珊瑚

 夏休みには大小さまざまな事件が起きた。それらはたいてい夏休みのいい思い出としてひとくくりにできるものであって、あえて語るほどのものでもない。

 ただしその中のいくつかはおれ自身の正気を疑うような事件や現象も含まれていて、おれは自分でも気づかないうちにけっこう追い詰められていたのかもしれなかった。

 夏休みがそのまま終わってくれれば全部偶然とか思いすごしと片付けてしまったかもしれない。だがそうもいっていられないことが、夏休み最後の日に起きた。

 八月三十一日。夏休み最後のスケジュールを消化するのは夕方からだったので、おれは午後になるまで家で家事とか明日からの学校の準備をして過ごした。宿題はすでに片付いている。我ながら結構その辺はまじめなのだった。中学生までと違って自由研究がないので楽なものだ。

 午後三時を回り、おれはポロシャツとジーンズのお手軽な服装で家を出た。目指すは夕凪神社。琥珀の家だ。別に神社そのものに住んでいると思っているわけじゃないが、おれのなかではイコールで結びついている。

 今日は神社で夏祭りがあるのだった。そこにまたしても委員会のメンバーで参加することになっていた。他に予定はないのかあの連中は。おれもだけど。

 また待ち合わせてマロの家に行こうという哲の誘いを断り、ひとりで神社に向かう。そう言えばあそこに行くのは初めてだった。夏休みに行く機会は何度かあったものの、琥珀の邪魔をしては悪いと思って行かなかったのだ。

 参道に着くと、ずらりと屋台が並んでおり、すでにかなり混み合っていた。その風景は東京の地元の祭りと大差ないものの、敷地が広く店の数も多い。

 あちこちに「建立二百周年」というのぼりが立っているので、例年以上に大規模なのかもしれない。規模だけでなく由緒もあるようだ。

 マロと哲を見つける。女子チームはまだ誰も来ていない。ふたりは浴衣姿だった。ずいぶんマメだな。

 そういえばいつの間にか二人の肌の色は完全に元に戻っている。海に行ったときにおれと同様に真っ黒に日焼けしたはずだ。おれはまだ日焼けが残っているのに、海辺の町で暮らしていると新陳代謝も早いのだろうか。

 やがて真珠、翡翠、瑪瑙が到着した。こちらも全員浴衣。この町の人は高校生でも浴衣を持っているのか。哲が彼女らの浴衣姿に興奮状態だが、おれにはよくわからない。

 ぶらぶら屋台を冷やかしていると、前方に金とピンクの頭が並んで立っているのを発見した。後姿でも見間違えるはずがない。アレキサンドラと珊瑚だった。

 アレキサンドラはまだしも、珊瑚のピンクの髪を誰も気にしていない。翡翠の赤や瑪瑙の緑にしてもそうなのだが、学校だけでなく町の人まで気にしていないのはどういうことなのだろう。

 哲が二人に声をかけ、おれたちは何となく一緒に行動することになった。

「きーちゃんも珊瑚ちゃんもすっげえ似あってるよ、その浴衣。な、マロ、矢島」

 マロがうなずき、おれは曖昧な笑顔を浮かべた。アレキサンドラの浴衣には裾に巨大な富士山が、珊瑚のはいくつかの天体が描かれている。どう突っ込んだらいいんだろう。

「サンキューデス。哲サンたちも素敵デス」

 それは安っぽい服装のおれを除いてのことか。まあいいけど。

「ちょっと永野さん。その言葉はあたくしたちにもかけていましたけど、いったい誰が一番似合っていると思っているんですの」

「そうね。他の二人もうなずいてたし、男どもにひとりずつ発表してもらおうかしら」

 真珠と翡翠がここぞとばかり結託する。面倒なこと言いだしやがって、おまえたちはマロの評価だけ聞ければいいんだろう。

「ちょっと二人とも、そんなのやめようよ。マロくんたち困ってるよ」

「瑪瑙、あんただってほんとは聞きたいんでしょ。いいのよここは言わせて」

 せっかくの瑪瑙の救いの手を、翡翠がはねのける。瑪瑙の気持ちはありがたいが、「マロくんたち」でひとくくりにしないでほしい。

 五対の視線が男子チームに集まる。いくつかの視線はマロ個人にだったが。

 さて、どうする。琥珀がいれば彼女の名前をあげるところだが、それはもはや告白するようなものだ。実際には言えないだろう。子どもみたいで可愛い、とか冗談にまぎらわせることができそうな珊瑚の名前をあげるのが無難か?

