琥珀
誰にも見られていないのを確認して、おれは裏門にほど近い、大して高くもないフェンスを乗り越えた。フェンスの外側は植え込みになっていたので足場は悪かったが、有刺鉄線が張られているわけもなく、乗り越えるのは簡単だった。
教員用の駐車場に出る。警備員くらいいるだろうと思ってこそこそ移動するが、少なくとも見える範囲には人の姿はまったくなかった。不用心だな。
まあいい、部外者じゃないのだからもし見つかっても忘れ物を取りに来ただのと言い訳はできる。おれは思い切って旧校舎まで走りぬけた。なにしろ不気味なので、もたもた歩いていたくない。
造成林のなかにたたずむ旧校舎に近づく。初めて夜中に見た木造の古い校舎は、いっそういい雰囲気を出していた。
と、二階でなにか動いたような気がした。しかし一瞬だったのでよくわからない。旧校舎の周りには外灯もないし、新校舎の照明はここまでは届かない。よく晴れた夜空に浮かぶ満月の明かりだけが頼りだ。視界に何か入っていても気づかないかもしれない。
入ってみるしかないか。いまさらながら竹内にかつがれたのかも、という気がしたが、あんなことを言われては確かめずにいられなかった。
もしほんとにマロと琥珀がここにいるなら、なにをしてるんだ。どうしても想像はひとつの方向にかたむいてしまう。その想像が当たってるとしたら、おれはそれを確かめてどうしようっていうんだ。
ただ、竹内は二人が何をしてるか知っている口ぶりだった。おれの想像通りのことだったら、わざわざ見に行かせるとはどうしても思えない。だからおれの想像は間違っているんだ。ほとんど祈るような気持ちで、おれはそう考えていた。
昇降口の扉は空いていた。足音を忍ばせ、一階の廊下を見渡す。特に変わったところはない。やはり二階か。
委員会のメンバーと何度も上った階段を、ひとりで上っていく。階段の隅の方に足を乗せればきしみにくいことは知っているので、どうにか足音を立てずに二階に着いた。
壁に背をつけ、頭だけ廊下側に出して様子をうかがう。
そしておれは見た。
教室をひとつずつ確認して回る覚悟だったが、そんな必要はなかった。
マロや琥珀ではない。そもそも人の姿ではない。それどころかこんなものは生まれてこのかた一度としておれの視界に入ったことはない。
化物。そうとしか表現のしようのないものが、すぐそこに立っていた。
そいつは背中を向けていたようだったが、おれに気づいたのか身体をひねってこちらに「顔」を向けた。
強いて言うなら犬の姿に近いだろうか。四足で歩行し、尻尾らしきものを垂らし、耳らしきものがピンと立っている。
ただし大きさは比べ物にならない。四足のくせに頭の位置はおれより高い。そして全身は真っ黒である。体表が黒いとか、夜だからそう見えるというわけではない。まるで影が立体化したかのように、あらゆる色彩が欠如しているのだ。影と同様に不定形で、輪郭もぼんやりしている。
そいつは光る眼でおれを見下ろしていた。眼かどうかもわからない。動物なら眼があるはずの位置に光がともり、おれに向けられていたということだ。
その眼が急に遠ざかった。
そいつが後退したわけではない。おれが逃げ出したわけでもない。上下の方向に、ほんの一メートルほど遠ざかったのだ。
いつの間にかおれはその場に腰をおろしていた。腰から下の感覚が消えていた。一時間ばかり正座した直後の状態に似ていたかもしれない。立ちあがろうにも、まったく力が入らない。
そいつはこちらに一歩踏み出した。影みたいな身体をしているのに体重は巨体にふさわしいものらしく、床がきしんだ。
「あ、あ・・・・・・」
息をもらしながら、おれは腕の力だけで後ずさった。こういうとき、「うわーっ!」とかいう声は出ないものらしかった。
「矢島くん!?」
遠くで女の声がした。誰だ?
「危ない、にげろ!」
今度はわかった。マロのようだった。
化物の長い脚の向こうに、二つの人影が見えた。こちらに駆け寄ってくる。しかし・・・・・・
化物の口はおれの目の前まで迫っていた。口の中はずらりと牙が並んでおり、なぜかそこだけは不定形でも影でもなく、はっきりと白く輝いていた。
食べられる? 二十一世紀の日本で、しかも学校の中で、動物かどうかもわからない何かに、おれは食べられちまうのか?
後ずさろうとした手のひらが滑り、おれは床に寝転がってしまった。
そいつはおれの上に覆いかぶさり、おれの顔を咥えようとした。その鋭い牙が顔に触れ・・・・・・
いきなり、視界が開けた。
「えっ!?」という男女二人の驚きの声が上がる。
驚きたいのはおれも同じだ。化物は急におれの視界からいなくなった。というより、消えてしまった・・・・・・?
だが化物は一匹だけではなかったようだ。
「矢島くん伏せて!」
と女の声がして、その人物が横たわったままのおれを飛び越していった。
反対方向から迫って来ていた化物に、手にした長細いものを叩きつける。化物の姿は上下二つに分かれ、わずかな間をおいて霧状になって消えてしまった。そのさまはちょうど、黒い液体をスプレーで空中に撒いたかのようだった。
その人物の上半身は真っ白、下半身は真っ赤。上下ともヒラヒラした服だ。あれは、巫女装束・・・・・・?
化物は二匹、三匹とつづけて現れる。そのたびに手にした棒状のものを振り下ろしていく。棒状のもの、あれは剣か。あのシルエットは日本刀だろうか。
斬り伏せられた化物が消えていく。巫女装束の上で長い黒髪と白いリボンが揺れていた。
おれのすぐそばの教室の扉から、もう一匹が廊下側に飛び出してきた。そいつはおれではなく背を向けたままの巫女装束に向かっていく。
「琥珀、後ろだ!」
マロが叫びながらおれを飛び越え、手に持っていた木製の椅子を投げつけた。
椅子は化物の背中に命中し、四本足のバランスが崩れた。
化物がマロに目を向ける。その瞬間、日本刀が巨体を両断していた。また霧状になって消える。
「怪我はありませんか矢島くん」
琥珀・・・・・・? いま呼びかけたのは琥珀か? 確かにあの巫女装束の人物は琥珀の姿をしているが、なんで日本刀なんか持ってるんだ? なによりいまのおそろしい早口は?
「おまえ、なんでこんなところにいるんだ?」
マロが質問するが、おれはとても口がきける状態ではなかった。
「さっきはなにが起きたのでしょうか
また琥珀が言った。なんでこんなに早口なんだ。聞き取れる限界のスピードだ。
「そうだな。琥珀が倒したときの消え方とは明らかに違ったよな。矢島、おまえさっき何したんだ?」
おれは二人の顔を交互に見つめた。そんなことどうでもいい、いったい何が起きているのか説明してくれ!
琥珀の表情が不意に厳しくなった。
「有馬くんまだ・・・・・・!」
「ああ、今日は特別多いな」
まだって、あいつらがまだいるってのか?
