第56話:寡黙 ~私に話術なんてない~

「名前、何?」

 しばらく沈黙が続いて、ようやく男が口を開いた。そういえば、辻は三嶋の名前も言わずに去ってしまっていた。肝心なところで抜けている女である。


「三嶋博実です」

「何て呼べばいいん?」

 表情は全く変わらない。笑っているようにも怒っているようにも見える。

「博実でお願いします」

「ふうん」

 男は相槌のようなものを返して、完全に三嶋に背を向けた。


「亮成さん、ベッドお借りしてよろしいですか」

 背中を向けたままだったので判別はつかないが、彼は頷いたらしい。


「博実は何部?」

 背を向けたまま、彼は必死に何か話題を探していたようだった。それにしても、ようやく見つけた話題の振り方が下手である。恐らくこの男、コミュニケーション障害タイプだ。情報課には見られない。強いて言うなら、多賀が一番近いだろうか。

「……何部、とはなんですか?」


「入ってる部署の名前」

「まだ決まってません。今日入ったばかりなので。亮成くんは?」

「薬理部」

 それっきり亮成は黙ってしまった。会話が続かなくなったようである。三嶋も饒舌なタイプではなく、どちらかというと話を引っ張ってもらいたい人間だ。その点、辻はうまく三嶋との会話を続けようと配慮をしてくれた。


「亮成くんは、幹部候補生なんですよね」

「うん」

 亮成は面倒臭そうに顔をこちらに向けた。会話をする気があるのかないのか三嶋にはわからないが、一応話は続ける。


「大学とか、通ってたんですか」

「そりゃな」

 禁止されている敬語が出ていることに三嶋は気がついていなかったが、亮成は何も言わなかった。


「まあ院に行ってないから大したことはないけど」

 亮成は謙遜するが、学部は違えど多賀が落ちた有名大学の出身だという。多賀が聞いたらコンプレックスを発動するにちがいない。

「院に行っていないのは私もですよ」

「どこ?」


 大学名を言っても、亮成にはあまりピンときていないように見えた。三嶋の出身大学は東京、しかも文系で大学の規模も小さい。仕方ないことでもある。知らないと言われないだけ配慮を感じる。


「大学出たあとは、どこか就職してたんですか?」

 話しかけるのは苦手だが、明らかに亮成のほうが重症であることだし、三嶋側が折れるべきなのだろう。

 亮成は答えずに首を振っただけだったが、それもコミュニケーション障害の一種だと思うことにする。


「卒業してすぐ来た」

「そうなんですね」

「僕、院行きたかったけど落ちたから」

 気まずい。


「…………」

「…………」


 なんだこの間は。三嶋は自分の話し下手を呪う。伊勢兄弟なら、こういう男に対しても上手くやるだろうに。いや、伊勢兄弟だけでなく春日も、諏訪ですら自分よりはマシだろう。多賀だけは微妙ではあるが……。


 何を言えばいいのかわからなくなってしまった三嶋は、半分うつむくようにして二段ベッドに登り、上段に寝転んだ。みしりとベッドが歪む音がする。寝返りを打つたびに音を立てるベッドに気を使いながら寝転がっていると、亮成は寝てしまったらしく寝息らしい音が聞こえてきた。


 亮成は三嶋の失言を気にしているだろうか。こういうタイプは話を振ってやると案外喜ぶものだが、不愉快に感じていないとも限らない。そこは時間をかけて探っていかねばならないところだが、三嶋はそれが面倒なのである。


 辻が三嶋を施設中連れまわしていた時に聞いた話だと、夕飯にはまだ時間があるはずだ。三嶋は脳内での一人反省会を切り上げ、ベッドの中に潜り込んだ。

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