第88話:消失 ~恐怖で体が動かない~

 亮成の車から降りてきた三嶋の手首をとらえた薫は、うなだれる彼を睨みつけた。

 経理部部長の薫は、Y計画の帳簿処理で非常に忙しい。三嶋のお守りという業務は完全に余計だ。仕事の邪魔をする裏切り者が薫は許せなかった。車を何度も切り返してのんびり駐車場に停める亮成の余裕もわからない。


 苛立ちを隠せない薫は、腕を組みながらずんずん歩く。

「おい、早よ来いや」

 一向に追いついてこない三嶋に苛立ちながら、薫はため息をついて振り返った。

「三嶋?」

 薫の目は三嶋の姿を捉えられなかった。ぞくりとして、薫は駆け出した。


「おい亮成、あいつ見んかったか?」

「博実のこと? 見てへんけど。薫が見てたんやろ」

 そのはずだった。だが見失った。薫がそう言うと、さすがの亮成の顔色も変わる。

「……僕も探すわ」


 だが三嶋はいなかった。どこを探してもいない。心臓の鼓動がうるさいほどはっきりと聞こえるのは、全速力で走っているからだけではない。

「逃げた……?」

 薫はぽつりと呟く。そんなはずはない。この教団から逃げられるわけがない。ましてや、今自分が目を離した一瞬で。教団の施設の中で。

 しかし、三嶋がいないという事実は変わらない。薫は震える手で慌ててスマートフォンを取り出す。


『三嶋がいません』


 既読が瞬間にわらわらとついて、数分もしないうちに手の空いている信者が駐車場に飛び出してきた。

「私、富士さんを呼んできます」

「自分は弥恵さんを」

 走り去る亮成の背中を見つめる薫の足は完全に凍り付いていた。騒ぎはどんどん大きくなり始めている。自分のミスだ。万一にも三嶋が見つからなければ、どんな罰が待っているだろう。


 呆然とするうちに、富士がやってきた。

「状況を報告しろ」

「はい」

 返事には震えを隠せなかった。


「いつも通り、奴を兄と会わせてきました。俺が監視で、亮成が運転手です。食事から帰ってきたんですが、下駄箱付近で奴を見失いました」

「録音はどうした?」

「まだ預かっていませんから、録音もまだ……」

 薫はかわいそうなほど小さくなっている。


「全員総出で館内を探せ。指示は弥恵が出せ。サブは辻だ。おい辻、時間はどれくらいかかる?」

「すべての作業を止めた場合、三十分前後かと」

「じゃあ三十分後に確認しにくるからな」

 富士は肩をいからせて去る。辻は集まった面々に探す場所の指示を行いはじめた。メモも取らず、頭の中だけで的確に人員を配置している。坂上は静かだ。


「僕は駐車場行くわ」

 人手が足りない今この瞬間、幹部も捜索に加わらないわけにはいかない。亮成が手を挙げ、靴を履き替える。 

「俺は……」

 薫は恐る恐る手を上げる。


「あんたはここや」

 辻は自分の足元を指した。口には出していないが、三嶋を逃がした人物として薫を疑っているのが一発でわかる。薫は歯噛みしながら何度も腕時計を眺めていた。時間はなかなか進まない。だが時計の針の音はとてもうるさい。

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