 あれ、そう言えば珊瑚はまだ一言もしゃべってないような・・・・・・

「あー! 琥珀ちゃん!」

 突然、哲が大声をあげ、人波をかき分けつつ本堂の方へダッシュした。マロが続き、おれも続いた。真珠と翡翠の非難の声が上がる。

 あからさまに逃げたのだが、哲が琥珀を見つけたのは事実だった。大手柄だ、哲。あとでワタアメでもおごってやろう。

 琥珀はおみくじ売場の番をしていた。あれが巫女装束か。あれってあんなに身体の線が出るものだったっけ? もっと野暮ったい衣装だった気がしていたが。まあ琥珀が着てるならなんでもいいか。売り場に行列ができているのは、別に彼女の動作が遅いからではあるまい。おれの意見に同意するやつが多いということだ。

 そういえば哲はあの衣装を「巫女服」と呼んで譲らなかった。そんな妙な呼び方があるものか。巫女装束の間違いだろう。

 おれたちはおみくじの列に並んだが、なかなか進まない。やっぱり琥珀ののんびり加減が影響しているのかもしれない。だいぶ待ったあと、マロと哲がそれぞれ挨拶しておみくじを買い、列から抜けた。おれもおみくじをもらい、列から抜けるときに、思い切って(しかし小声で)言ってみた。

「あのさ・・・・・・すごく似あってる」

「ほんとうですか? ありがとう」

 いつもの笑顔にいつもの口調。完全に空振りだったようだ。そういえば明日は学校、琥珀と顔を合わせることになるじゃないか。せめて哲みたいな言い方にしておけばよかったか・・・・・・

 ちなみにおみくじはマロが大吉、哲が大凶、おれが末吉だった。大凶なんて初めて見た。

 待ち伏せていた女子に見つかり、おれたちは真珠と翡翠に散々なじられた末、おごらされる羽目になった。他はどうか知らないが、真珠と翡翠はおれよりはるかに金持ちのくせに。おまえたちがおごったらどうなんだ。

 焼きそば、焼きトウモロコシ、たこ焼きと「焼き」のつくものから始まり、ジュース、かき氷、水あめが次々に彼女たちの胃袋に消えていく。おれの財布の中身も消えていく。

 アレキサンドラもちゃっかり参加しているし。珊瑚は、と見ると、彼女だけ何も持っていない。母親に手をひかれる子どものように、アレキサンドラの手を握っているだけだ。珊瑚には何も買ってなかったっけ? というか、今日彼女の声を聞いたか? 何度かつまずいて転んだものの、ベソもかかずに一人で立ちあがっていたし。

 おれは珊瑚の隣に移動し、話しかけてみた。彼女はこけるときに手や膝をついて身を守るということをしないので、浴衣があちこち汚れてしまっている。

「今日はバイト、休みなの?」

 あれ以来ノイシュヴァンシュタインには哲と一緒に何度か訪れて、珊瑚とアレキサンドラとは気軽に話せる程度には仲良くなっていた。

 二人の思考には特殊な部分が多々あって、ときどきついていけないのだが。

「ううん、ちがうよ。きーちゃんは休みだけど、あたしは昨日で辞めちゃったから」

「辞めたの? なんで?」

 それは初めて聞く話だった。このまえ行ったときには普通に働いてたのに。

「宇宙船の修理費がたまって、やっと修理も終わったの」

 ああ、その話、まだ続いてたのか。夏休みの前に「もうすぐたまる」って言ってたっけ。二百何年かかけて働いたお金が。

 作り話に合わせるために、なにも実際にバイトを辞めなくてもいいだろうに。

 また珊瑚のネタに乗ったほうがいいのか。あるいは明日から二学期だしその話は終わりにした方がいいんじゃないと説得するか。

 おれが迷っていると、珊瑚が「あっ!」と声をあげた。

 射的の屋台の前だった。珊瑚の視線は一番上の段にある景品に注がれているようだ。緑色のカエルのキャラクターの大きなぬいぐるみ。見たことのあるキャラクターの気がするが、おれの記憶にある姿とはだいぶ違う。パチモンなのか。ほかのキャラクターもどこかで見たことがあるものばかりだが、デザインは明らかに本物と違う。

