かに責任を押しつけたがるのです。ですから王太子殿下は允にいらっしゃって下さい。私がお護り致します」

「……」

思いもかけない言葉を聞いて黙り込む琉韻を一瞥し季緒も立ちあがる。

「オレが行って探し出す!!絶対見つけて連れてくるよ琉韻」

やっぱり、と梔子は暖かい目で季緒を眺めた。

「危険だ。恐らく天塔圏を相手にする。季緒には無理だ」

「無理じゃない!!」

「無理だ」

「無理じゃない!!」

「治癒と移動だけで攻撃ができないだろう!!危険すぎる」

「術が遣えない琉韻には言われたくない!!治癒と移動と幻獣がいれば充分だ!!」

「馬鹿なことを言うな!!攻撃されたらどうやって自分の身を守る?!」

「琉韻こそ魔術のセンスがないくせにウルサイなぁ!!戦いに行くわけじゃない」

「戦いになる可能性は大いにあるんだぞ!!」

言い合いから罵り合いに発展しそうな子供達を後目に梔子は外で待っていた人物を招いた。

「お前は!!」

蟻を見て季緒と琉韻は身構えた。

ニヤニヤ笑いながらヒラヒラと右手を振って梔子の横に立つ。

「彼を私が雇ました。季緒の守護と対する攻撃の無効化が条件です。術と術の壮絶な戦いになるかと思われますので、季緒と共に行動してもらいます」

「えーー!!嫌です。こんな変態と一緒にいたくありません」

「女王を探すには季緒1人では無理です。すぐ死んでしまいますよ」

ニッコリと笑いながら物騒な言葉を放つ。

「季緒には明日から魏杏国へ行ってもらいます。名目は聖祈塔と魏杏国術師連アシッドとの交流です。滞在は1週間。スケジュールはアシッドの者に伝えておきましたので彼らの指示通りに過ごして下さい。午後からは大抵自由に時間が使えますので女王を探しなさい」

この短時間にそこまで手配をするとは、やはり桔梗院梔子侮れん。

と蟻は隣の優男風を一瞥し、目の前の琉韻に微笑む。

「王子様。俺が王子様の為にこのガキと行ってやるから感謝しろよな」

尊大な物言いに季緒が蟻の脛に蹴りを入れる。軽く蟻は避ける。

「明日とは…急な話だな。よし、準備するぞ!!」

琉韻は季緒の腕を掴み奥の部屋へと入って行った。後に続こうとする蟻を梔子が止める。

「私達も打ち合わせをしなければいけません。聖祈塔へご案内しましょう」


聖祈塔の大聖堂で2人は祈りを捧げた。

紺碧の光が注ぎ込む幻想的な空間に2人の輪郭が浮かび上がっている。

「美しい聖堂ですね。さすが始まりの国允王国。紋章が鳳凰とグリフォンなんだな」

「グリフォンは聖騎士団で鳳凰が国です」

「へー。允の聖騎士団は最も古い歴史があって格式高いもんな強くないけど」

「王太子殿下がいらっしゃるからこれから強くなりますよ」

「あー、王子様ドランゴンも倒しちゃったもんなー。生身の身体でスゲーよな。ドラゴンスレイヤーも持ってるしなー」

リンドドレイクを倒した雄姿を思い出して蟻の胸が熱くなった。

「貴方の実力がどれ程か試させてもらいます。私の可愛い弟子を預けるのですから。お手並拝見です」

梔子の目が鋭く蟻を睨みつける。

「ハッ、時期頭領とまで言われていた男とヤレるなんて光栄だぜ」

足もとが揺れて平衡感覚が混乱した。蟻は片膝を立て身を低くして様子を探る。

瞬きよりも刹那の瞬間に梔子の横に何かが侍っていた。

何枚もの羽を持ち多数の眼を持つ姿。金色の長い髪はそれ自体が発光している。純白の甲冑を身につけ左手に純白の楯、右手には鞭を持っている。

「……輝く姿に羽。甲冑に鞭を持っているなら能天使か…」

「ええ。ポテスタナスに降臨願いました」

「しかも最も力を発揮すると伝えられている古の姿か…手合せには少々やり過ぎじゃねーのか」

にっこりと微笑む梔子の横でポテスタナスが羽ばたいた。複数の眼が閉じられ燃えるような二つの瞳が蟻を見据える。

魔法円もなしに中級天使を召喚するとは流石次期頭領様だぜ。こりゃあちょっとヤバい。

蟻は目の前の空中に護符を刻み身を守る事に集中した。

ポテスタナスの鞭が風を切る音がする、と同時に蟻の前の護符が砕け散る。とっさに五重に護符を刻み直し次の攻撃に備える。

鞭が護符を捉える度に護符を刻むが、消耗が激しい。

何だよー梔子卿はここで俺を始末するつもりなのか?!契約はどうなってんだ!!

