第4話

比較的涼しい夜は砂漠を横断し昼に休む。これを4日程繰り返したら点在する家が前方に見えてきた。どうやら集落のようである。砂漠にも終わりが見え、木々や茂みも増えてきている。

「そろそろ魏杏国かな」

季緒の手に広げられた地図を見て、歩いた距離を考えると間違いないようだ。

「砂漠の終わりが魏杏国だろうな。住人がいたら確認してみよう」

身体にまとわりついた砂を払いながら二人は集落に足を踏み入れる。まだ夜が明けていないせいか人の気配が全くしない。唯一灯りがついている家を訪ねたが返答がない。

「失礼する」

琉韻が扉に手をかけると地底から響くような重苦しい声が流れてきた。

『幾許なく巡り巡る堕天の黒き月よ。永久の闇を与え給え。闇の波紋を』

「これって呪文の詠唱な気がする」

「そうだな。呪文だ」

扉の中から聞こえてくる詠唱に気づきながらも、その場に立ち尽くしている二人に罵声が飛ぶ。

「馬鹿!!早く逃げろ!!闇に呑まれるぞ!!」

声がした方向に二人が振り返るのと扉が開いたのは同時だった。

「ちっ!目標浮遊術発動!!」

みるみる内に二人の足もとが真っ暗な渦に変化し、季緒が手にしていた地図が吸い込まれた。落ちる覚悟を決めた季緒が目をつぶる。

「あぁぁぁああ、あれ?!」

恐る恐る目を開けた。

「浮いてる!?何で?」

不安定な足元に苦戦しながらも琉韻は季緒の身を引き寄せる。

空中に浮かんだせいで渦から免れた二人は家から離れた所に立つ男の姿を認める。

「蟻?!」

『願わくは風の大精霊シルフィード。偉大なる汝の力を玉響、我に与えたまえ。召喚誓願』

大気に鋭く響く蟻の声とは裏腹に、何も起こらなかった。一風が通り過ぎただけである。

「うわぁ~やっぱ魔法円がなきゃダメかぁ。おい!そこのガキ!シルフィード呼んでくれ」

いきなり話を振られて季緒は自らの危機を悟り素直に従った。琉韻の身体に抱きつきながら名前を念じる。

シルフィードシルフィード。

柔らかい風が頬に触れ、琉韻は空中を見回した。半透明の女の姿が周りを浮遊していた。

鮮やかな緑色の髪は膝裏まで伸びており、切れ長の緑色の瞳が楽しそうに細められていた。一糸まとわぬ姿に琉韻は目尻を赤く染める。半透明でも身体の線はよく見えた。

季緒も大きな瞳をさらに大きく開き凝視していたが緑目と目が合って真っ赤になる。

照れまくっている二人に蟻の暴言が投げつけられる。

「コラぁ!抱けもしない身体見たってつまんねーだろうが!照れてる場合か!?」

シルフィードによって蟻は彼方遠くの集落の外れまで吹き飛ばされていった。

「失礼な男。だって」

「言葉が分かるのか?」

「うん。足元のは異空間に引きずり込む術だから一度捉われたら抜け出せないんだって。危なかった~。今払ってくれるって」

渦巻く闇に向かいシルフィードは軽く息を飛ばした。息は闇にぶつかると竜巻となり霧散しながら夜空へ登って消えて行った。

背中に羽が生えたような軽さで地面に着地するとシルフィードは二人の周りを踊るように浮遊し続けている。時折楽しそうに琉韻の髪を弄んでいた。

「琉韻が気に入ったんだって。良かったね」

と言われても、非常に目のやり場に困ってしまう。

闇を生み出した家を覗くと中はごく一般的な間取りだった。洗い場があり8畳ほどの部屋がある。生活品が一切置いていない為人の気配は皆無だ。

「罠だろうって。侵略者を明かりで誘き寄せて闇に閉じ込めるためのものだって」

シルフィードは季緒に何かを告げて消えて行った。

「ここに人が住んでないから、先に進んだ方がいいみたい。行こうよ。凄いこと教えて貰った!!」

嬉々とする季緒は目を閉じる。それに反応するかの如く月に翳りが見えた。

見上げた琉韻の目に荘厳な姿が映し出される。月を背後に浮かんでいるのは輝く白馬。背中には美しい翼が生えている。優雅に夜を駆う白い姿が季緒の元に音もなく着地する。

「ペガサス…」

琉韻がそっと体を撫でるとペガサスは気持ちよさそうに鼻をならした。戯れる琉韻とペガサスを交互に眺めて季緒は感激する。どちらも夢のように美しい。

前脚を折り曲げ頭を下げるペガサスの背中に乗りこみ、翼の邪魔にならないようにと何度か位置を調整する。首に琉韻がしがみ付きその背中から膝立ちの季緒が琉韻の首に腕を回すことで安定させた。一度の羽ばたきでペガサスは急上昇し、瞬く間に集落が小さな点になった。身体に不快感は一切なかった。寧ろ髪を乱す風が心地よく流れている。

