第7話 この琥珀色のノイズ……
「これだけウルサイなら、当った、よねっ、ねっ。蒸発しなかったのは驚きだけど」
エレニアはそれだけ言うと、手を大きく広げて深呼吸を繰り返した。
音と光に変換された膨大なデータを処理しつつ、操縦のために操縦室で、エレニアは踊り続けていたのだ。踊ることが大好きなエレニアでも、一つのオペラを公演したのと同じで、細くて小さな体が立っているのでさえ不思議な程だ。
「黒、もう、休んでいいんだよ」
エレニアは自身が登場する黒い巨神に声をかけ、細い指で音を鳴らす。同時に操縦室から音と光が消えた。しかし耳障りなアラームが操縦室に泣きつづけていた。
巨神と輸送艦の艦橋をつなぐ通信に、さっきから続くアラームの音が割り込み続けていた。
「あぁーっ! うるさい!」
アラームの音はハウリングと酷似して、耳を劈く。不快な高音で、誰も無視できない。エレニアでなくても、自然と声が大きくなった。
「我慢しろ」
ゼノが一言だけ告げた。
「こんなときにも容赦ないんだから……そこがキライ」
エレニアは荒い呼吸交じりに言い返した。
軍事関連の通信機に限らず、シビアアクシデントになった人型から発せられたアラームの音が、狭い範囲とはいえ、周辺地域に存在する家庭のラジオやテレビなどのすべての通信機器で鳴っているだろう。
アラームの音はシビアアクシデント――人型の搭乗者が再変換不可能状態になったことを、一人でも多くの人へ伝えていた。
不可能? 違う、再変換は可能だ。ゼノは頭の中で、自分の考えを否定した。
シビアアクシデントとなった人型の搭乗者は再変換されて人に戻れば高確率で死ぬ。
逆に言えば、変換されるまで搭乗者は死なない。
しかしそれは人型の部品としてであって、生きていると言えないだろう。
人に戻るためには、結局、再変換しなければならない。そのあとに、生きるか、死ぬか。それは確率でしかわからない。最高の医療チーム、完璧な臓器移植の準備をしても、生存確率は限りなくゼロだ。それでも人は、人型が集めた情報を勝利の僅かな可能性のために捨てられないのと同じく、希望を持ってしまう。
それゆえに生死に慣れた軍人や医者などの専門家でもなければ、意識を失った搭乗者に代わり外から再変換を操作するなど、恐ろしくてできない。
押せば、生死が決まってしまう。そして押さなければ、シビアアクシデントになった人型の搭乗者は、再変換されなくても人間――生者として大切に扱われるのだ。
人型を回収する責任は原因を作った敵、すなわちエレニアにある。
正確に言うならば、エレニアが所属する軍、国家に回収責任がある。
しかしゼノはエレニアへ敵の人型を回収するように指示しない。艦長も、他の人員に人型の回収へ向かうように命令しない。
立場上、この戦場にエリント国の部隊は存在しないからだ。
軍ならば法令順守、人型を回収する。
しかし犯罪者であるテロリストなどは、
その場に放置する。国際法的にも、人道的にも、赦されない犯罪行為だ。
「音を鳴らしたからって、回収しなくていいよね。それとも、伝説の人型だから、記念に回収しとく? でも、そんなことしてこっちの正体がバレたら、大問題だものね。だって無所属の、非情な犯罪集団のフリをしているんだから」膝を抱えて座るエレニアは目の前にいないゼノに向って舌を出す。
通信を聞いていた艦長が、わざとらしく咽た。
敵であっても、アラームを鳴らした人型の搭乗者は同じ軍人だ。忠誠を誓った祖国は違っても、きっとゼノたちと同じく、どんな姿になったとしても家族の元へ帰りたいと願っているはずだ。回収できないことを忸怩たる思いで堪えている輸送艦の乗組員も、少なからずいるだろう。
ゼノの横にいる輸送艦の操縦者の男は、楽しくてしかたない気持ちを隠しもしないエレニアの声が聞こえるスピーカ―を睨みつけていた。
「仮に、ここにいる誰かが博愛主義に陶酔し……」
ゼノが一旦、口を止めた。周囲を見渡したあと、体を艦長側へ僅かに捩ったままで、またエレニアに語り始めた。
「もしくは正義感に心を焦がして、アラームを鳴らす人型を回収すれば、私たちがエリントの軍に属していると発覚する。そうなれば私たちの愛するエリント国は国際的な非難を防ぐために、この場の全員を銃殺刑に処すだろう」
ゼノは、冗談だ、と付け加えた。しかし、笑い声は艦橋のどこからも聞こえない。
「エレニアはそう思うか?」
輸送艦の通信モニターに映るエレニアへ、ゼノは冷たく言い放つ。
「みんなが銃殺刑になるってこと?」
