第9話

刹那を惜しむかの様に二人の身体が離れていく。

「あなたのことは何と呼べばいいんだ?」

「お好きなように王子様」

「………レイ」

「気に入ったわ琉韻」

「喜んでくれて良かった」

再び二人は抱き合った。

ミューレイジアムロイヤルファムエトの手が下半身に伸びて、琉韻の身体が大きく反応する。

「ベッドへ行きましょう」

甘い言葉に、甘い息で誘われて、琉韻は翠色の瞳を見つめた。

「……何故だ?オレはまだ眠くないぞ」

女の目が大きく開かれ、大きな笑い声が部屋中に響き渡った。

「琉韻、貴方いくつだったかしら?」

「19」

抱き合ったまま笑いの収まらないミューレイジアムロイヤルファムエトに琉韻は唇を尖らせた。

「何を笑っている!?」

「何でもないわ。貴方って正真正銘の王子様なのね。折角女からベッドに誘ったのに、あんな事いうなんて」

クスクスと笑い続ける。

やっと意味に気付いた琉韻が顔を真っ赤にして反論する。

「それは婚前に性交渉をしたいという意味か?!そういった事は結婚した相手とだけするものだぞ!!はしたない!!」

琉韻の剣幕にミューレイジアムロイヤルファムエトは呆然とする。

「…本当に王子なのね…そうね。そうよね…」

何かに納得したミューレイジアムロイヤルファムエトはソファへ琉韻を誘う。


「以前にレイが言った、允が欲しいとはどういうことだ?」

「意味なんてないわ。生まれ故郷に帰りたかっただけよ。魔術発祥の地でありながら魔術をないがしろにしている国がふがいないとも思っただけ」

「そうか、生まれはどこだ?北か?西か?」

「言ってもわからないと思うわ。その頃の允はあまり整備もされていなかったもの」

それでも大体の場所を聞き出した王子は、しきりと頭を傾げていた。

「昔は允も魔術が溢れていたんだよな」

地下通路を思い出し若き王子は思いを馳せる。

全てが生まれし始まりの国とスプリガンも言っていた。允は自分が感じていたよりも壮大な国だったのかもしれない。

召喚士である季緒が允の森の中に住んでいたのも何かしらの縁を感じる。

季緒!!忘れていた!!置き去りにしてしまった!!

後で謝ろうと、琉韻は隣に座る女王を改めて見つめ胸を熱くする。

恋とは、こんなに苦しくて痺れるものなのか。

「結婚しよう」

突然の台詞にミューレイジアムロイヤルファムエトの動きが止まる。

「貴方って…この短時間で私を何度驚かせれば気が済むのかしら?」

まんざらでもなさそうに笑う姿に琉韻の胸が満たされる。

「允が欲しいんだろう?結婚すれば允はオレとレイのものになる。2人で允を導こう。子供は3人、いや5人だ。後継者争いに巻き込まれる子供たちは見たくないから、早々に次王を定めておくのだ。他の子供たちには領地を与えよう。オレ達の子供が王になったならば2人で城を離れて季緒が住んでいた森にでも住んで日々の糧を耕し、酒を飲みながら夕日を眺めるのはどうだ?」

