第124話:名前 ~いない奴など探せない~

 後方支援をすると言ったのは春日だが、実際に動くのは多賀である。数日間かけて水無瀬怜次郎のことを丁寧に調べていた。


「水無瀬怜次郎なんですけどね」

 多賀が頭をボリボリかきながら資料を配った。それはまさに水無瀬怜次郎のデータである。難しい顔の多賀に、資料を受け取った面々は何やら嫌な予感がした。

「調べてきたの?」

「簡単に、ではありますが」

「『簡単』にしては、やけにデータが多いな」

 諏訪は資料をペラペラとめくる。めくれるほど資料がある、それが驚きの理由だ。


「警察のデータベースにあったんです、名前が」

「名前って、水無瀬怜次郎の?」

「はい」

 警察のデータベースに名前があるということは、それは何かしらの事件に関わったことがある、つまり捜査線上に名前が出たということではないのか。


「でも、水無瀬には逮捕歴はなかったはずじゃ……」

「ええ、逮捕歴はありません。逮捕状も出たことはありましたけど、身柄を押さえるに至らなかったんです」

 つまり水無瀬は警察の追手から逃げきった、ということだ。


「今から二年半前、詐欺事件の主犯として捜査線上に名前が挙がったようです。その時に、三嶋さんの部下が必死こいて調べたデータですね」

 三嶋は詐欺事件などの知能犯を担当している。そして、普段章にこき使われている三嶋の部下は、詐欺事件のプロフェッショナルだ。

「その詐欺事件自体は、不知火貴金属商会とは無関係の事件だと思われます。だって、架空請求ですよ。カジノとは次元が違う犯罪じゃないですか」


「そりゃそうだけど、別の事件とはいえ、犯罪の被疑者になってる男だろ。前の捜査本部は追わなかったのかなぁ」

「追えないんですってば。本当に行方不明なんですよ、この人」


「だって、写真見てくださいよ」

 多賀がクリップで止められた水無瀬の写真を指差す。

「……いつの写真だよこれ」

 章がぼやく。その通り、白黒で印刷された水無瀬の写真は、現在六〇歳になるような人間には見えなかった。せいぜい三十代といったところだ。

「水無瀬怜次郎、写真すら全然出てきません。一番新しい写真で十年以上前のものです」


 警察のデータベースは伊達ではない。ましてや、この事件は一度公式に捜査本部が作られていて、不知火貴金属商会の執行役員である水無瀬も当然調べが入っている。多賀一人が一日で調べただけのものではない。


「相当写真嫌いなんだな」

「今死んだら遺影あるのかな、こいつ」

「あのですねぇ、今の僕たちに、そんなことを心配してる余裕はないですって」

 伊勢兄弟のやり取りを多賀がたしなめた。


「これは?」

 多賀に叱られて首をすくめ、また資料に目を落とした裕が尋ねた。航空写真に赤くマルが付けられ、その中には一つの建物がある。

「なんか、俺にはでかい家みたいに見えるけど」

「スーパー銭湯ですよ。ほら、次のページにストリートビューがあるでしょ」

「なんで急にスーパー銭湯が出てくるんだよ」

「水無瀬が、本籍と住民票上で住んでいる場所です」

「…………」

 章と裕、春日と諏訪が顔を見合わせた。多賀がうっすらと口元に微笑みを浮かべる。


「住所も不明、写真もなし、以前の捜査本部でも、一度も捜査員は彼本人を目撃できませんでした。本人名義の銀行口座は日本に一つもありません。いったいどこに隠居しているのやら」

「カジノのオーナーなんやから、確実に逃げるだけの金は持ってそうやけどな」

 水無瀬怜次郎がオーナーだとしたら、確実に金を持っている。本人名義の口座がない、というのは不自然な話だ。

「そりゃ、金をどこかに隠しているんだろ」

 さらりと章が答えを出す。


「隠すってどこに?」

「地下銀行?」

「現ナマかもよ」

「スイス銀行だったりして」

「諏訪ぁ、調べてよ」

 好き勝手に予想する面々を見て諏訪が嘆息する。言われなくても調べなければならない諏訪と違い、ただ予想だけしていればいい人間は楽なものである。


「とにかく、実物の水無瀬怜次郎は行方不明です。手配もできません。日本のどこかにいるのは確実なんですが」

「うわぁ面倒くせぇなぁ」

「……こんな奴、探すのは骨やで」

 春日がさっそく弱音を上げる。だが声に出さないだけで、皆同じ気持ちだった。


「諏訪、頑張れよ」

「なんで他人事なんですか」

 諏訪は文句で返す。

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