第14話
「これ、何かわかりますか?」
「林檎だろ?」
見たまんまの答えを言うと、イヴは首を横に振った。
「これ、善悪を知る木の実なんですよ。勿論本物ではありません。本物は
そう言ってイヴは林檎を……いや、善悪を知る木の実を消した。まあ、既に善悪を知ってしまっている人間が食べても無意味なモノなのだろう。でも林檎って美味いから食べたかった感じもあるわ。あっちの世界行ってから林檎なんてお目にかかってないし。
「わたしがまだ楽園にいた頃は、人間はわたしとアダムの二人しかいませんでした。他の動物はたくさんいましたが。それなりに幸せに暮らしていたんですよ? ご飯はマズかったですけど。調理器具とか無いですし。まあ、そんな生活の中でわたしにはどうしてもしたいことがあったんですよ」
「なにそれ。善悪の木の実を食べることとか?」
適当に答える。イヴのやりたいことなんて想像つかんし、やったことって言ったら実を食べたくらいだろ?
「ええ、そうです。ヤハウェには食べたら死ぬと言われていましたが、わたしはどうしてもそれを食べてみたかった」
「そこで蛇に唆されたのか?」
聖書とかだとそんな感じのことが書いてあるんでしょ? 真面目に読んだことないから知らんけど。
俺が先を予想して言うと、またしてもイヴは首を左右に振った。
「まさか。わたしは人間ですよ、したいことは自分で決めます。蛇は逆にわたしを止めに来たくらいですよ」
うーん……この辺から既に聖書とか創世記と食い違ってるな。まあ人間の書いた作り話だし仕方ないっちゃあ仕方ないと思うけど。
……ていうか、作り話だと思ってたけど、イヴがいるってことはもしかして完全な作り話じゃないのか……?
「貴方の言う聖書がその本を指しているかは知りませんが、恐らく当時を知る人間が書いたのでしょう。当時は、魔法が使える人たちが大勢いましたから、寿命とかも今の人たちとは全然違いましたし」
俺の疑問に、イヴが答えた。
それから、イヴは話を戻して、続きを話し始めた。
「蛇の制止を振り切り、わたしは善悪の木の実を食べました。それを食べてから世界が変わりましたよ。それまで当然だと思っていた裸が急に恥ずかしくなり、それまでなかったいろいろな感情めいたモノがわたしを駆け回ったのです」
「ふむ、それでどうしたのじゃ?」
ディアナが話の続きを促す。
「わたしは直ぐさまアダムに実を食べさせました。アダムもわたしと同じように感動し、そしてヤハウェに疑問を持ちました。何故この実をわたし達に食べさせようとしなかったのか、と」
「確かにな。相当凄そうな実じゃん」
善悪を知るっていうのが、どういう感じなのかは知らんけど。人に強制的に知識とか感情とかを植え付けるって言ったらあれだけど、芽生えさせる実なんでしょ? やばいな、それ。
「やがてわたしとアダムはヤハウェに木の実を食べたことが見付かりました。ヤハウェはその時わたし達を怒ったのですが、どちらかというとヤハウェはどこか怯えている節もありました。そしてそれから直ぐにエデンを追い出されました」
ってかホントにエデンとかあったんだな。今更だけど。
「大して説明もなくエデンを追放されたアダムは怒りました。わたしは報いだと思っていたのでどうということはなかったのですけど。しかし、アダムもただ怒っていたわけではなく、アダムはエデンを追放される時に命の木の実をもぎ取ってきました」
「命の木の実ってヤハウェが食べるなとは言わなかった実だよな」
「そうです。アダムはエデンに戻りたかった。だからエデンの象徴として相応しい命の木の実をもぎ取ってきたんです。それを媒介にしてエデンへの扉を開くために」
「でもエデンにはケルビムと何とかの火があったよな?」
