やさしい刑事 第1話 「蜃気楼の町」(2)

「おぃ、おぃ、君ぃ~!勝手な事をされちゃ困るなぁ」駐在はあわてて止めようとした。

「心配ない。U署の者だ」傍らにいた近松が、駐在に警察手帳を見せた。

「はっ!失礼いたしました」駐在は即座に敬礼をして引き下がった。

「若い土左衛門だなぁ…しかも、一人は日本人じゃぁない」溺死体をのぞき込みながら刑事が言った

「手をにぎったまんまで…こりゃぁ、心中ですかねぇ~?」近松は、刑事に尋ねた。

「う~ん…ホトケはまだ子供にしか見えない。そんな歳で心中するかねぇ~」

「ともかく、すぐに鑑識を呼びます。事件かも知れないし…」

「あぁ、そうした方がいいだろう」

 近松は署に連絡するために、道路脇に停めてある車に引き返した。

 刑事は胸の中に、何かしら奇妙なものが湧き上がって来るのを感じた。


 U市の警察署に設けられた『心中事件捜査室』では、捜査官たちが死んだ二人の身元を洗っていた。

 そこへ、やっと手掛かりをつかんだらしい渉外課の刑事が、資料を手に捜査室に入って来て言った。

「ホトケの男の子の身元が割れました。鞍出隆宣。10歳。島根県警に照会した所、叔父夫婦が殺人容疑で取調べ中です」

「じゃ、やっぱり殺人事件か!?」捜査官一同は色めき立った。

「いぇ、隆宣君が失踪する一週間前に、姉が不自然な交通事故で死んでまして、叔父夫婦にその容疑が掛かっているようです」

「叔父夫婦だとぉ~!?それと、心中した男の子との間に、何で今回のヤマとの関係が…」捜査官が言った。

「それが叔父夫婦と言うのが食わせ者で、元々、資産家だった父親から、兄と分割して遺産を相続したんですが、自分の分は遊んで散財してしまい、金に困っていたようですね…実は三年前に、その兄夫婦も、死んだ姉と隆宣君を残して交通事故で亡くなってるんですよ」

「待てよっ!事故死した兄夫婦の遺産は、当然、死んだ姉と隆宣君が相続した…と言う事になるわな~」

「その通りです。兄夫婦の死後、隆宣君と死んだ姉は、叔父夫婦に引き取られたんですが、姉の交通事故死は、遺産目当ての偽装事故ではないか?と…島根県警では叔父夫婦を疑っているようです」