「まるで空中散歩だな。月がこんな近く、美しい」

琉韻はふと、何故蟻があんな場所へ居たのか考えたが、不愉快になったのですぐにやめた。

「ペガサスに乗れるとは思いもしなかったな」

「色々教えてくれた。ドラゴンも背中に乗せてくれたりくれなかったりするんだって。怪我をしたらユニコーンが癒してくれるとか、地上を早く走りたいならスレイプニールとか、道に迷ったらノームとエルフに聞いてみるといいんだって。でもね、梔子様が前に言ってた。幻獣を頼ろうとする慢心があると成長しない。いつか自分自身を見失う」

「それはもっともだ。しかし、季緒はちゃんと成長している。四大精霊のシルフィードを召喚できただろう」

「そうだ!できた!何でだろうな。四大精霊で召喚できたのはマダラだけだったのに」

「あの姉妹のお陰だと思うぞ。厳しい修行に耐えて克己できたんだ。必ず再会しような」

季緒は危惧していた。允を出る時から、否、琉韻が聖祈塔に現れた瞬間に感じた事がある。

琉韻は死んじゃうのかな。

情熱的な王子の情熱がまっすぐに彼女に届けばいい。届かないと知った時、王子はどんな手段を使ってでも届けようとするだろう。たとえ自分の死でしか表現できないとしても。

「どうした?酔ったのか?」

「違う。全然揺れないから酔うわけないよ。景色が綺麗だから…」

「見惚れて落ちるなよ」

「落ちる時は琉韻も道連れにしてやる。そして下敷きにする」

「それはないな。季緒は鈍くさいからな」

自分が落ちても絶対に助けてくれる背中を季緒は小突いた。

前方に見えていた小さな建築物は近づくにつれて想像以上に大きかったと気づく。

「これは凄い。随分大きな塔だな。騎士塔を五つ重ねたくらいか?」

「デカイ。これが聖祈塔って事か?…豪華だ。……全然違う」

悪かったなと王子は剥れる。

「この塔は大理石で造られている!!大いなる無駄遣いだ。育むべきものは外側の絢爛さではない。尚絅の精神だ。神に祈る為に莫大な金を使って民に苦心を強いるならば本末転倒だ」

この塔にどれくらい費用がかかるかと延々と酷評を述べる。

堅実な琉韻の金銭感覚を聞き流しながらも季緒は眼下に広がる城郭都市を眺める。

城壁に囲まれた中規模な都市の中には中央に大理石の塔、その周囲円形に神殿らしきものが建っており、更にそれを取り囲むように宮殿が立ち並んでいる。二重円の外側は大小様々な住居や店が並ぶ。

二人は城壁の内側に降ろしてもらい、ペガサスに別れを告げた。

空が白々しく変化する様を眺めながら食事をする。姉妹が持たせてくれた食事は干し肉と乾燥させた果物と野菜。姉妹への感謝の気持ちと共に完食した。生活リズムが夜型になってしまった季緒は何度も瞼をこする。琉韻も大きな欠伸をする。

「眠いな」

「うん」


大神殿。

大理石の塔を魏杏国の者達はそう呼んでいる。神に仕え世に平和と秩序を与える祈りの集団、桔梗院達の本拠地でもあった。

1階は祈りと儀式の間。2階は鞭撻の間と導きの間。3階は宝物庫と書庫。4階から上は幹部の者達の住まいになっている。

夜が明けた儀式の間では修行者たちの話声が絶えなかった。

「昨夜確かに、あれは間違いない」

「私も感じたわ。物凄く強い気だった」

「まさか…天塔圏が?」

「お喋りは慎みなさい。掃除の手が止まっていますよ」

柔らかい声の𠮟咤に修行者たちは入口の扉に注目する。

「梔子卿!!」

「いつお戻りに?!」

軽く挨拶を交わし、梔子は上の階を目指す。

昨夜感じた二人の気配は、魏杏国国境の罠の家で途絶えてしまった。罠自体が消滅していたので無事だと考えていた矢先、魏杏国の中で幻獣の気配を感じた。今は消えてしまったのでもしかしたら捕えられてしまったかと大神殿に向かったのだ。本来ならば立ち寄る事は許されない。魏杏国を追放された身としては。

炎球で明かりを確保する。幾重にも張られた結界を突破するのは梔子の魔力を持ってすれば他愛のない。目の前に浮かんだ明かりを頼りに蟻地獄檻を一つひとつ確認する。19階と20階の間に存在するこの空間は、桔梗院でも僅かな者にしか知らされてはいない。桔梗院を脅かすもの、桔梗院にとって都合のよくないものを閉じ込めておく。文字通り二度と出られぬ結界に縛り付けるのだ。目当ての顔が無く、胸を撫で下ろす反面、焦りも生まれる。

「よくノコノコ顔を出せるわね。お咎めは解けたのかしら?」

甲高い声が不快を招く女の姿が目の前に現れた。身長は梔子の半分ぐらいだが横幅は梔子の2倍もあるバランスが悪い姿だった。

「いくら貴方が元頭領候補でも、ここは無関係の人間は入れないわよ。出てお行き」

迷い猫でも追い払うような高慢な口調は、彼女の顔を醜くしている。

口の悪さでは紫眼の王子の方が上回るが、彼は王族の気品が溢れおり、決して他人を蔑まない。どんな相手だろうと同じ視線で話す。矜持を持ちながらも柔軟だ。数ある彼の美点だと梔子は考えている。王子の至極の美貌も関係するところが大きいが。

