第8話 この世で一番嫌いな人
あの悪夢の一瞬から、数時間が経過していた。
カレンが目を覚ますと、アラームを鳴らし続けているカーヴの人型が、視覚データとしてカレンの意識に流れ込んできた。
カレンが意識を失っている間も、シビアアクシデントを起こした人型を、誰も回収に来ていなかったようだ。
回収する責任は敵側にある。捕虜として扱われ、国連の監視下で人道的に捕虜交換が行われる。エリントとデコイの戦いが、冷静さを保ち続ける『盤上の戦い』と言われる要因の一つだ。
しかし、正体不明の攻撃を受けたカーヴの人型は、レールガンの熱量に表面を焦がされたまま放置されていた。
カレンは複雑な気持ちでカーヴの人型を抱いた。鈍い金属音がノイズのような聴覚データを増加させる。
カーヴは連れて行かせない。カーヴの命を救うためには、早く処置すべきだった。それでもカレンはカーヴが自分の前から消えてないことに、安心すら感じていた。
「敵の人型も撤退したようだ。敵も味方も巻き込んだ攻撃だった。生き延びた敵の人型が素直に自分の母艦へと帰ったとは考え難い。もしかしたら賊に偽装した軍ではなく、本当に賊だったのか?」
「しかしどこからか、シビアアクシデントを否定する通信も出ています」
「そんなことができるのは……軍か。しかし理由がわからない。どうしてそんなことをする必要がある? 国際法を守り、敵国内で人型を回収することで、極秘作戦を公になることを恐れるなら、さっさとそのまま賊のフリをして逃げればいい。偽装工作をおこなう理由がわからない。……援軍を遅延? つまり戦闘行動の継続か? まさか敵国に孤立した状態のままで? ……それともこの偽装工作は我が軍が?」
自国の人型のシビアアクシデントだ。敵国が偽装するより、我が国がした方が簡単だ。何故なら、その情報は真偽に関係なく『公式』扱いになるからだ。
しかし……我が軍がそんなことをする理由がわからない。ミカエル隊長の人型が腕を組む。
ミカエル隊長の人型が、視覚データに、カレンとカーヴの姿を加え始めた。
何か、大きな企みにでも巻き込まれたような、嫌な雰囲気をミカエル隊長は感じ取っていた。
「それはわかりませんが……。とにかく危険ですから、早く輸送艦へ帰還してください。テムは回収しました」
「しかし、仲間が残っている」
「ミカエル隊長の言葉にもありましたが、敵の攻撃がこれで終わる保障もありません。残念ですが輸送艦の位置を知らせるような危険な行為は、艦長として、たとえミカエル隊長の言葉でも同意しかねます」
「放置か……」
「そうです。通例に従ってこの場合は放置するしかありません。後日、改めて回収部隊を派遣することになるでしょう」
カレンは生き残った仲間の通信をどこか遠くからのように聞いていた。
半円に切り取られた森へ引かれたピンク色の直線が、次第に細く、掠れて消えていく。
森の命を削り取った光の情報の一部始終、木の焦げる匂いの成分さえ、カレンの意識へずっと送られていた。ふと視覚データを取り出せば、黒く変色した木に、転々と灼熱色の火がまだ燻っていた。森の命が消えていく姿。カレンはそのデータをあっさりと破棄する。
そんなのどうでもいい。森から生物の鳴き声が消え、森の景色が深い緑から黒へと変色したって関係ない。カレンにとって大切なのは、たった一つの命だけだ。
カレンの足元に、一体の人型が倒れていた。
頭部から右胸部にかけて、丸く切り取られた人型は、まるでゴミ置き場に放置された人形のようで、カレンは泣くこともできなかった。
切断面から見えるのは電子部品のみで、当たり前だけれど、人を構成するものは欠片もない。土壌の冷たさにさらされた切断面から白い煙が上っている。
カレンはしゃがみ込み、人型の手で無事に残っていた左大腿部を撫でた。
やはり硬さしか伝わらない。
人じゃない。
これは人じゃない。
カレンは必死に思い込もうとしていた。
「カレン……残念だが」
カレンは突然、音声のみの通信でミカエル隊長に話しかけられた。振り返ると、バンスの姿も、ミカエル隊長の後ろにあった。
ミカエル隊長やバンスさんでなくて良かった。
そう思う気持ちよりも、「どうして……」という気持ちの方が強かった。
