第172話:拮抗 ~彼女がなかなか減らせない~

「そやで。久しぶりに会ったら随分喜んでなぁ。また彼女増えてもうたわ。減らす予定やったんやけど……」

「で、何で例の女医がこの事件に関与するんだよ」

 話を追えない組である裕は、春日のとぼけた雑談に少し苛立ち気味だ。


「裕さん、世の中には、覚醒剤を無効にする薬があるんですよ。いわゆる、覚醒剤の拮抗剤ってやつです」

「拮抗薬……? ってどういうことだよ」

「まあ俺もあんまり詳しないんですけど、ノルアドレナリン枯渇薬っていうんが世の中にはあるらしいんです。その薬で、覚醒剤を使ったら増加する快楽物質を、一旦脳内で極端に減らしておく、と。そうしとけば、覚醒剤を打ったとしても脳内は通常通りになるだけで、依存症にはならないんです」


 春日は彼女に協力してもらい、あらかじめ拮抗薬をパーティー会場に行く前に使っていた。如月アヤナも澤田行彦も、春日には覚醒剤が効いてると思い込んでいた。しかしそれは全て春日の演技である。多賀が見た注射痕は、拮抗薬のものが半分、アヤナが打った覚醒剤が半分だ。


「机の中にあったはずの覚醒剤の袋が消えてたのって、もしかして……」

「そやで。彼女に成分調べてもらったりしてたってわけや」

「はぁ……」

 多賀は呆れたのを隠そうとしたが、隠し切れずに間抜けな声が漏れてしまっている。


「あの、その拮抗薬っていうのを使うのって、合法なんですか?」

「違法やで」

 春日はあっさりと言いのける。

「大変やったんやぞ、彼女を説得するのはな。向こうもそれなりにキャリア積んでて金も持ってる奴やからな、多少金積んだところで落とされへんし」

 そして今回、春日が彼女に頼んだことは、積み上げたキャリアを全て崩しかねない危険な行為だ。金だけで済むわけがないと、あらかじめ予想はついていた。


「……どうやって説得したんですか?」

「それは俺の手腕やな」

 春日は、あれやこれやと彼女を落とすための手法を喋る。伊勢兄弟も苦笑するほどの派手な内容に、女性経験に乏しい多賀は少し引いた。いや、かなり引いた。


「一生のお願いってやつや」

「ええ……」

「ま、彼女も最終的には楽しそうやったからええけど」

「ええ……」

 顔を赤くすればいいのか青くすればいいのかわからない多賀は、目を泳がせながら蚊の鳴くような声で返事をした。


「でも、そんな夢の薬があったら、覚醒剤の捜査がすごく簡単になりますね!」

 気を取り直して多賀は話題を変える。

「あんなぁ多賀、そんな簡単に、ハイ拮抗薬打ちました覚醒剤いくら打っても大丈夫ですってなるわけないやろ。あれはあくまで保険や。拮抗薬自体の副作用もすごいし、時間差で覚醒剤を打つわけやから効果の計算もせなあかんねんで。体めっちゃ張った捜査やわ」

 をうたっていたおかげで濃度計算はしやすかったものの、一歩間違えれば命に関わる。あるいは依存症の可能性だってある。


「しかも、最悪の場合を避けるために、拮抗薬の量を多めにするって彼女が言いよるから、とにかく副作用がひどくてひどくて。めっちゃ体調悪くなるしな。記憶が飛び始めた時はほんまに後悔したで。もう二度とごめんやわ」

「……副作用というのは?」

「鬱状態による自殺……やったかな?」

 多賀が小さく悲鳴を上げる。三嶋や諏訪も息を呑んだ。


「……でもそれ、相手は一介の女医だろ? 人間が簡単に自殺するような薬を使って、春日で人体実験してるわけだ。実際に可能なのか?」

「彼女はマッドサイエンティストなんで……」

 現実的に考えたら不可能だ。しかし彼女は大学病院で研究していた元研究者であり、実際に流通している薬だという安心感もある。


 緩いウェーブカットの彼女は白衣のポケットに手を入れ、うっすら微笑んだ。

『元々が相性悪い薬だし、覚醒剤と併用したデータなんてないからね。効くかもしれないし、逆効果かもしれない。やってみなくちゃわからない。動物実験はするつもりだけど、英輔、あんた死ぬかもよ。それでもいいなら、試してみる?』

 マッドサイエンティスト、いや悪魔の質問に、春日は頷いた。


 とはいえ、話が進んで現実味が増してくる頃から、さすがの春日も不安になってきた。三嶋にもらった準備期間の一カ月、そして事件が始まって一カ月、合計二カ月ではとても足りないのは春日とて知っている。しかし、彼女の自信満々な姿を見て自分で自分を騙していたというのが答えだった。






(※絶対に真似しないでくださいね。現実はそううまくいかないので。真似しないでくださいね。……さすがにしないか)

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