「あれ欲しいの?」

「・・・・・・うん」

 よし、と珊瑚にうなずき、おれは眼光の鋭い店番のおっちゃんに硬貨を渡した。たまにはいいとこ見せよう。

 小学校のとき、エアガンが流行ったことがある。一丁は持っていないと仲間外れにされたものだ。おれはなかなかの命中率を誇り、射撃を特技とする某国民的アニメの眼鏡のキャラクターの名前を、そのままあだ名として贈られたのだった。あまりうれしくはなかったが。

 コルク弾が背後の壁に当たって情けない音を立てる。いっぱいに身体を伸ばして景品に銃口を近づけるが、結果は同じ。一回三発の射撃を五回繰り返してもやっぱり同じ。そこでおれの所持金が尽きた。

 射的のライフルの精度なんて当てにしてないが、かすりもしないってどういうことだ。

「兄ちゃん、へたっぴだなあ」

 といいながら、おっちゃんが一番下の段にある五センチほどのストラップをくれた。狙っていたぬいぐるみと同じキャラクターがくっついていたが、こちらはいかにも安っぽい。

「面目ない・・・・・・」

 情けない思いを抱えながらその人形を渡すと、珊瑚は目を輝かせた。

「ううん、ありがとう! ずーっと大事にする!」

 そんな大げさな。気を使わせちまったか。取ってやりたかったな・・・・・・



「ほんとはきーちゃんにしか言うつもりはなかったんだけど・・・・・・」

 さんざん食ったあとは金魚すくいだの輪投げだのヨーヨー釣りだので(主に哲のお金で)遊び倒し、結局閉場時間までいてしまった。屋台の後片付けが始まるなか、珊瑚が「ちょっと話があるの」とおれたちを境内の裏側に集め、その第一声を発したのだった。

 周りに人の姿はない。たまに神社の関係者らしい人が通り過ぎるが、琥珀がおれたちの輪に加わっているのを見ると何も言わなかった。

「みんなの顔を見てたら、黙って行っちゃうのは悪い気がしてきて」

「行っちゃうって、どこへ?」

 マロが訊いた。珊瑚自身のほかに事情を知っているらしいのは、彼女の隣で珍しく沈鬱な表情を浮かべているアレキサンドラだけだ。

「宇宙船の修理が終わって、故郷の星に帰るの。今日、というか明日かな。午前0時に出発」

 誰か吹き出すかと思ったが、だれもそうしなかった。いつもの子どもみたいな裏表のない笑顔がちょっと寂しげに見える珊瑚の前では、笑いだすのははばかられたのかもしれない。

 だが、もちろん、誰も珊瑚の話を信じてなどいない。おれたちは困った顔で、おまえ何とか言えよ、という視線を交わしあった。

「これからといいますと、ずいぶん急ですねえ」

 琥珀が言った。その口調は真剣だが、信じてるわけじゃない──よな?

「ほんとはもう少し時間がかかると思ってたの。エンジンの修理の最後の部分で、わたしにはどうしてもわからないところが見つかって。でもね、夏休みになってアメリカの某宇宙開発機関に忍び込んでみたら」

 なんか物騒なことを言い始めた。

「修理のヒントが見つかったの。いつの間にか地球の科学技術も進んでたんだね。お金も貯まってたから、それでどうにか宇宙船の修理が終わって夏休み中に出発できることになって。でも二学期が始まったらみんなと別れるのが寂しくなっちゃうから、きーちゃんにしか言わなかったの」