廊下の左右から、十個だか二十個だかの黒いものが迫ってくる。形は犬型だけではないらしく、地べたを這うもの、逆に蝶のようにふわふわ飛んでいるものとさまざまだ。
刀を構える琥珀、そばに落ちていた椅子を拾い上げるマロの下で、おれはいま上ってきた階段の方に這っていった。
「矢島くん危ないから離れないで」
と琥珀の早口の制止が聞こえたが、おれは止まらなかった。階段の手すりに手をかけ、どうにか立ち上がる。何段か降りるうちに足の感覚が戻ってきて、おれは駆け出した。
二階から激しい物音が聞こえてくる。それでもおれは止まらず、昇降口のドアを体当たりで開け、旧校舎を抜け出した。
どこをどう走ったのかよく覚えていない。それでも気づいた時にはいつもの通学路の途上を走っていたので、理性はひとかけらだけ残っていたらしかった。
頭の方は無我夢中で、このまま家まで走りたがっていたが、先に身体が限界を迎えた。おれはそばの電柱によりかかり、荒い息をついた。一歩も進めなくなるまで走ったことなんて生まれて初めてだ。
そのときになってようやく下半身の生ぬるい感触に気付いた。ジーンズに見たことのない染みが広がっており、湿った生地が脚に貼りついていた。それは汗なんかじゃなかった。
──ウソだろ。
あんなことがあったからって、高校生にもなって。
いや、それよりいつやっちまったんだ。まさか、琥珀の前で・・・・・・?
最悪だ。あれもこれも、現実に起こるわけがない。起こるはずのないことなんだ。
全部夢に違いない。目がさめれば化物はいないことになっていて、下半身の不快な湿りも消えていて・・・・・・
でも外に音が漏れだしそうなほど高まった心臓の鼓動が、いつまでもおれを夢から覚めさせてくれなかった。
ちくしょう・・・・・・。涙があふれるのを、おれは止めることができなかった。
また学校を休んだ。
その日は布団をかぶったままベッドでゴロゴロして過ごした。起きたのは汚れたジーンズと下着類を洗濯機に放りこんだときだけだった。
次の日も休んだ。
やっぱりゴロゴロして過ごし、午後三時を回ってしばらくたったころ、おれは通学カバンから一枚のメモを取りだした。
そこには数字の羅列が書かれている。「困ったことがあったら電話してね」と竹内から渡された、彼女のケータイ番号だった。
遠回しな告白なんじゃないだろうな、とか思いながらそのメモを受け取った一昨日が、遠い昔のように思われた。
ふたたびベッドに寝転がりながら、電話番号をタップする。
「なんだよ、あれは」
呼び出し音が消えるなり、おれは陰気きわまる声で言った。二日近く発声していなかったので意識しなくてもひどい声になっただろう。
「あ、矢島くん? 昨日も今日も、学校休んじゃったんだ」
竹内の声は明るく乾いていた。
「矢島くん、じゃねえよ。なんだって訊いてるんだ」
「あ──もしかして怒ってる? ちょっと刺激が強すぎたかなあ」
おれは確かに怒っていて、竹内にも充分伝わったはずだ。だが彼女には全く恐れ入った様子はなかった。
「いいから何か知ってるなら説明してくれよ」
「うーん、電話じゃなくて、会って話したほうがよくない?」
電波に乗った音声じゃなくて、直接竹内の口から聞きたい。それはおれにとっても望むところだった。おれが了解すると、竹内は言った。
「六義園病院の裏の方に公園があったでしょ。あそこで会おう」
そういえば小さい公園があった。あまり外に出たくはないが、あそこなら下校するマロたちともはち合わせることなく行けるはずだ。
わかったと短く返答して、電話を切った。
一日中家にいたので気づかなかったが、今日はいい天気だったらしい。少しずつ日は短くなっており、公園に着くころにはきれいな夕日が西の空を茜色に染めていた。
竹内はひとりでブランコに座っていた。子どもたちも帰ってしまったのか、もともと人が集まらない場所なのか、公園にいるのは彼女だけだった。
「久しぶり」
と挨拶した竹内に、おれは「ああ」とだけ返事をした。
「ちょっと、そんな怖い顔しないでよ。悪かったわ、謝るから」
「もういいよ。で、答えてくれるんだろ」
ブランコはもうひとつあったが、おれはそこには座らなかった。そこに座れば竹内の姿が視界に入りにくい。彼女を正面に置きながら話を聞いた方がいいような気がして、おれはブランコの前の柵に腰かけた。
竹内はゆっくりブランコをこぎ出した。キィッと鎖がこすれて音を立てる。
「矢島くんはさあ、アニメとかゲームとか好き?」
「は? いや、あまり」
「そっか、やっぱりなあ」
竹内はひとしきり笑うと、
「矢島くんのツッコミ、ときどきピントがずれてておかしかったんだ。そこかよ!って、あたしが矢島くんに何度突っ込んだことか。心の中でだけどさ。うんうん、やっぱり耐性がなかったんだ。まあ普通はああいう反応になるよね」
「ひとりで納得してんなよ、なんだよそれ」
「あたしはアニメもゲームも好きだよ」
またはぐらかすつもりなのかと思った。だが次の言葉が彼女の「答え」であるらしかった。
「だから思うんだ。あの学校の、というか有馬くんたちの周りで起ることって、ある特定のジャンルのアニメかゲームによく似てるなって」
キィッ、キィッ・・・・・・鎖の鳴る音がいやに大きく響いた。
「特定のジャンルの、アニメかゲーム・・・・・・?」
「特定のジャンルの、アニメかゲーム」
茫然とつぶやいたおれの言葉を、竹内は笑いをこらえながらコピーした。
「なんの話だ、そりゃ。似てるからなんだってんだ」
「フィクション、特に現実には起こり得ないことを扱ったお話をワンランク下に見る人がいるけど、そういう態度って間違いだと思うんだよね。少なくてもいざそれが自分の身に降りかかったときに、現状を理解する助けになるから。ああ、あの作品のストーリー、イベントと似てるなって」
「・・・・・・」
「そうじゃないと何が何だかわからなくて混乱するばかりで、なかなか前に進めない。矢島くんは知識量は多そうだから、興味の範囲は広い方だと思う。だからもう少しエンタメにも興味があったら色々気づくこともあったでしょうけど」
「だからなんの話だよ。おれの興味なんてどうでもいいだろ」
「あたしの興味は偏ってるけど、だからこそ有馬くんたちが絡む事件は『もしかして』と思う。で、その事件を傍らで見ているあたしってなんなんだろうって。まるでアニメとかゲーム、つまり創作の世界に迷い込んじゃったみたいじゃない?」
おれには竹内がなにを言いたいのかまったくわからなかった。
「おれ、あの化物のことを聞きにきたんだけど」
「わかってる、だからこの話をしてるの」
竹内は身を乗り出すようにしてブランコを加速させた。
「この町ってさあ、おかしなことばかり起こるよね。町というより、有馬くんの周りで、と言った方がいいのかな。翡翠に真珠に瑪瑙、その中心にいるのが研磨なんて、そりゃないよね。まさかそんな名前が偶然に集まるなんて思ってないでしょ?」
痛いところを突かれた。それは最初のころに気づいたことのひとつだった。
「金髪はともかく、ピンクとか青い髪してたり、瞳の色もカラフルだし。気づいてる? あれ、みんな自毛なのよ。カラーコンタクトもしてないし」
それも同じだ。あれがみんな、自前のもの・・・・・・?