勿論夜は抱き合って眠るのだ。と頬を赤くして熱く語る王子の姿にミューレイジアムロイヤルファムエトの胸はときめいた。

王子がキラキラと輝いて見える。眩し過ぎると感じた。

「返事は急がなくていい。オレもまだまだ未熟者だからな」

微笑んだミューレイジアムロイヤルファムエトの笑顔が少し寂し気だと琉韻は感じた。

「私と結婚なんて、貴方の国が許すかしら?」

「許すだろう。レイは允の生まれだし、オレの母上はナイアデスらしいからな」

ミューレイジアムロイヤルファムエトはゆっくりと流韻を見上げた。

「…驚いたわ…群を抜いた美貌だと思っていたけれども、ナイアデス…」

冷たい指先が琉韻の頬に触れた。

「だから貴方はまっすぐなのね。人間特有の醜さが目立たないもの」

「オレは褒められているのか?」

「勿論よ」

大輪の薔薇のような笑みに琉韻は華奢な身体を思いっきり抱き締めた。

甘い香りを吸い込みながら琉韻は今後の人生設計を語る。

「母上が妖精なんだぞ。レイは人間だから何も問題はない」

「……年の差が500歳以上あるのよ」

琉韻の胸に頭を預けてミューレイジアムロイヤルファムエトは面白そうに言った。

「オレより年下に見えるから問題ない。後は…、あっ!!」

耳元で大声を出されて琉韻の身体を遠ざけたミューレイジアムロイヤルファムエトは手首を掴まれた。

「何故季緒の母上を殺したんだ?あれは天塔圏の仕業だろう?」

「私は知らないわ。何者かが勝手にやっただけよ。本当に天塔圏の仕業?」

「黒いローブ姿でオレが斬ったら身体がボロボロ崩れて消えた」

「…術師ね。天塔圏か桔梗院だわ」

そうか、桔梗院…と俯いてしまった王子にミューレイジアムロイヤルファムエトは口付ける。

「貴方への愛の証に、天塔圏を殲滅しましょうか?この天の塔ごと」

ついでに桔梗院も。と可憐に笑う姿に琉韻は頭を振る。

「殲滅など軽々しく申すものではない。言葉には責任があるんだ」

紫色の瞳に真っ直ぐに見つめられて、ミューレイジアムロイヤルファムエトは思わず頷いた。心臓の鼓動が煩い。

不意に王子の体重が掛かりソファに押し倒された。

「レイはいい香りがする」

首元に鼻をうずめ王子は呟く。

驚いて声が出なかったミューレイジアムロイヤルファムエトだったが、絹の様な黒髪を優しく撫でてやった。

「ねぇ、琉韻。婚前交渉はしないんじゃなかったの?」

「……」

「琉韻?」

規則正しい寝息が聞こえてきた。酒が廻ったのである。

思いがけず子供っぽい寝顔が可愛くて微笑んだ。見た目よりも筋肉質な背中を両手で抱いてうっとりと目を閉じた。


大神殿の真下では大小の影が立ち竦んでいた。

「琉韻が居るとしたら、きっとこの中ですよね」

「そうですね。強力な結界が張られているので正面から入るしかなさそうです」

大きなガラス張りの扉からは禍々しい空気が流れていた。

意を決して季緒は一歩踏み出したら、足が勝手に進み始めた。

「あれ?あれ?あれ?」

後ろから梔子が追ってくる。

大神殿の大きな入口を迂回して、真後ろにある小さな扉に手をかける。

すんなりと扉が開いた。

「!!」

本棚とベッドとソファにテーブルがあるだけの質素な部屋だった。

先ず目に入ったのが、金色の髪が眩しく輝く美貌の少女。

そしてソファに横たわっている美しい青年。

「琉韻!!」

「ミューレイジアムロイヤルファムエト」

二人の声が重なった。

「どうぞ。お入りになって」

足を進めると勝手に扉が閉まった。

「琉韻に何をした」

「持って帰ってほしいの。この酔っ払いを」

楽しそうに笑う少女の顔は艶やかだった。

「酔っ払い…」

「王太子殿下はアスタロト公とともに結構な量を呑まれてましたからね」

「もう!!心配したんだぞ」

季緒はソファに横になっている琉韻の頬をペチペチと叩く。

「起きろ!!るいーん!!おい!!」

微動だにしない手の甲をツネってみたが全く反応しなかった。

「私がお運びしましょう。季緒は彼女に話があるんではないですか?」

季緒がミューレイジアムロイヤルファムエトと向かい合った。

「ごきげんよう。召喚士様」

「ご、ごきげんよう」

律儀に挨拶を返す愛弟子を温かい目で梔子は見守った。

「何で母さんを殺したんだ」

「私はやっていないわ」

「仲間がやったんだろ」

「仲間なんていないわ。人は一人なのよ。仲間なんて幻想よ召喚士様」

ミューレイジアムロイヤルファムエトを見上げ季緒は首を傾げた。

「さみしくないの?」

「……さみしくない」

「ふーん」

「…そもそも、術師が手をかけたそうじゃない。天塔圏の他にも術師の集団がいるわよ」

季緒が振り返って梔子を見上げる。

視線を受けてゆっくりと梔子が頷いた。

「でも、梔子様はオレを助けてくれた…」

桔梗院を追放されたんです。

梔子の言葉が頭を過る。

「復讐するなら手助けするわよ」

背後からかかった声に何故と季緒は応える。

「貴方は琉韻の大切な弟ですもの」

「琉韻と何かあったの?」

物凄い勢いで振り返られた突風で金色の髪が乱れた。

「プロポーズされたわ」

翠色の瞳の目尻が赤く染まっていた。思いがけない可憐な笑顔に季緒の胸が高鳴った。

流石琉韻!!超速!!