「ええと・・・・・・その宇宙船てどこにあるの?」

 今度は瑪瑙が訊いた。こちらは珊瑚をいたわるような口調だ。

「神社の裏の森の中に隠してある。ごめんね琥珀ちゃん、ずーっと裏庭を借りてたの。墜落した後に神社ができちゃって、ほんとは移動させたかったんだけど」

「それは構いませんけど・・・・・・」

 さすがの琥珀も面食らったようである。

「短い間だったけど、楽しかったよ。みんなと会えてよかった。じゃあ、これでバイバイするね」

 周囲の提灯とか屋台の明かりは消え、元からあった外灯の光源しかないので、特徴的なピンク色の髪は今は何色かはっきりしない。しかし珊瑚の目の端に光るものがあるのはわかった。そして珊瑚の手にあのカエルのキャラクターのぬいぐるみが抱えられているのも。誰がが、あるいは自分自身の手でゲットできたらしい。おれがあげた小指大のストラップも握られていたが。

 アレキサンドラが珊瑚の手を取ると、二人は背を向けて境内の裏手の方に歩きだした。向こうには鎮守の杜を抜ける細い階段があったはずだ。

 委員会のメンバーが黙然とその背中を見守るなか、マロが声を発した。

「珊瑚、会えるんだよな? 明日、学校で」

 珊瑚は手の甲で目のあたりを拭い、顔だけ振り返って言った。

「うん、また、いつかね」



 おれたちは何となく無言のまま、神社を後にした。

 女子チームと別れ、マロと別れ、哲と別れた。その間、「みんな、まさか信じてないよな」と聞きたかったのだが、言いだせなかった。

 いや、言いだせなかったわけではない。訊くまでもなかっただけだ。みんなそうだったはずだ。

 夏休み前に言ってくれれば、珊瑚も二学期の始業日に「一度帰ったけど戻ってきちゃった」とかホラ話をつづけられたはずなのに。明日が始業日だと忘れてるんじゃないか。

 明日、学校でどう言い訳するつもりなんだろう。それとももうこの話は卒業ということなのか。

 家に着いたのは九時半ころだった。遅くなっても誰にも文句を言われない。これも夏休みに起きた事件のひとつだったが、たったひとりの同居人である親父は長期出張に出ているのだ。転勤の直後に出張? あまり愉快な想像ではないが女でもできたんじゃないだろうな。そんなことを考えはしたものの、生活費さえ置いていってくれれば親父がいなくても特に困ることはない。元から家事はおれがほとんどやっていたし。おれはいってらっしゃいの一言で親父を送りだしたのだった。

 自分ひとりのために風呂を沸かし、汗を洗い流したが、いまいちさっぱりしなかった。風呂から出ると、スマホに着信履歴があった。マロからだ。すでに十一時を回っているが、なんだこんな時間に。

 電話をかけると、マロはいきなり切り出した。

「なあ、珊瑚は0時に出発って言ってたよな。まさかと思うけど、おれ、神社に行ってみようと思うんだ」

 他のメンバーにも連絡し、みんな同意しているという。琥珀以外は。

「電話に出なくてさ。神社の方にかけるわけにもいかないだろ。琥珀に確かめてもらえば早いんだけど、もう寝ちゃったのかもな」

 一日中働いてたものな。それにしても、おまえらな・・・・・・

「行ってどうするんだよ。宇宙船が飛び立つところを見ようっていうのか?」

「おれだって信じてるわけじゃないけどさ。気になるだろ、さっきの珊瑚の様子」

「そりゃそうだけど・・・・・・」

 気にはなるが、午前0時って。明日から学校なんだぞ。

 おれは曖昧な返事をして電話を切った。みんな本気かよ。ほんとに神社に集まるのか。

 明日の準備をするうちに、壁のアナログ時計の長針が真下を指した。

 射的でもらった安っぽい景品、珊瑚はずいぶん喜んでたな。つくづく情けない。結局のところ欲しがっていたぬいぐるみは手に入ったようだが、次は自分の手で名誉挽回したいところだ。次というと、この町で他にお祭りとか縁日とかあるのか。片田舎の割に、メイド喫茶もどきまである変な町だから、もう一つ二つ祭りがあってもおかしくない。メイド、いや、ゴスロリ喫茶。珊瑚はほんとに辞めちまったのか・・・・・・

