第2話 一緒に踊るよ

「エレニア! どういうつもりだ」


 新地球歴三十二年四月二十四日 位置データ不明、エリント国メガトン級人型陸上輸送艦。


 格納庫で、スティグ・ゼノの暗くて重たい声が反響する。十体あった人型は全て発進したあとなので、振り返るのは格納庫に残っていた整備士ばかりだった。

 ゼノの精一杯の大声だ。「聞こえなかったとは言わせないぞ」

 ところがパム・エレニアは、ゼノの声だけでなく、ミニスカートの裾さえ気にせずに、巨神の体をよじ登っていく。

「エレニア! 聞こえているだろう!」

「……うるさいな。あたしはこの巨神の搭乗者だよ? 搭乗者が自分の機体に近づいて何が悪いの? あたしを『黒』の搭乗者に選んだのは誰だったっけ?」

 攻守交替。ゼノがエレニアの問いを無視する。すると巨神に張り付いたエレニアの肩が小刻みに震え出す。

「……発進させるつもりだろ?」

「こんな狭いところに……じっとしていろ!」エレニアが突然、低い声で怒鳴った。

「私の真似はやめろと言っているだろうに」ゼノが眉間に皺を寄せて呟く。

 人型ならば一個中隊相当数は格納できる広い格納庫の中で、黒い巨神が膝を手で抱え、体を小さくしている。本来なら巨神一柱運ぶのに、ギガトン級の輸送艦を使うのだから、この処置は当然だろう。「……だなんて言わせないよ。こんな狭い場所に閉じ込めるなんて、あたしの巨神がかわいそうだと思わない?」

 エレニアは巨神の胸辺りまで昇りきると、腰まで届く黒髪を翻す。やっとゼノへ振り返ったと思えば、子どもっぽく頬を膨らませて、この巨神の主任設計者であるゼノを睨む。

「その態度はやめろ」

「まるであたしのお父さんみたいに言うのね」

 エレニアは搭乗口の扉を開けた。

「ま、まて! 私はエレニアの、……保護者なのだから当然だ」ゼノは自分の発した言葉が恥ずかしくて、奥歯を噛みしめる。

 エレニアは両手を広げ、空を隠す格納庫の天井を仰ぎ見た。

「黒に似合うのは、琥珀色の自由な大地。ねぇ、そうよね?」

「だからって、そんな子どもみたいなまね……」そう言いかけて、ゼノは口を閉じた。軍服の詰襟に指を入れて、息を大きく吐く。

 相手は十四歳の娘なのだ。このふざけた態度も年相応なのかもしれない。

 ゼノが開発した新しいの巨神の操縦方法。そのデータ採取に最適な人材は今のところエレニアしかいなかった。

 彼が研究所に新任されたのと時を同じくして、結婚していれば、エレニアぐらいの年の子息がいたかもしれない。無論、研究一筋で生きてきたゼノは、妻さえいない。

 ゼノがエレニアを首都で見つけたとき、彼女は戦災孤児だった。けれどエレニアは、家族を奪った戦争や、生活保護を施さない国を恨んでいなかった。彼女は、たいていの人間が忌避するスラム街で、ひび割れた壁と、ゴミ箱と、地面と、折れた信号機を、捨てられた傘で軽快に叩くような少女だった。

「ゼノ?」

 エレニアの声に、ゼノは我に返る。その瞬間、巨神の頭部が視界に飛び込む。人型より十倍の身長、体積にして千倍の大きさを持つ機械。その頭部はエレニアの言う通り、格納庫の天井に当たっていた。きっと巨神の頭部の装甲表面は擦り傷だらけだろう。

「当然だ。ただし、ここは人型専用の輸送艦内だぞ。そこに特別兵装の巨神と、標準装備のレールガンまで持ち込んでいる。窮屈なのは我慢しろ」

 床に置かれたレールガンの先は、格納庫の出口一つを突き破っている。

「我慢できないよっ」

「誰が泣き喚いて、使いもしないレールガンまで無理やり持ち込ませたんだ?」ゼノは、誰が、の言葉に力を入れる。

「我慢できないもんっ」

 根に持つゼノと違って、エレニアはゼノへ言った嫌味などすっかり忘れていた。

「……小娘が」ゼノは床へ向って呟いた。

「あぁ〜、そうやって床に向かってぶつくさ言うのは、悪い癖だよ」

 ゼノは一つ咳払いする。手を後ろへ回して、背筋を伸ばした。

「研究所へ出入りしているエランの武器商人。エレニアも知っているだろう? 彼の仲介でこちらへ秘密裏に侵入したんだ。それなのに、こんな大きな巨神が発見されたら、どんな言い訳もできない。彼からの資金援助も打ち切りだ」

「資金援助じゃなくて、裏金、でしょ?」

 けらけらとエレニアは笑う。絹糸のような黒髪の細い一本一本が、踊り狂うように震える。初めて出会ったころと違い、ちゃんと店に通って整えられたエレニアの黒髪は、天井の薄汚れた照明灯の光さえ、綺麗に反射していた。

 社会に捨てられたエレニアも、磨けば誰よりも光る。捨てた社会が彼女の価値を見抜けない愚者なのだ。

「我が国は、骨董品へ貶められた巨神たちを、着飾る兵装を開発し、維持管理に巨額を投じても、新たな巨神の研究開発予算など認めない」

 ゼノは口を噤んだ。自分で自分の言葉に苛立つ。事実だが受け入れがたい。巨神は戦いの神であって、人型など足元にも及ばない存在なのだ。金さえあれば。この巨神さえ完成すれば。巨神はあらゆる戦場から人型を駆逐して、復権する。

