やさしい刑事 第2話 「少年と宇宙人」(1)
衛里病院の院長宅では、捜査官たちが緊張した面持ちで電話に張り付いていた。
昨日、院長の幼い長男が誘拐され、犯人から身代金を要求する電話が掛かって来ていたのだ。
「奥さん。お気持ちは分かりますが…もう少し落ち着いて下さい」
電話の前で、何も手につかずにおろおろしている院長の妻にヤマさんは言った。
「でも、信二の身に何かあったらと思うと…私、生きている心地がしなくって」
「大丈夫ですよ。犯人は金が目当てだ。金が手に入るまで、信二君には何もしませんよ」
「でも、そう言われても…」
「あぁ~、済みません。刑事さん…妻は去年、上の女の子を失くしたばっかりで」
衛里院長が、ひどく動揺している妻をかばうようにそう言った。
「あ、そうだったんですか~…そりゃぁ、失礼いたしました」
「とっても、弟思いのいい子だったんですけどね。去年、急性白血病で…あの時ほど、医者の無力さを感じた事はありませんでした」
そう言いながら、院長はサイドボードの上に飾られている写真に目をやった。
そこには、大きなぬいぐるみを抱いた信二君と、亡くなった姉の杏子ちゃんが、仲良く並んで笑っている写真が飾られていた。
「そうとは知らずに申し訳ない。信二君は、たった一人残されたお子さんなんですね~」
「杏子は信二とは歳が離れてましてね。まるで自分の子供のように可愛がっていました」
「えぇ、よく分かりますよ。世話を焼きたくなるんでしょうね~。女の子は…信二君はぬいぐるみを抱いてますね」
「おと年の祭りの縁日でね。杏子が自分の小遣いで、信二にあのぬいぐるみを買ってやったんですよ。自分の欲しい物も買わずに」
「やさしい姉だったんですね~…ありゃぁ、何かの動物ですか?」
「いぇ、宇宙人です。信二は小さい頃から宇宙人が好きでね…『宇宙人はいる』って信じて疑わないんですよ」
「よく分かりますよ。子供は純粋ですからねぇ~」
「そんな純粋な弟が好きだったでしょうねぇ~。杏子は…あれから信二は、片時もぬいぐるみを手放しません」
「そうですか~。それはお気の毒でしたねぇ…」
「信二は最後の最後まで、杏子にしがみ付いて離れませんでした。『お姉ちゃん、死なないで!僕、ひとりぼっちになったら怖いよ~』って…」
「うん、うん。可哀そうにねぇ~」
「そしたらね。『大丈夫!信二が危なくなったら宇宙人に変身して助けるから…約束するよ』って…それが杏子の最後の言葉でした」
そう言うと、院長は顔を伏せて目頭を指で押さえた。
それからしばらくして、院長宅の居間に電話のベルが鳴り響いた。
院長の妻は、震える手で受話器を取り上げ、捜査官たちは傍聴器のスイッチを入れた。
受話器の向こうからは、犯人が身代金を要求する声が聞こえて来た。
「あっ!はい。お前一人でタクシーに乗って…はいっ!稲荷神社まで…5000万円ですね。あの~…信二は無事なんですか?」
「ホシからの要求だな。発信源は特定できそうか?」
ヤマさんは電話を傍受していた平野刑事の耳元でささやいた。
「しっ!ヤマさん。ホシが電話口に信二君を出します」平野刑事がそれを制して言った。
「信二っ!大丈夫なの?怪我してない?…お母さん、すぐにお金を用意して行くからね」
院長の妻は、電話の向こう側にいる信二君に懸命に呼び掛けていた。
「切れました」平野刑事がそう言った。
「どうだ!発信源は探知できたか?」ヤマさんは尋ねた。
「こりゃあ、携帯電話じゃないですね~…ヤマさん。多分、公衆か何かから掛けて来てますよ」
「今どき公衆か~…手の込んだ事をするやつだな」
「取りあえず、ホシの要求に従うしかなさそうですね~」
「そうだな。だが、黙って従う手もない。こっちにも考えがあるさ」
そう言いながら、ヤマさんは顔を上げて宙を見つめた。
衛里病院の院長宅から、身代金の入った鞄を抱えて出て来たのは、婦警の大鳥刑事だった。
ホシが知能犯だと睨んだヤマさんは、院長の妻と背格好がよく似た婦人刑事とすり替えたのだった。
しかも、大鳥刑事にはどんな事態にも対応できるように、GPS発信機の付いた携帯電話を持たせていた。
衛里院長の自宅前でタクシーに乗った大鳥刑事は、身代金の受け渡し場所である稲荷神社に向かった。
ヤマさんは、犯人に気づかれないように、充分な距離をとってタクシーを追跡した。
ところが、もう少しで稲荷神社に差し掛かると言う手前で、タクシーは突然方角を変えた。
GPS発信機から送られて来るナビゲーターを見ていた主任刑事は、急いで大鳥刑事の携帯に電話を掛けた。
「どうした?大鳥刑事。方角が違うぞ!」
「タクシー無線がジャックされました。ホシはS駅で、東行きのT線に乗れと指示しています」
~続く~
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