千歳玉響。
灯火可親。
第一話
第一章:あの日、あの時、あの場所で―――
*****
夜が怖い。
誰もいない、不相応な一軒家に一人。思い出の詰まった家に独り。記憶に手を伸ばして逃避しようとしても、ふとした瞬間には現実にぶち当たる。ベッドに入っても寝付けるまでには何時間もの時間を要する。目と閉じればそこには過去があり、目を開ければ自然と涙が流れる。そんな月日は余りにも辛かった。
―――♪♪♪
握りしめたスマートフォンが鳴る。暗闇の中では人工的な光が目に刺さるようだ。しかし、気にせずにメッセージを確認する。
『まだ寝れない?』
短い文の後にはURLが添えられていた。返信もせずに開いてみると、動画が再生される。あからさまなリラクゼーションを感じさせる音楽と名も知らない青い花が風に揺れる映像。思わず笑ってしまう。きっと、相手もそれが目的なのだろう。俺の性格など知り尽くしていると言っても過言ではないのだから。
『これって何の花?』
そう返信すれば直ぐに既読の文字がつく。きっと、向こうも後は寝るだけの状態でスマートフォンと睨めっこしているのだろう。もう午前の二時を過ぎているというのに夜更かしなお節介さんだ。
『瑠璃唐草。花言葉はご自分で』
初耳だったので直ぐに調べる。ああ、成る程。本来の呼び名であれば誰しも一度は耳にしたことのある花ではあったが、その名の由来が余りにも花言葉にそぐわないもので。可憐な花なのに可哀想、それが素直な感想。
『星の瞳に乾杯』
『何よ、それ』
予想通りに返答はドライなものだった。
『そろそろ丑三つ時ですよ、おねーさん』
『ぼーやは寝るのが怖いの?』
『ばーろー』
『あっそ。じゃ、ちゃんと明日も学校来なさいよね』
『そっちこそ寝坊すんなよ』
返信は簡単なスタンプだった。
「……。ありがとう」
メッセージはもう送らない。その代わり、小さく呟いた。勿論、相手には届かない。俺以外の誰に届くこともなく虚空に解ける。
*****
「―――ということで―――」
雑音のようだ。クラスメイトの話し声も、その奥で主張を続ける数学教諭の声も。お陰で全く興味を惹かれない上に、夜間の寝不足が祟って意識がはっきりとしない。春先の
「―――よって―――」
「―――でさ―――」
「―――えー、嘘でしょ~―――」
「―――なんだって、マジで―――」
「―――あ~―――」
「―――ってかさぁ―――」
どうしてこんなにも間延びしているのだろうか。時間の感覚が狂っているのかもしれない。いつからだろうか。そんなの聞くまでもない。
あの日、だ。
「―――しの―――」
あの日。
「―――か?―――」
あの時。
「―――いて―――」
あの場所で。
「聞いてるのか、
全ての雑音をかき消しす大音量が教室中に響き渡った。
「……はい?」
視線を教卓に定めれば、そこには明らかな不機嫌さを全面に出す数学教諭。余韻など感じる必要もないのに騒めしかった教室は瞬時に静まり、おまけと言わんばかりに視線が集中するのを感じた。
「はい?じゃない。聞いてるのかと聞いているんだ!」
「あー。いえ、すみません」
「…はぁ。またかお前は、ちょっとはだなぁ―――」
ここで、まるで見計らったかの様にチャイムが鳴る。
「…今日はこれまで!」
それだけ吐き捨てて数学教諭は足音荒めに降壇していった。と同時に、また教室が喧噪に包まれる。その中にはため息や自分の名前も混ざっているようだが、特に気に止めずに鞄を肩にして廊下へ向かう。
付きまとう視線が煩わしくて仕方なかった。
*****
「
教室を出て、廊下を抜け、靴を履き替えて校門へと向かう道中、背後から名前を呼ぶ声に思わず足が止まった。今度は俺がため息をつく番のようだ。しかし、ここで振り切るだけの気力もないので、振り返ることにした。
「何だよ、
「あんたさぁ…」
追い付き様に何か口にしようとした歌南だが、俺の表情を一瞥して残りの言葉を飲み込んだようだ。流石、としか言いようがない。しかし、その理解でさえも煩わしく感じてしまうのは遅れてきた反抗期だろうか。
「いや、何でもない。それより、行くよ」
「は?」
「いいから!」
掴まれた左手を、振り払うことは出来ない。勘違いされるから場所を選べ、とか、相変わらず強引だな、とか。言いたいことは沢山あった。それでも振り払うことは出来ない。口にすることも出来ない。言い訳にしか聞こえないのは分かっていて、優しさに飢えている自分がいるから。