 十一時四十分。自転車ならまだ間に合うか。

 もやもやした気分では寝付けなそうだ。どうせ眠れないのなら行って確かめてやる。珊瑚がどういうオチをつけるのかを。

 さっきまで着ていた服に着替え、自転車を引っ張り出して全力で漕ぎ始める。

 だが半日歩き回った足は予想以上に早く悲鳴をあげはじめ、なかなか速度が上がらない。

 神社の裏の森なら、参道よりも山の裏手まで自転車で行って、そこから階段を上った方が早いだろう。珊瑚とアレキサンドラが向かった階段がふもとまで伸びているはずだ。

 そのおれの判断は裏目に出た。このあたりの土地勘がないのでなかなか階段が見つからない。

 ようやく「夕凪神社」と立て札がついている階段を見つけ、自転車を降りて石の階段を駆け上がる。スマホの時計は0時六分を示していた。

「矢島さん・・・・・・遅かったですわね」

 頭上から真珠の声が降りかかった。琥珀を除く委員会のメンバーとアレキサンドラが、階段を下りてくるところだった。アレキサンドラ以外はいったん家に帰っていたらしく、浴衣ではない。

「珊瑚ちゃん、行っちまったよ、ほんとに」

 哲は初めて見る寂しげな顔をしていた。

「ほんとにって・・・・・・」

「だからUFOに乗って、びゅーん、て」

 哲は地面をさした指を夜空に放り投げるようにした。つられて見上げるときれいな満月と驚くほど多くの星々が輝いていたが、もちろん光点のすべてはそこにとどまっていて、飛行物体などどこにも見当たらない。

 おれはどうにか笑みを浮かべたが、おれ以外には誰も笑ってなどいなかった。

「なんだよ、それ。おれがちょっと遅れたからって口裏合わせて、仲間外れにすんなよ・・・・・・」

「そうじゃないって。わかるよ、信じられないのは。おれだってこの目で見なかったら、というか今でも信じられない気持ちだ」

 マロがおれの肩をたたき、横を通り過ぎて階段を下りていった。

「珊瑚ちゃん、もっといろいろ話したかったのに・・・・・・一言しか挨拶できなかった」

「いったいどんな技術なのかしら。研究者の端くれとして、あたしも乗せてもらいたかったな」

「またあなたはそんなことを気にして。あたくしたちの友人が遠い星へ飛び立ってしまったのですよ!?」

 瑪瑙、翡翠、真珠がそれぞれの考えを口にしながら下りていく。

「もうゴスロリ服の珊瑚ちゃんを見らんないのか。凹凸の少ないところがよかったのに、残念だよなあ」

 これは誰だか言うまでもない。

 アレキサンドラがおれの隣に並んだ。

「矢島サン、珊瑚サンからの伝言デス。さっきはありがとう、故郷のみんなに自慢するから、と。珊瑚サンになにか差し上げたのデスか?」

 おれが何も答えられずにいると、アレキサンドラはちょっといぶかしげな顔をしてから、委員会メンバーの後に続いた。

 UFO? 遠い星へ旅立った? あの珊瑚が? いや珊瑚かどうかは関係なく、宇宙に出るなんてそう簡単なもんじゃないだろ。

 みんな、なにわけのわからないこと言ってるんだ・・・・・・?



 翌朝、始業式の前に担任から告げられたのは、珊瑚が転校したことだった。お父さんの仕事の都合で、というのがその理由であるらしかった。

 ああそういうことかと、おれは寝不足の目をこすりながら考えた。

 おれの頭に浮かんだのはこうだ。珊瑚の転校は以前から決まっていた。おれと同じく、入学後すぐに父親の転勤が決まったのだろう。もともとホラ話が好きな珊瑚は、あるイタズラを思いついた。宇宙人だなんだと話を作っておれたちを煙に巻き、実際に宇宙船が飛び立つかのような演出をして、お互いに派手な思い出を残そうと。バイトしてたのはその演出のために金が必要だったのだ。

 あまり趣味のよくないイタズラである。転校なら転校と言ってくれれば、盛大にパーティーでもして送り出したのに。連絡先も聞けなかったじゃないか。

 おれの考えの最大のポイントは、もちろん宇宙船の演出だ。マロたちがほんとうに飛び立ったところを見たとして、彼らにそう思い込ませることが可能か?

