第3話:脅迫 ~通勤ルートは隠せない~
被害者が自分? あんな証拠を出しておいて、被害者が僕?
多賀は黙っていた。何も言ってはいけない気がした。
「本当のスリは、このおっさんの方だろ?」
一瞬足を止めかけた。しかしここで立ち止まっては男の思うツボかもしれない。多賀は一生懸命に足を動かしている。男は多賀についてきて、横から好き放題に喋っていた。
「このハゲね、プロのスリなんだよ。僕も何度か被害に遭いかけてる。とにかくやり口が汚いゴミ虫でね」
被害者からおっさん、おっさんからハゲ、そしてとうとうゴミ虫にまで進化した。男がずっと最初と同じ調子で微笑んでいるのが多賀には不気味だった。
「今朝久しぶりにアレを見てね。今度誰かに手を出したら警察に電話しようと思ったんだ。案の定、アレは君に手を出した」
「ええ、僕は財布をスられました」
いつまでついてくるんだろうと思いつつ多賀は頷く。乗り換えてから同じ電車にまで乗る羽目になるとは。……もし、駅まで同じだったらどうしよう。
不穏な予想が湧いてきて、多賀は頭を振って脳裏から妄想を追い出した。
「で、カメラで証拠を押さえようとしたら」
「僕が写ったんですね」
「そんな感じだ」
「僕は運が悪かった、と」
「そんな感じだ」
愛想なく言いつつも、多賀はほっとした。自分の技術が男に知れたのは、こちらに落ち度があるせいではなさそうだ。
まあ、落ち度があろうがなかろうが、面倒な状況に変わりはないのだが。
「こっちにとっては運が良かったんだけどね。ちょっと君にお願いがある」
「え?」
ほっとした身体を多賀はまた凍りつかせる。やはり脅迫だったかと身構えた。多賀は頭の中で自分の人生と自分が動かせる金とを天秤にかけていた。脅迫されたら、いくらまで男に出せるだろう?
「今日一日なら、50万円が限界ですけど」
多賀は男から軽く目をそらしつつ、少なく見積もった金額を提示した。
しかし、男は一瞬だけ腑に落ちない顔をして、何か気づいた顔になると途端に笑い始めた。
「あ、そういう意味じゃない」
「どういう意味ですか?」
「多賀くんに、うちの部署に来てほしくてね」
引っかかる言い方をする。弊社、ではなく、うちの部署。自分と男の勤め先が同じという可能性を、多賀は無意識のうちに切り捨てていた。
衝撃が全身を抜けると同時に納得がいった。通勤ルートが同じわけだ。
しかし、なぜこの男は自分の職場を知っているのか。
確かに多賀の勤め先は人が多いから、知らない男と同じ職場でもおかしくはない。逆に、向こうが自分を一方的に知っている可能性だってある。それでもやはり腑に落ちない点はいくらかある。
まだまだ油断はできなさそうだ。多賀はぐっと拳を握って男の言葉を待った。
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