「天塔圏でも桔梗院でも、復讐するなら手助けしてあげる」

にっこりと微笑まれて、つられて季緒も微笑んだ。

「そのプロポーズを受けるつもりですか?」

冷静な梔子の声が落ちてきた。

「私は、きっと琉韻を愛しているわ。でも結婚するならこの煩わしい天塔圏を解体させてからにする。うっとおしいんですもの」

「女王の立場で許されるのですか?」

「私が始めたものではないもの。勝手に集まって勝手に天塔圏って名乗ってるだけよ。国でもなんでもないただの術師の集団だわ。…そうなると私は立場的に一国の王子と結婚は難しいわね」

残念そうに肩を落とす姿に梔子が思いついたことを述べる。

「第一王女になればよいのでは?芭荻王国と婚姻関係を結べば不毛な冷戦状態も解消されることでしょう」

「あ!!そうか!!でも紗春王女のことは皆忘れてるんじゃないんですか?」

「彼女は世界一の術師と呼ばれている遣い手ですよ。そんなの朝飯前ですよ」

「そうね。琉韻と初めて逢った時は紗春と呼ばれていたわね」

ミューレイジアムロイヤルファムエトがソファに座り琉韻の髪を撫でる。

「んん?」

紫色の瞳がゆっくりと開いた。

「琉韻!!」

季緒が駆け寄って酒臭いと鼻を摘まんだ。

「酒がいきなり廻ってきた。あれ?梔子様?いつからここへ?」

「そろそろ允へ戻りましょう。皆様王太子殿下を心配してらっしゃいますよ」

琉韻は隣のミューレイジアムロイヤルファムエトの手を取り

「一緒に行こう」

と指先に口付けた。

「ありがとう。私は貴方と結婚したいわ」

喜悦に溢れる琉韻の表情が可愛くて、ミューレイジアムロイヤルファムエトは思わず頬に口付けた。

「でも、今は一緒に行けない。色々片づけてまた貴方に逢いにいくわ」

「それはいつだ?!」

「そうねぇ…来年までには」

「嫌だ。待てない。オレは毎日一緒に居たい!!一緒に笑って抱き締めたい!!」

子供っぽい顔で拗ねる琉韻の頭を優しく撫でる。

「なら夜空に向かって私のことを想って頂戴。逢いにいくわ」

嫌だを連呼する王子とそれを宥める女王のイチャイチャっぷりを眺めながら、梔子はホッと息を吐いた。

王太子殿下も季緒も無事に允へ帰れる。さて、帰り道をどうするか…

「このドアを允へ繋げるわ。場所は允のどこがいいかしら」

女王の気遣いに琉韻と季緒は声を上げて反対した。

「ダーニャの琴屋に寄らなければ!!約束したんだ」

「そうだよ!!お礼も言いたい」

聞き慣れない国名に梔子は記憶を辿る。

幻の歓楽街ですか。

「夕方だから、そろそろダーニャが現れる頃ね。分かったわ。ダーニャの近くに繋げるわよ」

姉妹にお土産を忘れたと慌てふためく季緒と琉韻に、女王は何やら小さい小瓶を取り出した。瓶の中は真っ暗で何やら煌めく物が漂っている。

「星を閉じ込めているのよ。飾ると美しいわ」

ありがとうと季緒が恭しく両手で受け取って、目を輝かせている。

あ!流れ星!と歓声を上げている。

琉韻はミューレイジアムロイヤルファムエトと向き合う。

「ありがとう。レイを想って毎晩夜空に願う。早く一緒に暮らそう」

「浮気したら許さないわよ」

「オレをこんなに夢中にさせて酷いことを言う」

抱き合う二人を見て、お似合いだな。と季緒は素直に思った。

美男美女だし。美女…?ミューレイジアムロイヤルファムエトって確か…500…