──バカバカしい。そんなわけあるか。
「それさ、精神的にいっちまってるやつの妄想だぜ?」
「あ、ひどいこと言うんだ。じゃあ矢島くんの周りではなにもおかしなことは起きてないんだね。起きてたとしても、ぜんぶ論理的に説明をつけられるんだね。起きてないって言い張るのも、どうにか説明をつけようとするのも、そちらの方がよほど非常識だと思うけどな」
おれは押し黙った。なにか反論しないと・・・・・・。しかし竹内はたたみかけてきた。
「旧校舎の化物、見たんでしょ。あれはなんて説明するの? 目の錯覚とか言わないよね」
まさにそう言おうとしていたおれの機先を制する。
「あれは・・・・・・心霊現象みたいなものだってことは、認める。でもそれは創作の世界がどうのって話にはつながらないだろ」
「ああ、そう来ましたか・・・・・・」
竹内は苦笑した。
「化物に襲われたりしなかった?」
脳裏に一昨日の夜の情景がよみがえる。あいつはおれの頭にかぶりつこうとして・・・・・・消えてしまった。
竹内はおれの表情を肯定と受け取ったようだった。
「なんともなかったでしょ。矢島くんを危険な目に合わせようと思って旧校舎に行かせたわけじゃないよ。あたし知ってるの。明確に現実に存在しないはずのものは、あたしたちに影響を及ぼすことはできない。化物なんてその最たるもので、あたしたちにじかに触れたりしたら存在自体できなくなる。消えちゃったでしょ、パッて」
「・・・・・・だからなんだよ。それだってなにも証明したことにはならない」
竹内はブランコの上で身体を後ろに倒し、夕焼けの空をまぶしそうに見上げた。
「まあ、認められないのは当然だよね。その気持ちはよーくわかるから。あたしも前は矢島くんと同じ立場だったし。ちょっとじれったい気はするけど、そうやっていろんな角度から疑問を持つのはたぶん重要なことなんだと思う」
ブランコの振り幅はだいぶ大きくなっていたが、竹内は急にブランコを止めた。
「いまこれ以上言っても無駄かもね。疑えることは全部疑って、信じるのはその後でいいよ。いつでも相談に乗るから、そのときはまた言ってね。あ、学校にはちゃんと来ないと、留年しちゃうよ。いちおうあの学校にも留年はあるみたいだから」
竹内はブランコを下りると、そばに置いてあったカバンを手に取った。
すべて聞いたような気がするが、なにも聞いてないような気もする。聞いていなかったとしても質問の言葉は浮かばず、おれはひとりで帰ろうとする竹内を見送るしかなかった。
「あ、そうだ。あとひとつだけ言わせて。これ、一度言ってみたかったんだよね。前はお母さんにこんなことばっかり言われてさあ」
竹内は振り返ると、一言だけ口にした。
「ちゃんと現実を見なさい!」
結局、竹内はなにを言いたかったんだろう。おれは何をしに重い足を引きずって公園まで行ったんだろう。
まとまらない頭をどうにかまとめようとしながら道を歩いていると、家の前に誰か立っているのが見えた。
マロ、それに琥珀だった。
隠れちまうか。とっさにそんなことが頭に浮かんだ。しかしマロがおれに気づき、おれはまっすぐ家に向かうしかなかった。
「矢島・・・・・・いないみたいだったから、悪いけど待たせてもらった。ちょっと時間くれないか」
「話すことなんてねえよ」
おれはマロと顔を合わせずに家に入ろうとした。だがマロがおれの腕をつかみ、無理やり振り向かせた。
「大事なことなんだ。少しでいいから、頼む」
振り向いた拍子に、琥珀の顔をまともに見てしまった。
あのこと、二人にばれているんだろうか。まさかそれを言いに来たわけじゃないだろうが・・・・・・
「お願いします、矢島くん」
そう言った琥珀の口調は、元のスピードに戻っていた。
二人を突き返すのは簡単だが、それはあまりにも子どもじみていて、恥の上塗りをするだけかもしれない。そんな気がした。話を聞くだけならいいか。おれにもふたりに訊きたいことがないわけじゃない。
おれは二人を家に入れた。
おれの部屋はとても人が入れる状態じゃないので、リビングのテーブルに二人を座らせた。琥珀がおれの家にいる──余計なのもいるが。
「怪我でもしたのかと心配したけど、無事みたいでよかった。まず訊きたいんだけど、なんであのとき旧校舎にいたんだ?」
マロが言った。おれは言い訳用に考えておいたことを口にした。
「忘れ物を取りに行ったんだ。そうしたら旧校舎に誰かいるのが見えて」
かなり苦しい言い訳だ。新校舎の教室に入っただけでは、旧校舎に人がいることなんて気づかない。だがマロはとりあえず納得したようだ。
「で、あそこで見たもののことが気になってるだろう」
「そりゃまあ、な」
結局、竹内からはなにも実のある話が聞けなかったし、この二人から聞けるのなら外出する必要もなかったじゃないか。おれがそう思いながらうなずくと、マロが琥珀を促した。琥珀はいつもの笑顔をなくしたまま話し始めた。
「黒い影のような怪物たち、あれは《妖》と呼ばれる、異世界の魔物です」
おれはうつむいて硬く目を閉じた。そんなことを真剣な顔で言われたって・・・・・・。
だが、竹内の説はともかくとして、あれは確かに存在した。見たこともないものを信じるつもりはない。でも珊瑚のときとは違って、おれは見てしまった。今度ばかりは信じるも信じないもなく、ただの事実がそこにあるだけだ。
もしあれが錯覚ならおれにしか見えていないはずだ。トリックならおれみたいなただの高校生にしかける意味がない。どちらも違うなら、ほんとうに世の中にはああいうものが存在するんだ。そこだけはもう認めるしかない。
おれが顔を元に戻すと、琥珀は話を続けた。
「わたしの一族は、人に仇なす存在である《妖》を退治することを生業としてきました。旧校舎には異世界とつながる《門》があるらしく、毎晩、《妖》が湧いて出ていました。それを退治するのがわたしに与えられた責務でした」
おれの頭にひらめくものがあった。
「旧校舎にあんなのがうようよしてたって・・・・・・それって旧校舎の取り壊しのことと・・・・・・」
「そうです。これまで取り壊しが失敗してきたのはおそらく《妖》が関わっているのでしょう。真珠さんの説は当たらずとも遠からずだったんです」
「真珠はもう大丈夫って言ってるけどな。すこしも大丈夫なんかじゃないんだ。真珠の言う気配ってのはただの気のせいか、別の何かと勘違いしてたんだ」
マロが付け加えた。
「わたしはそれほどこの件を重視していませんでした。通常、ひとつの《門》から出てくる《妖》の数は限られています。それを倒し尽くせば《門》は消え、旧校舎の取り壊しも可能だろうと。ですがいくら倒しても《門》は消えず、逆に《妖》の数は増える一方でした。こんなことはありえないんです。そうしているうちに、真珠さんが取り壊しを決めてしまいました。《門》を残したまま旧校舎を取り壊せば、どんな災いが降りかかるか・・・・・・」
琥珀の口調はいつものペースなので、ずいぶん時間がかかった。そのぶん、おれの頭に一応の理解を与えはしたが。
「いつから退治してたんだ? 旧校舎の取り壊しに妖ってのが絡んでたんなら、もう五、六年くらいまえからあそこに現れてたってことだろ?」
「わたしが退治を始めたのは今年の四月からです。それ以前から《門》は存在していたでしょうけど、《妖》は発生していなかった。まれに現れては工事の邪魔をする程度だったのでしょう。一定の数の《妖》が現世にとどまっていればわたしには感知できますから」
「マロたちの入学と同時に現れた・・・・・・」
偶然と呼ぶには、妙な符号に思われた。
「そう、そこは琥珀も気にしててさ・・・・・・これは、おれも信じちゃいないんだけど──」
マロが言葉を濁すと、今度は琥珀が彼を促した。
「琥珀は、水晶が《妖》じゃないかっていうんだ。彼女が《妖》を呼びよせているんじゃないかって」
「水晶って、汀水晶のことか」
わざわざ訊いたのは、なにかオカルト的なアイテムであるところの水晶のことかと思ったからだ。マロはうなずいた。
「確信はないんです。でもほんの微弱なものですが妖気を感じて・・・・・・」
「それは普通の人間からも感じることがあるって言ったじゃないか。やっぱり勘違いだよ。ちょっと口数が少ないだけで、普通の女の子じゃないか、水晶は」
口数が少ないどころじゃないだろ。おまえの感性と記憶力はどういう仕組みになってるんだ。
「とにかく、全部倒してしまえばいいんだろ、《妖》を」
「それはそうなんですが・・・・・・」
マロはおれに向き直り、「そこでなんだけど」と切り出した。ここからが本題であるようだった。
「おまえに襲いかかろうとした《妖》はいきなり消えちまった。いったいなにをやったんだ?」
「なにをって、おれはなにもしてねえよ」
事実だからしょうがない。明確に存在しないはずのものは、あたしたちに影響を及ぼすことができない──竹内の言葉をここでくりかえせばいいのか?
