第69話:電話 ~電話なんか掛けてない~
携帯を持つ三嶋の手が震えている。電話をかける相手はもちろん兄だ。兄に電話をかけるのも嫌なのに頼みごとをする必要があるというダブルパンチで、先延ばしに先延ばしを重ねていたが、いよいよ限界である。
亮成のいる自室で電話をかける気にもならず他の信者に見られるのも嫌で、選んだ場所は外だった。
春の夜に吹く風は心地いい。だがその心地よい風が立てる音は三嶋の耳には雑音としか聞こえない。今かけなければ、兄はきっと電話を取らないだろう。八時から九時、この時間が一番のベストタイミングだ。
ええいままよとばかりに目をつむった三嶋は指先を画面に当て、耳元に持って行く。
「博実か」
最初に声をかけてきたのは兄だった。
「兄ちゃん」
声は上擦った。何年ぶりにそう呼んだだろう。兄弟の仲を飛び越えて恥ずかしさが三嶋を襲う。何年も呼んでいないせいで、ずっと前の呼び方しか残っていないからこうなるのだ。
「急にどうした」
三嶋の兄、
「いや、ちょっと話があって」
秀実は急に面倒そうな声色になる。数年越しに声を聴いて話があると言われたら嫌な予想がつくのはわかる。
「実は今度名古屋に行く予定があるんだけど、よかったら食事でもどう?」
「俺、今は水曜しか名古屋行かないけど」
数年前は週の半分ほど実家の静岡から名古屋に行っていたはずだが、今は違うらしい。
「大丈夫、ちょうど水曜だから」
「夕食でいい?」
「もちろん」
「じゃあ来週の水曜な」
ありがとうと声をかける間もなく電話は切れた。そういう兄である。
「博実くん!」
切れた電話にため息をひとつつき、教団に帰ろうとしている三嶋を誰かが呼び止めた。
「君が博実くんやんな?」
近づいてきたのは、見知っている顔ではあるが、実際に話すのは初めての青年である。
「俺、幹部候補生出身の
温厚そうで大人しそうな男だ。彼は確か、商業高校を出てすぐ教団に幹部候補生として入っている。つまり、スパイが発覚してから教団に入った、わずか三人の幹部候補生の一人である。
ちなみに、彼の他には坂上弥恵と辻真理絵が該当する。辻に関しては元の情報と若干の齟齬があるが、情報収集が難しい教団である以上は仕方あるまい。だから三嶋がこうして潜入しているのである。
「選挙戦の件で、根回しに百万円かかるって聞いたんやけど」
先日、三嶋が辻に要求した額である。選挙戦に挑むという意思表示として、いろんな方面に金を撒かねばならないと兄に言われた、と三嶋が辻に報告したからだ。本当は兄に電話すらかけていない(さっきの電話が初めてなのだから)。
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