三嶋の家族
もし、今自分が死んだら。財産はすべて妻と子に行く。実家の人間に三嶋の財産が渡ることはない。しかし、もし実家の人間に金が行くとしたら、彼らは喜んで仲良く金を分け合うだろう。実家の火種が消えて、お小遣いも手に入る。
しかし逆ならばどうか。法定相続人だから三嶋にも金は入ってくるだろうし、金をよこせと言われることもないが、喜んでということはない。自制を知らない精神年齢の低い弟に金を渡して、かえって人生を破滅させないだろうか、ギャンブルなんかに使っていたらどうしよう、なんて心配されるのだと思う。三嶋はギャンブルなどに手を出さない堅実な人間だとは微塵も思わず、不出来だからギャンブルに手を出すくらいには浅はかだろうと思い込んでいる。見下されているが故の心配なんていらないのに、それに気づかないのが三嶋家の人間だ。
結局自分は兄のことが嫌いなのかどうか、三嶋にはわからなかった。自分の中ですら、妙に父や兄を擁護してしまう。実家に帰りたくなどないのは確かで、顔も見たくないのは確かで、仕事場では実家のことは嫌いだと明言しているにもかかわらず、この有様だ。
過去に何度も考えたその問いには未だ結論が出ていない。しかしその答えの鍵は夢に戻る。ははは、結局ここに戻ってきたか。
自分は兄に認められたいがために、兄を自分より上の存在に無理矢理置いているのだ。昔から機嫌が悪くなると家族に当たり散らす父は最早顔も見たくないし、母は三嶋を避けている。そうなると、自分を認めてくれそうなのは兄だけだ。そんなことは絶対にありえないが、縋るとしたら彼しかいない。
……消去法で選んだ家族に、ここまで囚われている自分が嫌になる。
もし、自分が兄のような能力を持っていて、兄のように育てられていたとしたら、自分は今頃父のような議員になっていたのだろうか。父に憧れ、一生懸命政治を志していたのだろうか。実際、兄は父の秘書をしているし、もしかすると選挙にだって出馬しているかもしれない。
こんな捻くれた育ち方をした今となっては、ばかばかしい想定にしかならないが。
実家の人間からは歪んだ愛を受けているし、自分も実家の人間を歪んだまま愛している。歪んでいると思っているのは自分だけなのかもしれない。けれどそれは最早どうでも良い、なぜなら自分が変わるつもりは微塵もないのだから。
十年以上帰らぬ間に、いろいろなことがあった。大学入学、卒業、就職、結婚。全て、実家とは無縁だった。そのせいで失うものも多かった。留学も諦めたし、結婚式もしていない。それでもやはり、どこか自分は恵まれているのだろうと思い込んでいる。
自分があの人たちを嫌いなのは、甘えているからなのだろう。という思想にどうしても囚われ、何度考えても結論はそこに行く。単純な家族仲なら、仕事仲間である伊勢兄弟の方がよほど悪い。本人たちが聞いたら慌てて首を振るような言葉で、三嶋は自分を騙し続ける。家族のことを好くべきだという強迫観念からは絶対に逃れられない。
では、ここまで憧れる仲良しな家庭を、果たして自分は妻と子に作ってやれるのだろうか。大丈夫だと妻も伊勢兄弟も言う。妻は過去を全て知ったうえで。伊勢兄弟はデリケートなところには触れずに。でもどちらも断言してくれた。
しかしそれでも自信はない。家族とはそれだけ繊細なものだ。家庭を顧みられるような仕事でもないし、三嶋自身は理想の家族の形を知らない。
たとえ理想の家族の形を知ったとしても、きっと兄の夢を見続けるのだと思う。兄への執着を消せるのは兄だけだ。でも、他の夢をたくさん見ればいい。妻と子、職場、今三嶋が持っているものはたくさんある。持っていない、持つことのできないものに焦がれないようにするには、今持っているものに執着すればいい。
かつては実家から目を背けることすらままならなかった三嶋だが、少しずつ道は開けているはずだ。しかしまだ道のりは遠い。
*
ぴりりとベッド脇デジタル時計にセットされた目覚ましが鳴った。朝七時だ。結局、四時過ぎに目を覚ましてから一睡もできなかった。こうやってベッドの中で悶々とする時間が短くなる日が来る気配はない。まずは兄の夢を見てもすぐに寝付けるようになるところからだな。そうでなくては仕事に支障が出るばかりである。
あれだけ目が冴えていたのに、今から起きるとなると急に瞼が重くなる。まあ午前中に仕事を済ませてしまえば、そのまま東京に帰れるからいいか。三嶋は一つあくびをして、のそりと起きだした。
帰り、きっと疲れて新幹線の中で寝ることになるだろう。その時、また兄の夢を見ませんように。目を瞑ってそう祈って、三嶋は顔を洗うために、洗面台の蛇口をひねった。
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