「斬って倒したときも消えたじゃないか。二人がなにか攻撃したんじゃなかったのか」
「いや、どっちも手は出してないよ。間に合わなかったんだ」
「《妖》は肉体を持っていません。そう見えるものは霊子と呼ばれる物質の集合体です。その核を破壊すれば結合が解けて、無害な霊子に戻ります。だから核を破壊した瞬間に霧状に変化して見えます。でも、あのときは違いました。ほんとうにフッと消えてしまったんです」
「だからさ、おまえにはなにか《妖》に対抗する力があるんだよ。・・・・・・頼む、おれたちに力を貸してくれないか」
そういう話か・・・・・・
「なんでおれなんだよ。あるのかないのかわからない力じゃなくて、真珠に頼めばいいだろ。SPがいっぱい協力してくれる」
「それってきーちゃんに頼むってことだろ。学校ごと破壊しそうで不安なんだよ」
まあ、それもそうか・・・・・・。《門》を残したまま旧校舎が壊れるとまずいんだっけ。
「さっき一族でそういう仕事をしてるって言ったじゃないか。他に頼める人はいないのか」
「父はもう戦える身体ではありません。他の方々も日本各地で《妖》討伐をすすめていて、わたししかいないんです」
「じゃあ門ていうのを探して閉じちまうのは」
「もちろんそれは考えました。わたしが委員会に参加したのは《門》を探すためだったんです。でも見つかりませんでした。それは文字通りの門ではなくて、さまざまな形に姿を変えます。せめて旧校舎の《門》がどのようか形かわかればいいのですが」
だから協力して化物と戦えって? あの夜みたいな醜態はもうさらしたくないんだ。竹内の言葉を信じれば怖くない? ありえない。あの言葉を信じるのは、おれが《妖》と勇敢に戦って討ち死にするよりありえないんだ。
他にどう断ればいいんだ。言葉を探していると、琥珀が立ちあがった。
テーブルの反対側に座るおれの横に来て、深々と頭を下げた。長い黒髪のひと房が肩から流れ落ちる。
「無理なお願いなのはわかっています。でもだんだん《妖》の数が増えて、二人ではもう限界なんです。どうか・・・・・・」
おれからも頼む、とマロが琥珀の隣に並んだ。
「やめろよふたりとも! ずるいだろそんなの!」
肩をつかんで、頭を下げる二人を引き起こそうとする。ああ、琥珀に初めてちゃんと触れた気がする。思った以上に細い肩をしてるんだな・・・・・・
頭をあげようとしない二人に、おれはため息をついた。
「・・・・・・わかったよ。でも何も期待しないでくれよ」
二人は顔を見合わせて喜んだ。
・・・・・・そう、それだよ。おれが同意した理由は。
別に正義感からじゃない。町に化物があふれ出ようと知ったことじゃない。それこそ真珠のSPでも呼べばいいんだ。町中で暴れまわったって、どうせ真珠の親父がもみ消しちまうだろうし。
マロと琥珀、ずいぶんと二人で一緒に行動して、意思の疎通も取れてるみたいじゃないか。マロ、おまえは翡翠でも真珠でも瑠璃でも好きなやつを選べばいいんだ。でもな・・・・・・
笑いたいやつは笑え。おれはただ、マロと琥珀をもう二人きりにさせておきたくないんだ。たぶんまだ間に合うはずなんだ。
「・・・・・・このこと、マロはいつ知ったんだよ」
「ああ、夏祭りの夜、というか、珊瑚を見送った後なんだけどな・・・・・・」
おれたちと別れた後、マロは偶然、巫女装束の琥珀を見かけた。翌日、琥珀にそのことを尋ねたが、彼女は言葉を濁すばかりだった。だが琥珀は毎日元気をなくしていっているように見えた。マロはあの夜の琥珀が学校の方から歩いて来ていたことを思い出し、ある晩学校で待ち伏せた。そして琥珀が旧校舎に入っていくのを見て、後をつけていくと──
あとはおれと似たようなものらしい。都合のいい偶然とかいろいろ混じった話ではあるが。──というか、琥珀はあの格好で日本刀を手にしたまま町中を歩いていたのか。
珊瑚の見送りのとき、琥珀は電話に出なかったという。真珠のパーティーも出席しなかった。パーティーのときにマロが妙にそわそわしていたのはそのせいか。琥珀をひとりにさせたことが心配だったんだろう。それ以外にも、夏祭りの日より遅い時間に琥珀に会ったり電話したりしたことはない。
ということは毎晩やってたのか、あの化物退治を。
「で、どうするんだ。今日も旧校舎に行くんだろ」
「ああ、もう少し遅い時間になったらな。悪いけど付き合ってくれるか」
心の準備はできていないが、いまさら今日は行けないとは言えなかった。まだ逃げ道を探している自分が嫌になる。
だが、ふっきれたつもりになったときに限っていいアイデアが浮かぶのだった。
おれはバカだ。何で最初に思いつかなかったのだろう。化物退治なら適任者がいるじゃないか。マロが頼めばきっと断らない、真珠よりもアレキサンドラよりもずっと適任なやつが・・・・・・
「へえ、面白そうじゃない」
マロが一通りの事情を説明すると、「やつ」はおれの予想通りの言葉を口にした。
おれや琥珀は特別なのかもしれないが、マロに化物退治の手伝いができているのなら、この赤髪のデストロイヤーを巻き込んでも問題ないはずだ。マロが頼むまでもなく充分に乗り気になってるし。
そのあたりは予想の範疇だったが、翡翠に出会った場所はそうではなかった。
おれの家を出たら夕凪神社に行って琥珀が巫女装束への着替えを済ませ、その後翡翠のマンションに寄るつもりだったのだが、おれの家を出て数分歩いたところで、一人で歩いていた翡翠に遭遇したのだった。
「あー! やっぱりあんたたち一緒に──って、なんで矢島もいるのよ」
悪かったな。二人の邪魔をするためだよ。「やっぱり」ってどういうことだ。
「翡翠こそなんでここに? 制服のままでさ、家は駅の方だろ」
「あんたたち、一緒に帰ったでしょ」
あやうく銃弾の形に物質化しそうな視線がマロを射る。
「いや、帰ったというか、矢島の家に用があってさ」