「ありゃ間違いなくUFOだったって。ピカピカ光っててよく見えなかったけど、十メートルか、十五メートルくらいだったかな? いままではカモフラージュしててだれにも見つかんなかったんだと」

 というのは始業式とその後のホームルームを終えて委員会活動に向かう前の哲の説明である。最大十五メートル。折り畳み可能なハリボテだったとして、そんなものを個人で用意できるか?

「UFOなんてTVの合成っぽい映像でしか見たことなかったけど、まさか目の前で見ちまうなんてなあ」

「あのな、UFOはあくまで未確認飛行物体のことであって、宇宙人の乗り物って意味じゃないぞ。誰がどんな目的で乗ってるのかわかってるなら未確認じゃないだろ」

「じゃあなんて呼ぶんだよ」

「宇宙船・・・・・・なんとかって太陽系外の星をあげてたから、恒星間宇宙船、だろうな」

「長ったらしいからいいよUFOで」

 そこはちゃんと区別を──って、確かにどうでもいいなそんなことは。

「で、珊瑚はそれに乗ったのか」

「そうだよ。昨日見たカッコのままでさ。最後に、来てくれてありがとうって言ってたな。それで、音もなくびゅーんて飛んでっちまった」

 哲は昨日と同じ動作をした。もっとほかの語彙はないのか。それにしても浴衣で恒星間宇宙船に乗りこむピンクの髪の宇宙人とは・・・・・・

 そのときの光景を想像してみる。飛んでっちまった、か。ピカピカ光ってたっていうし、船体はよく見えなかったのか。光で目くらまししておいて、一瞬でハリボテをたたむというのはどうだ?

 おれがその考えを話すと、哲は憐れむような目つきをした。くそ、おまえにだけはそんな目で見られたくないのに。

「バカ、ちゃんと空の上に飛んでくのを見たってば。それもなんかのトリックっていうのか?」

「ほら、屋外でやるイリュージョンショーとかあるだろ」

「そんなもん珊瑚ちゃんひとりでどうやるってんだよ」

 哲が珍しく正論を吐いた。そりゃおれだってわかってるよ。どう理屈をつけたってそんなことできるわけないんだ。みんながグルになっておれをだまそうとしていない限りはな。

 おれはなんだかもうよくわからないレベルの頭脳を持つと自称する翡翠に向き直った。

「えーと、なんていったっけ、珊瑚がやってきたっていう星」

「エリダヌス座イプシロン星。こないだ聞いたばかりなのにもう忘れたの」

 一か月以上前の話だろうが。翡翠は言うこときついからいやだが、仕方ない。確かにそんな感じの名前だった。

「それってどれくらい離れてるんだ?」

「十・五光年。惑星の存在が確認されてる、太陽から最も近い恒星のひとつ」

 また即答しやがった。あってるのか分からないけど、惑星があるっていう点だけは珊瑚の話の筋は通ってるんだな。

「光の速さで十年かかる距離を、ひとりで飛んで帰ったっていうのか?」

「地球で二百年働いたって言ってたじゃない。十年くらい大したことないんじゃないの。ワープ機能があるのかもしれないし」

「そんな適当な」

「あたしだってわかんないわよ!」

 翡翠は机をたたいた。

「あたしが学んできたことが全部ひっくりかえるような大事件よ。どうせ信じてくれないから誰にも言うつもりないけどさ。でもこの目で見ちゃったんだから認めるしかないでしょ!」

 疑り深いやつだな、という雰囲気の発生源は翡翠だけではない。これ以上問いただせば村八分にされてしまいそうだった。

「わたしの家のすぐそばに、宇宙船が埋まっていたなんておどろきましたねえ」

 琥珀だけは実際に見ていないはずなのに、こちらは疑う様子もない。何でそんな簡単に信じられるんだ。

 地球外生命体がどうして人類と同じ姿をしてるんだとか、超科学の塊みたいな宇宙船でも壊れたりするのかとか、宇宙船の修理部材をどうやって手に入れたんだとか、それは学生のアルバイトの給料で買えるのかとか、突っ込みたいことは掃いて捨てるほどあるのに。この雰囲気じゃ言えそうにない。あー、くそ、でも最後にひとつだけ。

