第89話:脱走 ~三嶋の姿はどこにもない~

 三嶋の捜索を終え、ぽつりぽつりと帰ってきた信者を辻は片っ端から並ばせている。手ぶらで帰ってきている時点で察してはいるが、信者の列が長くなってゆくのを見ながら薫は何か収穫があってくれと強く祈っていた。

 全員揃ったところで、弥恵が重々しく口を開く。

「捜索の結果を報告して」


「北館1階、衛生部。一帯すべてを捜索しましたが、いません」

「同じく2階、教育部図書室。いません」

「同じく教育部教室。いません」

 信者の訓練された報告が正面玄関の廊下に響き渡る。信者たちの答えは全て「いない」である。わかっていた。わかっていたのだが、薫の気持ちは重い。


「やらかしちまったなぁ」

 薫の背中から関潤一が声をかけてきた。

「ジュン、俺は何もしてない。俺は奴を逃がしてなんかいないんだ。亮成かもしれないぞ、だって同じ車に乗ってたんだから」

 全力で薫は無実を訴える。だが関と目が合わない。

「悪いけどそれ、つじまちゃんと弥恵さんに通用すると思う?」

 薫は言葉を失ってうなだれた。


「そもそも、お前はお目付け役だから、責任はお前にある。俺と亮成は自白剤の経験があるけど、三年前に教団に入ってきた薫にはない。疑われる要素は揃ってるんだよ。かわいそうに」

 ジュンは薫に同情してみせるが、言っていることは残酷だ。薫は眉間にしわを寄せ、何度も小さく舌打ちした。


「自白剤って……三年前だろ?」

「いや、こないだ博実がスパイだと発覚した時にも一度あったぞ」

 知らなかった。薫は目を剥く。

「博実がスパイだと発覚して、すぐに全幹部が自白剤にかけられたんだよ」

「そんなの……俺知らない……」


「薫はあの時ちょうど、東京支部に行ってたからな。だからお前はスパイの博実と無関係だとみなされて自白剤にはかけられていなかった」

「そんな、嘘だろ……」

 あの時に自白剤にかけられていれば、今の潔白を証明できたということか。薫の膝から力が抜ける。ジュンは困ったような顔をして薫に肩を貸して立たせた。


「まあ、薫が博実の仲間であろうがなかろうが、やらかしたものはしょうがない。あの日、自白剤にかけられていたって、やらかしには違いない。諦めろ」

 可愛らしい顔で関が言う絶望の言葉が、薫の心に刺さる。


「館内を捜索した結果、全ての場所で彼は見つかりませんでした」

辻が振り返って締めの報告をする。いつの間にか富士が現れて信者たちの報告を聞いていた。薫の背中がぞわりと大きく震える。


「館内にはいない、か」

「ダブルチェックしますか?」

 辻の問いかけに富士は首を振る。

「館内ならまた探せる、それは後だ」

 時間はない。今もなお、三嶋は逃げている。


「外だ」

 残る可能性はこれしかなかった。さすがに三嶋は徒歩でしか移動できないだろう。この施設は山頂だ。一時間もしないうちに山を下りることはできまい。


「車は?」

 富士の顔には、苛立ちというよりは、焦りがにじんでいた。

「亮ちゃんとジュン、さらに私の車があります。現在動かせるのはそれだけです」

「総動員して探せ。幹部を逃すわけにはいかない。絶対にな」

 誰もが分かっていることではあるが、富士にはそれしか言いようがなかった。

「見つけたら轢いてもいい。生死は問わん、連れ戻せ」

 車が壊れるから嫌だな、と末恐ろしい言葉を聞きながら亮成は思った。


「薫は奴を逃した張本人だけど、捜索に駆り出すの?」

 坂上弥恵が車椅子で静かに富士のもとへやってきた。

「薫は聞き取りだ。弥恵、薫を連れて行け」

 可哀想に、と亮成は祈る。三嶋の代替品とばかりに薫はいたぶられるだろう。もちろん、同じ車に乗っていた自分も相当な目に遭うに違いない。三嶋を取り逃した恨みも重ねて、一体何を食らわせられるのか想像もつかない。果たして、自分の命は保つだろうか。


 相変わらず猫背の治らない亮成はエンジンをかけ、左足を大きく踏み込んだ。普段は舐められていても、この車を運転できる人間は貴重だ。自分は大役だという自覚がハンドルを強く握らせる。


「こんなこと、めったにあらへんからな」

 自分には珍しい独り言を呟き、アクセルを踏む。これからどうなるのだろう、という命のかかったスリルに、亮成はわずかな笑みを浮かべた。

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