ちょっと休憩:Spin-off
諏訪慎太郎、高校一年生
初めての国体会場は殺気立っていた。だが、諏訪にはその殺気など通用しない。世界ジュニア選手権をはじめ、もっと殺伐とした雰囲気の大会などいくらでもある。日本でやるという時点で、諏訪にとってはホームグラウンドだ。
「よお、また会ったな」
レストハウスでブーツを履く諏訪の肩を叩く者がいた。振り返るが、ぱっと見ただけでは誰だかわからない。なにせ、ヘルメットにゴーグル、フェイスマスクといった銀行強盗も顔負けの装備だ。一種の覆面ともいえる。声は知っている声だが。
「誰ですか」
諏訪はわざとすっとぼけてみせた。
「俺だよ、
男がゴーグルを上げてヘルメットをすぽんと脱ぎ、ニヤリと笑った。いや、口元が隠れているので笑ったかどうかはわからないのだが、目は確かに笑っている。
文明と諏訪は幼い頃から大会で顔を合わせる同級生だった。つまり、諏訪が高校一年生ならば文明も高校一年生である。
高校一年で国体の少年男子の部に出られるというのは大きな栄誉だ。予選では二年、三年に数々の強者がひしめき合っているというのに、それを押しのけて、数人分しかない枠を一つもぎ取った。しかも諏訪は長野県予選を優勝して今この場にいる。
諏訪が様々な都道府県の選手に警戒されているのは当然のことだった。だが、それ以上に注目を集めているのが伊沢文明だった。
文明は中学三年の時点から国体に出場していた。しかも文明もまた、強豪ひしめく新潟県の出身である。昨年はギリギリ出場枠を得たという状況だったが、今年は予選優勝でこの本戦に来ている。諏訪と同じ、いやそれ以上だ。
警戒されている二人が顔を合わせ、火花を散らす。そんな様子を周囲は期待していたものの、その期待は裏切られることとなった。
「久しぶりじゃん」
火花が散るどころか、和気藹々とした雰囲気である。
「そんなに久しぶりか? こないだ強化合宿に行って以来だろ」
二人とも強化指定選手だ。注目が集まっているのはそのせいでもあった。
「文明、服変わった?」
普段なら、服で誰かわかるのに、声を聴くまで文明とわからなかった理由はそれだ。
「うん、前のはボロかったからね。色々変えてきたんだよ」
文明はその場をくるりと一回転してみせた。
「へぇ」
諏訪は改めて文明の全身を眺める。スキーウェアというのは、もともと派手なものだが、文明の服装はその中でも際立って派手に見える。文明は派手好きなのだろうか。
「緊張してる?」
「そんなにしてない」
「一発勝負なのに?」
「俺は昔から緊張しないから」
諏訪はさらりと答える。文明は目を丸くした。驚かれるのには慣れている。
「すげえな」
「緊張するより先に、あれやろうとかこれやろうって思うからなぁ」
「諏訪はワールドカップに出ても緊張しなさそう」
文明はしんみり呟いた。彼の成績だったら、高校生ワールドカップ選手という前代未聞の偉業すらも成し遂げられそうだ。
「俺は、他のことが気になって緊張どころじゃない人間なんだよ」
おそらく自分はワールドカップでも緊張しないだろう、と思う。
「でも、緊張しないからといって速いわけじゃないだろ?」
「そりゃそうだ」
「今回は勝つ」
文明はにやりと笑う。
「いや、勝つのは俺だ」
諏訪も笑い返す。
超高校生級の速さが自慢の諏訪だが、それはある一つの種目においてのことである。その種目では文明すら差し置いて高校生ではダントツ、大人とも混じって日本一を争う強さの諏訪も、種目が変われば他の高校生とも争うことになる。それでも高校生の中でトップを狙えるというのが諏訪の恐ろしいところではあるが。
国体の種目は、諏訪が二番目に得意な種目だ。この種目を最も得意とする伊沢文明とは、幼いころから大会で顔を合わせてきたが、今に至るまで実力はほぼ互角だった。
「まあ、文明が新潟代表になれて何よりだ」
「俺も、お前が長野予選で転んだらどうしようって心配してたよ」
憎まれ口を叩き合う二人だが、表情は笑顔である。
「今までは一勝一敗だったよな」
「ああ、今日で決着をつけよう」
全日本選手権では諏訪が、インターハイでは文明が勝った。今日の国体が国内の大きな大会では最後の決戦になる。
「俺は負けねぇぞ」
「俺も勝ちに来てるからな」
二人は互いに笑って背中を向け、自らのチームに戻った。勝負の始まりである。
* * *
「……お前、ほんと強いな」
「いやぁ慎太郎にそう言ってもらえるのはありがたい」
表彰台の上、二位の位置に文明はいた。諏訪は床に立っている。五位だった。諏訪の全力でこの順位だから、文明は完全に諏訪の上に行っているというほかない。
安定が持ち味の諏訪は、荒れるコースの方が得意だ。いや、得意というよりは、荒れる試合では上位層からも棄権がどんどん出てくるから自分が相対的に強くなれるという方が正しい。
逆に、文明は荒れる試合では転んで棄権になってしまうタイプだ。全日本選手権で諏訪が文明に勝てたのはこれが理由である。しかし今回、文明は猛スピードを保ちながら完走してみせた。諏訪の負けだ。
「高一で二位なんて化け物だよ」
「得意種目でもないのに高一で五位に食い込む方が化け物だよ」
何度も言うが、種目が違えば諏訪は高校トップの実力を誇る。それをすっかり忘れて心の底から二位の自分を羨ましがる諏訪のことが文明は不思議でならなかった。
「慎太郎、お前、大物になるよ」
世界とも戦える大柄な背中を見ながら文明が呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます