第143話:理由 ~勝ち逃げだから負けじゃない~

 水無瀬は海外にいるから、彼を逮捕しようと思ったら、まず帰国させなければならない。既に全国の警察に手配されている水無瀬が普通に入国してくるわけがない。おそらく密入国してくるはずだ。そして、その密入国を行えるのは、密出国を担当した南雲だけ。つまり、南雲を逮捕するとオーナーは捕まえられなくなる。オーナーを捕まえようと思ったら、南雲を逮捕することはできない。


 一見、オーナーも南雲も捕まえられない最悪の状況に思えるが、カジノが急に潰れたことで、オーナーには金が入らなくなった。いつか逃亡資金がなくなるのは確かだ。絶対に日本に帰ってくる。時間はかかるが、オーナーを逮捕できる可能性は高い。警察がオーナー逮捕のチャンスを捨てるのは無理だ。

 南雲はあらかじめそれを読んでいた。つまり、南雲にとって、オーナーは人質だったということだ。


「諏訪さんは、今でもオーナーを追ってるんですか?」

「そうせざるを得ないので」

 諏訪は苦々しくそう答えた。南雲がふっと笑う声がした。諏訪は奥歯を噛む。


 すべての絡繰に気が付いたのは、オーナーを全国に手配した後だった。今さら手配を撤回するわけにはいかないし、やはりオーナーと南雲ならばオーナーの方を捕まえたい。


「オーナーを海外に逃がすことをカジノ側に提案したのは、南雲さんっすよね」

 ため息をつきながら問う諏訪に、南雲はしっかりと頷いた。

「カジノに関わるなんて、危なくてしょうがないですから。身元の保証が欲しくてね」

 別件で警察に追われていた水無瀬怜次郎は、喜んで出国したことだろう。南雲の真意も知らずに。


「諏訪さんにはやられましたよ。僕だって、クライアントの一つであるカジノを潰すなんて本当はしたくありませんでした。渋々ですよ」

 南雲はそう言って微笑む。


「正直あのタイミングで、えなさん達を逮捕してくるとは思ってませんでした。僕を中国の山奥に押し込めたのは、オーナーのことを調べる時間稼ぎだと思ってましたから。やられましたよ、まさかあそこでカードを切られるとは」

 冷静に感嘆されるのはなんだか腑に落ちない。


「スタッフが軒並みが逮捕された時点で、カジノが潰れることは確定していたんですよ。喜んでください、諏訪さん」

 嫌である。諏訪は仏頂面で座っていた。


 わざとカジノを潰したのも、南雲を逮捕できない絡繰の一つだ。オーナーに金が入らないことが明らかにならないと、オーナーは日本に帰ってこない。そうなると、警察はオーナーを追うのをやめるかもしれない。


 追い込まれた南雲にとって、カジノを潰すのは必須だ。それに、カジノの重鎮である玉村えなを逮捕してしまったことで、南雲はカジノを潰すことが簡単になってしまった。

 カジノが思いがけず潰れた理由はここにあった。


「僕がカジノを潰した理由がわかりましたか?」

「……はい」


 諏訪はカジノ側の人間には勝てた。南雲にも一応勝ったと言えるだろう。だが、諏訪はどうにも勝った気にならない。南雲の余裕そうな態度を見るとなおさらだ。


「あなたの推理、僕は嫌いじゃありません。否定もしません。けれど、証拠はありませんよね。前と同じです」

「ないっすよ。だから、俺はあんたにいくら言い逃れされても別にいいんですよ。俺たちはあんたを逮捕することはできないんで。でも、賭場はもう作れないんすよね。俺の勝ちです、南雲さん」

「あなたは、潔く認める人間が好きなんでしょう? じゃあ、大人しく認めます。僕の負けです」


 だが諏訪はにこりともせずにじっと空を見つめていた。カジノを再起不能にしたという点では、諏訪の勝ちで南雲の負けだ。それは確かに事実なのだが、警察は南雲を捕まえることはできない。


「どうして、真実を確かめるのに、僕に直接話をしようという方法を選んだんですか? 嘘をつくかもしれないのに」

「……あんたは正直に答えますよ、最初からそうだったでしょ」

 南雲は諏訪に嘘をついたことがほとんどないのに諏訪が気づいたのは最近だった。最初から本名を明かし、教えてくれたポーカーのコツも本当、そして情報屋だというのも本当だった。

 諏訪は南雲に舐められていた。本当のことを言っても、自分の身柄は安全だろう、と。


「意外と手強かったですよ、諏訪さん」

 南雲が笑って煙草に火をつける。

「余裕っすねぇ」

 つい、諏訪の本音が出る。

「僕、嘘は嫌いなんです」

「情報屋だからっすか?」

「ええ。信用第一でしょ、この商売は」


「話はもう終わりですか」

「ええ、まあ……」

「ではまた、お会いしましょう」

 南雲はすっと立ち上がって手をヒラヒラさせながら公園を去った。諏訪はベンチに座ったまま、南雲の背中を見送るばかりだった。

 煙草の副流煙の匂いが未だ残っている。諏訪はこの匂いが嫌いではなかった。

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