わたしって、悪魔より酷い。人として最悪なこと思っている。
それはわかっているけれど、カレンは二人を恨まずにいられない。
どうして、二人じゃなくて――
「残念だが放置するしかない……それにカーヴの再変換は、不可能だろう」
人型の頭部を失ったから、再変換後、人間の頭部が失われているとは限らない。しかし半身を失ったカーヴに、どんな移植手術も無意味なのかもしれない。
けれど――。カレンは、そう聞いた瞬間、まだ熱い小型レールガンの銃口をミカエル隊長の人型の胸へ押し付けた。
「カレン!」
「バンス、構うな」
バンスがカレンとミカエル隊長の間に入ろうとするのを、ミカエル隊長が制した。
「だからって……可能性が、カーヴが元に戻る可能性がゼロになったわけじゃない」
カレンは悲鳴に似た声を上げた。
「いつもだ。いつも人型乗りは、そうやって、可能性を信じてしまう……もっとも昔の私も同じだったが」
人型はすべての情報を集めてしまう。それこそ、わずかな可能性すら拾い上げる。
カレンの人型はカーヴの復活を望むカレンのために、数少ない再変換の成功例をかき集めてカレンへ提示していた。
「しかし、あきらめろ。カーヴはもうカーヴに戻れない。あとはルールに従って、『敵』がカーヴを回収し、カーヴの『死』を確定するだけだ」
「死なない! カーヴは死なない! だって、だって、だって!」
カレンはアクセプトを解いて、再変換した。
搭乗者を失った人型から目から瞳が消えた。ただの無機質の兵器へと戻る
直立不動の待機状態になった人型の前に、琥珀色の髪、琥珀色の目をした人間のカレンが現れた。そして、半分になったカーヴの人型へ抱き着く。断面に残る熱さで、肌が赤くなっても手を離さない。逆にもっと強く、カーヴを抱きしめる。
「そんなにカーヴのことが好きだったのか……」
外部スピーカに切り替えたバンスの声が、生き物の鳴き声を失った森に響く。
カレンは頬を人型へ貼り付けたままで首を横へ振った。
「嫌い、大っ嫌い、カーヴはこの世で一番嫌いな人」
カレンの琥珀色の髪が乱れる。
思わずバンスとミカエル隊長が人型の目を合わせた。
「でも生きていてくれないと悲しすぎる」カレンは鼻を啜る。「だって、カーヴは出会ったばかりのお兄ちゃんだから」
カレンは体を起こした。そして蒸発して消えた人型の顔を、まるでそこにあるかのように、涙の溢れた優しい琥珀色の目で見つめていた。
「アンバー将軍に……私生児?」
バンスの驚きの声が、ミカエル隊長の耳へ届く。
あまりの事実に、ミカエル隊長は通信を切るのを忘れていた。
「アンバー将軍には、カレン……一人娘しかいなかったはずだ」
ただの家庭を持つ男ならば、結果、離婚もしくは家庭崩壊しても、その家族の問題に過ぎない。けれどアンバー将軍は、大統領と血縁関係にあり、厳格でありつつも公平で分け隔てなく一平卒にまで接し、次期大統領候補筆頭である。
「アンバー将軍の政治的な致命傷……このことが公になれば、軍がガタガタになりますよ」
「忘れろバンス。軍で給料をもらい続けたいならば」
ミカエル隊長はそう告げてから、輸送艦へカーヴを運ぶことを伝える。
「だからそれは許可できません」
「いいや艦長、従ってもらおう」
艦長は、か細い声で応じてから通信を切った。
アンバー将軍のアキレス腱となる情報を持つカーヴの人型を、敵の手に渡すわけにはいかなかった。
「いいのですか? いまさら確認することでもないでしょうけれど、こんなにアラームを発している人型を持ちかえれば、こちらの居場所が」
「それでも連れて帰る」
「アンバー将軍のためですか? 我が国の政治安定のためですか?」
出世欲か見返りを求めてのことか? そう詰問するかのようで、バンスの語気が強かった。
「違う。と言いたいな」
ミカエル隊長は、カレンの肩へ、硬い人型の手をのせた。
「いつだって、自らの命を危険に晒すときは、仲間を救うためだと、言いたい」
「さすが、伝説の男の言葉ですね」
バンスは一転して大声で笑いだした。
カレン・アンバーの人型 @9mekazu
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