「行くぞ」

腕を取られて季緒は琉韻の後へ続く。

梔子がドアを開けたら夕闇が一面に広がっていた。軽快な音楽と歩きづらい砂漠に懐かしさを感じてしまう。

夕闇を背に琉韻が手を振る。黒髪が風に靡き絵画の様に麗しい。

隣で小さな召喚士も片手に大事そうに小瓶を握りしめて手を振る。

切なさを残し、扉が閉ざされた。


すぐに闇が訪れて本物の月が上ってくる。

砂漠を進みダーニャを目指す。

「そう言えば蟻はどうした?」

「一人で琉韻を探すってどっか行ったよ」

「そうか。あいつにも世話になったな。もう二度と会わないと思うが」

「もしかしてダーニャで会っちゃうかもよ」

「それは避けたい。梔子様。すぐさま琴屋に入りたいのだが」

「私は琴屋を知りませんので残念ながら術は遣えません。そもそも肉眼でダーニャを見るのも初めてです」

「そうか。梔子様は桔梗院の現役だからダーニャを知らないのか」

季緒と梔子は顔を見合わせる。

「琉韻…」

「お伝えしなければならないことが…」

王子の大声が砂漠に轟いた。


姉妹の琴屋では大歓迎を受けた。

梔子と知って姉妹は慌てて胸襟を正す。

お土産を渡し、豪華な夕食を御馳走になった。仕事を終えた24個も一緒にテーブルに着き琉韻と季緒の話に目を輝かせていた。

そろそろ月が沈みそうな時刻となったので荷物を受け取り琴屋を後にする。

「さて、允へ帰りましょう」

「そうか、空間移動術が遣えるんだな。季緒も遣えるようになればいいのに」

「頑張るよ。梔子様、宜しくお願いします」

「季緒は努力家ですからね。すぐ遣えるようになりますよ」

ダーニャを出て砂漠に立つとジワジワと景色が明るくなっていく。太陽が顔を出し幻の歓楽街がゆっくりと消えていった。

手を繋いだ3人の姿が砂漠から消えた。


見慣れた聖祈塔を見回して季緒は「ただいまー」と大声で叫んだ。

何事だと奥から神官が出てきて王子の姿を見て仰天する。

「何事ですか?」

メシドも出てきて「神様」と呟き腰を抜かしてしまった。

王子帰還の知らせは直に雅羅南城に伝えられ、うやうやしく聖騎士団長が迎えにやってきた。

城へと連行される琉韻の後ろ姿にエールを送っていると、肩を叩かれた。

振り返ると満面の笑みで青筋を立てたメシドが告解室を指さしている。情けない顔で梔子を見上げた季緒だったが、梔子は神官たちに労われて奥の扉へと消えてしまった。

「さぁ、告白の時間ですよ」

琉韻と季緒はそれぞれに、眠らない夜を過ごすのであった。


2日振りにあった琉韻は疲労の色が濃く漂っていた。いつもの密会場所である。

「大変そうだな」

「睡蓮のヤツが煩くて煩くて。今だってあいつを振り切るのが大変だったんだからな。オレの足が速かったからよかったが。…ずっと傍にいるからレイに逢えない。」

「結婚するんだろう?紹介すればいいのに」

「……今はまだ2人っきりで逢いたい」

照れる琉韻に「ふーん」と返事をすると

「季緒も大人になれば分かる」

と頬を抓られた。

「梔子様が正式に允の人になるって」

「そうか。梔子様は桔梗院の頭領よりも凄い遣い手なんだよな。召喚士に桔梗院の時期頭領と呼ばれていた男に、天塔圏の女王か…允は面白くなるなー。オレは聖騎士団が世界一強いって世界中に認めさせてみせる!!格式だけは世界一だけどな」