「じゃ、やっぱり隆宣君は、叔父夫婦に殺された可能性があるって事だなぁ」

「う~ん、部外者が捜査に口を出して申し訳ないが、違うんじゃないかなぁ~」

 議論に加わっていた近松の傍らで、じっと捜査官たちのやり取りを聞いていた刑事は、ぼそっと言った。

「そうですね~…確かに鑑識の結果では外傷はないし、毒物の痕跡も見当らなかった。二人とも」別の捜査官がそう断言した。

「そう言やぁ、外人の女の子の方の身元はどうなんだ?二人の接点がはっきりしない事には、どうにも捜査の進めようがない」

 焦りを募らせて来た捜査官たちは、渉外課の刑事を問い詰めた。

「多分、ロシア人だと思うんですが、取りあえずサハリン警察にでも行方不明者の照会をしてみるしかないです…時間が掛かりそうだなぁ」

 渉外課の刑事が困り果てた顔をしているところへ、おもむろに刑事が助け舟を出した。

「サハリン警察なら知り合いの警視がいるから、非公式に問い合わせる事はできるるよ」

「ヤマさん。サハリン警察に顔が利くんですか?」驚いた近松が、刑事に尋ねた。

「あぁ、だいぶん前に、ある国際事件の捜査で顔見知りになってね」刑事は事もなげに言った。

(ただのおっさんかと思っていたけど、この人はとんでもない人なんだ)近松は、さすがにそう思った。

「じゃぁ、お願いできますか?本庁にはなにとぞ内緒で…」渉外課の刑事はそう言って頭を下げた。

「あぁ、いいだろう。聞いてみるよ」刑事はあっさりと承諾した。


 翌々日『心中事件捜査室』に入って来た刑事は、他の捜査官と一緒に詰めていた近松に言った。

「『有力な証拠をありがとう』って、お礼を言われたよ。サハリンの刑事が女の子の遺体確認に来るそうだ」

「サハリンでも何か事件があったんですか?」近松は尋ねた。

「女の子の名前はシレーナ・ドゥーシャ。14歳。一週間前から行方が分からなくなっていたそうだ。現在、継母がサハリン警察に売春斡旋容疑で取り調べられている」

「何ですってっ!?」他の捜査官たちも、驚いて立ち上がった。

「シレーナの実の母親は去年亡くなった。父親は船乗りで、今の継母と再婚したんだが、この女が相当のワルで、売春組織に関係していたらしい」

「おぃおぃ、サハリンは花屋(売春)がらみかい…どうなってんだこのヤマ(事件)は?」捜査官たちには訳が分からなくなった。

「父親が航海に出ている間に、シレーナを売春組織に売り飛ばそうとしたんだろうなぁ。それからシレーナは行方不明らしい」

「もしかして、嫌がったシレーナは継母に殺されたとか?」近松は刑事に聞いた。

「いや、違うな~…多分、いたたまれなくなっての自殺だろう」

「じゃ、二人の接点は?…メル友だったとか?フェイス・ブックで知り合ったとか?」

「いや、二人には接点などないね~…それに、シレーナにはロシアから出国した形跡が無い。仮に密かに国を出たとしても、わざわざU市までやって来て、見ず知らずの隆宣君と手をつないで一緒に死ぬ理由がないよ」

「そうですよねぇ~…でも、恋仲でもないのに、何で手をつなぎ合ってたのか?」

「たった一人の姉を失くした男の子。母を失い継母に裏切られた女の子…二人はバラバラに死んだ。それぞれ、別の場所で海に身投げしたんだ…んっ、待てよ!」

 刑事はしばらくの間、顔を上げて宙を見つめていた。何か思い当たる節があるようだった。

「近松さん。二人の遺体はどこに安置されているんだっけ?」やおら刑事は、近松に尋ねた。

「U市の漁協病院です。この町じゃ、遺体を安置できるのはそこだけなので…」

「すまんが、車を出してくれないか。もう一度、二人の遺体を確認したい」

「はい、了解しました」

 刑事と近松は車に乗り込むと、U市の漁協病院に向かった。


 刑事と近松は漁協病院の遺体安置室に着くと、離れ離れに安置されていた二人の遺体を検死台の上に並べた。

 刑事は随分長い時間、二人の遺体を眺めていたが、ふと顔を上げて近松を見た。

「何か分かりましたか?」近松は刑事に尋ねた。

「遅くなるといかんから先に帰っていてくれないか。僕は後でタクシーでも拾って帰るから」

「はぁ、いいんですか~?…それじゃ、お先に」

 すっかり焦れていた近松は、そう言うと、遺体安置室から出て行った。

 二人の遺体をじっと見つめていた刑事は、おもむろに上着のポケットから手錠を取り出した。

「少年と人魚か……もう、絶対に離れるんじゃないぞ」

 刑事はそう言いながら、死んでから海で出会って一緒になった『淋しい二人』の手を手錠でつないでやった。

 それが、刑事にできるせめてもの『やさしさ』だった。


 U市での聞き込み捜査を終えた刑事は、町の丘の上にある停留所でバスを待っていた。

 そこへ、杖をつきながらひょこひょことやって来たあの老人が、刑事に声を掛けた。

「あぁ、旅のお人…蜃気楼は見られましたかなぁ~?」

「えぇ、見る事ができました」

「そうか~…そりゃぁ来た甲斐があった」

「えぇ、確かに…」

 そう言いながら、刑事は老人にお辞儀をして、やって来たバスに乗り込んだ。

 そして、刑事を乗せたバスは、蜃気楼の町から遠ざかって行った。


第1話 蜃気楼の町(完)

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