エデンの門を守る的な炎があったはず。記憶めっちゃ曖昧だけど。
俺が聞くとイヴは肩を竦めて「さあ?」と言った。
「わたしにはわかりません。エデンの扉を開けたのはアダムだけですから。しかし、アダムがエデンに行けなかったのは確かです」
「何故じゃ? 扉は開いたのであろう?」
「アダムはヤハウェに邪魔をされたと言っていました」
そこで話が一旦途切れた。
アダムとか追い出されたのに戻ろうとするとか馬鹿だな。アダムって馬鹿の子だったのか? そりゃ邪魔されるに決まってんだろ。じゃなきゃ何のために追い出したのかわからんし。
「それで、どうなったのじゃ?」
黙ってしまったイヴに続きを促すディアナ。俺も続きは気になるな。
イヴは一度息を吸って、吐いてから、もう一度数と続きを話し始めた。
「アダムはその後も何回か試したようですが、ことごとく失敗しました。それでアダムは別の方法でエデンに帰ることにしました」
「別の方法なんてあんのか?」
「単純なことですよ。エデンに入ろうとすれば邪魔をされる。邪魔をされるから入れない。だったら邪魔をする存在を貴方だったらどうしますか?」
俺だったらどうするか? まあ俺は法治国家日本で生まれ育った日本人だからそりゃ話し合いで解決するけど、ここは邪神とか勇者とか魔剣とか神剣とか魔法とかが蔓延るファンタジー世界なわけで、さらに言えばイヴの言うアダムがいた時代っていうのはめちゃくちゃ古い時代なわけだから、俺とは根本から思想が違うわけだ。
っていうことは、やっぱりどうするかっていうと――
「――殺す」
何て言う物騒な結論になるんですよね、わかります。
「はい、その通りです。何故アダムがエデンに執着するのか、わたしにはわかりません。しかしアダムはエデンに戻るためにヤハウェを殺すと言いました」
「不可能じゃな」
ディアナが即座に否定するようにそう言った。
「人間に殺される神などおらん。例え最下層の神だとしても人間程度の存在に殺されたりはせん」
「酷い言われようだな、人間」
「主も体感したじゃろうが。人間のトップクラスの実力であの程度じゃ、殺されるという気は全くせんじゃろ」
「王妃には勝てない気がする」
「それはただ性格とか、そう言ったものが苦手なだけじゃろうが」
だんだんと雑談になってきたから話を戻すために黙る。それからディアナに向いていた顔をイヴに向けた。
イヴは気にしていないのか、笑顔のままだった。
「貴方たちの会話にいちいち反応していたらキリがありませんから」
あ、はいすいません。続きをどうぞ。
「そうですね。人間程度が勝てる存在ではありません……が、貴方達は重大なことを忘れています」
重大なこと? なんだよそれ。イヴの見た目が俺の好きな漫画に出てくるイヴだってこと以上にこの場で重大なことなんてあんのかよ。
「お主よ、むしろ今それはこの場において最もどうでもいいことじゃ」
俺の考えが聞こえたのかディアナが言ってきた。
「なにおう。見た目は大事だろう。こんな不思議世界で初めて会った人間がキモオタだったら話を聞く気にすらならなかったぞ、俺は。ソッコー排除しにかかってたね」
「主もオタクじゃろうが!?」
「いいや、キモオタとは違うね。あいつらはオタクの恥だ。マスゴミに取り上げられるのは一部のキモオタ達だけなのにも関わらず、あいつらのせいで俺達普通のオタクも気持ち悪いモノを見るような目で見られるんだ」
「お主、またどうでもよいことに話がズレておるぞ」
ディアナからの指摘でとりあえずまた黙る。ダメだ、シリアスな空気に堪えられない。さっき呆れられたばっかりなのに、俺の中の、こう、なんか言葉にできない変な気の部分が真面目な話をさせてくれないというか……!