恨み事を垂れ流しながら蟻は光槍閃光の呪文をポテスタナスに向けて唱えた。何十もの光の槍がポテスタナスを襲うが鞭の一振りで光が砕け散る。その隙に蟻は離れて観戦していた梔子に向かって走り出した。

「召喚者には攻撃できないだろう!!いくら能天使でも。召喚者がいなくなったらお前も消えちまうぜ」

梔子を楯に身を隠す。

「悪知恵が働きますね」

呆れながら梔子は感心した。

梔子と蟻を燃える眼で捉えたポテスタナスは躊躇なく鞭を振るう。

「おいっ!!嘘だろー!!攻撃するのかよー!!」

情けない声を上げて蟻は空間移動しようとしたが何も起きなかった。

鞭は梔子を避けて蟻の左肩を抉る。突き刺さる痛みに身体中が痺れ一瞬目の前がぼやけたがすぐに治癒呪文を唱える。その隙を見逃さず鞭が蟻に走る。

「痛てーーー!!」

ヤバイ!!!ヤバイ!!!能天使は容赦ねぇ!!!

「願わくは地獄の猟犬ヘルハウンド召喚誓願」

超短縮で詠唱したせいで蟻の体力が一気に消耗し立っていられなくなった。

とにかく時間を稼いで治癒しねーとマジで死ぬ!!

左肩と右腕からの大量出血を止める。蟻の周りの空気が熱くなっていく。不気味な唸り声が轟き子牛程の大きさの黒い犬の姿が現れた。目には炎が宿り口から炎の息を吐いているヘルバウンド。ポテスタナスはヘルバウンドを見下ろしている。

目にも留らぬ速さで振り下ろされた鞭はヘルバウンドの頭部を砕いた。黒い犬の体も消滅する。

「嘘だろーーー!!秒殺かよ!!」

「惜しいですね。せめてケルベロスを召喚していればもっと時間が稼げたかもしれませんよ」

おっとりとした口調の傍観者を蟻は睨む。出血は止めたので立ち上がり、容赦ない能天使を見上げた。

閉じられていた多数の目が開かれる。全てが真っ赤に燃え上がり蟻を絡め取る。視線の多さに蟻は悪酔いし始めた。三半規管がグラグラと揺れているようだ。

「もういいでしょう」

梔子の言葉と共に視線が緩みポテスタナスの姿が消えた。

蟻の身体が軽くなって大きく息を吐く。額に浮いた脂汗を手で拭う。

「吐きそう」

「どうぞお座りになってください。椅子は沢山ありますよ」

蟻が長椅子に座ると、奥の扉から神官の姿をした者達が飛び出してきた。

「何事ですか梔子様。ただならぬ気配を感じましたが」

「もしかして召喚ですか?!」

「ええ。能天使を」

「私達にも教えて下さいよー。次に召喚する時は呼んでくれるって仰ったのにぃ」

「すみません。皆さんに伝える時間がなくて」

「能天使ってパワーズですよね!!悪魔と直接戦闘するって言われている。うわーこの目で見たかったなー」

和気藹々と会話を弾ませる姿を蟻はただ眺めていた。

梔子卿、溶け込んでるぜ…

「あれ?季緒はどこ行ったんですか?」

「季緒は明日から魏杏国へ交流に出かけることになりましたのでその準備をしています」

「魏杏国へですか?それまた急な話ですね」

神官の一人がだるそうに椅子に座っている蟻に目をやった。それに気づき梔子が蟻を紹介する。

「魏杏国では彼が季緒をエスコートしてくださいます。彼も元桔梗院ですからかなりの術の遣い手です」

「凄いですねー桔梗院の方が2人も」

お名前は?と問われ蟻が口を開こうとすると

「アマリリスです」

と横から梔子が口を挟む。蟻は顔を真っ赤にして無言で睨みつける。

「打ち合わせもありますので私達は失礼します」

立て。と言わんばかりに一瞥されだるそうに蟻も立ちあがって梔子の後に着いて行った。

「おい。俺はその名前は捨てたんだ。無暗矢鱈に言いふらされたら困る」

「聖祈塔の神官は口が固いんですよ。そもそも他者と交流がありませんのでご心配なく」

最上階の梔子の部屋に入ると蟻は歓声を上げた。

「すげー。門外不出の秘術古書が揃ってるぜ!!ん?揃ってる?」

不審な目を向けるが梔子は我関せずとお茶の準備をしていた。

「あんた大したヤローだな」

「褒め言葉と受け取っておきましょう」

テーブルにお茶と菓子をセットして「さて」と蟻を矯めつ眇めつする。

「貴方の悪名は魏杏国には轟きすぎているんですよね。その容姿と共に」

「俺は有名だからさ。仕方ねーよ」

「少々手を加えましょう」

神官たちは上階から聞こえてくる男の悲鳴に気づき様子を見に行こうとしたが、最上階には梔子がいるはずなので気にせず掃除の続きをした。


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