「琉韻ならきっとできるよ!!強いもん」

「オレもそう思っている。季緒は?空間移動術はどうなったんだ」

「う…あれは、高度な技だからもう少し時間がかかるだろうって梔子様が」

「まぁ、2日じゃ無理だろうな。他の四大精霊も召喚できるようになったのか?後は水と土か」

「ノームとオンディーヌでしょ!!できたよ!!今」

「季緒と王太子殿下はこんな場所でいつも会っていたんですね」

上から降ってきた声に二人は大袈裟に驚いた。

「うわっ!!ここ絶対バレないと思ってたのに!!」

「何で梔子様が、あれ?もう祈りの時間でしたっけ?」

にっこりと梔子は愛弟子に微笑んだ。

「いいえ。塔の庭に珍しい薬草を見つけまして。他にもないか探していたら狭い小道を見つけてついでに二人も見つけました」

「ついでに見つかるくらいなら場所を変えないとな」

「王太子殿下が塔に祈りにいらっしゃれば良いだけのことですよ。聖騎士の皆様は祈りに来られて季緒とお喋りされる方が多いですよね」

梔子に同意を求められ、季緒は是首する。

「那鳴様もよくいらっしゃってお菓子をくれるよ」

「絽玖も頻繁に行ってるみたいだったな」

「そうですね。絽玖殿下もよくお見掛けしますね」

あいつは無視しろと宣う琉韻に、だってお菓子くれるもんと季緒が反論する。

「唯一無二の召喚士が餌付けされてどうするんだ!!」

「流韻こそ聖騎士なんだから聖祈塔にちゃんと祈りに来いよ」

睨み合う子供たちを後目に、梔子は天を仰いだ。

何か、一波乱起きそうなそんな心騒ぎがするのであった。



バルコニーに出た季緒は空一面の星を見上げて小さく歓声を上げた。

顔の周りが一気に明るくなる。

「マダラ。見て見て凄い星の数だよ」

小さい炎を吐いてマダラは季緒の肩に乗る。

満天の星を見ていると随分と自分が小さな存在に感じてしまう。

「星が取れちゃいそうだよ」

夜空に向かって手を伸ばしたら

星が落ちてきた。


轟音と爆発と振動に聖祈塔はパニックになっていた。

異変に気付いた梔子が結界を施したおかげで直撃は免れたが、塔の裏庭に大きな穴が開いて炎が噴き出している。

神官達は穴の周りを右往左往しているが、炎の勢いが凄まじく近づくことはできない。

バルコニーから見下ろしていた季緒が呆然と眺めていたら、自分の名前を呼ばれ我に返る。

「季緒!!召喚を!!」

梔子が季緒を見上げている。

「わかりました」と大声で叫び目を閉じて消火をイメージする。

水、雨、水なら嵐かな、嵐なら風、…やっぱりドラゴンがいいかな。

いきなり空気が圧縮されて軽く耳鳴りが発生した。

星空が一瞬にしてどんよりとした雲に覆われる。その雲を背後に、3mほどで4本の足を持つ細身の龍が姿を現した。

「あれは、蛟ですか」

蛟を見上げていたら体を叩きつけるような雨が降りだし、梔子と神官達は塔へ避難する。

頭部に一本の角を持ち細かい鱗に覆われた背中は青い斑状になっている。蛟が現れると必ず暴風雨が起こるとされている。牙を見せ咆哮しながら暴風雨の中を優雅に泳いでいる。

バルコニーに出ていた季緒はあまりの暴風に飛ばされそうになり、必死に手摺にしがみ付く。雨に視界を遮られ、炎が鎮火したのかどうかもわからない。肩に乗っていたマダラはいつの間にか消えていた。

「い、痛い」

殴り付けられるかのような雨と、呼吸を奪われそうな暴風にしがみ付いている腕の力が限界を超えそうな瞬間、季緒の身体は後ろから抱きかかえられて、無事に部屋の中へ入ることができた。

お互い床に倒れこんで荒い呼吸を整えている梔子に、ありがとうございます。と季緒は感謝する。

「無事に鎮火されました。季緒のおかげです」

顔に張り付いた髪を手ぐしで整えながら梔子は季緒の濡れた髪を絞る。

外が急に明るさを取り戻したので2人はバルコニーに出てみると、蛟は消え裏庭の大きな穴は湖のようになっていた。

「さっきのドラゴンは何て名前ですか?」

「蛟です。蛟の肉は美味しいんですよ」

にっこりと微笑む梔子に、季緒は絶句する。


濡れた衣服は重いので早々に着替えて、季緒は裏庭へ駆け出した。

穴の周りには神官やメシド、何人かの聖騎士の姿が輪になっていた。琉韻の姿もあったので輪の中へ進むと所どころから「召喚士様」と感謝の意を述べられた。照れ乍ら琉韻の傍へ寄ると雨に濡れた聖騎士の制服が随分と重そうだった。梔子がやってくれたように、琉韻の長い髪を絞っているとメキドの悲鳴が聞こえた。

湖と化した大穴から光が天に一直線に伸びている。

あまりの眩しさに皆が目を閉じる。瞼超しでも光がビリビリと伝わって痺れるくらいである。

季緒は琉韻の腕にしがみ付くが、せっかく着替えた服がびしょ濡れになってしまった。

「眩しくて何も見えないよー」

「何とかできないのか季緒」

「無理だよー」

目を閉じたまま会話をしていると徐々に光が弱まってくるのを感じた。

琉韻は薄く瞳を開けると黄金の光が人型に輝いていた。

「人か?」

琉韻の呟きに反応するかのように人型の光の輝きが長身の男の形に見えてきた。堂々とした体躯を黄金の鎧兜で包んで湖の畔に佇んでいる。

「なんと美しい瞳だ」

鎧兜から艶のある重低音の声が聞こえてきた。いい声だ…とその場にいる全員がうっとりと耳を澄ませ次の音を待っている。

鎧兜の男は琉韻と季緒の方向へ進み始めたが、数歩進んで倒れそのまま動かなくなってしまった。一同は何か起こるのか見守っていたが何も起こらないのでメシドが男を聖祈塔へ運ぶ指示をだし何人かの聖騎士もそれに付き添って塔の中へ入っていった。