出て行こうとする梔子を待ちなさいよ!と女は引き留める。

「君が出て行けと言ったんだ。邪魔をしないでもらいたい」

「こんな場所に何用なのよ。知り合いでも探しているの?もしかして今朝方の気の正体を知っているのね?!」

「関係ありません」

「嘘おっしゃい。このタイミングで追放された貴方が現れるなんて、何かあるって言ってるものよ」

腕を掴んで離さない女の顔を梔子は見下ろした。肉に埋もれる細い瞳。

「分からない?あなたには。あの気の正体が」

女の目が悔しそうにゆがめられた。それでも手は離さない。

くだらない事に時間を費やしている場合ではないと梔子は瞬間移動で大神殿の外へ出る。

集中天眼で国中を透視するが二人の姿は一向に発見できなかった。



「おい、おい!起きろってこのガキ!!」

軽く腕を蹴られた痛みで季緒は眼を覚ました。が、体勢を変えて再び目を閉じようとした頭に大声が響いた。

「寝るなゴォルァア!王子はどこ行った!!」

「え?何?」

飛び起きて隣を見るが一緒に眠りに就いたはずの琉韻の姿がない。

「あれ?どこ行ったんだろう。散歩かな?」

「ふざけんな!俺は1時間も前からここで王子を待ってたんだ!どこ行ったか教えろ!」

「………変態」

琉韻の口から蟻の悪行を散々聞かされていたのと、琉韻にベタベタ触るのでこの男が嫌いだった。

「黙れ!!……ガキも知らねーなら、誘拐か?!王子が綺麗すぎて誘拐されたんだ!その間に俺が攫っておくべきだった!今頃王子の身体があんな事やこんな事をされて」

血相を変えて騒ぎ立てる蟻を無視して、季緒は走り出した。

太陽が中天を過ぎているので昼を回ったころだろう。街の通りは人で溢れていた。他国と違うのは頭からフードを被った桔梗院の修行者が多く見られる点だろう。

名前を呼びながら人混みをかき分けて進むが、見つからない。

「ど、どうしよう…どうしよう琉韻」

広場の中心で右往左往する子供に蟻が追いついた。

「おいガキ。これ、王子の荷物か?」

随分重いなぁと蟻が手にした麻袋の中身は、聖祈塔の経典だった。全1563頁。重いからと琉韻が持ってくれていたものだ。琴屋へ置いて行けと言われたが、日課の勤めと季緒が譲らなかった。

大声で泣き出した子供を前に、蟻はうんざりした。

「お前なぁ、魔法円も詠唱もなく四大精霊を召喚できるくらいの魔術師なんだろう?王子が誘拐されたのにも気づかず寝てるなんて、お前が悪い。どう考えてもお前が悪い。完全にお前が悪い。泣いてる場合かアホ」

「…違う。魔術師じゃない」

「はぁ?!バカ言ってんじゃねーよ!術師じゃねーのに精霊召喚できるわけが……」

…あるな。

蟻はしゃくりあげる子供を上から下まで、値踏みするように眺めた。

「お前…召喚士か…そう言えば允に生き残りがいるって噂あったな。こんなガキが」

季緒は蟻の手から麻袋を奪い、走り出した。

「あっ!!このガキ!!不動自縛!!」

呪文が発動し季緒の身体が動きを止める。

「我願う、束縛せし戒めよ、あるべき事象に、解呪発動」

身体の硬直がとれて再び季緒は走り出した。同時に道行く人々が口々に救いの言葉を口にしながら空を見上げる。蟻もつられて空を見上げた。天駆ける幻獣の姿が現れる。

グリフォンが地上めがけて低空飛行を始めた。広場に居た何人かが悲鳴を上げて逃げ回る。標的は自分だと思った蟻は瞬間移動でその場から消えた。走り続ける季緒の服にグリフォンは前脚の鉤爪を引っ掛けて天空へと駆け上がる。