「そんなこと、どうでもいい」
艦橋のどこかで、床を蹴る音がした。
ゼノは反射的に振り向きかけた首を止めた。乗組員の心情を気にして振り返ったら、エレニアの代わりに悪役を買って出た意味を失う。
「そうじゃない。エレニアが最初に言っただろう? 誰に当たったか、だ」
「誰に……って言い方、ちょっと嫌な感じだなぁ~」
エレニアは頬を膨らませる。そして勢いをつけて立ち上がった。
「今、転送した通信データを確認しろ。今回の依頼者がわざわざ情報を送ってくれた。さっきから煩いアラーム音。伝説ではなく、別の機体がシビアアクシデントになったようだ」
この程度の騒音なぞ。戦場ならば、あちこちから鳴り響くアラーム音のために、自分が嵐の中にいると錯覚するほどだ。艦長がそう会話に割り込んだ。しかし軍属のゼノは、階級が上の艦長の発言をあえて無視した。作戦は失敗したのだ。そんなときに戦闘経験の豊富さを見せつけて威厳を保とうとする艦長の態度をゼノは唾棄したかった。
負けは、負けだ。その責は黒い巨神の開発者であるゼノにあると同時に、人型の部隊を送り出した艦長にもある。
「ちぇっ、やっぱりこのでっかいレールガンだと、ちゃんと選んで倒せないよ」
エレニアは口を尖らせ、踊りを激しくする。
ゼノは、口元を緩ませた。エレニアだけは、ただ一人、まだ負けを認めていないようだ。
「でも、でっかいレールガンもいっぱい撃てば当たるっていうよね? さぁ、もう一回!」
「レールガンの二発目はダメだぞ」
「えぇ~、なんでぇ~」
「レールガンは強力過ぎて、依頼者も発射の事実まで隠しきれない。誤射の言い訳も一回が限界だろう。それと標的が違うと釘を刺された」
「ぶぅ、ぶぅ、ぶぅ」
エレニアが踊る代わりに地団駄を踏んだ。
巨神も再度構えようとしていたレールガンの銃口を地面へ落とした。弾丸を発射した余熱で、地面が黒く焦げる。
ゼノが眉を寄せた。初の実戦で疲れているのだろうが……「やけに素直だな」
「だって、やっぱり、ね。街を破壊できる巨神のレールガンを虫みたいな大きさの人型へ使うなんて反則だもの。そんなことして倒してもつまらない。戦いは拳と拳でしょ?」
「さっきビィを使うって言った人間の言う言葉か? ビィはレールガンと違い、巨神初の人型用兵器だが、拳と拳の戦いと言えないだろう。それともまだ、ビィの扱い方がわかってないのか?」
ゼノの声は一段と低くなった。
「もちろん、わかっているよ。でも、でも、でも、ね。拳と拳って言っていいと思うよ。うーん、そうなだぁ、例えばね。ゼノもそうだよ」
「私が?」
ゼノが首を傾げると、エレニアが大きく首肯した。
「艦橋で戦場の様子を眺めているだけでも、その心は戦場で、敵と対峙している。その拳は、みんなの拳……ってことにならないかな」
エレニアが拳を突き出した。
「良いことを言ったつもりか?」
ゼノは手で目を覆った。そのあとで大きく一息ついて、気分を整える。
「まぁいい。これで終わったわけじゃない。依頼は続いているんだ。別にターゲットだけ殺せと指示されたわけでもない。こんなところであの忌まわしい『巨神殺し』の伝説に出会えたんだ。これで、ここは巨神に相応しい戦場になった」
黒い巨神が新人の人型搭乗者を殺す。資金調達のためにも従うしかないにしても、ただの弱い者いじめでしかない。データ取集が唯一の救いだと落胆していた依頼だった。それが一転して、黒い巨神はその全知全能を生かせる戦場を得た。
「それでこそ、ビィを使う意味もある」ゼノは誰にも聞かれないように、かすれた声で独言をした。
「なら追撃だね」
エレニアの声が弾む。
「当たり前だ。……しかし、今は待て」
「なんで?」
エレニアは腕を左右へ振り、膝でリズムを取り始めたところをゼノに止められて、口を尖らせた。
「取りあえずは、こちらの人型を収容してからだ。あくまでも我が国の関与の証拠は残せない」
国連に登録されていない巨神は知らぬ存ぜぬが通っても、外装を偽っている人型でも十分な証拠になってしまう。
「えっ、逃げられちゃうよ」
「さっきからシビアアクシデントのアラームが鳴りっぱなしだ。位置はずっと補足している。向こうが、策を弄さない限り問題ない」
「策?」
エレニアが顎に指を当てて、上半身を前に乗り出す。
ゼノは輸送艦の通信モニターから反射的に目を逸らした。