*****
「………、おい」
「何よ」
早速だが、前言撤回。コイツに無償の優しさを求めた俺が間違いだった。そう、無償の筈がない。有償なのだ。何事にも対価は必要だということを忘れてはならない。
「誰がお会計一緒にしていいと…」
「私の時間を使ってあげてるんだから当たり前でしょ」
「おかしいな、俺の時間も使われている筈なのに」
「寝言は寝てから」
「平等とは一体何なのか」
「幻想」
左様で。
「ほら、ボヤいてないで席まで運びなさいな」
「…仰せのままに」
場所は学校から少し距離のある某チェーンカフェ。少し距離のあるというところが配慮されているようで憎たらしいが、その配慮にも対価を支払わなければならないのだからお相子といことで納得するとしよう。
「どうぞ、お嬢様」
「え、やめてよ気持ち悪い…」
「………」
おかしいな。
「…うわ。ちょっと、アンタが変なことするからいつもより美味しくないんだけど」
「嘘でしょ…」
どこで人生を間違えてしまったのか、とこちらが考えてしまうほど神妙な表情をした歌南。相変わらず辛口であった。
「で?」
「で?とは?」
「何でイライラしてんのよ」
「寝不足」
「昨日も結局寝れなかったわけ?」
その言葉には幾分かの含みがあった。私が付き合ってあげたのに?とでも言いたいのだろうか。そう、何を隠そう。この目の前で美味しそうにフラペチーノを召し上げっている女子こそ昨夜のメッセージの相手。幼馴染の
「星の瞳に魅せられてしまって…」
「どうしたの、精神科一緒に行く?」
「勿論、診察されるのは「アンタ」」
ですよね。
「まあ、どうせあの動画じゃ気休めにしかならないって分かってたけど…」
「構わん構わん、どうせデスメタルでも同じ結果になってるから」
「いや、それは…どうなの? フォローしてくれてる?」
「演歌でも同上」
「しつこい」
この連れない辺りが無駄に会話が長引かないコツなのだろう。基本的には俺が脱線させる方なので、それも考慮してくれているのだろうか。
「別にさ、アンタ自身の問題だからとやかく言うつもりはないけど…」
そう、ちゃんと、しっかりと前置きして歌南は続ける。
「教室で振りまくのはやめなさいよ」
割りと、今までより何倍もはっきりとした口調で。直ぐにでも反論しようと喉元まで言葉が出てくるが、冷静に吟味すると余りにも稚拙でしかないので吐くことが出来ない。飲み込む為にも、一息つくためにもアイスコーヒーを口にした。
「…、ごめん」
そして、出てきたのは素直な謝罪の言葉。歌南のアメジストのような瞳に真っ直ぐと見据えられた状態では、これしか思いつかなかった。
「分かればよろしい。まあ私もあの先生の態度はどうかと思うけどね」
「そうなん?」
「配慮とかそういう問題じゃなくて、単に高圧的なのが個人的に嫌」
「歌南さんの理想はお父さんだもんな」
「そうよ、悪い?」
「いや、俺も好き」
これは冗談ではない。幼馴染である歌南の両親には俺自身もとてもお世話になってきた。決して、
そんな父親が身近にいるものだから、歌南の男を見る目というのは同年代とは似つかわず実にシビアに育ってしまった。
「…あれ?そう言えば今日お店は?」
「え、今更?」
「まさか俺のために…」
「いや、勘違いも甚だしい。今日は忙しくないから大丈夫って連絡があったの」
「ですよね~」
「もしお店が忙しかったとしたら、場所が変わってただけだし」
「え、お店で尋問受けるとこだったの俺」
それだけはご遠慮願いたいところだ。何せ、歌南の両親が経営しているレストランは客席数こそ少ないながらも、地元では知らない人がいないという人気店なのだから。その手伝いに駆り出された挙句、バックスペースに戻る度に歌南から説教を受けると考えると、
「今に感謝」
「藪から棒に。やっぱり脳外科かしら」
「誰がイカれた野郎だ」
アンタ、と視線が語っている。言葉こそないものの、フラペチーノを飲みながらも視線だけはがちりと俺から外さない。
そんなに俺を眺めて飲めば、そりゃあ美味しいものもマズく感じるだろ。と妙に納得したのは言うまでもない。
*****
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