琉韻はこれ幸いと季緒の部屋へ潜り込んだ。

聖祈塔の最上階にあるのは季緒と梔子と大神官の部屋である。それに神の座と呼ばれる小さな部屋が一つ。この部屋は神が降りるとされている部屋で一切の立ち入りが禁止されている。歴代の大神官でさえ中の様子を知らない。神官達の間では開かずの部屋や、埃の間と揶揄されている。

濡れた制服を脱いで季緒の服を借りた琉韻は、光と鎧兜の男について梔子に聞いてくると部屋を出て行った。季緒は琉韻が着ていた制服を外に干し、那鳴に貰っていたお菓子を持って梔子の部屋へ向かった。

ノックしてドアを開けると椅子に座っている琉韻に梔子がお茶を淹れてもてなしているところだった。

「季緒の分もありますよ。掛けて下さい」

琉韻の隣に座り、テーブルに持ってきたお菓子を広げた。

梔子の部屋は壁全面に古書や豪華な装丁の呪文書が並んでおり妙な圧迫感があった。先程の振動でよくぞ倒れなかったものだと季緒は感心した。

香りの良いお茶を一口飲んで琉韻は梔子に先程の男について尋ねた。

「あの男も悪魔か神か幻獣か?」

「あの輝きと眩しさは『輝ける者』としか思えません。全能光明神です。太陽の光と天空の稲妻を司る光の神ルー」

「ルー」

と子供たちの面白そうな声が重なった。神の名は短くて覚えやすいな。

「稲妻とは、さっきの暴風雨ドラゴンと関係あるのか?季緒が召喚したんだろう?」

「あれは蛟って言うんだよ」

流石に肉が美味しいとは伝えなかった。

「蛟は関係ないかと思います。光の神が墜落した後で蛟が召喚されましたので。問題は何故光の神が墜落したのか。この允に。聖祈塔を狙っていたのかどうなのか謎ですね」

「狙って…允を狙ったというのか!!」

「それは直接光の神に聞いてみましょう」


聖祈塔の迎賓の間では阿鼻叫喚さながらの光景が広がっていた。

運び込まれた男を診断しようと鎧兜を外してしまったのである。

「ギャー!!目が!!」

「眩しい!!目が痛い助けてくれ!!」

眩しい光が部屋を満たし目を開けていられる者はいなくなった。目が眩んだ者達全員が部屋を出て扉を閉める。やっと光が消え失せ神官と聖騎士たちは恐る恐るゆっくりと目を開け安堵の息を吐く。

そこへ梔子と季緒と琉韻がやってきた。

「雁首揃えて何やってるんだ?」

扉の前で座りこんでいる者、目頭を押さえて俯いている者、未だ目を開けられていない者がいた。

「大丈夫?」

横になっている神官に季緒が声をかけると「光に酔った」と青白い顔が答えた。

「情けないなぁ」

と琉韻が皆の静止を聞かずに扉を開けると再び阿鼻叫喚となった。

「お、恐ろしい…光も大いなる攻撃となる」

目を瞑ったまま扉を閉める流韻の顔も真っ青だった。

「困りましたね。鎧兜を外してしまったんですね。ルー自身が光輝いているので鎧兜で光を遮っているんですよ」

へー。と一同は異口同音、梔子の知識の深さに感心する。

「梔子様はなんでもよくご存知ですね。凄いです」

「伊達に長く生きていませんからね。人生は探求心をなくしたらダメですよ」

見上げる愛弟子の頭を優しく撫でると横から流韻が「何とかしてくれ」と口を出してきた。

少し考えた末、梔子は「ルーが目を覚まし鎧兜を装着するのを待つしかないでしょう」と結論を出したので、取りあえず一同は解散することになった。

無事に目が覚めるようにここで祈ろう!と主張する流韻を置いて聖騎士達は塔へ戻っていった。

真面目に祈るんですよと言い残し梔子や神官達も自室へと退がる。

季緒と琉韻の2人だけが残り、律儀に大聖堂へ向かった。

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