やさしい刑事

佐渡 譲

やさしい刑事 第1話 「蜃気楼の町」(1)

 しなびた漁師町の丘の上にポツンと立つ停留所にバスが停まった。

 バスから降りて来た中年男は、上着のポケットからゴソゴソとタバコのケースを取り出した。

 そうして物ぐさそうに、くしゃくしゃになったタバコに火をつけて吸った。

「ふぅ~う…」中年男はうまそうに煙を吐き出しながら、一息ついた。

 バス停の下には、港町然としたU市の風景が広がっていた。それはどこにでもあるような田舎の漁師町だった。

「あんた。旅の人かね~?」

 杖をつきながら近づいて来た人の良さそうな老人が、中年男に声を掛けた。

「えぇ、まぁ…」中年男はそう答えた。

「もしかして、蜃気楼を見に来なさったんかね?」

「蜃気楼…ですか?」

「あぁ、この町は沖に蜃気楼が出るんでな~…時々、よその人が見に来なさるんじゃわ」

「へぇ~…そりゃぁ、見てみたいですね~…せっかく来たんだから」

「見られるとえぇの~…たまにしか出ないからのぉ」

 そう言うと、老人はとぼとぼと歩きながら、丘の向こうに去って行った。

 見送った中年男は、タバコの吸殻を無造作に投げ捨てると、古びた旅行鞄を手に、町の方に下りて行った。


 いかにも田舎町らしい、こじんまりしたU市の警察署…その署長室に若い刑事が入って来た。

「失礼します、署長。お呼び出しを受けてまいりました」

「あぁ、来たかね近松君。待っとったよ」

 大きなお腹を大儀そうに持ち上げながら、署長は椅子から立ち上がった。

 そうして、応接椅子に座っている風采の上がらない中年男を、若い刑事に紹介した。

「こちらは本庁から、例の広域事件の捜査に来られた刑事さんだ。土地に不案内だから、君が案内して差し上げてくれ」

「はい、了解いたしました。署長」近松はそう答えた。

「よろしくお願いいたします。近松刑事」中年男はいんぎんに腰を屈めて、近松にお辞儀をした

「いぇ、こちらこそ。ええっと…」

「ヤマさんでいいですよ、いつもそう呼ばれてるので…早速ですが、聞き込みに回りたいんだが」

「はい、いいですよ。車を取って来ますので、少しの間お待ち下さい」

 そう言うと近松は一礼をして、車を出すために署長室を出た。

(本庁の刑事って、もっとキビキビして恐いのかと思ってたけど、普通のおっさんなんだなぁ~)

 近松は何となく安心すると同時に、今会った中年刑事に何だか頼りなさを覚えた。


 近松が車を警察署の玄関に横付けにすると、その刑事はゆっくりとドアを開けて、助手席に乗り込んで来た。

「お世話になります。近松刑事」刑事は、またいんぎんに礼を言った。

「いぇいぇ、ヤマさんも大変ですね~…こんな田舎まで出張捜査って…で、いつ頃まで?」

 車を走らせながら、近松は助手席に座っている刑事に尋ねた。

「う~ん。捜査に先行きのメドが立つまでだねぇ…」

「そうですかぁ~…例の広域事件って、マルモク(目撃者)も手掛かりもないんですってね。この町に何か?」

 近松がそう言うと、刑事は少しばかり困った顔になった。

「あっ!済みません。余計な詮索を…まだ捜査中でしたよね」

 近松はしまったと思って謝った。捜査上の機密を聞くのはタブーだった。

「いや、いいんだ。しかし古い漁師町だねぇ、この町は…近松さんはここの生まれかね?」

 刑事は若い近松に気を使ったのか、わざと話の方向をそらせた。

「はい、この町で生まれました。ここは何でも室町時代くらいから続いている漁師町だとか」

「沖には蜃気楼が出るそうだねぇ~」

「あぁ、よく観光ガイドなんかに載ってるやつでしょ。でもねぇ~…たまにしか出ないんで、見られたら運がいい方ですよ」

「そうか~…たまにしか見えないのか。で…見たことはあるのかい?」

「えぇ、地元ですからね~…この町の沖合いで、南から来る暖流と、北から来る寒流が交わるんですよ。気象条件によって、出たり、出なかったりするんですがね」

「ふ~ん、蜃気楼もお天等さましだいって訳か」

「そうそう、この町には古くから伝わる伝説があるんですよ」

「ほう~、そりゃあどんな?」

「昔々、親を失くした少年と、竜宮から流されて帰れなくなった人魚が、磯辺で出会ったそうです」

「何だかよくありそうな昔話だねぇ~」

「淋しかった二人は、磯辺で逢瀬を重ねる内に恋仲になるんですが、人間と人魚じゃあ一緒になりようがない」

「まぁ、陸に生きる人間と、海に生きる人魚じゃぁ、結婚はできないだろうなぁ」

「結ばれぬ恋をはかなんだ二人は、一緒に身投げしようとするんですが、どうしても二人一緒には死ねないんですよね」

「まぁ、そりゃ二人して海に身を投げても、相手の人魚は死ねないわなぁ…」

「それで二人はどうしたと思います」

「さぁて、どうしたのかなぁ~」

「少年は海に身を投げて死に、人魚は丘に身を投げて死んだ。つまり、二人は別々に死んだんですよ」

「う~ん、何だか可哀そうな話だねぇ…」

「蜃気楼は、最後まで一緒になれなかった二人のさまよえる魂が見せている幻だとか」

「近松さんはその伝説を信じているのかい?」

「まさか…子供の頃はよく親に聞かされて信じてましたが、もう大の大人ですからね~」近松は苦笑いした。

「そうか~…でも、案外その話は本当かも知れないよ」刑事はそう言って微笑んだ。


 ニ、三軒の聞き込みを終えて、港に差し掛かると、浜辺に人だかりができていた。

「あれぇ…事故でもあったのかなぁ~?地元の駐在が来てる」それを見た近松が言った。

「行ってみるかい」

「えぇ、よろしければ」

 刑事と近松は、道路脇に車を止めて浜に下りて行った。

「お~ぃ、土左衛門が上がったらしいぞ~!」

「吉行のやつが網に引っ掛けちまったってよぉ~」

 漁師たちが口々にそんな事を言いながら、辺りから集まって来ていた。

 人だかりの真ん中には、ブルーシートに覆われた…どうやら溺死体らしいものがあった。

「えらいもん引っ掛けちまったよ~!縁起でもねぇ…」

 ブルーシートの側では、一人の若い漁師が何も手につかずに、おろおろしていた。

「駐在さん、見てくれよ~!二人とも手ぇつないだまんま離れねぇんだ」

 困惑しきった若い漁師は、傍らにいる駐在に、何かを一生懸命訴えていた。

「ちょっと失礼」

 刑事は人だかりをくぐって、覆われている溺死体にスタスタと近づき、いきなりブルーシートをめくった。


~続く~

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