その光景を目撃した魏杏国の者は小さい子供がグリフォンの餌になったと語り継いだ事だろう。

「季緒」

確かにそう聞こえた。梔子の声で。

上昇しながらも耳に届いた声の主を探すが見つからない。

北側の2番目に高い山の中腹に降ろしてもらい、グリフォンと別れて、やけに石が多い地面を歩いていると目の前に梔子が現れた。

「家出は感心しませんね。王太子殿下はどちらへ」

「琉韻が誘拐されたんです!!どうすればいいんですか梔子様!!」

「誘拐?それはいつですか?行方は全くわからないのですね?」

今までのいきさつを聞いて梔子は二人が寝ていた場所へ空間移動した。精神集中して逆行時間術を施すが、モザイクがかかったように一定の時間だけが視えない。

「恐らく、術師の仕業だと思います。追跡ができないようにされている」

「天塔圏ですか?!」

「その可能性は高いというだけで確証ではありません。とにかく場所を移しましょう。幻獣が現れたことで桔梗院が動くはずです。私が戻ったことも知れてしまった」

よく意味がわからなかったがとりあえず季緒は頷いておいた。

移動先は広場から目と鼻の先の薬屋の地下だった。保存可能な食材や食器などの生活した後が残っている。梔子は慣れた手つきでお茶を出した。

「ここは私の隠し部屋です。魔術が無効になる結界ですので攻められてきたら自力で戦うしかありませんね」

テーブルを挟んで向かいに座る季緒は

「オレじゃあ、戦闘力当てになりません。琉韻じゃないんですから」

椅子の上で膝を抱えて自分の頭を埋めてしまった。

「あなた達は天塔圏が目的でこの国に来たんですね?」

「魏杏国なら、魔術師の国だから手がかりがあると思って」

「ミューレイジアムロイヤルファムエトの?」

「はい。決着がつけたくて…琉韻もオレも」

「季緒も?」

「……母さんは天塔圏の奴らに殺されたから」

「そうでしたか。私は、表向きは允に派遣されたことになっていますが。本当は追放されました、桔梗院を」

「え。ええ?ええぇぇぇぇぇぇぇええ!!」

椅子に立ちあがった季緒を梔子は宥めて座らせた。

「3年も允にいて変だとは思いませんでしたか。しかもその間、桔梗院とは一切連絡を取っていない。不審でしょう?」

問われても季緒は首を横にしか振れない。

「深く関わりすぎました。桔梗院に」



「グリフォンが現れました。しかし召喚した者の気は追えませんでした」

「院の者ではないのね」

「夜明けのペガサスといい天塔圏ではないでしょうか。桔梗院に対する宣戦布告だ」

「幻獣召喚は高い魔力が必要だ。そして幻獣が現れている限り魔力を放出し続けなければならない。ペガサスもグリフォンも召喚の際に魔法円が使われていない。これは、相当な魔力の持ち主だ。頭領クラスだ。もしくは」

早朝から導きの間で開かれている会議は一向に終わる気配がない。集まっているのはマスタークラスの術師5人である。

桔梗院には明確な階級制度が存在する。頂点に立つ存在が頭領。前任の頭領の指名で最も魔力がある術師が選ばれる。その下に5人の幹部。頭領の補佐や議会での決定権を持つ。

魏杏国にいつくかある聖堂の神官も兼任する大神官。聖堂の統括役。

白熱する議論が続く中、一人だけ飾窓から外を眺めている男がいる。

「アルグレス」

呼ばれたので仕方なく男は窓から視線を室内に戻す。

「君の考えを聞かせて欲しい。話を聞いてなかったとは言わせないぞ。会議に遅れておいて身が入らぬとは憤慨だ」

全員がアルグレスに鋭い視線を投げつけていた。こんな時だけ徒党を組むのだ。

「梔子卿がお戻りになっている」

ざわめく幹部の中には頬を染めて喜んでいる者もいる。アルグレス以外は女性の幹部だった。元々男は梔子とアルグレスしかいなかった。梔子が允国に派遣されたため代わりに洸雨という女が幹部になった。大した魔力もないくせに幹部を名乗る洸雨の驕り具合がアルグレスは大嫌いだった。口は出すくせに自分は動かない。高みの見物を決めている。有言実行を意とする梔子とは大違いである。そんな女がよりによって梔子の代わりとは、選考した頭領も耄碌したのではないかと疑いたくもなる。先ほどから窓を眺めては梔子の復帰を心待ちにしていたのだ。3年は長過ぎた。通常派遣されたならば1年で戻るはずであったが、よほどの事情が存在するのだろう。

「梔子様が召喚したと言うのか?何故召喚の必要がある」

察しの悪い相手にいらつくが、悟られるほどアルグレスは愚かではない。

「召喚士だ」

「そうか、允に最後の一人がいたな。それが何故この国に?」

「その質問は召喚士か梔子卿に聞くものだ。私ではない」

洸雨が口を開いた。

「皆さん、よろしくて?」

この言い方が癪に障ると、アルグレスは頭の中で面積の広い頬に往復ビンタを想像する。しっかりと掌が頬の肉に埋もれるところまで考えた。

「私は今朝、梔子卿にお会いしました。蟻地獄檻で。彼が何故そこに居たのかは解り兼ねますが、召喚士を同衾しているとなると、桔梗院に復讐を考えているのではないかしら」

「馬鹿馬鹿しい。何故梔子卿が復讐を?」

一笑に付して取り合わないアルグレスは洸雨の次の言葉で思考停止した。

「これは私と頭領しか存じ上げないのですが、…梔子卿は桔梗院を追放されたのです」


導きの間を出てアルグレスは最上階へ瞬間移動した。直属の従者に謁見を願い出るが、頭領と直接話す事はままならなかった。諦めきれないアルグレスは直談判に踏み切る。

「頭領!お答下さい。何故梔子卿が追放されなければならなかったのでしょうか!彼ほど優秀で高位の術者は頭領を除いて桔梗院にはおりませぬ!頭領!!」

返事はない。

「頭領!梔子卿ほど桔梗院に精通している者もおりません!ここ最近の枢機卿は以前ほど統制がとれていないと思われませぬか?!口先ばかりの者がおり、梔子卿の代わりを務めるにも値していないのです」

