第120話:過疎 ~俺だけ煙草を吸ってない~
今日も今日とて、オーナーの情報を求めて諏訪は苦手なカジノに赴く。張り込みとどちらがつらいだろうか。負けてはならないというプレッシャーから解放されてはじめて、同程度くらいになるだろうか。
「こんばんは」
「どうも」
「今日は人が少ないんですね」
客は何人かいたものの、馴染みの人間は冬野晴也という年近い青年だけだったので、諏訪は彼の隣に座ることにした。冬野は元テニスプレーヤーで、今はテニススクールで講師をしている身だそうだ。
年中やることができるメジャーなスポーツは、まだ食べて生きやすいのがいいな、と諏訪は思った。マイナースポーツ、特にウインタースポーツをやっていると、文明や飯田のように相当な実力者でもコーチだけでは食べていけない。
「いや、この時間帯はこんなもんだよ」
諏訪は時計を見た。言われてみれば、普段よりずいぶん遅い時間になっている。交通課の仕事のせいで、来るのも遅かったからしょうがない。が、やはり馴染みの人間が少ないと少し寂しい気分になる。
「えなさんはいらっしゃらないんですか」
「奥の部屋に行ってるよ。ほら、あのVIPルームに」
それはバカラ専門の部屋だろうと諏訪は予測をする。バカラは賭け金が高く、負ければその分失うものも多い。そしてカジノ側の利益も多い。メインディーラーの玉村えなが呼び出されるのは当然だ。
そして、飯田がギャンブルにハマるほどの成功体験を得る前に、多額の借金を作ってしまった元凶の部屋だ。章がそう言っていた。飯田はバカラをやっていたとは言っていなかったが、付き合いで来たとは言っていた。それならVIPルームに通されてバカラに手を出したと考えてもおかしくはない。
「バカラは怖いぞ」
諏訪は章の言葉を思い出す。
「章さん、まさかやったことあるんすか?」
「あるわけないだろ」
ありそうに見えるから尋ねているのだが。
「ただ、友達の間でやったことはあるよ。大学の学会の発表準備を決めるんだったかな。言っとくけど、順位決めするだけなら合法だからな」
バカラをする大学生という光景を諏訪は想像できない。
「バカラをやってたんだったら、飯田が二回目にきて数百万の負けができたのも無理はない。カジノにとっても予想外だろうぜ、人に連れられてやってきた新規客が、たった二回の来店で大負けするなんて」
数百万で済んでよかったのかもしれない。一日で数千万負けてもおかしくない、それがバカラなのだという。
そんな末恐ろしい勝負の行方を、玉村えなはディーラーとして涼しい顔で見つめているのだろう。諏訪は勝負に物怖じしない精神的な強さを持っているつもりではあるが、それとこれとは話が別だ。
「冬野さん、バカラやったことあるんですか?」
「俺はまだないよ、そんな金もないし。でも、いつかはやってみたいなぁ」
冬野は微笑む。飯田と違い、こちらは完全にカジノにハマっているようだ。一見しただけでは同じように見えるが、話してみると飯田とはまるで違う。
「もう少ししたら、また人が増えるけどね。ここのお客さんは昼夜逆転してるような人も多いし。今が一番中途半端な時間なんだよ」
といっても、既に日付が変わるような時間だが。
「冬野さん、詳しいんですね」
「俺もどちらかというと新参者だよ。初めて来たのは去年の春くらいだし」
このカジノでは、何年も姿を見せ続ける客というのは少ない。大抵が、飯田のように首が回らなくなって姿を消していく。飯田曰く、カジノができた二年前から頻繁に通い続けているような客は、大成功を収めたアスリートほんの数人しかいないそうだ。そして、そういう客のみがVIPルームに入れるのだという。
……大成功を収めたアスリートが何人もこのカジノに通っているというのは異常だというのが諏訪の正直な感想ではあるが。
「でも、えなさん以外もいないのはどうしてなんでしょう」
「いや、いるよ」
「奥っすか?」
諏訪はスタッフルームを指さしたが、冬野は首を振った。
「南雲さんも、大島くんもりさ子ちゃんも、みんな煙草を吸いに行ってるんだよ」
「みんなっすか?」
いかにも美人然とした白里りさ子が喫煙者とはなんとも意外である。いや、玉村えなや南雲が吸っているのも意外ではあるが。
「裏口の近くに喫煙所があってね、大体みんなそこで吸ってるよ。雑談も盛り上がるし、それも楽しみの一つなんだよ。……煙草の話をしてたら、俺も吸いたくなってきたな。行ってこようかな」
「冬野さんも?」
「諏訪くんも行く?」
「いや……」
冬野まで出て行かれると、諏訪としては心細くなってしまう。どうしようか、と考えたが、その間に冬野は立ち上がって行ってしまった。諏訪は一人でカジノに取り残される。すぐに別のスタッフが甲斐甲斐しく諏訪の暇を癒しにやってきたが、諏訪は生返事を返すばかりだった。
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