「変な気ってなんですか!?」
「なんかこう……モヤットした……モヤットボールみたいな?」
「意味がわかりません」
「いや、ていうか、俺人の身の上話とかあんまり興味ないし、それを突然俺の意思とか関係なく話されてたら、話が脱線するのって仕方なくね?」
「わらわも右に同じく」
「いや、確かにそうかもしれませんけど! でも、重要な話なんで聞いてください!」
イヴははあ、と呆れたように溜息を吐くと俺とディアナを少し睨んで言った。
「わたし達はヤハウェに作られた存在です。ヤハウェに命を吹き込まれた……つまり、その身体には神の力が流れているんです」
「しかしじゃからと言って自らが神だと言うわけではあるまい?」
そこでイヴは頷く。
「ええ、勿論です。しかしだからこそ――」
イヴはそこで一度言葉を切った。顔から表情が消えて、さっきよりも平淡なのにやけに耳に残る声で言った。
「アダムは神になろうとした」
「――馬鹿な。人が神になれるものか」
少し呆然とした声音でディアナがもらす。その声音の原因はたぶん、あまりにも突拍子もないことを言ったイヴに対する呆れ、というよりも神になろうとしたというアダムに対する蔑みのようなものだったのだろう。ディアナはこれでも純粋な神様だからな。
「待てディアナ。俺は元々人間だぞ?」
俺は地球の日本という国で生まれ育った人間だ。今でこそ邪神なんてもんをやっちゃあいるけど、元のスペックは人間だったはず。
……自分で言っててちょっと自信無くなってきたけど、少なくとも光何て言うリア充のイケメンなんかよりは人間だったはずだ。人間してたはずだ。
「お主は生まれた時から邪神だったのじゃ。親など関係なくな。そもそもの問題にして、神というものにも制約がある。神は全知全能ではないのだ。その神の制約の中に死という制約と生まれ変わりという制約がある。神とて生物の一員。死からは逃れられぬ」
要するに俺は前の邪神の生まれ変わりで、ディアナに会うまで自分が邪神だってことに気付いてなかっただけってことか?
「そうじゃ。神なぞ、言ってしまえば少し他の生物より力があって少し他の生物よりも寿命が長いだけの生物じゃ。まあその少しの間にどれだけの差があるかは知らんがの」
「さいですか……」
なんか最終的に神ってスゲーみたいな話になったから適当に返事をして切る。わらわってスゲーみたいな空気を醸し出している感じがしなくもないけど気にしない。気にしたら負けだ。
そんなどや顔でこっち見たって反応なんて返したりしねーから!
そんな俺の心を読みとったのかイヴが脱線した話を元に戻してくれた。俺たちはいったい何回脱線すれば気が済むんだろうな?
「神になろうとするアダムを危険視したヤハウェは、イエスに命じてアダムを消させようとしました。この頃には人間もたくさんいましたからね。皆わたし達と違って出来損ないでしたけど」
「その時にお前もヤハウェに目を付けられてイエスに封印されたのか?」
イヴは最初に説明してくれた時と同じように不機嫌な顔になって頷いた。なんかイエス関係というか封印関係のことは地雷っぽい。まあ自由を奪われた話だし、当然か。
「あのクソヤロー共は何を思ったか最初にわたしの所に来たんですよ。わたし何もしてないのに。わたしなんかを封印してるからアダムを取り逃がすんですよ」
「え? アダムって取り逃がしたの?」
それってよくわからんけど結構ヤバイんじゃね? 話の流れ的に。
「ええ、そうです。わたしが聖人ぶったクソヤロー共の魔法使い集団とドンパチやってる間に、アダムはヤハウェの手の届かない別の世界へと逃げ出しました」
「別の世界って?」
若干嫌な予感。俺の仕事増えそう。予感ってのは嫌な予感だけ当たって良い予感ってのは当たらないもんなんだよな。
そして今回も、嫌な予感が当たってしまった。
「此処です。当時はまだ出来たばかりだったこの世界に逃げ込んだんですよ」