「二人とも?」
「そ、そう」
「じゃあなんであたしの目を盗んでコソコソ帰ったのよ! 後をつけようと思ってたのに見失ったじゃない!」
そこはおまえが怒ることじゃないだろ。
「だからあんたの家に行ったのに誰もいないみたいだったから・・・・・・」
「あれ、おれの家、知ってたっけ?」
「て、適当に歩いてたらみつかったのよ!」
そんな無茶な。幼馴染だったらしいからマロの家くらい知ってるのだろうが、そのことをマロに言わないってのはまだ有効だったのか。頑固なやつ。
「なんか最近、二人が陰でなんかやってるなと思って、教室でいろいろ聞いてみたのに不自然にはぐらかすからさ。今日こそ突き止めてやろうって・・・・・・」
マロと琥珀の様子がおかしいことに気づいてたのはおれだけじゃなかったか。後をつけてでも確かめようとする行動力は翡翠らしいのかもしれない。翡翠はマロを見ていたときとは微妙に異なる冷たい視線をおれに投げてよこした。
「で、なんで矢島がいるんだっけ。てっきりマロと琥珀が二人きりでいると思ったのに」
「いや、それなんだけど」
「話してやれよ。ここで会えてちょうどよかっただろ」
おれは渋るマロを促した。三角関係の当事者ならまだしも、そこにまきこまれた部外者扱いされるのは勘弁してほしかった。
そうして事情を話し、目論見通り翡翠を巻き込んだわけだが、それにしても。
「ずいぶん簡単に信じるんだな」
「だって、宇宙人がいたんだから、化物の百万匹や二百万匹いたっておかしくないでしょ」
そんなにいてたまるか。それに論理的には実在してもおかしくない宇宙人と、実在するはずのない化物を一緒にするな。あるいはこういうのも前向きな考えというのだろうか。
「二人でそんなことしてたんだ。ふーん」
マロと琥珀を交互に見つめる翡翠。
「なんだよ」
「ついでにやましいことしてたんじゃないでしょうね」
「してないって!」
「そうです、わたしと有馬くんはそんな・・・・・・」
あわてて首を振る二人。まあ、ウソではないのだろう、少なくても今のところは。翡翠はずいぶんはっきり訊いてくれたものである。おれが訊きたかったことを。
「そう、ならいいけど」
そういいながらも、翡翠は不審そうな視線を向けている。その気持ちはわかるぞ。翡翠はたぶん、おれと同じ立場なんだ。それもおれが彼女を誘おうと考えた理由のひとつだった。翡翠がいればマロと琥珀の仲をけん制してくれるだろうという──ああ、我ながらいやな性格になっちまったな。
カンカンと断続的に響く音が、夜の田舎町の静寂を破る。
音の発生源は翡翠の足元だ。アスファルトに穴をあけそうな鋭く長いヒールのついたサンダル。さらには太もも丸出しのショートパンツに、肩むき出しのキャミソールという出で立ちである。夕凪神社の後に翡翠のマンションにも寄り、彼女が選んだ衣装がそれだ。もうすぐ十月だというのに、寒くないのだろうか。いや、そのまえにいったい何をしに行くと思っているのだろう。
片や露出過多、片や巫女装束の絶世と呼んでもいい美少女二人と、これといって特徴のない男二人。すっかり暗くなった道を進む高校生の集団は誰にも見とがめられることなく、六義園学園に到着した。
「へえ、確かになにかゾクゾク感じるわね。昼間はそんなことなかったのに」
旧校舎に入るなり、翡翠は言った。まだこの時間は化物は現れないとのことで、実際にその姿はなかったが、翡翠には感じるものがあるらしい。おれにはまったくないが。
マロが悪戦苦闘しながら、木の机を解体した。机の脚を武器代わりにするつもりらしく、そのうちの一本をおれによこした。一メートルほどの木刀、というより棍棒といった方が近いか。思ったより頑丈そうだが、こんなものが通用するのか。
「倒すことはできないよ。でも殴ればダメージはあるみたいなんだ。けん制にはなる」
あんな影みたいなものに打撃が通じるというのは変な話だったが、とりあえず攻撃する手段はあるようだ。
マロが翡翠にも棒を渡そうとすると、彼女は首を振った。
「あたしはいらない。あたしの拳の方が固いと思うから」
そりゃすごい。自分で巻き込んでおいてなんだが、化物が現れてもそんな余裕でいられるか?
二階のある教室で、おれたちはそのときを待った。おれは緊張で吐きそうだったのに、三人は落ち着いたものだった。
どれだけ待っただろう。ふいに琥珀が「来ました」と言い、刀の鯉口を切った。マロも獲物を構える。
四つ足の足音が、廊下の向こうから聞こえてきた。
ほんとうにきやがった・・・・・・戦えるのか、ろくに喧嘩もしたことないおれに?
足音が教室のすぐ近くで止まる。開いたままの教室の扉から、そいつがゆっくりと顔をのぞかせた。
その頭は扉の上部にくっつきそうなほどだ。でかい・・・・・・。なにやってんだおれは。あんなのにかなうわけないじゃないか!
そいつは光る眼でおれたちの姿を認めると、突然飛びかかってきた。数メートルの距離が一気に縮まり、おれは思わず後ずさって、後ろの机に腰をぶつけた。
だが琥珀は逆に前進して、素晴らしいスピードで《妖》の脳天に刀を振り下ろした。
両断された犬型の《妖》は、霧状になってから完全に消えた。
琥珀は袴の裾をひるがえした。
「とどめはわたしがさしますから三人はけん制をお願いします矢島くんはもしあの力が自由に使えるならぜひお願いしたいですが無理にとは言いません」
また猛烈な早口になっている。おれと、それに翡翠もいつもと正反対の口調の速さに唖然としていたのだろう。琥珀は笑みを浮かべた。
「普段はゆっくり動くことで力を溜めているの《妖》と戦うときに力を解放すればこうして常人以上のスピードを獲得できるんですでも話し声まで速くなってしまって調整ができないんです聞き取りにくかったらごめんなさい」
素早く動くために普段は遅く動いていた・・・・・・?