「珊瑚の学籍ってどうなってんだ。父親の仕事ってのも嘘なんだろ」

 と真珠に訊いてみる。名ばかりだろうとなんだろうと、一応この学校の理事長なんだからそれくらい知ってるだろう。

「あなた、いま個人情報がどれだけ厳重に管理されていると思っているんですの。あたくしも理事長であるとはいえ、一学生でもありますから、生徒の個人情報には触れないようにしておりますの。もちろん調べることはできますが、決して口外したりはいたしませんわ」

 あーそうかい、立派な志だよ。真珠も哲もこんなときだけ良識人ぶりやがって。

 もういい、確かめる方法はもうひとつある。おれはカバンをひっつかんで教室を飛び出した。

「あ、こら、矢島さん! 委員会が・・・・・・」

 真珠の制止はもちろん無視だ。あんなアホなことやってられるか。



「そんなのないわよ」

「ないって・・・・・・見せられないってことですか。それとももう処分を?」

「そうじゃなくて、最初からもらってないのよ。連絡先も知らないし」

 ゴスロリ喫茶ノイシュヴァンシュタイン。臨時従業員の特権でルートヴィヒに面会を求め、仕事をしながらでよければと厨房に通された。そして珊瑚の履歴書を見せてもらえないかと尋ねた答がそれだった。

「履歴書もなしに採用したんですか?」

「あんな石器時代の遺物は必要ないわ。珊瑚ちゃんの目を見てわかったの。この子はちゃあんとおつとめしてくれる子だって。乙女どうし、通じるものがあったのね」

 乙女どうし、はともかく、目を見ただけで相手の何がわかるというんだ。

「珊瑚ちゃんはドジばっかりしてたけど、休まず元気に働いてくれたもの。わたしの勘は当たってたわ。辞めることもずいぶん前から相談されていて、ちゃんと合意の上で辞めることになったの」

「店長さんは、その、珊瑚の宇宙人の話を・・・・・・」

「ええ、聞いていたわよ。珊瑚ちゃんが入ったばかりのころにね。最初はわたしも半信半疑だったけど」

 半分も信じてたのか。

「だけどあんな素直で一生懸命な子がウソをついたりするはずないって思うようになったの。あの子ったら二年たっても全然見た目も変わらないしね。でもね、きーちゃんなんか一度聞いただけで信じたのよ。わたし、そのときばかりは乙女失格かもしれないってショックを受けたわ。わたしも汚れた大人の仲間入りをしてしまったんだわって」

 ああもう、絶対突っ込んでなどやるものか。余計な部分は無視しよう。

「二年前ってのはほんとだったんですね。中学生から働いてたんですか」

「まさか、わたしには一六歳って言ったわよ。さすがにこの衣装で中学生を働かせるのはまずいわ」

 と、短いスカートをたくしあげるそぶりをする。衣装のことは自覚してるのか。まあ珊瑚はいまでも中学生以下に見えたし、高校生だろうとあの衣装はまずいとは思うのだが。

 もうこれ以上聞き出せることはなさそうだった。おれはルートヴィヒに礼をいい、店を出ようとした。

「ああ、有馬くんて言ったかしら? あのかわいい子。あの子また来てくれないかしら・・・・・・やだもうわたしったら、なに言ってるのかしら! あ、もちろんあなたもかわいいのよ」

「ええ、必ず来させます。あいつひとりで」

 おれは食あたりで苦悶する毒蛇のように身体をくねらせる店長を背に、店を出た。

 どうしてみんなあっさり信じるんだ。珊瑚が宇宙人? アホか。珊瑚はクラスメイトじゃないか。髪を桜色に染めてるし、頭の中身も春っぽい感じはしたが、いつもいい笑顔で、しょうもないプレゼントを喜んでくれて・・・・・・

 誰か言ってくれ。珊瑚は転校しただけだって。残念ではあるけど、諦めはつくから・・・・・・

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