そこでイヴは視線を俺からディアナに向けた。俺とディアナは何も言ってないけど、俺の心が映し出されるこの世界では言葉というものはイヴにとって不要なものなのだろう。イヴはディアナがこの……っていうか本の外の世界の創造神ということに気付いていた。
そんなイヴからの視線を受けながらディアナは首を横に振る。
「わらわは知らん。出来たばかりというのならわらわは休眠状態だったのだろう。その休眠状態の間に世界の裏側なんぞというしけた場所に押し込まれたが」
「そうですか……」
しゅんとした感じにイヴは言ってうなだれた。
「これ以上のことはわたしにはよくわかりません。世界が違いますし、そもそも本に封印されてましたし。まあでもしかし――」
イヴは含みを持たせるように間をとった。
「アダムは生きていますよ。今もこの世界のどこかで」
生きてるとか言っちゃって絶対俺の仕事増やすつもりだよね。なんかもう予想出来てるもん。こんな場所に来て説明だけで終わりなんてこの世界に来てからの経験から有り得ないもん。
うわー……今からもう逃げ出したいわ。
「そうですよ。このままで終わるなんて思わなかったことは褒めてあげましょう」
「なんで上から目線なの?」
「お主より年上だからじゃろ」
「年上ってだけで上から目線なのはいけないことだと思います!」
そんなことを言って何となくうちひしがれていると、イヴが「貴方神様なんだから「いいえ、ケフィアです」文句言わないで下さい」とか言ってきやがった。
「なにか変な言葉が混ざった気がしたぞ?」
「ケフィアなんて言ってない」
「自分でばらしおったな!」
話が一段落したからか俺とディアナの口から軽口が漏れてくる。もうだだ漏れ。壊れた水道並にだだ漏れだ。
……話が一段落したとか関係なかったね。さっきからずっと軽口はだだ漏れだったわ。
そんな俺とディアナをまるっとするっと無視してイヴが話を続ける。
「アダムはまだ諦めていません。何をどうやって神になろうとしているのかはわかりませんが、世界のあちこちでアダムの力の波動を感じます。これ以上世界を掻き乱す前にアダムを止めて下さい」
「えー……どうしようか」
「むろん了解じゃ。わらわの世界を無茶苦茶にされるわけにはいかんからの」
「……あれ? 俺の意思は!?」
「十分に尊重しておる」
「一ミリたりとも尊重されてなかったよね!? 俺に何も聞かなかったよね!?」
「あーあーきこえなーい」
「急に見た目相応みたいな行動とるんじゃねえよッ!?」
この世界に来て、これの人権がことごとく無視されてる気がする。
「……はあ。まあもう厄介事背負ってるからそれが少し増えるだけか。魔王倒せって言ってるわけじゃねーんだ、何とかなるだろ」
呆れて諦めてうなだれた。もはや召喚された時の「魔王倒して」と遠く掛け離れてしまった。
理不尽に呼び出されて魔王退治かと思ったら魔王が仲間になって、世界の端っこ目指して魔獣倒そうぜって時に今度はアダム倒せですか。そーですか。
こう考えると某国民的RPGってスゲー良心的だな……! だって目的一つしかないし魔王倒せば終わりだし仲間は皆良心的だしで、俺には何一つない『王道』が今は羨ましいです……!
最初に馬の骨とか言ってマジすんません。こんなことになるんだったら普通に勇者でいいです。調子乗ってすんません。これ以上厄介事増やされたくないです。
「今更後悔しても遅いです。一旦やると言ったのだからやってもらいます」
「現実というものは辛い出来事の連続なのじゃぞ?」
「いや、お前が原因だろこれ何俺に説教くれてんだよ。俺一言もやるなんて言ってなかったじゃん」
「そんな小さなことを気にしておったら大きな男になれんぞ?」
「これが小さなことって言えるディアナさんマジパネェっす」
いや、ホントに。
厄介ごと持ってくるのは光だけにしてほしいです。
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