「ゼノ? また顔が怖いよ? 目つき悪いし、眉間の皺、無限増殖中」

「しつこいぞ。顔の事は言うな。生まれつきだ。……とにかく、今回はエランが仲介した敵国デコイからの公にできない依頼だ。ある程度はむこうで揉み消してくれるだろうが、巨神が見つかったとなれば……金どころか研究所の存在も危うくなる。頭上に他国の衛星がある間は絶対にダメだ」

「え~っ、そもそも黒の対人型の実践データを取得するのが本当の目的でしょ? 殺しの依頼なんてただの言い訳じゃん!」

「うるさい。……衛星だって、常にこちらを捉えているわけじゃないんだ。機会を待て」

 その力比類なき、しかし使えない兵器。国連によって認められた僅かな国だけが、国力の象徴としての巨神を保有し、煌びやかに飾っている。

 一都市を一瞬で滅ぼすほどの、無用で無駄な兵装を装備した巨神は、実際の戦争では戦場を選びすぎるのだ。

 それに巨神はある戦いをきっかけに、後発の、より実用的な人型に主力兵器の座を奪われた。数十体の人型対巨神一柱とはいえ、巨神が人型ごときに屠られたのだ。それに巨神の維持費で、千体近くの人型を購入できる現実もある。その戦果が転換点となり、エリント、デコイの二大国家以外で、巨神を保有する酔狂な国の数は片手で足りることとなった。

「ぶぅ~」エレニアは口を尖らせる。

「エランや他国での作戦と同じに思うな。表向きの依頼は人型が適している」

 エレニアはこくりと肯いた。ゼノもそんなエレニアの姿を見て、ようやく肩の力が緩んだ。

「それに私と、エレニアの大切な、新型の巨神の初陣としては、もっと華々しくないと。そう思うだろ」実際のところは、この巨神を完成させるための、対人型の実戦データは喉から手が出るほど欲しい。しかし我々の最終目的は、巨神の復権だ。そのために華々しくあるべき初舞台が、こんな辺境の一戦闘であってはならない。実践データは秘密裡に取るべきなのだ。

 ゼノは握り込んだ自分の拳を見つめる。

「相手は凄い人型使いかもしれないよ? それこそ、黒、を倒しちゃうぐらいの」

「顔が笑っているぞ。そんな伝説級の敵がいるわけがない。それに、黒はその伝説を倒すための巨神だ」

「そぅっだね」エレニアが巨神の表面装甲を人差し指でなぞりながら微笑んだ。

「そもそも今回の相手は新人訓練中の部隊だ」

「じゃあ、我慢する」

 エレニアは、もう一度だけゼノへ微笑むと、巨神の胸へ頬を合わせた。鈍く光る漆黒の肌と、エレニアの黒髪が溶け合う。

「ここは暖房の効いた研究所じゃないぞ。いつもみたいに、寝ていたら風邪を引く」

 エレニアがひらひらと手を振った。

 やれやれ。額を手で押さえたゼノが、その場を離れようとしたとき、「待って!」唐突にエレニアが顔を上げた。

「今回、殺される人って、あたしと同じ、女の子だったわね」

「そうだな。何て言ったかな? どの将軍かの一人娘らしい……。デコイのかなり高い地位にいる人物からの依頼と聞いた。権力闘争か、ただの嫉妬か。……我が国エリントと違って、軍事政権の国なんて、そんなものだろう」敵国デコイを滅ぼすのは、エリントではなく、デコイの経済に深く食い込むエランなのかもしれない。

 ゼノは舌打ちした。せめてこの巨神が完成するまで、デコイとの戦いは続いて欲しいものだ。

「その子もかわいそうだね。昨日まで味方だと信じていた人に裏切られて殺されるんだから」

 そうだな。ゼノが上の空で答える。

「だったら、あたしは恵まれているんだね。だって黒が、あたしを守ってくれるもの」エレニアは満足したような顔で黒い巨神へ抱きついた。

 私の巨神だぞ……。そうゼノが言い返そうとした次の瞬間、艦内放送から戦況が報告された。

《伝説です。あの認識コードは間違いない……我々は伝説と戦って……なんでこんな辺境に……わぁ、もうダメだ! 楽な仕事じゃなかったのかよ》

 その恨みの言葉のあとはシューっというノイズだけを残して放送が途絶えた。

「エレニア!」

 ゼノの叫びより早く、エレニアが巨神へ乗り込む。

 搭乗口が閉じられ、操縦室が暗転する。けれどそれは一瞬だった。白、青、赤、緑色、もっと多くの種類の光線が飛び交い、重低音のリズムが響きだした。

「黒! アクセプト!」

 しかし人型のアクセプトと違って、エレニアの体は粒子単位で分解されない。操縦室の床が、エレニアを乗せたまま、楕円球を半分にしたような形でせり上がった。その舞台に立つ彼女へ、音と光に変換された全ての情報が降り注ぐ。

「黒! 一緒に踊るよ! さぁ、君たちから戦場を奪った人型の伝説を滅ぼすよ!」

 エレニアが、黒髪を翼のように羽ばたかせながら、その場で飛び跳ねる。そうやって彼女は自分の意思は、音と光と踊りで表現する。それに呼応した巨神の手が、狭い輸送艦の壁の一部を叩き壊した。

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