それはこの町に来てから聞いたたちの悪い冗談の中でも最悪のものだった。よりによって琥珀の口からそれを聞くなんて。
つぎつぎに現れる化物どもを、マロの助勢を借りつつも琥珀はほとんど一人で倒してしまった。オリンピックのスプリンター並みの速度と敏捷性、それを可能にするパワー。オリンピックなんてTVでしか見たことないから比較はできないが、あるいはそれ以上のことを、琥珀は草履に足袋、日本刀を持った姿で行っているのだった。
竹内・・・・・・おまえの言ってたこと、おれは・・・・・・
「ねえ、みんな琥珀が倒しちゃって、あたしたちの出る幕ないじゃん」
「まだ先は長いんだよ。琥珀もずっとこのペースではいられないんだ」
「なんだ、じゃあちょっと休んでてよ。あたしがやるから」
翡翠が指を鳴らして進み出る。あの化物を見て何とも思わないのか。おれは素肌が半分くらい見えそうなその背中に言ってやった。
「おまえ、怖いとか感じることないわけ?」
「ひとつだけあるわ。それは怖いと感じているあたしを自覚することよ」
なんか哲学的なことを言った。じゃあ結局怖いことなんてないんじゃないか。
再び現れた犬型の《妖》に、翡翠はひとりで相対した。
「翡翠さん正面からでは・・・・・・」
「大丈夫、見といて」
琥珀の制止に軽く手をあげて応える。舐められたことに怒ったようなタイミングで、化物は翡翠に襲いかかった。
ゆらめく黒い炎のような本体の中で、そこだけははっきりと白く輝いている牙が迫る。
ガチン、と上下の牙が噛み合わされる。その間に咥えられていたはずの翡翠の姿はなかった。
次の瞬間、ものすごい音がして巨体が大きく揺れた。いつのまにか側面に回り込んでいた翡翠が、《妖》の横面を殴りつけたらしかった。
倒れはしない。しかし大きなダメージを受けたらしく、足元が定まらない。一発殴っただけだったんだよな・・・・・・?
「へえ、まだ立てるんだ。なかなかやるじゃない」
翡翠がよろめく《妖》に近づいていく。
「じゃあこれはご褒美よ、ワン公!」
翡翠は近くの机を踏み台にして跳躍した。そして体重を乗せた肘を化物の脳天に振り下ろす。
教室が揺れたように思われた。《妖》は押しつぶされたように床に伏せ、動かなくなった。
「えーと、このへんかな?」
倒れた《妖》の脚の間に移動し、翡翠は前足の付け根あたりをヒールの付いた踵で思い切り踏みつけた。
影が霧状に変化し、《妖》は消えた。
「翡翠さんあなたは一体・・・・・・」
琥珀が茫然とつぶやく。おれも同じ気持ちだ。
「いくつか格闘技をかじってたの。いまやったのはほとんど自己流だけど。あたし人よりちょっと力が強いみたいでさ」
かじってた。自己流。ちょっと力が強い。そんなありふれた言葉で説明しないでくれよ・・・・・・
「《妖》の核を見つけられたのは?」
「琥珀を見てたらさ、だいたい同じところを斬りつけてたから。それになんか身体の中心にもやもやしたものが見えるのよ。それが弱点だろうと思って」
琥珀は軽く額に手を当てた。
「ちょっと信じられませんが何にせよ心強いです一緒に戦ってもらえますか?」
「もちろん! そのために来たんだから」
翡翠が加わったことで、琥珀もだいぶ楽になったようだ。
だが相手はひっきりなしにやってくる。二人は大物の《妖》にかかりきりになり、打ち漏らした小物の世話はおれとマロが引き受けなくてはならなかった。
マロは腰が引けたままのおれをかばうように立ち、棍棒で敵を殴りつける。どうにか弱らせたところを手のあいた琥珀か翡翠がとどめをさすというパターンだった。
かっこ悪いな、おれ。
最初はそう自嘲していたものの、しだいにそれどころではなくなっていった。マロだけでは手が足りなくなり、おれも小物の相手をせざるをえなくなったのだ。
一匹の《妖》がじりじりと迫ってくる。形は犬型に似ているが、せいぜい大型犬程度のサイズだ。あれならなんとかなるか・・・・・・
四、五メートルの距離から、そいつは飛びかかってきた。その動きは直線的だったので、上段から振りぬいた棍棒を頭にヒットさせることができた。
手ごたえがあり、そいつは空中で跳ね飛ばされた。しかし着地するとすぐに体勢を整える。たいしたダメージではなかったようだ。
見ろ、竹内。消えたりしないじゃないか。あのとき消えたように見えたのは、何か別の原因だったんだ。もともと影みたいな不定形なやつらだ。急に消えたっておかしくない。
物思いにふけってる場合ではない。《妖》はふたたび距離を詰めてくる。動物なら唸り声をあげてるところだろうが、こいつの口からはなにも漏れてこない。
こんどはこっちから仕掛けるか? 迷った末におれは不用意に一歩踏み出してしまい、その瞬間を狙われた。
ジャンプする《妖》。おれは棍棒をかざしてそいつの牙を防いだが、衝撃で後ろに飛ばされ、机や椅子に身体中を打ちつけながら床に倒れこんだ。
その過程で勢い余った《妖》の前足がおれに触れ──そして消えた。
TVの電源を切り、映像が消えるように。そこにあったはずのものがなんの痕跡も残さずに消える。たしかに琥珀たちが倒したときとは違う消え方だった。
そうか。竹内は言ってたじゃないか。「あたしたちにじかに触れたら」と。それは文字通り、道具を介してではなくおれの身体に直接触れれば、ということか。
竹内の言う通りになった。これは竹内説を認めなくちゃならないってことなのか・・・・・・?
小物の《妖》はつぎつぎと襲いかかってきたが、おれは棍棒でけん制し、余裕があるときだけ自ら手を伸ばして相手に触れることに努めた。
たしかに間違いなく《妖》は消える。だったらおれは何もする必要はないのだが、こちらを殺すつもりで向かって来ているであろう相手に対して、無防備に突っ立っていることなどできなかった。
一応、おれが戦力に加わったことでさらに余裕が生まれた。しだいに《妖》が現れる間隔が短くなり、ついに途絶えた。
しかしそれで終わりではなかった。
「人間ども・・・・・・」
どこからか声がした。男とも女ともつかない、変声器を何重にも通したような声に、おれは思わず身をすくませた。
どこだ? いまの声は誰の──
「伏せて!」
琥珀が叫ぶと同時に、隣の教室との壁が轟音とともにいきなり吹き飛んだ。
壁に直径三メートルほどの大穴が開き、そこからなにかが出てこようとしていた。
「あれは・・・・・・上級霊」
これまでにない焦りをにじませて、琥珀がつぶやいた。
「上級霊?」
「ええこれまでの低級霊とは比較にならない力の持ち主ですまさかこんなところに現れるなんて」
そいつは完全に姿を現した。人型をしていた。動物の姿が低級で、人間の姿が上級。わかりやすくて結構だ。人型といってもその頭は天井近くにあり、今までで一番でかい。身体の割に足は短く、おれたちと変わらない。そのかわりに腕が異常に長く、床につきそうなほどだ。直立した巨大なゴリラというところか。
「これまで邪魔をしてきたのはきさまらか」
また声がした。神経にやすりをかけられるような不快な声。
「妖がしゃべった・・・・・・?」
「それだけではありません上級霊は人間以上の知能を持ちさまざまな妖術を使います」
上級霊の頭には二つの目が光っていただけだったが、口のあるはずの部分に変化が生じた。
「よけて!」
再び琥珀が叫び、翡翠とマロが巨人との対角線から離れるように跳躍した。だがおれはどうしていいのか分からずその場に立っていた。
身体に強い衝撃が走った。琥珀がおれに体当たりするようにして床に伏せさせたのだ。
直後、さっきと同等の轟音が響き、教室の壁に穴が開いた。
「大丈夫ですか?」
「・・・・・・ああ、琥珀こそ」
琥珀にも怪我はなさそうだった。あいつはなにをしたんだ。口から何か吐き出したのか。
マロと翡翠も無事らしいのを確認すると、琥珀は言った。
「皆さんは逃げてくださいここはわたしひとりでどうにかします」
「強がり言わないの。あたしは手伝うわよ・・・・・・でも、そうね、マロと矢島は逃げた方がいいわ」
おれも残る、とマロは言ったが、翡翠は珍しく緊張を浮かべていた。
「足手まといだって言ってんの! とっとと行って!」
たしかに翡翠の言う通りだ。別に臆病からいってるんじゃない。冷静に考えても、超人的といっていい二人のとなりでおれとマロが戦うことはできない。
でも、もしおれがあいつに触れることができれば。上級霊だろうがなんだろうが、やっぱり消えちまうんだよな?
