第129話:確認 ~存在自体がありえない~

 カジノの隅の椅子に座っている南雲の隣を諏訪は選んだ。空いているのに急に隣に座ってきた諏訪に南雲は一瞬驚いたように見えたが、客相手に不快そうな顔を見せることもなく、すっと立ち上がる。席を移動しようとしたのだろうか。

 だが諏訪の目的は南雲だ。諏訪は南雲を引き止めた。


「どうされました?」

「いえ、少し南雲さんとお話があって」

「じゃあ、一緒に飲みましょう」

 諏訪は立ち上がってバーテンダーの大島に二人分の酒を注文した。バーカウンターに座ってしまえば、しばらく賭場には行かないという意思表示になるし、南雲と座っていればスタッフも寄ってこない。注文した酒はいわば人避けである。


「南雲さん。あなた、通訳じゃないっすよね」

「急にどうしたんですか」

 南雲は不思議そうだ。

「僕が副業で翻訳をしてるって話ですか? 確かに、本業は通訳で副業で翻訳もやっていますけど」


「じゃあ言い換えます。あなたの副業は、情報屋ですね」

 南雲は黙った。追い打ちをかけるようなことはせず、諏訪はじっと南雲を見つめる。

「知ってたんですね」

 ふっと息を吐いて口を開いたのは南雲だ。声がワントーン低い。普段の弱気と真面目を足して二で割ったような姿はどこへやら、今は凛とした表情だ。この不利な立場の中で余裕のある笑みすら浮かべている。

「情報屋と名乗っているわけではありませんが、確かに僕は情報屋といえるような仕事をしています」


「俺、好きっすよ。潔く認める人」

「全てを知っている人を誤魔化してもしょうがないですからね」

 南雲は煙草の箱を取り出し、底をトントンと叩いて一本出す。南雲は換気扇のスイッチを入れた。カジノの中の雑踏にファンの回転する音が少し混じる。


「情報屋であろう人間がカジノにいるのはわかってました。警察の極秘捜査を察知して賭場を変えてるんですから」

 章の推理をさも自分の手柄のように話すのは少し恥ずかしい。


「僕も、賭場を変えた時点で存在自体はあなたにバレてもしょうがないと思ってはいたんです。ですが、なぜ僕に目を付けたんですか? 僕は目立つタイプではありませんので、少し意外なのですが」

 南雲は咥えた煙草にマッチで火をつけた。


「最初から、あなたの存在自体がおかしいとは思ってました」

「どういうことです?」

 南雲はうっすらと微笑んだ。今から諏訪に追い詰められるところだというのに、あまりにも南雲の表情が自信満々のように見えて、諏訪は一瞬ひるんだ。


「南雲さん、あなたは英語と中国語の通訳だそうですが、月に何回、通訳としての仕事がありましたか? 俺がカジノに行った回数は十回近くですが、その間、一度も外国人の客には会っていません。しかも外国人客の使う言語が英語や中国語とも限らない。さらに言えば、えなさんは元ラスベガスのディーラーなんですよね。えなさんなら、英語での接客はお手の物でしょう。それなのに、たまにしか来ない外国人観光客の一部の通訳をするだけの人間を、常勤の従業員として雇っているのはおかしいんすよ」


 自分の推理にはそれなりに自信があった。南雲も自分が情報屋だということは認めている。だが、煙草を優雅に吸っている南雲の姿がどうにも納得行かない。

「なるほど、それで、僕をずっと怪しんでたというわけですか」


「それだけですか?」

「そういえば、あなたはカジノ内で本名を使ってましたよね。それも浮いてました」

「……その程度の違和感から、僕の本業に辿り着いたのは、あなたが初めてです」

 そう言った南雲は、ゆっくりと首を振る。


「スタッフが本名を使っていたら浮いている、というのは確かかもしれませんが、僕がここで南雲と名乗っているのは、僕自身が名前にこだわりがないだけですよ。怪しいからではありません」

 一つ外しましたね、と南雲は笑った。

「目を付けたきっかけだというだけですよ。怪しかった、それだけっす」

 諏訪は頬を少し膨らませる。


「でも、カジノのスタッフは、大勢いますよ。僕やえなさん、りさ子ちゃん、あるいはボーイの田中くんやバーテンダーの大島さんだけではありません。あなたの知らないスタッフだっています。僕が怪しい通訳だからって、情報屋だと考えるのは短絡的ではありませんか?」

「もちろん、他のカジノスタッフと情報屋が兼任されている可能性も考えたんすけど、それだと南雲さんの存在に答えがつかないままなんですよ。専任の通訳であるわけがないのに、あくまで嘘を主張する南雲さんの存在が」


 諏訪が一息つくのと同時に、南雲は苦笑した。

「僕がここの通訳というのは本当なんですけどねぇ」

「でも、本当は情報屋なんですよね?」

 南雲は答えずに灰皿を手元に引き寄せて煙草の火を消した。早くも二本目に火をつける。

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