第3話 喚くな、小娘!

「カーヴ。どうしたのよ。らしくない。落ち着いて」

 真新しい人型が両手を広げる。あろうことか、バンスの支援へと向かおうとしたミカエル隊長の行く手を、カーヴが阻んだ。

 苦笑するミカエル隊長が、左右へステップを踏んで、カーヴを置き去りにしようとする。

「……ほぅ」視界情報からカーヴの人型が消えない。ミカエル隊長の動きに、カーヴはついてくる。

 初めての戦場で、この判断力、処理能力、反応、どれも素晴らしいな。

 ミカエル隊長がそうであるように、各種センサーが収集する人型の内部や周囲の状況についての多種多様な情報は、カーヴの意識へ矢継ぎ早に示される。カーヴは続けざまに、情報を平行処理しなければならない。例えるなら、危機に直面した責任者と同じだ。もしも緊急事態に弱い責任者ならば、様々な報告に対応できなくなり、焦り、苛立ち、混乱し、やがて思考停止して茫然と立ち尽くすだろう。

 ミカエル隊長が開発に関わった試作機・初期型と違い、現在の主力機体は、搭乗者の負担を軽減するため、ある程度の瑣末な情報は初めから捨てられるように任意でセッティングできる。

 けれども、捨てた情報が瑣末かどうかなど、状況一つで変わる。瑣末だと機械によって捨てられた情報が、数秒後、搭乗者の生死を左右するかもしれない。結果、多くの搭乗者は生き残るため、どんな瑣末な情報も確認せずに捨てられない。

 普通の人間が知りえない情報はすべてカットすればいい。そんな奇抜な方法で人型を操る搭乗者も身近にいる。しかし人型にとっては、五感を全て断って、歩くことと同じだった。

「つまり……」初陣のカーヴが、私と同じ速度で、最適な情報のみを取得し、処理し、各駆動部へ的確な指示を出している。

「大した新人だ」……ただ、感心してばかりいられないか。テムのこともあるし、バンスが待っている。

 ミカエル隊長が邪魔をするカーヴを退けようと、彼の人型へ手を伸ばす。その一瞬早く、カレンがカーヴを後ろから抱きかかえ、拘束した。

「私より先に動いたのか」彼女もどうして、末恐ろしいな。

 ミカエル隊長の動きについていくカーヴ。さらに、その動きを止めるカレン。

 二人の能力の高さを目の当たりにして、ミカエル隊長は若い頃の失敗と比べて、自分を恥じた。と、同時に、この作戦が発令されてからずっと頭の隅に蟠っていた疑問を思い出す。

 どうしてこれほど優秀で、親の七光を持った新人が、戦力外扱いの部隊へ配置された?

「二人とも、お子様か? 駄々をこねるのは、いい加減にしてくれ」

 バンスが突然、通信に割り込んだ。

 能力は高くても、二人の精神は幼い。カレン、カーヴともに、ここが戦場だと忘れている。

 案外、事実はこんなところかもしれない。二人ともこの調子だったから、評価を下す養成所の教官に嫌われたか。

「……違うな」ミカエル隊長は自嘲する。どれだけ我が国が腐敗していたとしても、ただの教官が、将軍の娘であるカレンを自由に差配する力など持てない。ならばカレンの父親と同等か、それ以上の、党の有力者だろうか。それともカレンの父親が娘の無事を願って、こんな安全地帯へカレンを配置したのなら「……この戦闘は皮肉な結果だな」

「ミカエル隊長?」

「いや、すまない。バンス、どうした? 状況に変化でも」

「何故だがわからないですが、一目散に撤退していた敵が、反転して再攻勢を。……敵は三体です」

「……玉砕か?」

「いえ、そういう気配は……」

「ならば撤退のための、殿だろう」

「さっきより組織的で、前へ出る意思が強い。まるで指揮官が別人に変わったような……」

 通信の最後に、レールガンの発射音が響く。直後、ピンク色の直線が三本、立て続けに森を貫く。

「バンス? バンスっ!?」

「こんな遭遇戦で、補給のままならない敵軍の中で、本気でまだ戦う気かよ。隊長! ちょっと冗談じゃすまない状況になりつつ……」

 戦闘が再開され、バンスが唐突に通信を切った。

「全滅覚悟か、それとも援軍か」敵勢力をよみ違えた。それとも、カレンの言う通り、エランが介入したのか。

 ミカエル隊長は即座に、人型の膝を屈した。「空へ」

 人型は跳ぶだけで、飛べない。だから跳んだ人型は格好の標的になる。行動を制限される空中はもちろん危険だ。そして着陸時も、重力を加算した自重を各関節が受け切れず、行動不能になる確率が高い。

