第8話 カミサマの事情

行きと同じように先導して、今の仮住まいの社に帰るという稲荷のきつねはスキップをしそうなぐらい、帰れることを喜んでいる。



「ねぇ、レイナ」


「なに?」


「調律をしなかったらこの世界は消えてしまうの?」


「ええ、ストーリーテラーの決めた物語を歩むことで想区は安定を保っているから」


「でも」



元のストーリーに戻らない方が幸せな物語があるなんて、思いもしなかった。


ウカノミタマさまのところに帰れると喜ぶ稲荷のきつねは幸せそうだ。この世界の物語、そして決められた運命に不安を覚えながらも今この瞬間はただひたむきに唯一の仕える相手を想っている。

人、ではなく彼らは神様ではあるが彼らの想いが報われないストーリーテラーの描いた物語はどんな意味があるのだろう。



「それでも、元に戻さないといけないわ」


「僕らの仕事は人の子を見守り、導くことにある。僕個神こじんの利益は優先しない。それこそ、僕の存在を否定する行動だ」



夜の闇に白い顔は不気味に輝いていた。これまで白い白いと思っていたレイナよりも稲荷のきつねは肌が白く、白いというよりもむしろ色が抜けているような気がする。


稲荷のきつねの履き物と同じ色の門、鳥居というらしいが、鳥居をくぐって、昨日休ませてもらった社に歩いていった。

いつの間にか日が落ちきって、辺りは暗闇に覆われている。その中をなにも躊躇いなく歩いていく稲荷のきつねを見送った。



「ウカノミタマさま!はい!僕に穢れは見えますか?」



稲荷のきつねは何も無い社に向かって一人で語りかける。

そこで、気がついた。元の物語と異なる道筋のままでいられないのか?さっき、僕はそう考えた。つまり、この物語が変わることで嬉しい人はなにも伯爵だけではない。


僕らには見えないが、稲荷のきつねとともに生活していたウカノミタマさまだって、稲荷のきつねが神様でなくなったら寂しいのだ。普通の人に見てもらえない神様こそ、主従の眷属神を大切に思っているはずなのだから。



「おでましだな」


「ちゃちゃっと終わらせましょう」



その考えにたどり着いたときには、暗闇の闇を吸ったような巨大なカオステラーの姿があらわになった。

ヴィランに変化して、ウカノミタマさまという豊穣の神様でなくなったら僕らにも見えるなんて、神様とは悲しい因果な存在だ。



「ウカノミタマさま?なにを?どうしたんですか!?」



ウカノミタマさまだったのであろうカオステラーにすがりつく稲荷のきつねは痛々しかった。白い丸石の砂利の上になんの躊躇いもなく膝をついて、ウカノミタマさまの様子を伺っている。

私たちからしたら何もない空間に突如カオステラーが出現したように見えるが、ウカノミタマさまが見えている稲荷のきつねにとっては全く別の光景に見えるだろう。


呆然と赤の履物が汚れるのも厭わずに砂利に座り込む稲荷のきつねにカオステラーが飛びかかろうとしたところで、シェインが初撃を弾いた。



「稲荷のきつね!」



喝でこの現実を悟ったらしく、無理矢理な笑顔で稲荷のきつねは挨拶を述べた。



「……いらっしゃいませ」



両手に青白い炎を灯した稲荷のきつねはウカノミタマさまを受け入れるかのように、両手を広げていた。



「僕はそう、迎えます。僕は人の子が好きです、彼らが悩み喜び、様々な選択をして、感謝をするその様がとても好き」



完全にヴィランに、カオステラーの姿に変わってしまったウカノミタマさまに攻撃を加えるエクスたちのことを止めることなく稲荷のきつねは語りかけていた。

話せば戻ると信じているように、神様としての役割を果たすかのように、切々と自らの想いを話す。



「それに、社の軒下にきつねが住んでいても、ウカノミタマさまは怒らないですよね?」


「避けて!」



最期、稲荷のきつねに伸びたヴィランの腕は稲荷のきつねが受け止めた。稲荷のきつねの両腕にあった火の玉はなめるようにカオステラーを駆け上っていった。

そして、消えるときには呆気なくカオステラーが消えた。


元の呼吸すら圧迫してくるような強い暗闇はもうない。どこか穏やかな包み込むような柔らかい夜が戻ってきていた。

安堵のため息をついて、一息いれたところでレイナが顔を上げた。



「調律をするわ」



稲荷のきつねに調律とはなにかを伝えても穏やかに微笑むだけだった。



「ありがとう、お嬢さんが言うように調律したら覚えてないとしても、僕は君たちに感謝しているよ」



稲荷のきつねの後ろでは境内に飾られていた多くの風車のうち、ヴィランとの戦いに巻き込まれず一つ残った萌葱色の風車が小さな音を立てて回っていた。



「ありがとうございます、おかげさまで恋人ができました」



風車をまわして夜の参拝路を一人でのぼってきた少女は、昨日、稲荷のきつねが背中を押した少女だった。

彼女の感謝を聞いて、稲荷のきつねは今まで見たどの笑みよりも深く笑っていた。


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