第7話

階段を下りながら魂が抜けるくらいの溜息を吐いた。またあの呪文を繰り返したのである。精神的ダメージが大きい。詠唱後に季緒が吹き出したのもしっかり聞こえてしまった。

「いきますよ」

振り返り季緒に確認して扉を開ける。

中は炎球、祭壇、瀕死の男と椅子。呼びかけても男は顔を上げなかった。奥から黄金の杖を持つ司祭が現れる。

「持ってきたのかしら?随分時間がかかったわねぇ。あの男死にそうよ」

指示通り季緒は不死鳥の塊を祭壇に乗せようとしたが、梔子が止めた。

「その前に、本当に王太子殿下かどうか確認させて下さい」

「嫌よ。不死鳥が先。あたしはこの男が死んでくれた方がいいのよ。儀式の贄だし。あんた達がどうしても助けたいっていうから不死鳥で譲歩してあ・げ・て・る・の。立場を弁えなさい」

絶対的優位を誇るように司祭は口角を上げた。

「琉韻!琉韻!るい――ん!!」

連呼されて男は力なく首を持ち上げる。蝋人形のように青い肌は憐憫を誘う。

声にならない声で男は「ありがとう」と伝えてきた。季緒の目に涙がたまる。

「今助けるから!!すぐ助けてやる!!」

勢いよく塊を祭壇に置いた。梔子は鹿爪な顔をしている。

司祭は塊の上で杖を振って深紅の炎を出現させて溶かそうとしている。一気に部屋の温度が上がった。

「火が足りないわね」

協力する気はなかったが琉韻を助けたい一心で季緒はマダラを召喚した。

祭壇を焼きつくす勢いで業火が燃え盛る。

紅蓮炎の勢いに目を見張る男がサラマンダーと呟いた。季緒と目が合って、男は痛々しい顔で健気に笑顔を造った。

血液が一気に逆流する感じだった。灼熱の部屋なのに指の先端が冷たくなる。

違う。琉韻じゃない。

サラマンダーに名前を付けたのは………

大きな音がして扉が開いた。

「き――お――――!!どういうつもりだ!!」

琉韻が両脇に蟻とアスタロト公を従えて仁王立ちしていた。

「琉韻?この人も琉韻。その人も琉韻。誰が本物なんだ?」

途方に暮れた季緒の顔に

「オレに決まってるだろう。フェニックスはどうした?」

梔子の指さした先では塊が燃えていて半分以上溶けていた。

「ああっ!止めろ!燃やすなマダラ!!」

琉韻は駆け出し、咄嗟にマダラを掴み、熱っ!と扉の外に放り投げた。

「何考えてんだ!見せてみろ!」

本人以上にうろたえた蟻が焼けただれて皮がはがれてしまった右手から肩にかけて回復呪文をかけまくる。

間違いなく琉韻だ、と季緒は確信した。

痛みに顔を顰める琉韻を、アスタロト公は微笑んで鑑賞している。

「ん?何だこの男は?もしかしてオレか?」

椅子に座ったままの男はいきなり入ってきた男達の中にただならぬ気配を感じて目を瞠る。

「いや、全然似てない。王子の良さをこれっぽっちも表現できてないぜ。こんなのにあのガキは騙されたのか」

「ごめん琉韻。オレが間違ってた。疑ってホントにごめん」

素直に非を認め頭を下げる季緒の旋毛を指で弾く。

「悪いと思ったらフェニックスを山に返すんだな」

祭壇では溶けていた不死鳥の素が再び凝固しようとしていた。その前で司祭は茫然としている。

アスタロト公が椅子の男に視線を投げたとたん、かたどる境界線が歪み男は姿を変える。司祭と同じくローブを被った女の姿になった。左手に黄金の杖を持っている。

「あたしの結界を破る人間がいたなんて…」

いや、人間じゃないし。

壁に靠れかかる魔人を見ながら4人は異口同音に突っ込んだ。頭の中で。

「さて、琉韻。帰ろうぞ、我は汝と酒を酌み交わしたいと所望する」

どこまでも空気を読まない大公爵様は、これで終了といった体で琉韻の手を取る。

目くじらを立てる蟻と季緒に挟まれている琉韻は生贄台に目を向けたまま断る。

「まだだ。フェニックスを火口に戻さなくてはならない。約束したんだ」

アスタロト公が生贄台に目を向けると、不死鳥の塊が消える。

部屋中の人間の視線を独り占めした公爵は不機嫌そうに「慣れぬ事をすると気分が悪い。終わったぞえ」と琉韻の首筋に鼻を寄せる。乳香樹は魔人にとってのマタタビらしい。

呆気ない幕切れに琉韻の気が緩んだ。

ドラゴンを倒したあの苦労はなんだったんだ…

体中を漲っていた緊張を解いたらふつふつと怒りが湧いてくる。この感情を昇華させるには、明らかな悪人達にぶつけよう!!元をただせばこいつ等が悪い!