「しかし、森の木々や、柔らかい地面を進んだのでは、バンスの支援へ向かうに遅すぎる」危険は百も承知だ。

「カーヴ、待って! カーヴ!」

 カレンの悲鳴。ミカエル隊長がその声に気づき、可能な限り安全を確保して跳ぶために準備していた駆動系のオーバードライブを監視する情報群を掻き分け、視覚情報を取り出す。するとカーヴの人型が、手をクロスさせた防御の態勢のままで、森の木々を突き抜け、空へと到達しようとしていた。

 青々とした木々の葉が、豪雨のように一斉に落ちてくる。その中で、カレンまでカーヴを追いかけようとして人型の下半身を沈ませる。

「やめろ! 情報処理せずに跳べば、お前まで死ぬぞ!」

 ミカエル隊長の叱咤に、カレンの真新しい人型は俊敏に応え、ゆっくりと曲げていた膝を伸ばし、ミカエル隊長へゆっくりと頭部を向ける。

 一瞬だけ、カレンの人型の琥珀色の瞳が曇る。そのままミカエル隊長から数歩下がった。地面が人型の重さで沈み、下半身の関節からパイプオルガンの音色に似た摩擦音が生じた。同時に、甲高いレールガンの音がさらに増えた。

「バンス! カーヴがそっちへ向った。空だ。サポートしてやってくれ!」

「ルーキーが空へ? ちょっと待って下さいよ、死ぬ気ですか。平面より、空間での情報の処理作業は一気に増えるんですよ? 鳥の生まれ変わりでもない限り、的になるか、墜落するかのどちらかでしょっ」

「頼む! 殺させるな!」

 直後、一本のピンク色の直線が森ではなく、空へ引かれた。

「敵も気づいた! まったく。おかげで、こっちへの反撃も減りましたから、やってみますよ。新人を囮だなんて、寝覚めが悪くなりますから。けれど墜落は助けられませんよ。新品の人型を壊して整備士からタコ殴りをくらうのは、新人ですよ」

「頼む。再構成不可能――シビアアクシデントにさえならなければ、後はどうでもいい」人型はどれだけ壊れてもいい。叱られるのは、生きているからだ。しかし人型が大破し、アクセプトしているカーヴの重大な身体部位まで消失したら、カーヴは人間に戻れない。

「死ぬな!」ミカエル隊長はそう祈ってから、多くの情報を拾い始めた。

 もう空からは無理だ。状況が変わった。

 ミカエル隊長までここを離れたら、負傷して撤退中のテムと、初陣のカレンが孤立する。

 大量の情報がミカエル隊長の意識を覆った。自分の体に、百の目と百の耳、百の手足ができたように感じ始める。未知の感覚から得た情報を高速処理していくうちに、自分が人間か機械か、わからなくなる。

「それでも――」人間としての自分を失うほどの、その多種多様、大量の情報を一片たりとも、ミカエル隊長は捨てない。

 意識だけの存在であるのに、鼻と目と耳から流血しているような味と匂いを感じる。ミカエル隊長の本能は、自我を守るために、情報を捨てろと警告を発していた。

「ミカエル隊長! そんな量の情報を受け入れるなんて無理です。精神が、精神が……。私も……私が情報の処理を手伝います。二人で処理すれば……」

「喚くな、小娘! それと私に繋ぐな。情報の逆流で、お前まで危険だぞ」

「でも、でも、それじゃ……隊長の意識が砕け散ります」

 この戦闘を生き残ったあと、精神崩壊してもいい。

 ミカエル隊長は、情報を全て受け入れ続けた。

 周囲の森の匂いの化学式、腐葉土の下に住む微生物の生息分布、落葉する青葉の落下位置。それが必要かどうか――。

 匂いで敵の位置がわかるかもしれない。人型の駆動エネルギーによる地表面の温度上昇で、微生物の生息分布に顕著な変化があるかもしれない。レールガンに焼けた青葉の落ち方から、敵のレールガンの性能や発射位置を特定できるかもしれない。

 それは全て、情報を処理しないとわからない。

「隊長! もうやめてください……」

 集めた情報の中に、すすり泣くカレンの通信が混じっていた。けれどミカエル隊長は初陣の女子を励ます言葉すら失念していた。

 一人も死なせない。その思いだけに意識を集中した。

「敵へ輸送艦の位置を発見されないように、残るカレンとともに、負傷したテムと合流して、バンスたちを支援できる最適な位置へ最短で向かう方法を割り出す」

 ミカエル隊長は、何度も、何度も、言葉を繰り返す。そして、すべての情報を取得し、吟味し、処理し続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る