第113話:札束 ~章は知ってて教えない~
「……お前、札束で飯田の顔叩くんとちゃうかったん?」
春日にそう言われて、諏訪は間抜けな声を出した。
札束の存在を完全に忘れていたからである。
カジノに入れるようになった、と喜びの電話を北海道からかけてきた諏訪に、情報課の一同は手を上げて喜んだ。諏訪から細かい経過を聞いた春日から質問が飛び出して初めて諏訪は札束のミスに気が付いた。
「いや、なんか飯田さん、すごくいい人でさ……」
結局、飯田の情にばかり訴えかけてしまい、札束を出すのを完全に忘れていた。
「そら、見返りもないのにカジノ潰すのに協力してくれる人は相当いい人なのはわかるけど、信用しすぎるのもあかんで。相手がスキーやってるからって信じすぎたらあかん」
「……わかってるよ」
諏訪は俯いた。嘘をついていた。実際はかなり信用してしまっている。普段は、詐欺にかかりやすそうな人間として多賀が挙げられて皆にいじられているが、実際には諏訪もどちらかというと詐欺にかかりやすいタイプである。多賀ほどではないが。
逆に詐欺に強いのは、言わずもがな章と三嶋だ。この二人はあまりにも隙が無さすぎる。二人をターゲットに選ぶ詐欺師は、その時点で負けだと諏訪は思っている。
「で、この一〇〇万円、どうしましょうか」
諏訪は、飯田家に行く前に用意した一〇〇万円の札束をマンスリーマンションの机上に載せ、空いた方の手でピラピラと札をめくる。分厚い束だ。しかし飯田はこの数倍の額の借金を抱えている。
「そんなん、飯田某に渡せばええやないか」
春日が手を挙げる。
「えっ、折角渡さずに済んだのに、また渡しに行くんですか。第一、気まずくないですか」
多賀が横から会話に割り込んできた。大金に弱い様子がうかがえる。
「渡さない方がハイリスクだからな」
章が春日の意見に乗った。情報課の電話の周りはどうなっているのだろう、と諏訪は思う。ぐるぐると受話器を回しているのだろうか。
「どうしてですか」
多賀の質問の声が遠くなった。受話器を回すのも面倒になってきたのだろう。
「今は飯田の善意に頼り切ってる状況だろ。飯田が自分から積極的に裏切ることはなくても、万一、カジノから圧力を掛けられたりしたら諏訪が売られる可能性がある。飯田は諏訪曰く善人なんだろ? 本当に善人なら、口止め料をこれだけ貰ってたら絶対に諏訪のことを売らないと思うがな」
「どうだ、諏訪。決めるのはお前だ」
章に説明されても黙っているだけだった諏訪に、裕が畳みかける。
「……渡します」
諏訪は頷いた。どうせ自分の金でもないし、元は渡すはずだった金でもある。
何もなく飯田を信じることを妄信という。諏訪はそんなことはしたくなかった。
「契約書は作った方がいいっすかね」
「まともな人間だったら作るだろうな」
「文面は、俺がドラフトを作って詳細は千羽さんに見てもらおう」
「え、千羽さんっすか」
声だけで春日に不穏な気持ちが届いたらしい。受話器から笑い声がする。
「何言ってんだよ、お前は千羽さんと顔を合わせないだろ」
「ならいいんですけど……。千羽さんってそういうこともできるんすか?」
「千羽さんは何でもできるぞ。三嶋の上位互換だな」
三嶋が落ちた東大に現役合格、三嶋がⅡ種を取った国家公務員試験のⅠ種に合格し、その中でも更に優秀な者しか行けない警察官僚になった女である。
「……三嶋さんがかわいそうっす。怒られても知りませんよ」
「三嶋は怒るというより泣く気がする」
受話器の向こうの諏訪、そして隣にいる裕にたしなめられ、章は小さく首をすくめた。
「あれで仲いいの、ほんまに不思議やわ。情報課七不思議やろ」
「共通の敵がいるんだよ」
春日が急に唱え始めた、残り六つが全くの不明である七不思議のひとつは、章が次の瞬間に解いてしまった。春日は不貞腐れる。
「共通の敵って?」
「三嶋が帰ったら聞こうぜ」
章は明らかに知っているが、この表情になった時には絶対に教えてくれないことを裕は知っている。どうせしょぼくれた答えに違いない。
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