つい愚痴が混じってしまった。

「言いたいことはそれだけかしら?」

振り向くと洸雨が青筋を立てながら微笑んでいた。

「口先ばかりって、もしかして私の事を仰っているの?」

「そうではありませんが、自覚があるならば改心されては如何ですか洸雨殿」

「貴方は梔子卿と仲がよろしかったわね」

「ええ。彼は権力に媚びることのない清潔な人間でしたから」

女は青筋をもう一本増やしながら高笑いをする。

「あの男のどこが清潔なのかしら。桔梗院を邪教扱いしたのよ」

邪教?と訝しがる男にぶつかり扉の前からどかす。

「私、頭領に呼ばれましたの。失礼」

従者に案内される大きな背中にアルグレスは蹴りを3発入れた。勿論想像だ。



「私も、個人的に天塔圏に恨みがありまして…」

梔子は言いにくそうに眼を伏せ、そのままお茶を一服。つられて季緒も。

グラスをテーブルに置き、決心を固めたように季緒の大きな目を見つめて語り出す。

梔子が修行者として桔梗院に入門したのは5歳の時だった。物心ついた時から手を触れずに物を動かし、他人の考えを当てることができた。聡明な子供は両親にとってどれほど疎ましかっただろうか。両親は一度も桔梗院を訪れる事はなかった。梔子の記憶はいつまでも若いままの両親の姿で止まっている。特に悲しいとは思っていなかった。それは両親より長命になった今も変わらない。高度な魔術を覚える事が快感だったし、仲間と師の賞賛の声が生きがいだった。最年少で大神官になり、当然のように枢機卿の座へ着く。150歳を過ぎたころ魔術に一心不乱だった生活にゆとりができてた。その頃から天塔圏を調べ始める。

「調べても調べても、遠ざかってゆくばかりでした。桔梗院の司書には世界の始まりから現在、未来の記録があります。門外不出の秘密書ですが所在不明になり、挙句の果ては紛失してしまいました。あ、これは他言無用でお願いしますね」

その他にも、天塔圏と関わりのあった術師を探し当てたら殺されていたり、身の危険を感じることも多々あった。行動を先読みされたこともあり、疑惑の目は桔梗院に向けられた。

「頭領は私を殺そうとしたのでしょう。しかし魔力では私の方が勝っていた。私は允への派遣を告げられた時に宣告されました。二度とこの地を踏むなと。王太子殿下が聖騎士入隊の儀式で襲われましたね?あれは魏杏国の者の仕業でしょう」

「魏杏国が?芭荻国か天塔圏かと思ってました」

「すなわち、桔梗院の仕業です」

「…………じゃあ琉韻を誘拐したのも天塔圏と桔梗院両方の可能性があるんですか」



「オレ、天塔圏に会いたい。琉韻が誘拐されたのは天塔圏の可能性が大きいなら、そこ行ったら琉韻に会えるって事ですよね」

「若干違うような気がしますが、可能性として大きいです」

「どうすれば天塔圏に会えますか?桔梗院の誰かなら知ってるだろうと思ってたんですけど、簡単に考え過ぎました」

反省しているのか肩を落とす季緒が忍びなくて、梔子は奥の手を使う事にした。

これは切り札だったんですけど、どうも私は季緒に弱いですね。

「行きましょう。天塔圏に会いに」

「えっ?」

手を繋がれて、何だと思っていたら部屋の模様が変わった。

「うわっ!ちょっ…!驚かせないで下さいよ梔子卿。も~心臓に悪いなぁ」

すみませんねと梔子が心臓に手を当てている男の肩を叩いて挨拶を交わす。男は季緒に人好きするような笑顔を向けた。

「ん?もしかして隠し子ですか?随分と可愛い子ですね。おいくつでちゅかぁ~?」

むっとした季緒が口を開く前に梔子が紹介する。

「全幻獣の王、季緒殿です」

梔子に尊称をつけられたのは初めてなので、軽くテンションが上がった季緒に

「召喚士様」

男が跪いたので、一緒にしゃがみ込んでしまった。

笑いながら差し伸べられる梔子の手を取り立ち上がると、男は世界遺産でも見るかのような熱心な眼差しで見上げているので、どうにも決まりが悪い。

「あの~梔子様。ここ何所ですか?」

「この国で最も高い塔。大神殿です。桔梗院の本拠地になります。ここは22階で彼の階に勝手にお邪魔しました」

枢機卿は各一人にワンフロア与えられている。壁三面がびっしりと書籍で埋まっており、大きく取られた窓は太陽の光が差し込み部屋を明るくしている。部屋の隅には魔法円のタペストリーが飾られ、何やら怪しそうな魔道具が部屋中に散乱していた。

ローブの裾を正し立ち上がった男は笑顔で椅子をすすめた。笑うと目がなくなる程細い。おかまいなくという梔子達にふるまい酒を出す。隣に座って酒を舐めている季緒に男の紹介を始める。

「彼は桔梗院の幹部を担っている優秀な術師です。数少ない私の友人でもあります。アルグレス…――いえ。クアルノーブルエフト」

長ったらしい名前に覚えがある。季緒の視線を梔子は向かいに座る男に流す。

「初めまして召喚士様。アルグレスは桔梗院での名前です。クアルノーブルエフトが本名ですが、これは天塔圏で名乗ります」

「て、てててててて天塔圏んんん!!!」

興奮した季緒の目の前で小さな爆発が起こる。

マダラが定位置・頭の上によじ登って満足そうに炎を吐いた。

「サラマンダーか。凄い、呪文もなしに召喚するなんて、あ、召喚士様だもんな~」

アハハと笑う男が天塔圏?!サラマンダー焼きって不味そうだな~と不届きなことを言う男が天塔圏?!この酒ウマイんですよね~と勧める男が天塔圏?!