「お前達何者だ!!正体を現わせ!!」

琉韻が司祭達に剣を向ける。

寝ている琉韻を攫い、この場所で美しい贄にするつもりだったが、シルフィードに邪魔されてしまい琉韻を奪われた。奪われた美しい男が允の王子で、召喚士と共にこの国に滞在していると知り、手元に残った一本の髪で女自身に幻夢をかけ美しい贄を探すであろう召喚士をおびき寄せた。ついでに不死鳥を捕獲するため利用したのだ。不死鳥を手に入れたら王子と召喚士は始末するつもりだった。

「允王国王太子琉韻王子殿下と、允王国従属召喚士殿。われわれ天塔圏の敵となる者共、速やかに排除致す」

天塔圏という名に琉韻の緊張が臨界に達する。

召喚士である季緒はわかるが、何故王太子殿下まで?梔子に疑問が生まれた。まさか……

司祭二人は左右対称の動きで黄金の杖を操る。

魔術が遣える空間での最も弱きは琉韻。そして自らを守る術が限られる季緒。

術師達は庇うように二人の前に立ち塞がる。

こうなればアスタロト公は寧ろ邪魔者と考えた方がいい。殺戮と苦悶を最もとする魔人は面白がって司祭に力を貸す可能性もある。ここは琉韻の魅力でたらし込んでほしいところだが、妙な処で潔癖な王子には無理だろう。

司祭達は同時に杖を、最も小さい者に向けた。季緒の身体と精神が時を止めた。意識さえも金縛り状態になる。何も見えず、何も考えられず、何も聞こえず、身体も動かせない。

最大の敵の動きと攻撃法を封じる。残りは魔術も遣えない人間と桔梗院の術師のみ。難問は、妖艶な笑みで威容を誇る男。

アスタロト公は琉韻に囁いた。甘い声で。

「死んでも構わぬぞ。その魂、我が貰い受けよう」

「断る」

即答して剣を目の前に翳し握り直すと、刃に汚れがついていた。

聖騎士の剣は道具作りも盛んな允の職人が魂を込めて制作する国宝級の剣だ。特に琉韻が授かった剣は王太子が使用するという事で、職人の面子も技巧もぎっしり詰まっていた。道具以上に美術品としての価値も高い。近年他国に聖騎士の剣として流出し法外な高値がついていると聞く。現にドラゴンの鱗に突き刺しても刃こぼれ一つしなかった。

今は気を取られている余裕はない!と琉韻は司祭に意識を集中させる。

「貴方、結構な魔力の持ち主ですね。少しだけ時間を稼いでおいてください」

蟻に告げると梔子は振り向いて琉韻に話しかける。

「王太子殿下、あの男に移動術を遣わせますので、この神殿から脱出してください。季緒は既に術中に堕ちています」

琉韻は季緒の身体を揺するが、全く反応がなかった。

「司祭達を倒せば元に戻りますから御心配なく。ここは私にお任せ下さい」

攻撃防壁で司祭達の術を防いでいた蟻に脱出するよう告げて、梔子は改めて攻撃防壁を築いた。

「早く!お行きなさい」

蟻は季緒を抱きかかえる琉韻ごと、ここぞとばかり抱きしめてその場から消える。

後には梔子とアスタロト公が残った。

「観客がいると緊張する性質なのですが」

「嘘を吐くと地獄に墜つる」

笑いながら、魔人は壁に靠れて傍観を決め込んだ。

蟻は大事をとって、神殿通りの入口に移動した。召喚士を路上に横たえるが瞼すら動かさない。

「季緒!おい!しっかりしろ。何とかならないのか?」

王子に頼られて何とかしたかったが、どんな術をかけられたのか解らないので解呪の方法がない。息もしていないと真っ青になって心配する王子の肩を抱き、

「大丈夫だ。桔梗院梔子が任せろと言ったんだぜ?幹部を担う責任のある奴らはできない事をできると言わない」

慰めたら手の甲を切られた。

「素早いな。腕を切り落としてやろうとしたのに」

「ちょっとぉ、酷くな~い?せっかく慰めてやったのに…ん?これは」

剣の刃に注目する。汚れ、ではない。これは。

「スゲェぜ。ドラゴンスレイヤーだ」

首を傾げる王子に、これがどれだけの偉業か説明する。

「王子様がドラゴンを剣で倒したから、この剣はドラゴンスレイヤーになった。伝説の剣って言われるんだぜ。これでどんな幻獣もバッサバッサ切れる。ドラゴンも精霊も悪魔もな。刃についてるのはドラゴンの牙の紋様だ。汚れだと思って擦ったりするなよ。有り難いものなんだから」

汚れだと思っていたが、よくよく見ると確かに紋様が刃に刻まれていた。それは牙に見える。

「ドラゴンスレイヤーとは、聞いたこともないな」

「これだから、平和ボケした国の人間は!!その剣はすっげーすっげー重要なんだぜ。この国のように魔術と幻獣が日常茶飯事な処では特に!幻獣は切れるは、結界も切り裂けるは、魔術による攻撃も大体は剣で防御できる筈だ。しかも売ったら軽く国が買えるぜ」