「ひとりも逃がさぬ」
また巨人の口元に変化が生じる。その顔がこちらを向くのを見て、こんどは自分から床に身を投げ出した。
ガラスの割れる派手な音がして、窓ガラスが窓枠ごと粉砕されて外に落ちていった。外から夜風が流れ込んでくる。
まともに食らったら死ぬ。抑え込んだと思っていた恐怖が再び身体を満たしていく。触れれば消えるとしても、どうやって近づけばいいんだ。
「あたしたちが引きつけるから、その間に逃げなさい」
と言い残し、翡翠が巨人に向かっていく。琥珀もそれに続いた。
片方は素手で、片方は日本刀で巨人に近づこうとする。しかし長いリーチの腕がその行く手を阻み、ときに発せられるあの衝撃波がふたりをかすめる。
「マロ、行こう」
「二人を置いて逃げるのかよ!」
「おれたちは邪魔になるんだよ!」
とどまろうとするマロの腕を引っ張り、おれは巨人が二度目に空けた穴から出ていこうとした。
マロの言う通り、いくらおれがビビりまくっていても琥珀と翡翠を置いて逃げるつもりはない。おれの頭にひとつの案が浮かんでいたのだ。巨人は最初に空けた穴を背にしている。その向こうは隣の教室だ。逃げたと見せかけて廊下から隣の教室に入り、気づかれないようにあの穴を通り抜けて巨人の背中に触れる。巨人がふたりの攻撃に気を取られている今ならうまくいくんじゃないか。
マロとともに隣の教室に入る。穴からもともといた部屋を覗き込むと、巨人はたしかに背中を向けているが、教室の真ん中辺りまで移動してしまっている。壁に隠れながら背中に触れるというわけには行かなかった。
巨人がいつこちらを向くかわからない。もたもたしていたら事態は悪い方へ転がるばかりだろう。おれは一気に穴を抜け、巨人に向けて走り出した。
そのとき巨人の背に二つの光点が発生した。そしてその少し下に丸い穴が開く。
光点がおれの方を向いた。背中から顔が生えてきた──と思ったとき、丸い穴、つまりもうひとつの口から衝撃波が発せられるのを、おれは確かに見た。
思わず腕で頭をかばう。が、そんなものに効果はないはずだった。この一撃でおれの身体はバラバラに・・・・・・
だがいつまでも衝撃はやってこなかった。おそるおそる目を開くと、おれたちの前にずたずたに引き裂かれた巫女装束が立っていた。
「琥珀・・・・・・」
「わたしは大丈夫・・・・・・早く」
逃げて、と言おうとしたのだろうが、その身体が力を失い、おれはあわてて彼女を支えた。
琥珀が盾になってくれた。
そう認識した瞬間、極度の緊張状態にあった身体に血液がめぐったような気がした。
血は脳ミソにも届いたようで、猛烈な勢いで頭が回転した。
おかしいじゃないか。琥珀の身体にどんな衝撃が加わったのか分からないが、教室の壁を吹き飛ばすような攻撃を完全に受け止めたのか? 琥珀がこんなに近くであれをくらったのに、おれはそよ風ひとつ感じなかった。さっきもそうだ。窓を破壊されて外の風が入ってくるのはわかったのに、その直前におれをかすめたはずの衝撃波からはなにも・・・・・・
そういうことか。
動きを止めた琥珀に向け、巨人が再び口を開いたとき、おれは迷わず彼女を背中にかばった。
衝撃が届いたはずなのに、なにも感じない。
二回、三回と撃ったようだが、おれの髪の毛すら揺らすことはなかった。
おれは無造作に巨人との距離を詰めていった。
考えてみれば当然だった。おれが触れれば《妖》本体が消えるのに、《妖》の攻撃だけがこちらに届く道理はない。最初に壁を破壊したのを見たことでビビっちまってたんだ。それだけじゃない。これ以上竹内説を認めることにつながる行動を、おれは避けていたんだ。
そんなことのために琥珀に怪我を負わせた。自分に向けられそうな怒りを、いまは目の前の敵に転化して、おれは進んだ。
「きさま・・・・・・!」
おれに攻撃が届かないことに巨人は怒りの声をあげる。身体ごとおれに向き直り、背中に生えた顔が胸のあたりに回り込み、二つの口から衝撃波を放つ。
なにをしたって無駄だ。待っていろ、おれが消してやる。
だが巨人は意外な行動に出た。長い腕で手近な机をつかみ、おれに投げつけたのだ。
全く予想していなかったおれはどうにか頭をかばったものの、机の直撃を食らって弾き飛ばされた。
「いい加減にしなさいよっ!」
床に転がったおれは、巨人の腕をかいくぐった翡翠が、胸のあたり回り込んだもう一つの顔にパンチを叩きこむのを見た。
苦悶の声が上がり、胸の顔を腕で抑える。両眼と口がぐにゃりと歪み、消えてしまったようだ。
とどめとばかりに翡翠が接近するが、よろめいた巨人が長い腕を振った。
翡翠の細身が吹き飛ばされ、学校中に響き渡るような音を立てて壁に激突した。
やばいだろ、いまのは・・・・・・。大型トラックと正面衝突したようなものだ。いくら翡翠でも無事では・・・・・・
次はおれの番か。また机を投げつけるつもりか。
立ち上がろうとすると、左腕に激痛が走った。いままで経験したことがないほどの痛み。机の直撃を食らった部分のようだが、まさか折れてるんじゃないだろうな。
琥珀が言った「人間以上の知能」とはこういうことか。まさかおれに直接触れない攻撃に切り替えるとは思わなかった。おれが棍棒で《妖》に多少なりともダメージを与えられたのだから、その逆も可能ということらしい。くそっ、変なところだけ理屈っぽいじゃないか。
「よくもやってくれたわね・・・・・・!」
壁に激突したはずの翡翠が立ちあがる。無傷とは行かなくても、まだ十分動けるようだった。あれでその程度かよ・・・・・・もう、おれの常識なんて何の価値もないのか。
巨人の口が翡翠に向いたとき、おれは腕の痛みをこらえて両者の間に飛び込んでいた。衝撃波が発したようだが、翡翠の盾になれた。
それだけではない、思ったより巨人のそばに着地していた。この間合いなら道具を投げつけられることはない。おれは夢中で巨人に体当たりをかけた。
巨体に似合わないステップでかわされた。しかしおれに触れればどうなるか理解したらしい巨人の動きはひどくあわてていて、大きくバランスを崩す。
「上出来!」
その声に頭上を見上げると、翡翠のヒールが巨人の顔の中央にめりこんでいた。
巨人は後頭部を壁に打ち付け、何度目かの衝撃が校舎をゆすった。
カンッ、と鋭い音を立てて翡翠が着地する。強烈な蹴りを入れたらしいが、ろくな足場もないのにどうやって天井間際の頭部を蹴ったんだ。