「囮に使うか、それとも置き去りにするか。そもそも回収義務はあちらにないからな……いや、伝説が本物ならば、仲間を見捨てる選択肢はない。ともかく、向こうはこちらの目的を知らない。おそらくシビアアクシデントの人型を手早く輸送艦へ収容して一刻も早く戦場から離脱するだろう」
「そうなると、やっぱり、すぐに追撃しないと……まだ黒も動けると思うし」
「心配ない。輸送艦の足ならば、近くの補給基地へ逃げたとしても二日以上かかる。それに補給基地程度の戦力ならば、エレニアの巨神だけでも駆逐できる」
「そういう意味じゃなくてね。二日必要って、森の中をでっかい輸送艦で進むからだよね? だったら補給基地へ道を作りながら向かうより、補給基地の方からアラームを切る人を呼んじゃう方が早くない? そうなったらアラームが止まっちゃって、追えなくなるんでしょ? 補給基地へ行く必要もなくなっちゃうし、全然違うところに逃げられちゃう。
それとも、補給基地以外からも援軍が来ちゃうかもよぉ~?」
アラームを切るのは誰でもできる。生死を問わなければ、操縦者を外から再変換させればいいだけだ。しかし援軍の可能性は大だった。ここは敵国なのだ。
「最後の言葉、顔が笑っているぞ。戦闘は遊びじゃないんだ」
「てへっ」
「まったく。……その心配もない」
意見を肯定すればエレニアはきっと勝手に追撃を始める。それを危惧したゼノはあえて嘘をついた。
「アラームと同時に、このアラームが人為的なミスで誤報だと告げる通信が、同じチャンネルで送られている」
「それって向こうに、裏切り者さんがいる、ってことだね」
「協力者だ」
「どっちでもいいよ。そこまでするぐらいなら、依頼なんてせずに直接、決着つければいいのにね」
「それだと、伝説に会えなかったぞ」
いじわる。エレニアが呟いた。
「聞こえているぞ」
ゼノがいつもの低い声で指摘した。
「ねぇ、あたしと黒、対、伝説。どっちが強いかな」
エレニアは操縦室の壁へ頬を寄せた。
「勘違いするな。あくまでも標的は新人搭乗者だ」
「でも、でも、でも、ね。ゼノは気にならないの?」
ゼノは一つ咳をした。
「そんなのは決まっている」
「そうだよね」
エレニアは目を細めた。そして、巨神を輸送艦へ格納するため、軽快なステップで踊り始めた。上半身はまっすぐ背筋を伸ばし、鴨のように足は激しくステップを踏む。
「……でも、もう一つ、気になる。この音と光」
「ん、どうした?」
「なんでもないよ」声が弾む。
エレニアは操縦席の床へ足を交互に叩きつけるたび、高く飛び跳ねる。
「ならいい。早く戻れ。今度はどこも壊さずに」
ゼノは無精ひげを軽く摩りながら、もう一度、艦橋全体へ響くような声で言った。
「はぁーい」
エレニアは足を止めないまま軽く敬礼してから通信を切った。そのあとでレールガン発射直後の記録データを、音と光に変換して再生する。
「この琥珀色のノイズ……」巨神からレールガンが発射された直後、散り散りになってよける人型の中で、たった一機だけが小型レールガンを、エレニアへ撃ち返した。
小型レールガンの撃ちあいとわけが違う。
巨神のレールガンは都市を消せる。人型程度ならば、良くてシビアアクシデント、悪ければ蒸発。というより、ほとんどの場合、蒸発する。
どんな人型だって、巨神のレールガンを前にすれば、逃げ惑うだけだ。
あの伝説だって、人型の優位性を知らしめた伝説の戦いではレールガンの弾が尽きるまで、逃げの一手だったらしい。
「なのに、この琥珀色の光は……」もちろん、その琥珀色もレールガンから逃げた。けれど同時に、おそらくレールガンの弾道からエレニアの位置を割り出して反撃したのだ。命の危機が迫る瞬間でそれができる人間と、エレニアは路地裏でも、研究所でも、戦場でも出会えなかった。
小型レールガンから発射されたピンク色に輝く弾丸は、黒い巨神に届くことなく、途中で燃え尽きた。「けれど……もしも撃ったのが巨神のレールガンだったら」
黒と一緒に、エレニアはこの世から消滅しただろう。
エレニアの腕と背中が震えた。震えを止めようと、自分の上半身を強く抱きしめる。
操縦室の壁に映るエレニアの顔は上気して、笑っていた。
「標的の子が、この琥珀色の子なら、もっと楽しくなる。ねっ、黒」
黒色と琥珀色。これもどっちが勝つのか、決まっているけどね。
エレニアの下半身の動きの激しさはどんどん増していた。
「絶対に、楽しくなるわ」
エレニアは唇へ流れてきた汗を、上唇の右端から左端へ舌を滑らせるように舐めとった。
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