魔術の恐ろしさを身をもって散々体験してきた琉韻は、本当か?とつい確認してしまう。

「呪文が遣えなくても剣で解呪できるようになるのか?」

「モノによる。剣が振れない状態なら不動自縛を解呪はできねーだろうし。え~っと、やってみるか」

蟻が不動自縛をかける。首から下が全く動かない状態になった。解呪解呪と琉韻は念じてみる。

「ほらな~、解呪は無理だろ~って、おい!!」

琉韻は両手を上げて大きく伸びをする。

「できたぞ。勝手に剣が動いた」

「俺立ち直れないかも…ドラゴンの魔力が強いってのは解ってたつもりだけどさぁ~。魔術も遣わずに簡単に解呪されちゃったらキツイなぁ~」

リンドドレイクより強い魔力を持った者の術でないとドラゴンスレイヤーには効かない。すなわち、人間である魔術師の術は効かないといっても過言ではない。

「ドラゴンスレイヤーを持ってれば向かうところ敵無しか~。敵になりそうっつったら桔梗院の頭領か天塔圏の女王ぐらいじゃねーか」

「ミューレイジアムロイヤルファムエト…」

「よく知ってんな。天塔圏の奴等は名前が長ったらしくてウザイ」

「…オレには忘れられない名だ」

琉韻は何かを振り切るように軽く頭を振って、剣を剣帯に収め、蟻に手を差し出した。

「色々と助かった。感謝する。もっとその力を世の為、人の為に尽くすがいい」

無防備に笑いかけられて蟻の心臓が跳ね上がる。

え?ええ?えぇぇぇぇ?!王子様が俺に微笑んでる?!

急にしおらしく、もじもじし始めなかなか手を出そうとしないので強引に蟻の手を握る。

地面が揺れた!!

轟音と共に3人が脱出した神殿に雷が落ちる。琉韻は横たわる季緒の身体を横抱き抱えた。治まらない揺れに通りの地面が二つに割れた。

「危ねっ!何だこりぁ?!」

神殿が炎上を始める。不思議な事に燃えているのはその神殿のみで、炎は隣の神殿に飛び火する事はなかった。

「お待たせしました」

怪我も着衣の乱れすらない満面の笑みの梔子が現れた。

「天塔圏はどうなりましたか?」

「神殿と共に燃え尽きると思います。手こずってしまって時間がかかりました。皆さん無事で何よりです」

晴れやかな笑顔の梔子につられて琉韻も微笑むと「奴はベリウルよりも大嘘吐きぞ」楽しそうな声に背中から囁かれ、血が凍るかと思った。いつの間に後ろを盗られたのか。気配すら感じられなかった。これが敵なら自分は死んでいた。最も大公爵が味方とは限らない。

「びっくりした――」

脇に抱えた季緒が大声を上げた。

「無事か?気分はどうだ」

「何が?あれ?いつの間に外に出たんだ?あの偽物たちは?」


魏杏国が一望できる丘の上から、琉韻は火を噴いているバロック山を満足げに眺めている。両腕に抱いた二匹の黒猫も嬉しそうに黄金の瞳を細める。

「ありがとうルイン」

「ルインありがとう」

じゃれあう二匹と一人を見守っていた三人は平和だと、一時心を和ませていた。

二本脚で立ちあがり両前脚を振るケット・シー達と別れ、町はずれの酒場に向かう。アスタロト公が待っているのだ。

「酒まで付き合う必要ないぜ。とっとと魔界に帰ればいいのに」

「今は友好的ですが、今後どうなるか分かりませんからね」

「変態こそ帰ればいいのに。何でついてくるんだ」

季緒を睨んで蟻は当然の主張をする。

「俺は王子様に雇われたんだ。どこまでも着いてくぜ」

「ケット・シー達に太陽が戻った事で契約は履行された。もういいぞ」

そうだ、残金を支払わねば…と王子は苦悩する。

「梔子殿!空間移動術で允までオレを連れて行ってはくれぬか?」

金が必要なのだ。と力説する王子を説き伏せる。

「それは構いませんが。今戻られて、王家の方々に姿を見られでもしたら、二度と允から出られないと思いますよ。特に睡蓮殿や那鳴隊長を筆頭とした聖騎士団の捜索隊が目を光らせていますので」

「睡蓮が…そうか、そうだな」

琉韻は気まずそうに眼を泳がせた。一応置手紙はしてきたんだがな。と呟いた。

「提案ですが、王太子殿下が魏杏国に居られる間、彼に契約延長をお願いしてはどうでしょうか。この先は術と術がぶつかりあう想像を絶する展開になると考えられます。術を遣える味方は多い方がいいでしょう」

味方ぁ?!と反抗する二人とは裏腹に、蟻は喜悦に顔を輝かせる。

「お偉いさんは話しわかるな~。つーことで宜しくね王子様」

ウィンクされて琉韻は嫌そうに顔をそむけた。

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