「それはそうと。宜しくない事態になりましたよ。桔梗院が正式に梔子卿を謀反と布告しました。召喚士様を連れて桔梗院を滅ぼしにきた裏切り者になっています」

洸雨っていう嫌味な女のせいですよと怒りを露にするアルグレスに対して、困りましたねと微笑む梔子は一切困ってなさそうだった。

「動きづらくなってしまいましたね。私達は悪者になりました。こういうときだけ狡猾だ」

「悪者ってオレらですか?」

頷く梔子は、マダラを取り巻く炎が一層勢いを増すのをみて面白がっている。

「悪者は琉韻を誘拐した奴等なのに!天塔圏も犯人候補だぞ!琉韻を返せ!」

睨みつける季緒を制して、梔子がこれまでの経緯を説明する。琉韻失恋の部分が省かれたので、家出一行は季緒のための仇打ちということに落ち着いた。

「允の王太子殿下もご一緒だったんですね。絶世の美少年という噂なのでぜひお会いしたいなぁ」

美少年という言葉に季緒は違和感を覚える。あの体躯で少年はおかしい。

琉韻元気かな。怪我してないかな。腹減ってないかな。

考えた瞬間腹の虫が鳴り響いた。

一瞬の空白が恥ずかしさを助長し、季緒は真っ赤になって俯いた。

「お腹が減っている子供を放っておいては大人の責任が問われちゃいますね」

隣の部屋に向かう姿に季緒は申し訳なさそうに頭を下げた。

「どうされるんですか?桔梗院には戻れないんですか」

「そうですね。王太子殿下に雇ってもらいましょうかね」

「いいですね!琉韻も喜びますよ!オレも嬉しいです」

両手いっぱいに食べ物を持ってきたアルグレスも話に加わる。

「ついでに私もお願いします」

「ダメです天塔圏は!って!天塔圏!!何で桔梗院にいるんだ?!」

まぁいいじゃないですかと笑うアルグレスに季緒は目くじらを立てる。

「では、召喚士様。私に勝ったら教えて差し上げましょう。汝、テュポーンの子であり双頭の怪犬オルトロスの弟、魔界の番を司るもの、我は呼び招く。大いなる意志において我は汝に命ずる。今、我の前に遣わせよ。さらには、汝に遣えし諸々の霊も遣わせよ。我が命ずるために一切をさせんが為に、汝、もし、これをせざれば我は神炎の剣にて汝を荷み、苦痛を掻き立て、汝を焼き尽くさん。従えよ、地獄の公爵ケルベロス」

召喚呪文詠唱終了と共にアルグレスの周りに闇が発生する。術師の足下が円形に光りはじめた。闇を啓くかの様な光線に季緒は眼を閉じる。視界を閉ざすと大きな力の嫌なものが地底から這い出てくるような、全身の毛が逆立ちするほどの悪寒に眩暈がした。これを気と呼ぶのだろうか。マダラの気よりも大きい気がした。光は五芒星を描き光の魔法円が完成すると同時に鼓膜を破るほどの獣の咆哮が轟く。

三つの頭を持ち首の周囲に無数の蛇を生やした大きな犬の幻獣ケルベロス。アルグレスの一言で部屋の仕切りがなくなり、無限に広がる空間と化す。座っていた椅子も消え失せ足元の大理石もなくなって不安定になった季緒は思わず梔子に縋りつく。目の前から食べ物も消えてしまった事を非常に残念に思った。先に食べるべきだったと。

「ケルベロス。地獄の者は手ごわいんですよね。精霊で大丈夫かどうか少し心配ですね」

心配と口にしながらも梔子は余裕の笑みを浮かべる。

ケルベロスは敵とみなした目の前の二人に襲いかかる。梔子は攻撃防壁を張り、マダラは炎の壁を出現させる。灼熱に戦いたケルベロスだったが元の位置に戻り体制を立て直す。

「マズイですか?!地獄の何かを召喚できればいいですか」

目を閉じて、地獄の強いの強いの…と季緒は念じてみる。

強力な咆哮は耳を塞いでも頭の芯まで響いてくる。涎を垂らしながらケルベロスはアルグレスの足もとで唸り続けている。むせかえる獣臭に梔子が自分と季緒の周りの空間浄化をかけた時、空間が大きく揺れて身体が捩じれる感覚に襲われる。

三人の頭上に大きなドラゴンが現れる。七つの頭に七つの王冠を被り十本の角を持つ赤いドラゴンだった。驚くべきは、ドラゴンの首には666の数字が刻み込まれており、その首に騎乗する人物がいることだった。黒い服を着た美しい姿をしており唇から一筋の血を流し続けている。蝋よりも白い肌に真っ赤な血の色が映えて見る者を恐慌とさせる。

「我を呼んだのは誰だい?」

ルビーよりも赤く燃える瞳がアルグレス、梔子、季緒を順に確認する。

「大公爵アスタロト…魔界の4大実力者の一人ですね…素晴らしい。アポカリプティックビーストも」

うっとりとした口調でアルグレスが呟いた。ケルベロスは大きな身体を小さく縮め座り込んだ。勝敗は見るからに明らかである。アルグレスは契約を解除し魔界に還した。光の魔法円も消え失せる。

「オ、オレです。オレ…」

おずおずと手を挙げた子供にアスタロトの視線は固定された。体重を感じさせない動きで季緒の前に降り立つと、666獣は消える。

見上げる季緒は目の前に立つ人物が男か女か考えた。前髪がかかる目は切れ長で鋭く、輪郭が細く面長だ。華奢な体つきをしているが、身長が高い。この空間で一番だろう。二の腕まで伸びた黒い髪は誰かを連想させる。

「あの、血が出てる。もしかして召喚で口切ったのか」

「面白い事を言う。汝の名は何と言うか」

「季」

梔子が後ろから季緒の口を塞ぎ、アルグレスは硬化の呪文をかけた。眼球も動かせなくなり口は「き」の形のまま固まってしまった。マダラだけが自由に頭の上を歩きまわる。

「公、ご足労至極恐悦でございます。公を煩わせる事象は去りました故、どうぞ魔界へお戻りください」

「我を召喚したはそれが子」

本当はアスタロトが召喚されたのではなく、たまたま666獣が召喚されそうなのを見て、久々の外界に気晴らしに行こうとついてきただけである。暇だったのだ。

なので召喚士の制約は受けない。魔界へ還るも還らないも自由である。

季緒の傍にいつの間にかアルグレスが近寄って、耳元で囁く。

「硬化を解呪するけど、魔界の者に自分の名を言っちゃダメだよ。その魔物に支配されてしまうからね」

「うわっ」

急に身体が動き、思わず声がでた。待ち構えたようにアスタロトが問う。

「汝の名は?」

術師達を窺うと、それぞれが頷き返す。

「名は?」

「…………………内緒…」

細く長い指が小さな顎を捉え上向きにする。冷たい指の感触に季緒の背中に戦慄が走った。

後ろで術師二人が密かに印を結び始める。いざという時は強制送還と、術師二人は顔を見合わせた。二人分の魔力で魔界の大公爵に勝てる可能性は極めて低い。でもやるしかない。

「我に名を告げるまで、汝と共にあろうぞ。よろしいか」

「え?」

聞き返す一呼吸が終るか終らないかの一瞬で、アスタロトは季緒の額の中に入り込んだ。

「ええっ?!」

術師達も声を上げる。

「何っ何っ何今の?消えたってか、オレの中に消えた!」

「これは…マズイですね、梔子卿」

「最悪に」

うろたえる季緒は両手で頭を払う真似をしている。涙目なのが痛ましい。

「何が起こったんですか」

梔子は心底同情して言った。

「季緒は悪魔にとりつかれました」


蟻はラニーニャに戻る気がしなかったので、魏杏国のアジトへ向かった。

王子様の無事を確認しねーと仕事にも身が入らねぇや。

アジトの外には馬車が停まっている。その中にはラニーニャで攫われた旅人が何も知らずに昏睡しているだろう。想い人がいないか幌をめくり覗いてみたが美しい姿は発見できなかった。合言葉を確認されてアジトへ入る。宿屋の地下二階にあるアジトは6畳ほどの部屋が二つ続きになっており、一つは攫ってきた者「人形」置き場になっている。

人形置き場を覗く蟻の背中に声が掛けられた。

「玩具が欲しくなったのか?お前なら安く売ってやるよ」

「そんなんじゃねーよ。今日の上がりはこれだけか?」

「あー、奥に上物がいるぜ。そいつは神様行きだ」

ニヤニヤする男とハイタッチを交わす。

「久々だな、神様行きは。高く売れよ」

「勿論。史上最高の高値で売れるぜ」

男の目が熱っぽく隠し小部屋に向けられた。蟻は部屋の奥で仲間たちと酒盛りを始める。

夜も更け、男たちの眠りが深い事を確認し、蟻は奥の部屋の扉を開ける。

窓もない真っ暗な部屋なので炎球で明かりを確保する。布にくるまれた人間の形が床に転がっていた。そっと布をめくると白い肌と黒い髪が見え、蟻の鼓動は早くなるが、鼻が低かった。胸元まで捲ると大きく膨らんだ胸がついていた。

「王子様、どこ行ったんだよ~」

大事な商品なので丁寧に布をかけてやり、乱暴に部屋から出ていく。


干しブドウのパンと野菜を煮込んだスープ、蜂蜜と香辛料を混ぜたフカフカの焼き菓子など、アルグレスお手製の料理を堪能した季緒は話を本題に戻す。

「さっきの勝負ってオレの勝ちですよね?天塔圏が桔梗院にいる理由教えてください」

「君は本当に凄いね。精霊と悪魔を一緒に召喚するなんて、素晴らしい。いいな~、サラマンダーが懐いてるじゃないですか~。私も欲しいなぁ~。でもそんなに長時間一緒にいると私が干からびちゃいます。」

故意に話を逸らそうとしているのか真意を掴めず、季緒は少し苛立った。

「貴方の悪い癖ですね。アルグレス」

目の前の術師は幻獣マニアだと梔子が教えてくれた。幻獣を召喚したいがために術師になったと言っても過言ではない。

「勿論、私が幼少のころから優れた魔力を持っていたのも大きな理由ですが。昔むかしは空にはドラゴンが羽ばたき、道行くノームとお話なんかもできたんですよ。それが今じゃぁ、幻獣は召喚しなきゃお目にかかれないし、魔力を持った人間も生まれず、魔法自体を人間が忘れてしまった。魔術師が生きにくい世の中になってしまいましたよ」

やはり話が逸れている。

「ドラゴンに憧れていたクアルノーブルエフト少年は両親の勧めもあって桔梗院を目指して魏杏国へ旅立ちました。術師になればドラゴン召喚し放題と考えたのです。ところが旅の途中で誘拐されてしまいます。哀れ少年は、他人よりも魔力に優れていたため天塔圏に売られてしまったのでした。魔力を極めるのに桔梗院も天塔圏も大差がないと考えた少年は、天塔圏で魔術に励むのでした。柔軟な精神こそ生き延びる秘訣だね」

同意を求められて季緒は曖昧に肯首する。

「そんなトコロで、私は天塔圏のスパイなんですよ。ビックリした?」

「…した。けどっ、そんなのいいんですか梔子様?!」

「それを言うなら私も同罪ですね。彼から天塔圏の情報を頂いていましたので」

「持ちつもたれつ、世の美徳ですよ。しかし桔梗院のアルグレスとしては、梔子卿に協力はできません。ご了承ください」

「分かりました。しばらく国を離れていたので状況が把握できていません。最近の天塔圏の動きを教えて頂けますか」

真っ白だと思った梔子の黒い部分を垣間見たような気がして季緒は何とも言えない心境になった。

『あやつは汝の父か』

「う、うわぁぁ」

頭蓋骨の中に声が響いて季緒は立ち上がった。

「どうしました」

「あ、頭から声が、あ…」

ついさっきとりつかれたことを思い出してうなだれて椅子に座り直す。

「公ですか。困りましたね。私達の力ではもう何もできません」

「梔子卿の呪力でもダメだったんですから、公が自ら出られるのを待つしかないでしょう」

食事の前にあらゆる解呪法、魂魄離脱術、悪魔払いを試したがどれ一つ効果的なものはなかった。身体や精神に被害が出たわけでもないので、放置という解決策をとった。

話しこむ術師達をよそに、季緒は頭の中に話しかけた。

あのう、あのう、さっきのはどういう意味?

「………」

返答がない。今さら術師達の話に入れず、内容も意味不明な言葉が多かった。手持無沙汰になり食後に出された蜂蜜がたっぷり入ったお茶を口にする。

『汝と奴の気流が同等ぞ』

「え?どういう意味?何が同じ?」

何度問いかけても、声が聞こえる事はなかった。

「そろそろお暇しましょう。お邪魔しました。ありがとう」

「またお会いしましょう、梔子卿。それに召喚士様も」

「あっ!待って待って。教えてもらいたいことがあった!!」

何なりと、とアルグレスは丁寧なお辞儀をする。

「天塔圏のボスってどんな人?ミュ…ミューレイジアムなんとかなんとか」

アレグレスは驚いた顔をした。

「女王を?ご存じで?へぇ~珍しい。私でさえ50年位お会いしてません。どこで会ったのですか?」

「芭荻国。第一王女になってた」

「なるほどなるほど。芭荻国乗っ取りに失敗したか~。物凄い美人だったでしょう?顔を見れたら一日ハッピーになっちゃうんだよな~。あの人には誰も敵いませんよ。ついでに唯我独尊タイプだから群れるの嫌いで一人で全部やっちゃう人。だったら天塔圏なんて創らなきゃいいのにって?それはあの人の元に勝手に人が集まっただけだから本人的には天塔圏はどうでもいいんじゃないかな~」

「えぇぇぇぇ。じゃあ趣味は?」

「う~ん、確か、嫌いな人間を呪い殺す事だったかな」

………琉韻は乗馬とかくれんぼだから、合わないかも…

「じゃあ好きな食べ物は?」

「生肉」

………琉韻も肉好きだけど、生で食べたっけ?

「好きなタイプとか、どんな人が好きなの?」

「タイプ?う~ん、難しい。強い人は好きだと思う。男も女も」

「魔法が全然できない人でも大丈夫?」

「多分。ねぇ召喚士様、強いってのは腕っ節や魔術だけじゃないよ。分かる?」

「うん。琉韻みたいな人だろう?」

「私は允の王子殿下を存じ上げないから何とも言えないけど、そうだろうね」

「王太子殿下はお強いですよ。身心ともにご立派です」

微笑む梔子に季緒は満面の笑みを返す。まるで自分が褒められたかの様に。

「用件は済みましたか?これから市街にでますので、マダラはお引き取り頂きましょう」

「はい。琉韻は見つかりそうですか?」

「可能性は高くないですが、行きましょう。進まなければ」

梔子の常に先をみる姿勢がとても好きだと思う。琉韻も同じようなところがあるな。二人って似てるんだ。

御馳走様!おいしかったと手を振る小さい召喚士の姿が消えるまでアルグレスも手を振っていた。テーブルの上の皿は気持ちいいくらい空になっていた。

彼がこの世で唯一の召喚士か。嫌味なほどに善良だ。洸雨の腹黒さを足せば面白いのに。

知らず顔がニヤけてしまっていた。

子供をつくらずにあの子が死んでしまったら、召喚士はこの世からいなくなるか…

やはり生きにくい世の中だ。

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