そこからは何もする必要はなかった。数発の翡翠の拳が叩きこまれ、上級霊とやらは完全に動きを止めた。
「頭はだめ、胸もだめ、こいつの核ってのはどこかしらね」
床に伏せた巨人の上を、翡翠のヒールがさまよう。これまでよく折れなかったな、あれ・・・・・・
「待ってください、翡翠さん」
琥珀がマロに支えられて立っていた。口調は元に戻っている。
「なんで? こんなやつとっとと潰しちゃおうよ」
悪役みたいなこと言うな。
「いえ、上級霊がいるなら訊きたいことがあったんです。少し時間をください」
琥珀はマロの手を離れ、ひとりで巨人の前に立った。思ったよりひどい傷ではないのかもしれない。
「わたしの言うことがわかりますね。教えてください、あなたたちの目的を。ただこの建物を、《門》を守りたいだけなら、毎夜出現する意味はないはず」
《妖》の眼が琥珀に向けられ、何事かしゃべりだした。ただし口は動いていない。どういう構造なのかわからないが、あそこは攻撃時にしか使わないようだ。
「裏切り者を始末するためだ」
「裏切り者・・・・・・?」
「禁忌の法を用い、人として現世で生きることを選んだ、かつての我らの王」
琥珀が息をのんだようだった。
「あなたがたの王を倒そうというのですか。なぜその者は《妖》を裏切ってまで現世で暮らそうなどと・・・・・・」
「二千日の昔、王はこの場所で人間の子どもと出会った。そこで人間の毒に惑わされたのだ」
「いまどこにいるのです、その者は」
「きさまらのすぐそばに」
「おまえたちが現れるのはこの旧校舎だけだ。おれたちのそばに《妖》などいるものか」
即座にマロが反応した。
「禁忌の法の使用者は完全な人の姿を得る。だが失うものがふたつある」
「なんです?」
「《妖》としての力、そして声だ。それゆえの禁忌なのだ」
声を失う──たぶん、おれたちの頭には同じ名前がひとつ浮かんだと思う。
「知っているのならきさまらの手で殺すがよい。さもなくば我らは何度でも現れるであろう」
巨人が不意に口を開いた。あれを使おうとしている・・・・・・!
おれはとっさに足をのばし、そいつの身体に触れた。
音もなく、巨人は消えた。
「もう《妖》の気配はありません。今日はここまででしょう」
琥珀の言葉にほっと息をついたのも束の間、左腕の痛みがぶり返した。体中から脂汗がしみだしてくるのがわかった。
「みなさんに怪我をさせてしまって・・・・・・」
琥珀はマロの左手を取った。手の甲から一筋の血が流れている。
「雑魚に引っかかれただけだ。なんともないよ」
次の琥珀の行動に、おれは声をあげそうになった。琥珀はマロの手を口元に持っていくと、血の流れている部分に口をつけたのだ。
「ちょっと琥珀、なにしてんのよ!」
翡翠があわてて琥珀を引きはがす。
「あれ、血が止まった・・・・・・というか、傷が消えた?」
マロが傷のあった場所を見ながら茫然とつぶやく。
翡翠さんも、と言って、琥珀は翡翠の背中に回り込んだ。吹き飛ばされたときにできたのであろう痣が背中に浮かんでいた。そんな格好でくるからだ。じゃなかった、なんでその程度で済んでるんだ。
琥珀はその痣にも口をつけた。ちょっとどぎまぎする光景ではある・・・・・・
「うそ・・・・・・痛みがなくなった」
「霊力の応用のひとつです。大きな傷は治せませんが」
「ああ、そう・・・・・・悪かったわね、引っ張ったりして」
琥珀は軽くうなずくと、おれに向き直った。そして左腕を注視する。
「これは──骨に異常があるかもしれません。わたしにここまでの傷は治せません・・・・・・」
え、おれにはやってくれないの? すっげえ痛いんですが・・・・・・
「でも一時的に痛みを抑えるくらいなら」
琥珀は腕を動かさないようにかがんで、ひじに近いあたりに口をつけてくれた。柔らかい感触が──なにも感じなかった。痛みのあまり、触れたのかどうかもわからなかった。
相当ひきつっているであろうおれの表情に変化がないのを見て、琥珀は首をかしげた。
「変ですねえ。多少なりとも効果はあるはずなんですが」
「い、いや、少し痛みが引いた気がする・・・・・・」
ウソである。まったく痛みに変化はない。わかったよ、琥珀の霊力とかもおれには通じないってことなんだろ。
「いまから病院に行きますか?」
「いや、いいよ。放っておけばよくなるかもしれないし。琥珀は大丈夫なのか」
「この程度は以前はしょっちゅうでした。霊力が回復すれば問題ありません」
以前は、か・・・・・・。こんな危険なことばかりやってたってことか。もはやどんなツッコミも浮かばず、おれは琥珀に同情するしかなかった。
「いろいろ話さなきゃならないことができたけど・・・・・・今日は帰って休むか。なんの役にも立ってないおれが言うのもなんだけどさ」
マロが言った。建設的な意見というべきだった。
「ちょっと待って、ひとつはっきりさせたいことがあるの」
帰宅にかたむきかけた流れを、翡翠が引き止める。なんだよいったい・・・・・・
「さっきあいつ、二千日前に《妖》の王様が人間の子供と会ったって言ったよね。二千日っていったら五、六年前でしょ。その子供って、マロ、あんたのことじゃないでしょうね」
視線がマロに集まる。なんの話だ?
「おれ? なんで? 高校に入学してはじめて旧校舎に入ったんだけど」
「ウソつき。九歳のときに入ったことがあるでしょ」
「九歳って・・・・・・そのころここはとっくに廃校になってて、立入禁止だったはずだろ。なんで翡翠がその頃のこと知ってるんだよ」
「あんたね・・・・・・」
翡翠はイライラとつま先で床を叩いた。
「思い出すまで黙ってようと思ってたけど、もう我慢できない。九歳のときここで探検したじゃない! あたしと、瑠璃と、あんたの三人で!」
「翡翠と瑠璃と・・・・・・?」
「そりゃ、あたしはそのあとすぐに引っ越しちゃったけど、瑠璃だってあたしのこと覚えてたのよ!?」
マロはうつむいて頭をかきむしった。
「そっか、おれは翡翠と会ってたのか・・・・・・。瑠璃のやつ、先に会ってたならなんで教えてくれなかったんだ」
「少しは思い出したの」
「いや、無理だ。だって・・・・・・」
「言い訳なんか聞きたくない!」
「しょうがないだろ、おれ──九歳より前の記憶がないんだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます